アンドーラ 公演情報 アンドーラ 」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-5件 / 5件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    あまりにも恐ろしく、わが身を振り返らずにはいられないが、それをすれば身の置き場がない。

    舞台は敬虔なキリスト教国「アンドーラ」。隣り合う「黒い国」でのユダヤ人虐殺から救い出されたアンドリは、救い主の教師夫妻とその娘、バブリーナと家族同然の暮らしをしていた。だが、密かに愛を育んだアンドリとバブリーナが結婚を申し出ると、父は決してそれをゆるそうとしない。おりしもアンドーラ国内には「黒い国」が侵略してくるとの噂が流れており……。

    ネタバレBOX

    悲劇的な結末は、登場人物たちの回想(証言)によって序盤から示されており、
    観客は、どのようにしてそれが起こってしまうのか、その時人々が何をし、何をしなかったかを注視することになる。

    アンドーラの人々は、平和を愛する唯一無二の国の市民を自認しているが、「黒い国」からアンドリの実母だという女が訪ねてくると、雪崩をうつように疑心暗鬼に陥り、結果として、女とアンドリは殺されてしまう。一人ひとりが手をくだしたのではなくても、誰もがこの顛末を後押しし、あるいは見過ごしたことが証言によって浮き彫りになっていくのは、辛いものだ。誰もが(特に序盤)まるで「気のいい市民」のようにふるまっていたのだから、なおさら。彼らの姿はもちろん、善良さや良識を持ち合わせていると自認する観客(私)にも重なる。(俳優たちは皆、こういう「市民」の善良さといやらしさをまとう好演だった)

    結婚を否定される理由を「ユダヤ人であること」に求めたアンドリは、これまでに過ごした「ユダヤ人」としての立場とも相まって、実際には教師の子であることが判明してもなお自らのアイデンティティ=ユダヤ人であることを捨てようとしない。アンドリは、そして人々はなぜ民族に根拠を求めることをやめられないのか——。
    この上演において、悲劇の青年を演じる俳優は女性(小石川桃子)である。このことは、人種や民族にかかわる問題だけでなく、たとえば、現代において、どのように「女性性/男性性」がつくられるかといった問いにまで視野を広げさせる。

    発狂したバブリーナが、アンドーラの祭りの日のように塗料を手に「街を白く塗らなくちゃ……」と現れるところで幕は降りる。個人的な趣味として、舞台のクライマックスとしての”狂乱”には、鼻じらんでしまうことも多いのだが、これはただ慄然と見守るほかなかった。それはこの劇世界で、バブリーナの狂乱こそが、しごく真っ当な反応のように思えたからかもしれない。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    隣国「黒い国」と緊張関係を持つ架空の国アンドーラを舞台とし、ユダヤ人差別を軸に展開する不思議な味わいのドラマだった。文学座のアトリエ公演は濃い。秀逸。

    文学座の勢いある女性演出陣の若手の一人とされる西本由香の演出舞台は初めてであった。その視点で反芻していなかったが、アトリエ公演らしい実験精神も見られた。架空の世界を描く際には、確かに、その世界を統べる法則や人々のふるまい方、習慣が戯曲に即して特徴的に描かれたい。
    ただこの作品では「ユダヤ」という固有名詞は現在用いられるそれそのものとして使われ、迫害の熾烈な隣国の好戦的ファシズムの脅威にさらされた国、を舞台に、平和主義を貫いているとは言いつつそこここに欺瞞が満ち、ユダヤ差別も屈折した形で存在する哀れな弱小国の現実が浮かび上がる。この作品のメタファーがどこへ向かっているのか、どの現実を特に意識して書かれたものなのか、知りたく思うが舞台のみでは思い至らなかった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★


    なじみのないスイスの作家の作品だが、著名な作品であるらしい。国家とそこに住む国民のすべての価値観や倫理観が同一であることは難しいもので、そこを統一させてドラマを作ろうとすれば無理が出てくる。スイスと言えばデュレンマットの「貴婦人の来訪」がよく上演されるが、それに似たタッチでもある。
    きな臭い現状をみれば、永世中立国というのもウソっぽいよ、という作品はそれなりに意味はあるが、この程度のことはもう我が国の国民はご存じで、なにをいまさら、といった感じではないだろうか。休憩15分でほぼ、3時間、アトリエの椅子は苦行だが文学座の実力が良く出た寓話劇にはなっている。
    作品の良いところは、あまり上部構造には立ち入らず、市井の市民を登場人物にしているところだ。国家が戦争をしようと言っても、国民の方は、さまざまな事情があるわけでそこが上手く描けている。役者も教師の主人公夫妻、阿呆の店の手伝い、神父、医者、宿の亭主など、皆ステレオタイプにひと味つけて役にしている。味のつけようもなかった武田知久とか、兵隊役の采澤靖起も舞台に出るとちゃんと役割を果たしている。この辺はさすが文学座。
    疑問は主人公の兄妹をフィメールキャストでやっていることで、若手の女優さんは奮闘だが、意図がわからない。これでは大車輪の兄役かわいそう。
    とはいっても、あまり見ていない新人の演出家(西本由香)はここまでベテランに個性をたてて役作ったのも、白一色の抽象舞台のステーよくできていて、文学座ガールズ(と言うにはベテランもいるが)演出家の一翼を担うだろうと楽しみだ.

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    久々に人間の怖さと愚劣さを突き付ける、社会派ポリティカルドラマを見た。一種の寓話なのに、ひりひりするようなアクチュアリティーがある。「永世中立」を標榜して、ナチスドイツのホロコーストを黙認した祖国スイスに対する、峻厳たる告発状である。
    架空の小国アンドーラの市民たちのユダヤ嫌い・偏見から始まるが、ユダヤ人が身近でない日本人として最初はピンと来ない感じもある(朝鮮人に置き換えると、面白い翻案劇になりそうだ)。息子アンドリ(小石川桃子=臆病な自尊心を好演)は実はユダヤ人ではなく、父(沢田冬樹)の不倫で生まれた隠し子だった。その事実は早くからほのめかされるのに、父は煮え切らず、なかなか本人に伝えない。このじらしには、じれったいとともに感情がざわざわしてくる。
    しかも、ユダヤ人迫害を避けるため、事実を周りが一生懸命説得するようになっても、アンドリは「僕はユダヤ人だ。今度はあなたたちの番だ…ユダヤ人をを受け入れる」とはねつける。「第二の性」ではないが、人はユダヤ人に生まれるのではなく、ユダヤ人に作り上げられるのだ。自分をユダヤ人にこしらえあげた人間にとって、それはもはや血の問題ではない。人間のアイデンティティとは、共同幻想であることを突き付けてくる。
    「黒い国」は「黒い森」が広がるドイツを示唆しているし、「白い壁」はスイスのアルプスの山々を連想させる。
    アンドリをユダヤ人と決めつけ、石を投げた容疑をかぶせた男が、戦後は「私のせいじゃない。残虐な行為には反対です」と、すべてを忘れたかのように言う。
    冒頭で壁を白く塗っていた妹バブリーン(渡邊真砂珠=狂乱を好演)が、再び「白く塗る」意味は、かつての罪を隠蔽する卑屈な市民に対する皮肉であり、告発である。

    アカデミー賞国際長編賞を受賞した「関心領域」は、アウシュビッツ収容所の隣で暮らすドイツ人たちの楽しく平穏な日常を描いて、現代の私たちの「無作為」「無関心」の罪をついた。「アンドーラ」も同じである。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    よくこんなすごい作品を見つけてきたものだ。ずいぶん前に書かれた作品のようだが、緊張が張り詰めた重く悲劇的な物語であるとともに普遍的な内容で、今の日本や私たち自身を見せられている気分になる。自分は何なのかのアイデンティティーがどのように形成されるかの問題や「白く塗る」「世界から愛される平和な国の人々」など興味深いメタファーも盛り込まれ、内容が濃い。主役の若者を女優が演じているのも見事に当てはまっている。

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