「視野」 公演情報 「視野」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★

    視野の先に広がる「虚」の空間
    床に座る。
    アートスクエアの天井は高い。
    蛍光灯がいくつも縦に下げられている。

    俳優の上の空間が広く空く。

    ネタバレBOX

    観客の視野には、俳優の上に広がる「空間」が「広がる」、というよりは、舞台が進行するにつれて「重くのしかかって」くる。

    「虚」の重さ。

    スラップスティックと劇団側が表現する、3つのエピソードが繰り広げられる。

    (たぶん)何かに絶望している女たち。それに寄り添う男たち。
    男たちは、女のことを理解しようと思っているというよりは、自分のことしか考えてないように思う。自己愛的な。

    女と男には会話はあるが、コミュニケーションは断絶している。
    そこへの「絶望」でもあろう。

    3つのエピソードは、舞台の上に広がる「虚」の中に立ち上り、静かに消えていく。
    交わることはない。

    正直に告白すると、最初はクッションもあるし、好きなところに座れるのだから、通常の桟敷席とは異なり、足も伸ばせるし、なんて思っていたが、やはり、途中からお尻が痛くなってきた。静かすぎる空間なので、身体をあまりもぞもぞともできず、お尻と腰の苦痛は高まるばかり。
    したがって、苦痛の中で、後半、台詞に集中できなかった。
    (4つぐらいイス席も用意されていたが、さすがに上演中は移動はできないし)

    それと、意図されていたとは言え、ライトの高さが辛い。目に直接光が入ってまぶしい。

    観客の「視野」をコントロールしたいがために、床に座らせることを企画したのだと思うが、あの空間の広さで言えば、イスの高さがあったとしても同じだったのではないだろうか。
    頭で考えすぎの結果が、苦痛なのではしょうがないのではないか。

    苦痛も「込み」の演劇ならば、それはそれでアリだったかもしれないが、やっぱり苦痛はイヤだし、演技と台詞には集中したいものだ。

    全体的にスタイリッシュ。
    役者の雰囲気も、どこか胸を張って、鼻をツンと上にしたような感じさえ受ける。
    女優の切羽詰まった演技は素晴らしいと思った。声を張らない緊張感があり、迫ってくるものがある。特に白い紙を持って佇む女の。
    また、宗教に入り込みそうな男に向かって叫ぶ女の声はきつい。それがいい(この宗教のエピソードは好きだ)。


    言葉をまるでだじゃれのように繰り返す女(これって、お笑いのジョイマンではないか、と思ってしまった)と男のエピソードがあったが、これにはまったく共感ができなかった。意味が不明すぎる。ラストの刃傷沙汰も、ありきたりでつまらない。というより思考を停止させているようにすら思えた。
    こんなスタイリッシュなのに、出刃? なのだ。
    まあ「殺意と一緒に用意した出刃」なのだろうが、どうも悪いギャグのようだ。

    また、ライブハウスのように、飲み物と食べ物の用意がしてある。
    ただし、あの舞台の雰囲気では、食べながらどころか、飲みながら見ることはできない。
    食べたり飲んだりは、開演前に、あるいは終演後に、という意味であれば、床に座らせて飲み食いしろと言うのはどうかと思う。
    野外の芝生の上ならばともかく、クッションがあるというものの、床に座って、おしゃれな食事なんてとる気がしない。

    アイデアとしてはわかるのだが、実際の観客のことを考えているとは思えない。
    飲食をさせるならば、イスと簡単でもいいので、机ぐらいは欲しい。
    コンビニの前に座り込んで飲み食いする世代だけが観客ではないのだから。
    「飲食」は「ホスピタリティ」の意図と、会場に「アサヒアートスクエア」を使うという縛り(たぶん)から来ていて、観客を「床に座らせ」、「絶望を見せたかった」という意図があったとは思えないし。

    そして、この部分も含めて、演劇なのだから、きちんと神経を行き渡らせるべきだと思う。

    意図と企画には賛同するが、話の結びと、苦痛には賛同できない。星を付けると限りなく3つに近い。
    ただし、気になった劇団となったので、(ちょっと偉そうに言うと)やっぱり4つとした。
  • ガラスの破片が乱反射する透明な時間
    フラジャイルな男女の距離感。都市の終末感。生きながらえながらもあらがえない喪失感。それらを、思春期な感性ではなく、大人の孤独感で切り取ったガラスのような断片。今の自分には重なりすぎてグサグサ来た。俳優は、抑制した演劇で言葉と肉体を繊細に扱い、詩的な台詞なのにまるで呼吸するように吐くのが良かった。行って良かった。

  • 201006131930
    観劇

  • 満足度★★★★

    硬質なガラスの欠片。
    初日観劇。
    入場すると座布団を渡され「全席桟敷です。お好きな場所でご覧ください」と言われる。
    言われてみてもどこが舞台でどこが客席やら皆目見当がつかず、うろうろとしてみながら無難そうなあたりに腰を下ろす。
    腰を落ち着けてみると、立っていても高い二階吹き抜けの空間がおそろしく高く感じる。

    ここで既に観客(私)はreset-Nの生み出す空間の魔術に掛かってしまっている。


    今回は、reset-Nの作り上げてきたいくつかの特徴的で印象的な断片を折り重ねて提示されたような印象。

    絶望をめぐるスラップスティック 。

    「スラップスティック」は「体を張ったどたばた喜劇」のことである。
    だが、大概のスラップスティックコメディでは、演じている側にとっては深刻なトラブルなり、ディスコミュニケーションなりが発生している状況を観ている側が外から眺めて大笑いしているのだ。
    「観客であることの安堵」そのことに気づかされるスラップスティックはきわめて切ない。

    「初めてのreset-N」なお客様にとてもお勧めかもしれない。
    もちろん初めてでない私にも十分に面白く、示唆にとんだ作品であった。

    どうにかスケジュールをやりくりしてもう一度観に行こうと思う。
    今度はまったく無難じゃない観客席で、観たことのない視野を探しに。

  • 満足度★★★★

    『視野』という『空間』


    会場はフラット。
    椅子はなく、観客は座布団を受け取り好きな場所に陣取る。
    このスタイルが、大変興味深かった。
    ドリンク付きなのでビール片手によっこら。
    音楽と照明が心地よい。





    『見上げる』演劇であった。

    夢と現の境を生み出すようなreset-Nの作品世界(だと、自分は思っているのだが)。
    舞台の境界と椅子の高さが無くなった時、空間全体が世界になり、その中に自分達がいる。

    なんだか、水中にとぷんと沈み、水面を見上げているようである。


    天井が高く、芝居の最中も天井部がよく見えるのだが、見上げてみるとそれがまた美しい。
    こういう作品だと、余所見しても面白いのである。
    (途中でビール買いに立ちたかったけど、ちょっとそれはしづらい雰囲気でした)


    さて、今書いているのは俗に言う「セットが素敵だった」というようなことでは決してない。

    この作品は外から『観る』のではなく肌で『感じる』ものなのだ。
    舞台に映し出される世界を傍観するのではなく、その世界に入る、一部となる。
    彼らは、そんな空間を創り出した。


    今回は、椅子をとっぱらった時点で、彼等の勝ちである。
    これ、一座でも参考にしたいなあ。


    終演後にパンフを読んだのだが、主催の夏井さんのひと言。

    「これが演劇です」

    なるほど。


    行き返りに渡る吾妻橋が、またなんともいい効果でした。
    ほら、あの、神社にお参りに行くような感じね。

    隅田川を眼下に橋を渡り
    ふたたび、日常へ。

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