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「博多千年まんじゅうの旅/ななつ星号の冒険」のkopipe

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    カテゴリ:フリートーク 返信(9) 閲覧(276) 2014/12/30 05:17

「博多千年まんじゅうの旅/ななつ星号の冒険」への批評と大塚ムネトさんの反論、及びそれを受けての反応をまとめていきます。
  • 薙野信喜さんの感想(「福岡演劇の今」より)

    久しぶりに観たギンギラ太陽’sの舞台はゴチャゴチャと雑駁で、舞台の質は明らかに低下していた。勝ち組を持ち上げ負け組を揶揄する姿勢に疑問を感じた。

     「博多千年まんじゅうの旅」と「ななつ星号の冒険」の2本立て公演だが、上演時間1時間強の「博多千年まんじゅうの旅」の前半と後半の間に、上演時間30分弱の「ななつ星号の冒険」を入れて連続上演するという形だ。
     「博多千年まんじゅうの旅」は、博多菓子の賞味期限を奪おうとする悪の手から菓子たちを助けようと現代へタイムスリップしてきた聖一国師の悪党との戦いを描く。
     「ななつ星号の冒険」は、“豪華列車ななつ星号”が明治時代や福岡空襲時の博多駅にタイムスリップしてJRの鉄道の歴史をたどる。

     かって感想に、“ギンギラ太陽’sは西鉄の宣伝別働隊だ”と書いたことがあり、“博多駅周辺が開発されればギンギラ太陽’sはJRの宣伝別働隊になるだろう”と毒づいたことがあった。その予想がみごとに的中した。
     「ななつ星号の冒険」は、昨年“博多駅移転50周年”を記念して1度だけ上演された舞台で、その上演が縁となってJR九州ホールとの提携公演が決まったという。JRがスポンサーとなって作ったJRの宣伝劇を、有料のこの公演で上演する感覚がわからない。「天神開拓史」で西鉄や岩田屋をよいしょするのとはわけが違う。いくら観客からの要望があったとはいえ、それはやってはならないことだ。
     ダイエーとイオンとのここ2、30年の力関係の経緯をたどった2分ほどの超短編が途中に挿入されている。その事実は誰でも知っていることだが、この舞台ではダイエーを揶揄した描き方をしていた。ダイエー華やかなりしころには持ち上げて連携しておいて、落ち目になったら揶揄するとは。負け組になった恩人に後足で砂をかけるのかと、その何か狂っているとしか思えない冷たい仕打ちにガックリきた。

     ギンギラ太陽’sのそんな基本姿勢への不快感・不信感がこの感想にマイナスのバイアスをかけるが、そこを抜きにして考えても雑駁さが目立った舞台だった。
     「博多千年まんじゅうの旅」はストーリー展開がスッキリせず歯切れが悪い。対立軸も戦いの状況もどこかあやふやで、話がループしているようなところもある。悪に対抗する力はバラバラで協働しない。ラストでひよこ侍を出して解決してしまうのなら、何のために聖一国師はタイムスリップしてきたの?
     ギンギラ太陽’sが、固定的な出演者による公演をやめて毎回出演者を集めて公演する新体制に移行したのは2011年末かな。今回、新体制になってから初めてこの劇団の舞台を観るが、キレのよかったかってのギンギラスタイルは崩壊していた。
     女優は、新体制になって今回初めてかってのメンバー上田裕子が出演し、常連となった宗真樹子もいるが十分とはとてもいえない。男性にはそれなりの存在感があって普通に決められる俳優は大塚ムネトだけだ。現コンドルズのぎたろーのような盛り上げキャラもいない。それでまともなキャスティングが組めるわけがない。そのうえ今回の舞台では進行もギクシャクしていてピリッとせず、緊張感の欠如を露呈していた。

     そのような何とも不満な舞台の質は、前々段で書いたこの劇団の姿勢からきている。高い表現を目指すような創作意欲の減退は著しくて、このところ一晩物の新作はなく新しいキャラも生み出せていない。来年6月はまた「天神開拓史」だ。今回は初めての劇場での公演なので久々に観たが、こんなレベルだとこの劇団の公演を観る価値はない。
     この舞台は、今回から新しく始まる“博多千年モノ語りシリーズ”の第1弾で、きょうとあすで4ステージ。満席だった。

    2014/12/30 05:21
  • 薙野信喜さんの批評に対する、大塚ムネトさんの反論
    (CoRichの「のん」さんの感想のコメントより)

    ギンギラ太陽’s主宰の大塚ムネトです。

    「福岡演劇の今」を読みました。残念ですが一方的な思いこみと間違いがある文章でした。ぜひ、このページを読んだ方は「福岡演劇の今」に目を通してください。その上で、再度ボクの文章を読んでもらえればと思います。

    なお、これは、投稿者へのコメントというだけではありません。「一方的な文章」には、思いこみと間違いが多いので、ギンギラを一方的な文章で誤解されないように、ギンギラを初めて知った方に向けても書いています。以下、「福岡演劇の今」よりの引用部分を「>」と表記し、事実を書いていきます。長文ですが、ご容赦ください。

    >JRがスポンサーとなって作ったJRの宣伝劇を、有料のこの公演で上演する感覚がわ
    >からない。

    確かに依頼を受けて作った作品ですが、「もともと九州の鉄道が民間の心意気で生まれた私鉄だった」「明治時代に、幻のななつ星号の計画があった」と言う2つの事実は、取材した自分が感動し、地元のお客さまに知って欲しいと思ったモノ語りです。それにチラシや告知でも「イベントで制作した作品」と最初から発表しています。だまして見せたわけではありません。

    >「天神開拓史」で西鉄や岩田屋をよいしょするのとはわけが違う。

    これこそ、この投稿者の一方的な考えですので、そのまま受け取らないで欲しいと思います。赤字で苦戦した事、商売の戦略を誤って失敗した事、何より、街のために頑張った事などをキチンと描いています。格好悪いところも含めて、全部キチンと関係者に取材をして書いています。「よいしょ」と言う言葉のイメージで、作品を矮小化しようとする投稿者の悪意としか思えませんので、そのまま受け取らないでください。ぜひ「天神開拓史」をネットで検索して、ほかの方が書いている感想なども読んでもらえればと思います。もし観た知り合いがいれば、その方に感想を聞いて欲しいです。

    >いくら観客からの要望があったとはいえ、それはやってはならないことだ。

    要望などありません。本公演に関しては、ボクが作りたいと思ったモノ語りを作っています。この投稿者は、自分の文章を思いこみで書いているのがよくわかります。

    >ダイエー華やかなりしころには持ち上げて連携しておいて、落ち目になったら揶揄する
    >とは。負け組になった恩人に後足で砂をかけるのかと、その何か狂っているとしか思え
    >ない冷たい仕打ちにガックリきた。

    これもキチンと調べないで思いこみで書いています。ギンギラはダイエー華やかなりし時代のドーム公演で、「ダイエーが地元のユニードを飲み込む話」を生々しく書いています。当時大阪から来たダイエー関係者は、「今回は悪役キャラだけど本当の事だから書いて良いよ」と笑って許してくれていました。繰り返し書きますが、「良いところと悪いところ」を工夫してエンタメ化しています。

    なにより声を大にして言いたいのは、一番事情をわかっている地元のお客さまが「ただよいしょ」するだけの安易な作品を、支持するはずがないということです。お客さまに対して失礼です。

    それと「狂っているとしか思えない」と言う表現は、わざと刺激的に書こうとしているようにしか思えません。「狂っている」なんて書かれて、相手がどんな気持ちになるか想像できないんでしょうか?言葉の暴力だと思います。

    >女優は、新体制になって今回初めてかってのメンバー上田裕子が出演し

    初めてではありません。キャナルでの公演に出演しています。さらに書くと、中村雪絵、三坂恵美など、ほかにも昔からのメンバー(より正確に書くとギンギラ後期からのメンバー)は出演しています。投稿者がキチンと情報を調べることなく、一方的な事を書いているのが、これでもよくわかります。

    >男性にはそれなりの存在感があって普通に決められる俳優は大塚ムネトだけだ。

    笑いが全てではありませんが、会場の反応としてわかりやすい例なので書きます。会場を何度も笑いで包んでいたのは、ボクだけではありませんよ。それぞれのキャストがしっかり役割を果たしてくれていました。「大塚だけだ」と、根拠と技術的な検証もない一方的な書き方です。ボクは演出もしています。「お客さまに見てもらえるライン」まで、しっかり頑張ってもらって本番を迎えています。

    >そのうえ今回の舞台では進行もギクシャクしていてピリッとせず、
    >緊張感の欠如を露呈していた。

    初日の昼の関しては、転換が上手くいかず、芝居が止まりかけた場面があり、大変申し訳なく思っています。それを「緊張感の欠如」といわれても、初日の昼に関しては、言い訳は出来ません。これについては、スタッフワークのあり方をしっかり再検証し、同じ失敗をしないように対策を取ります。この一点だけに関しては、指摘を受け止め、お詫びします。

    >高い表現を目指すような創作意欲の減退は著しくて、このところ一晩物の新作はなく
    >新しいキャラも生み出せていない。

    「創作意欲の減退が著しい」「新作はなく新しいキャラも生み出せていない」と断言されるのはなぜでしょうか?演劇とは、毎回決まった形で新作を書かなければいけないんですか?表現者の自由だと思います。前回の「ギンギラ鉄道の夜」は新作でした。今回も「ななつ星」以外は新作です。新キャラも続々登場しています。演劇以外でも、様々な創作活動をしています。

    >来年6月はまた「天神開拓史」だ。今回は初めての劇場での公演なので久々に観たが、
    >こんなレベルだとこの劇団の公演を観る価値はない。

    「また開拓史だ」と書いていますが、やる理由は「来年が戦後70年」だからです。戦争を描いた作品を戦後70年の節目に、モノ語りの舞台となった天神のホールで、福岡大空襲があった6月19日に上演する。これが上演する理由です。終わりの挨拶でもキチンと趣旨をお話ししました。

    前回上演したのは2008年です。今度の上演までの間に10作以上の別作品を上演しています。それでも「また」と書かれてしまう理由がわかりません。「作者が書けなくなって代表作にすがっている」と言う、思いこみの結論にしたいだけとしか思えません。

    そして、この投稿者は「観る価値がない」とのことです。残念ですが好き嫌いは誰にでもあります。ですからこの投稿者は、今後観に来なくなるのでしょう。ボクにも好き嫌いはありますから、無理に来てくれとは言いません。

    ですが、この投稿者の文章で初めてギンギラを知った方には、どうか、
    「この一方的な文章」で結論を出さないでもらえればと思います。

    ○最後に投稿者へお願いです。
    ボクは、自分の価値観を持っているし、是々非々で語ってくれる「信頼する批評家」もいます。お客さまにも支えられています。それでも、正直、この文章には心が痛みました。一方的で、間違いだらけで、思いこみの結論ありきの文章。

    あなたはこう書いていますね。

    >“ギンギラ太陽’sは西鉄の宣伝別働隊だ”と書いたことがあり、“博多駅周辺が開発
    >されればギンギラ太陽’sはJRの宣伝別働隊になるだろう”と毒づいたことがあった。

    街の物語ですから、全てが題材です。もちろんエンタメですから、上演時期は、街の開発事情にあわせてタイムリーにしていますよ。その手法が何か問題ですか?胸をはって「福岡という街の宣伝隊だ」と宣言します。そう宣言して上演しています。

    何より、投稿者の文章は一方的なだけでなく、投稿者自らが「毒づいた」と書いています。

    なぜ毒づく必要があるんでしょう?そこに相手への敬意を感じる事は出来ません。表現者は、真摯な意見はキチンと受け止めると思います。少なくともボクはそうです。たとえ厳しい意見でも、是々非々で言われる分はありがたいです。もう一度書きます。なぜ毒づく必要があるんですか?

    ほかの公演への文章も読みましたが、「あえて刺激するような、きつい言葉」を使っているような印象を受けました。もしボクが若手だったら、耐えられなかったかもしれません。手加減しろと言っているのではありません。キチンと調べて、思いこみではない是々非々な文章をお願いしたいです。

    ギンギラ太陽’s 主宰 大塚ムネト

    2014/12/30 05:24
  • 大塚ムネトさんの反論に対する、けんちん・Fさんの意見
    (けんちん・Fさんのmixi日記より)

    “またまた福岡演劇人の傲慢について・大塚ムネト編”

     先日のギンギラ太陽'sの舞台『博多千年モノ語りシリーズ』について、マイミクののんさんがブログに書いた批評に対する反論を、ギンギラの主宰者・大塚ムネト氏が、演劇ポータルサイトCoRichに投稿している。

    福岡演劇の今/負け組を揶揄する冷たい姿勢
    http://f-e-now.ciao.jp/
    CoRich舞台芸術/負け組を揶揄する冷たい姿勢
    http://stage.corich.jp/watch_done_detail.php?watch_id=253508

     長いのでコピペはしません。リンクに当たって読んでください。
     私も舞台や映画の感想を書いて、作者本人から反論されたことは何度となくあるが、まあだいたいにおいて反論にもなってないろくでもないものが殆どである。こんな稚拙な反論をして、かえって創作者としての株を下げることになるんじゃないかと心配してしまうのだが、もともと稚拙だからつまらない反論をしてしまうのである。
     自分が血の汗流し涙を拭かずに作った作品が、簡単に否定されれば激昂するのも心情的には理解はできるし、作者として反論するのも自由ではある。ただ、これが論争に発展した場合、泥仕合になってしまうケースが多々あるのは、どうにもお互いの人格攻撃になりがちなせいで――実際、作品には創作者の人格が表れないはずがないので、言い合えば言い合うほどに人格否定な面が露呈していくことにならざるを得ないのだが――だから私などは逆に思い切って相手を罵倒し侮蔑し、「私の」人格が低劣なことを相手に示して論争を切り上げさせるという手をよく使うんだけれども、よいこはそんな喧嘩腰なことをしてはいけません(笑)。
     でも絡んでくる相手って、建設的な論争をしようなんて気は最初からサラサラないんで、そういう「禁じ手」に出るしか仕方ないんだよね。

     大塚ムネト氏の場合も、一見、冷静に見せかけてはいるけれども、まともに論争する気がないことは熟読していくとすぐに分かる。
     大塚氏がのんさんの文章について、「一方的な思いこみと間違いがある文章」と批判している点を要約するとこんな感じになる。

    1、のん「JRの宣伝劇を有料で公演すべきなのか」→大塚「イベント公演だから当然です」
     ※駅前広場で無料の寸劇でやったらいいじゃんってレベルだったけどね。
    2、のん「過去作『天神開拓史』では西鉄や岩田屋をよいしょしていた」→大塚「してません」
     ※これは観てないから分からない。
    3、のん「今回の上演は観客からの要望」→大塚「ありません」
     ※のんさんは「ななつ星号の冒険」の前回公演が好評だったことを受けての再演だったことを言ってるんじゃ?
    4、のん「お世話になったダイエーを揶揄するとは狂っている」→大塚「ダイエーの許可ももらってエンタメ化している。お客もよいしょと思っていないし、狂っているとは言葉の暴力だ」
     ※「よいしょ」の話は2番のところで語っていたことで、この文脈で触れるのはおかしい。それと「言葉の暴力」は創作者が言っちゃったら自縄自縛に陥るよ?
    5、のん「新体制になって上田裕子が初出演」→大塚「2度目です。きちんと調べていない」
     ※これは大塚氏の言ってることが正しいんでしょう。でもその程度のミスで怒るほどのことじゃない。
    6、のん「大塚ムネト以外にたいした男優がいない」→大塚「私以外の男優も受けている」
     ※役者としてどうかという批評と、受けたか受けないかとは別次元の問題。
    7、のん「進行の不手際があった」→大塚「すみません。改善します」
     ※段取りしか改善するところがないというのは三流の演劇人がよく言うこと。
    8、のん「新キャラもなく、創作意欲が感じられない」→大塚「新作も書いてるし新キャラも出してます。それに新作を書くも書かないも創作者の自由です」
     ※もちろん自由なんだけど、なら批評するのも観客の自由。
    9、のん「また『天神開拓史』をやるのか。もう観なくていいな」→大塚「意義があるからやるので、観たくないなら来なくていいです」
     ※出たよ「来なくていい」発言。今後はそうするね。
    10、のん「ギンギラは福岡の『宣伝別働隊だ』と毒づいたことがある」→大塚「胸を張ってそうだと言えます。『毒づく』あなたの方に敬意がありません」

     で、最後のこの台詞だ。
     全体的に大塚氏の反論はただの感情論に過ぎないが、最後のは特に酷い。それって、お客さんに「敬意を持ってみろ」と要求してるってことじゃん? 何様?
     のんさんの勘違いもありはするが、大塚氏も観客に「敬意」を求める傲慢さには全く無自覚だ。
     これも私が何度も書いてることだけど、作品批評は読者や観客が作者に読んでもらいたい、聞いてもらいたいと思って書くものじゃないんだよ。あくまで「受け手同士」のコミュニケーションのためにあるものだ。なのに「最近のディカプリオは太ったな」と書いたらディカプリオが文句付けてくるんじゃないかとか考えてたら感想なんか書けるわけがない。作者に読まれることを前提としていない、というよりは作者はしゃしゃり出てくるな、というのが感想や批評の在り方だ。いちいち作者が出てきて勘違いの思い込みのを訂正して回るって、「誤読は絶対に許さない」ってことだよね? それって、作品批評で一番やっちゃいけないことなんだけど。
     即ち大塚ムネトには、創作とは何かという素養が全くない。「是々非々の批評は受け入れてる」という大塚ムネトの言葉が大嘘だというのがここで露呈してしまっているのである。だから幼稚な人間は下手に観客の感想に絡んだら損だって言ってるのだ。

     そして、大塚氏の反論で一番問題なのは、枝葉末節には絡んでるのに、肝心要の作品批評についてはスルーを決め込んでいることだ。
     のんさんは作品内容について、痛烈にこう批判している。

    > 「博多千年まんじゅうの旅」はストーリー展開がスッキリせず歯切れが悪い。対立軸も戦いの状況もどこかあやふやで、話がループしているようなところもある。悪に対抗する力はバラバラで協働しない。ラストでひよこ侍を出して解決してしまうのなら、何のために聖一国師はタイムスリップしてきたの?

     反論するなら、ここでしょうよ。大塚氏に演劇人としての矜持があるのなら、「芝居も何も分かってないやつが偉そうに言うな」の一言くらいあってもよかったろうに、全く触れなかったのは、「図星を刺された」と感じたからだろう。実際、『まんじゅうの旅』は博多銘菓を対立させる意図が全く分からないし(デパートのように勝敗がはっきりしてないしね)、演劇としてはまるでなってない。
     肝心の作品評に対する反論はしないで、どうでもいい部分にだけ絡む大塚氏の姿勢は、「毒づく」以上に卑劣である。

     ただ、大塚氏が言い訳している通り、彼が作る芝居は、基本「博多の宣伝」のための「イベント上演」なのである。くまモンやふなっしーのショーと同じで、そのことを誇りに思っているのだ(かぶりものだしね)。それも「演劇の在り方の一つ」だと言われればその通りである。博多とか天神とかはあくまで題材で、それらを利用した「演劇」を作ろうとしているのではないかと思っていた私やのんさんは、確かに「勘違い」をしていたのだ。なまじ、昔は「そうではないところ」を目指していたように見えていたから、その「思い込み」が固定化してしまっていたのだろう。
     大塚氏が目指すところは、ひよこ侍をかぶりものではなく完全着ぐるみにして、各種イベントに出向させることであろう。ひよこ侍のテーマも作詞作曲して、ひよこダンスやひよこ音頭も作るべきだ。もちろん各種JR電車もかぶりものではなくぬいぐるみにシフトさせ、メディアミックスでマンガ連載も始めればいいと思う。
     冗談ではなく、「博多を宣伝する」とはそういうことなのであって、妖怪ウォッチのようにヒットすることだって決して夢ではない。そうなれば「そんなの演劇じゃない」という批判だって鼻で笑っていられるだろう。大塚氏がのんさんの批判に対して、恥ずかしげもなく噛みついてきたのは、演劇だかイベントショーなんだがよく分からない中途半端な立ち位置にあって「焦って」しまったからなのだろうと思う。

     前にも引用したけど、作品を作る側と批評する側の関係は、藤子・F・不二雄『エスパー魔美』の魔美のパパと剣鋭介の関係が一番正しいのだ。(※エスパー魔美の画像は掲載しません-kopipe女史)

    2014/12/30 05:30
  • けんちん・Fさんのmixi日記がCoRichに投稿されたことに対する、雲間犬彦さんの反応。
    (CoRichの「のん」さんの感想のコメントより)

    どうも。けんちん・Fこと、雲間犬彦です。
     CoRichではこちらのHNを使っているのですが、久しく芝居の感想を書いていません。そしたらなんと「けんちん・F」を名乗る人がコメントを書き込んでいたので、たいそう驚きました。いわゆる「なりすまし」なのですが、ややこしいのは書き込まれた文章そのものは私がmixi日記に書いたもののコピペだったことです。どうやらなりすましさんは、私の文章をCoRichのみなさんにも読んでほしくて、わざわざそういうことをしたらしい。

     当該のmixi日記は全体公開をしているので、誰でも読むことができます。
    http://mixi.jp/home.pl?from=global#!/diary/1846031/1936733656
     公開している以上は、引用も当然OKで、私の許諾を得る必要もありません。なりすましなんて妙なことをしなくても「こんなこと書いてる人がいたよ」と引用すればいいと思うのですが、私に怒られるとでも考えたのでしょうか。
     今後、この人が「けんちん・F」の名前で私の日記のコピペを続けていくのか、あるいは本当に私に成りすましたまま、勝手に劇評をアップしていくのか、それともこれっきりにするのか分かりませんが、酷い状況になるようであれば、CoRichの編集部に通報してアカウントを削除してもらうこともあり得ます。別にCoRichのみなさんに読まれて困る文章でもないので、今回は様子を見ますが、前述したとおり、引用に関しては何も文句を付ける気はありませんので、どうぞご自身のアカウントでなさってください。

     それから引用されたものは日記の全文ではありませんので、カットされた部分を付け加えておきます。

    > 前にも引用したけど、作品を作る側と批評する側の関係は、藤子・F・不二雄『エスパー魔美』の魔美のパパと剣鋭介の関係が一番正しいのだ。

    http://ic.photo.mixi.jp/v/b735f2edbcd14fcbdc63054d7211a3360c161e6a7a/549d9a98/picture/1846031_2128122959_52large.jpg

    2014/12/30 05:38
  • 雲間犬彦さんの感想(CoRichより)

    「シリーズ第一弾」と銘打っているからには、観ておかないと次作との繋がりが分からなくなるかもと思って観てみたのだが、残念ながらpart2を期待させる要素を見出せなかった。
     博多銘菓や列車・駅舎などが擬人化された「かぶりもの」で表現されるのはギンギラ太陽'sの定番。ここで好き嫌いが分かれてしまえば、人によって面白さを感じる度合いも違ってくるだろう。以前はチープなところもまた味わい、といった好意的な見方もしていたが、今回のように、役者の演技が宴会の余興レベルにまで堕してしまっていては話にならない。
     お客さんがそれなりに受けているように見えるのは殆どラポール現象だ。それもまた「演劇の在り方の一つ」と言われればそれまでだが、仮にも福岡を代表する「劇団」として一定の評価も得ているのに、常連さんに「受けてもらって」悦に入っている状況は情けないのにもほどがあるのではないか。
     お客さんが「協力」してくれるから、底の浅いパロディにも笑いが起きはするが、「子供騙しの手品」に乗せられてあげる義理のない人間にとっては、何の感興も起きない。脚本家がドラマツルギーを理解していないから、短編なのに後半は退屈さが弥増してくる。イチゲンさんには到底お勧めしがたい内容だ。
     「福岡の宣伝隊」を自称されているようだから、駅前広場で無料公演すればいいんじゃないかな。どう考えても普通の客には3,500円を払って満足できるレベルの芝居ではない。「ドラマとしての演劇」を期待して木戸銭払って観るお客にしてみれば「何じゃこりゃ」な出来でしかないのだ。
    ネットの感想を散策してみると、概ね好評である。絶賛に近いと言ってもいい。ところがそれらの批評が全くあてにならないのは、実際に舞台を観てみれば判明する。
     確かに、客席に笑いは起きている。善悪二つの心に引き裂かれた紅白饅頭を一人二役で演じる中村雪絵は、向かって右半身が赤、左半身が白で、向きを変えるたびにキャラが変わる定番のギャグで客席の爆笑を誘っているし、出落ちの音楽で現れるひよこ侍(ギンギラのレギュラーキャラで、今回は壊れやすいひよこサブレ侍から頑丈なひよこ侍へと二弾変身を遂げる)の大城真和も拍手喝采を受ける。
     ところが演出の大塚ムネトは、これらのギャグを執拗なほどに繰り返す。そしてそのたびに笑いが沈静化していくのだ。そりゃそうだろう。同じギャグが一つの芝居の中で繰り返されれば観客は確実に飽きる。最初の笑いが7くらいだったとすれば、最後は3くらいに落ちてしまっている。
     ヒーローがBGMを背負って登場するのは『遠山の金さん』でも『暴れん坊将軍』でもクライマックスと決まっているのに、ひよこ侍(ほかの助っ人キャラも含めて)は、中盤から二度も三度も登場する。客席はだんだん白けていく。
     蟻のサラリーマンたちが「蟻のままでー」と歌うパロディも一部にしか受けていない。それもそうだろう。もうこのギャグはネットでも演劇でも何度も繰り返されていて(鴻上尚史も『朝日のような夕日をつれて2014』でやってた)、「旬を過ぎている」。大塚ムネトのギャグセンスのなさはここでも露呈してしまっている。
     この確実に引いたり白けたりしている状況を、本作を絶賛しているネット住民(殆どが福岡の演劇人、つまり「関係者」だ)は、意図的にか無意識的にか無視しているのだ。もちろん大塚ムネト自身も。
     ルーティーンのギャグはエスカレーションを必要とする。そうでなければ受けない。それはギャグの基本なのだが、それを大塚ムネトは習得していない。繰り返しのギャグを思いつかないのなら、他の種類のギャグをもっと詰め込む必要があるが、基本、かぶりものの出落ちギャグしかない大塚ムネトには、そこまでの引き出しがない。そのために後半、ドラマの勢いはどんどん失速していくのである。
     はっきり言って、どの銘菓が勝とうが敗けようがどうでもよくなっていくんだよね。ネットには「演劇として面白い」という感想も見受けられたが、いったいどこがなんだ。そりゃあ舞台に大根を置こうとハムを置こうと「これは演劇です」と言い張ることは可能だが、それは普通の客が期待する演劇ではない。「ドラマ」を演出したものとしての演劇はギンギラからは失われてしまっているのである。

     もっともギンギラは福岡・博多の宣伝ができればいいんだろうから、文句を付けたって仕方がないんだが、福岡の歴史を知りたければ、本を読んだ方が早いので、私は今後はそうします。
     一時間半で情報をちょこっとつまみ食いしたい人だけ、シリーズを観続けていればいいと思います。それに毎回3,500円を支払うとは何てお大尽なんだと思いますが。

    2014/12/30 05:44
  • 反論後の大塚ムネトさんのツイート

    @tahahahi(高崎@福岡)
    ギンギラ太陽‘s大塚です。コリッチ九州にて、「のん氏」からの一方的な文章に対してコメントを書き込みました。ぜひ高崎君にも目を通してもらえればと。批評についてどうあるべきかの討論会をしたいと思うほどです。演劇関係者にもぜひ読んでほしい。あまりにも、あんまりで。

    2014/12/30 05:52
  • 大塚ムネトさんのツイートに対する、高崎@福岡さんの意見
    (高崎さんのツイッターの裏アカウント@takahaki23より)

    つくり手と特殊観客のコンフリクトで、つくり手の肩を持ちにくいケースもある。が、これは大塚さんの主張が全面的に正しいと思う。見落としがあるかもしれない、圧倒的に正しいと個人的に思う。

    2014/12/30 05:56
  • 高崎@福岡さんの芝居の感想や批評についての意見。
    (PINstage高崎大志の「さくてきブログ2」より)

    「秋元康がたかじんにぼろくそに言われたが、「俺はそう思う」と主観であることを告げていた件」

     やしきたかじんが亡くなったときの往時を振り返ってのエピソードみたいなのをテレビでやっていた。

     秋元康がでていた。

     秋元康が成功する前に、作詞家になりたいといって、やしきたかじんのところに相談に行って、歌詞をボロクソに言われたエピソードの話をやっていた。
     秋元康が自ら、その時のことを語っていた。

     ちなみに、やしきたかじんがその時のことをテレビ話していたのを見たことがあって、自分に見る目がなかった(時代を読めなかった)みたいなことを言っていた。

     秋元康が語っていたところで、印象深いのは
     『ボロクソに言われた後に、やしきたかじんが「俺はそう思うよ」といってくれて、それで自分は救われた。』
    というあたりのくだりだ。

     ここには、感想や批評を書くときにとても重要なことが含まれていると思う。

    「俺はそう思う」といえば、これは「個人的な主観・感想」だ。
     つまり、一感想に過ぎない。ということが明確だ。

     が、それがなければ、「客観的な不変の事実」という印象の文章になってしまう。

     たとえば、以下の3つの例を挙げる。

    「つまらない芝居だった」

    「つまらない芝居だと思えた」

    「個人的に、つまらない芝居だと思った」

     上の3つは、受け取られる印象が違う。
     ひとつめは、「客観的な事実」として受け止められる。3つ目は「個人的な主観・感想」ということがかなり明白だ。印象はまるで違う。

     芝居の感想を書くときとかに、特に気をつけているのだけど。
     なるべく、ここははっきり分けて書くようにしている。

     よほど自信があって、いろいろな角度から検討してみて、「客観的な事実」と言えると思えば、低調な作品だった。とか書くけど。

    普通は、
     だと思う。とか、
     見えた。とか、
    「個人的な主観・感想」として書くようにしている。
    (自信があっても、ちゃんと検証できてないときも、検証の時間が取れないときは、そう書くこともある)

    (ほんとは、ちゃんと吟味して、客観的事実としてかけたほうが、価値は高いと思う。)


     芝居の感想を書く人で、ここの違いがわかっていない人が多くて、とんちんかんな断言をしている人を散見する。
     まれに芯にあたるときは、ホームランが出ていいのだが、空振りしてズドーンとしりもちをつく。ということにもなる。トータルでいえば害悪が多い。

     批評的なことをいうときは、できるだけそこを区別することを心がける必要がある。

     
     自省もこめて。

    まぁ、断言しない、個人的な主観・感想として書くというのは、ホームランも出にくいんだけども。

    主観と客観を分ける習慣があまりない団塊の世代以上の人に多いような印象があるが、若い人にも見られるし、事実はどうだかわからない。

    (追記)

     さんざん言われていると思うけど。団塊の世代の人は、自分と違う意見を理解するのが苦手な人が多い。
     もちろん割合の問題だけど。
     自分の考えをしっかりもっている人の割合は多いと思う。
    (若い人はこの逆の傾向)

     人の話を聞けない人が多いから、思い込みとかで間違っているときに、修正が効かない。かなりムリを重ねることになる。
     ポジショントークと決めつけるのも多いように思う。

      あるいは「今日のところはこのくらいにしておいてやらぁ。」とか言って逃げておいて、別の件で、意趣返しをしてきたりすることになる。
     まぁ、逆恨みなんだけど。

    2014/12/30 06:00
  • 大塚ムネトさんのツイートに対する、けんちん・Fさんの意見。
    (けんちん・Fさんのmixi日記より)

    「人としての羞恥心があれば書けない」

    件の『博多千年モノ語り』のCoRichでのやり取りであるが、もう沈静化するかなと思ってたら、作者の大塚ムネトが自身のTwitterでこう呟いていた。

    > 大塚ムネト
    ‏> @gingira_otsuka 川上音二郎のお墓にも無事終了の報告。博多座で上演した芝居を作る取材で承天寺を訪れたのが、モノ語り誕生のキッカケ。新しい事に挑戦しては、偏った連中に攻撃された音さん。でも我が道を行った音さん。ボクもお客様との信頼関係を支えに頑張ります!

     川上音二郎と自分を重ね合わせるなんて、物凄く恥ずかしいことを書いてるんだが、自覚ないのか、このおっさんは。同じ演劇人だから「あやかりたい」ということなのかもしれないが、どうも「同レベル」と考えているように見えて仕方がない。「新しいことに挑戦している」「偏った連中に攻撃された」点で似ていると言いたいらしいが、どこが川上音二郎と同じだよ、と呆れてしまう。
     「新しいこと」って、『博多千年モノ語り』のどこに「新しさ」があったか? 設定も筋立ても、これまでにやってきたことの拡大再生産(と言うか劣化コピー)でしかなかったから、私ら夫婦ものんさんも批判をしたのだ。まさか「新キャラ」を出してきたことを指しているのか? 現実に新しく運行される列車が出てきたから、それに合わせて「ななつ星号」をキャラ化しただけで、やり方はこれまでと全く変わっていない。それを「新しいことに挑戦した」と言ってるとすれば、勘違いとか思い込みなんてレベルじゃない。
     「偏った連中」とは、明らかにのんさんを指している。ネットをかなり丹念に探してみたが、今回の舞台を批判していたのは私ら夫婦とのんさんの三人しかいない。しかも私や妻のCoRichへの投稿(およびブラックけんちんのコピペ)は26日の夜で、大塚ムネトのこの書き込みは26日の昼だから、私のmixi日記を直接見たのでなければ、のんさん一人のことを指して「偏ってる」と評していることになる。
     私らはたかが一観客にすぎない。社会的に袋叩きに会い、逃亡せざるを得なかった音二郎とは立場が全然違う。それなのにまるでキリストの受難のごとく、コトを針小棒大に誇張し、自分を持ち上げてみせるのは何という思い上がりか。前ののんさんへの反論も、その高慢ちきぶりが如実に表れていたが、もう天狗の鼻は伸びきって地球を一周してしまっているようである。実は大塚ムネトは批判されて喜んでいる。他人に叩かれるだけ、自分が大人物だと思い込めるからだ。
     そして錯覚しているのかあえて現実に目を背けているのか、お客さんとの間に「信頼関係」があると信じている。「笑い」がだんだん沈んでいった様子は舞台上からも分かってたはずなんだが、それを無視してるのか? 「よかった」と褒めてる連中は、ダメな部分にあえて「目をつぶってる」んだけど、気がついてない? 客が大塚ムネトを誉める理由は簡単だ。誉めなきゃ的外れな反論をしたり、あてこすったりする人間だと、常連さんにはとうの昔に見透かされているからだ。あるいは「誉めなきゃいけない症候群」に罹っちゃってる地元演劇ファンのお追従である。
     のんさんが「狂ってる」と批判するのも分かるよ、この感覚は正気じゃない。
     それにしてもFPAP高崎と言い、ひろやんと言い、いつぞやの14+中嶋さと他と言い、反論できなくなったらブログやらEwitterやらであてこすりしなきゃ気が済まなくなるというのは、なぜ福岡の演劇関係者は揃いも揃って幼稚なメンタルしか持っていないのだ。だから下手なことを書けば書くほど「人格」が露呈されるって言ってるのよ。

     さて、相手が「外野」で呟いている以上は、CoRichのコメント欄にこれを書くわけにもいかないし、論争したって仕方のない相手のところにわざわざ乗り込む気もないので、自分の日記にこうして書くしかないわけだが、ブラックけんちんさんはどう対処するだろうか。引用ならいいんだけど、またどこぞに同じ名前で書き込みでもされたら、またいちいち注釈を付けなきゃいけなくなるので、面倒くさいんだけれども。
     いやごめん、ちょっと楽しくなってます(苦笑)。

    2014/12/30 06:06