CoRich舞台芸術アワード!2022

「笑顔の砦」への投票一覧

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投票者 もらったコメント
旗森旗森(659)

1位に投票

実演鑑賞

独特の劇空間を見せてくれるぺニノの公演。期待を裏切らない本年屈指の舞台だった。
今回はリアルな僻地の漁村のアパートの二部屋が舞台で、その日暮らしの漁民たちと、認知症の親を抱えた父子家庭が登場する。幕開き、漁から上がってくる小さな漁船の、船長(緒方晋)と弟子二人(野村真人・井上和也)。漁師らしい大声の遠慮のないやり取りで、現代のその日暮らしのありようも見えてくる。しばらく見ない間にこういう現実的な生活描写、会話の台詞がすごくうまくなっている。以前アパートの一室でミニマリズムでやっていたころは頭で考えた世界だったが、ここではリアルに日本の肉体労働者の生活を掴んでいる。開幕の時は空室だった隣り部屋に認知症の老母(百元夏江。埼玉芸劇の老人劇団の俳優で、日本舞踊のお師匠さんだった由、よく見つけてきたものだ。これだけでもびっくり)を抱えた地方公務員の父子家庭が転居してくる(この設定もうまい)。この親子も典型的な設定なのだが、実直に見えて何もできない父親(たなべ勝也)や、世間をすでに投げているような娘(坂井初音)が、それでも老親を中に家族からは逃げられないところなどうまいものだ。五年前に、岸田戯曲賞を受賞したのも肯ける。
漁師となる若者〈FOペレイラを宏一郎〉預かることになる、とか、接点のない二つのグループが初対面の挨拶で悩むとか、日常的な些細な事柄の中で、寒い冬の日々の三日ほどの時間が過ぎていくのだが、このどーしよーもない出口のない生活は確かにこの国のどこにでも形を変えて存在する。そこで生きて行くにははもう、テレビで見るマカロニウエスタンや文庫本の「老人と海」の助けなんかは役立たず、只、食って笑って生きていくしかない。「寂しい」と言う言葉の実感に老いの見え始めた船長が戸惑うところなど絶品。言葉では表現できないところが芝居になっている。キャストは関西の小劇場を中心に組まれているらしく、知っている俳優は一人もいなかったが、実にリアルである。とても地ではできない役ばかりだから、よほど稽古がうまくいったのだろう。あるいはキャスティングがうまいのか。これだけでも評価できる。
舞台は細かいアパートの飾りや、あまりなじみのない俳優たちの熱演でドラマチック空間になっている。この作者は宗教的な絶対的存在に関心があるらしいが、この貧しい部屋にこそ神宿る、と言う感じなのである。フランスでの公演を終えて、最終公演の由。若い観客も多く九分の入り。
蛇足だが、席ビラを作るなら、ぜひ配役表を配ってほしいものだ。折角俳優の名前をお馴染にしようとしても五十音順の俳優の一覧だけではとっかかりがない。配役を調べるだけでもずいぶん時間を要した。



Naoki007Naoki007(761)

3位に投票

実演鑑賞

いやー、面白かった
まさに笑いとペーソス
良く作られたセットに絶妙のライティング
昭和を思わせるオンボロ棟割長屋の2つの部屋が左右対称で同時に見える
時に両者の動きがシンクロする
漁師の部屋の暮らしは学生時代の寮生活を思い出させてくれる
その有様がごく自然に演じられる
みな表情が素晴らしかったが、最前列に座ったので、とりわけ縁台に座って思いめぐらせる剛史(緒方晋)の表情の変化にはしびれた
おばあちゃん役の百元夏繪も認知症になりきっていて素晴らしかった

コナンコナン(1390)

1位に投票

実演鑑賞

隣り合った二つのアパート部屋。
ストーリーが展開するというより二つの生活そのものが営まれていたと言った方が全然しっくりくる演出。
しかもストーリーよりもずっと強く感情を揺さぶってくるのだから凄い、何なんだこれは!という感じ。

生活の匂い、凍える寒さにとる暖、無遠慮な会話、人と、家族と生きていくという事・・・
観進めるほどに五感が研ぎ澄まされていく様で、皮膚感覚ごと舞台世界へと引き込んでいくなんて相当。

86歳認知症役の女優さんがカーテンコールでシャンとした立ち姿だったのに何だかホッとなる。まるで別人。
フライヤーの人がリリー・フランキーぽいと思っていたけれど、やっぱりちょっと似てた、と言うかちょっとフランキー似の本物の漁師にしか見えなかった。
これは全ての役者さん然りで「あてがき」なんていうレベルを超えていたのも凄いと思った。

MINoMINo(598)

3位に投票

実演鑑賞

この作品は2019年にKAAT神奈川芸術劇場で観ているが、昨年の海外公演を経て、今回が国内最終公演だという。最終公演となるのは、2015年初演の岸田國士賞受賞作品「地獄谷温泉 無明ノ宿」(私は17年の冬にやはりKAATで観て打ちのめされた)が18年のフランス公演の後に老朽化したセットを焼却して封印されたのと同じく、セットの老朽化が理由らしい。

全自由席だが、最前列のセンターに座ることができ、実に幸運。

開演前は舞台前面に黒幕が下りているが、そこには北斎の「神奈川沖浪裏」のような波が描かれ、入場時から客席にはかもめの鳴き声が流されている。

きっつい仕事をした後は、たらふく食って呑み、笑って寝るというそれなりに充実した生活を送っている漁師たちが住み込む壁の薄い平屋の小汚いアパートの隣室に、ほぼ寝たきりで認知症の老婆を介護する家族が引っ越してくる。生活の時間帯も異なり、接点がある訳でもなかったこの2つの部屋の日常がやがて…。

藤田家が隣室に越してきたのは、海の傍で暮らしたいと言う85歳の母・瀧子の最後になるであろう望みを叶えるためだったのだが、孫のさくらは専門学校に通う傍らバイトも忙しく、瀧子の世話も投げやりで面倒さを隠そうともしない。

何らかの大きい事件が起こる訳でもないが、役になりきった役者陣の的確な演技も含めて、対照的な2つの部屋の生活がこれ以上はない人間ドラマとして迫ってくる。
庭から盗み見た介護の実態が船長・蘆田剛史の中に染み入っていく場面が胸を打つ。
介護する55歳の息子・勉の姿は同年代で同じ経験をした私にとって他人事ではない。

冒頭の漁師たちの朝食のシーンで、缶ビールのプルタブを引くとプシュッと飛沫が飛ぶなど、細かい点が実にリアルだ。
室内の場面ばかりなのに、舞台外から照明を当てているとも思えない場面も多く、どうやっているのだろうと不思議だったのだが…。

終演後は作・演出のタニノクロウ氏の案内によるバックステージツアー(今回が最終公演ということもあって企画されたのだろうが、要予約)で、私が劇団桟敷童子のものと並んでスゴイと感じているペニノならではの知恵が詰まった舞台美術をじっくり目に焼き付けたのだった。
※吉祥寺シアターの舞台にはセットが入りきらず、両側(押入やトイレの扉の内側となる部分)を切断したとのことだった。缶ビールの開栓時の飛沫はビール空缶の内側に高炭酸の缶を入れていたのだという。

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