岸田國士 短編四作品上演 公演情報 劇 えうれか「岸田國士 短編四作品上演」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    昨年(14年)9月の旗揚げで松田正隆の「蝶のやうな私の郷愁」を掘り起こして蝋燭1本の灯りで上演した“えうれか”は強烈な印象を残している(演出:原田直樹)。その“えうれか”が今度は岸田國士の短編4作品を採り上げ、しかも主宰の花村雅子が初めて演出を手掛けるという。彼女の名前が出演者の欄にないのは残念だが、11月頭にはチョコレートケーキの日澤雄介が演出した岸田國士の短編3本を観て役者特に男優の時代感の希薄さにちょっと失望した直後だけに、今回花村の演出がどういったものになるのか期待をもって公開ゲネプロと千穐楽の2回鑑賞することに。
    12月頭から20日頃までは観たい舞台が目白押しで、そのいくつかは涙を呑んで断念しているのだが、その中での複数ステージ観劇というのはそれだけのものを感じている故に他ならない。桟敷童子の「泳ぐ機関車」とこのえうれかは公演前からリピートを決めていたのだが、この日の夜の青☆組「海の五線譜」は2日前に急遽決めたもの。普段あまりリピート観劇をしない私(というか、できるような観劇スケジュールの余裕がない、笑)としては短期間で3本のリピートというのは極めて異例だ。 

    ヴァイオリンとヴィオラ、パーカッションの生演奏が入るが、ヴィオラの山田直敬は私は8月の「円環」に続いて2度目。舞台の雰囲気を壊さぬ響きを出していた。 

    上演される4作品は「ヂアロオグ・プランタニエ」「命を弄ぶ男ふたり」「ぶらんこ」「恋愛恐怖病」。前半の2本が女の二人芝居+男の二人芝居、休憩(この間にドリンクサービスあり)の後は男2人+女の三人芝居が2本という構成だ(なお、前半の2本には、花村が台詞はないもののチョイ役で登場する)。
    いずれも岸田國士の戯曲に真っ向から取り組んだもので、小手先でいじくって奇抜さを出すといった愚かなことは考えられていない。ただ岸田戯曲に真っ向から取り組んだとはいえ、まだ彼の美しい日本語が身体に浸み込んでいない(台詞が浮いた感じになる)役者が見受けられる。衣装はおそらく花村自身が手がけたものと思うが、物語世界によく馴染むものとなっていた。 

    4編を通じて最も気になったのは「ぶらんこ」に出演している上田晃之。外見の雰囲気はとてもいい役者なのだが、滑舌・口跡が悪く、折角の岸田の台詞が活きてこない。感情が籠っているようにも聞こえず、もともと観客の興味を引っ張っていくのが難しいこの作品での彼の起用は失敗だったのではと感じさせる。
    滑舌が最もいいのは「恋愛恐怖病」の西村俊彦だが、逆にはっきりと力強すぎて、恋愛に臆病な男の心情が浮かび上がってこない嫌いが…。

    4編の内、「命を弄ぶ男ふたり」全編と「恋愛恐怖病」の前半部はかなり照明を落とした中での演技だったが、よく見ると天井に設置されたLEDスポットライトには全て全面に白いハトロン紙状のものが被せてあった。それで全編を通してやや暗い中での演技となっている訳だ。昨年の「蝶のやうな私の郷愁」といい、花村は暗い中での表現がお好みなのかなぁ。 

    なお、千穐楽は開演時間が7分遅れた。かなり窮屈な席もあり、長時間の観劇を考えれば(途中休憩が入りはするものの)何らかの詫びの一言があるべき。客席の配置上から遅れてきた客を案内できないのであれば、入口近くの席をそのために確保しておけばいいだけの話だ。少しでも多くの客に最初から観せたい気持ちはわからないでもないが、交通機関が乱れている訳でもないのに、時間にルーズな数人のために、きちんと時間を守って来場しじっと開演を待っている多数の客とどちらを優先すべきなのか。 

    (以下、ネタバレBOXにて…)

    ネタバレBOX

    【ヂアロオグ・プランタニエ】
    岸田の戯曲には場所の指定はないが花村は喫茶店のテーブルでの、ごく普通の令嬢・由美子(梢栄)といかにもモダンガールな奈緒子(黒沢佳奈)という2人の女の会話劇(ボーイ役で花村がカメオ出演)としている。町田という一人の男をめぐっての相談という形の中に、それぞれの女の思惑や気持ちの有りようが浮かび上がってくる。
    衣装がとてもいい。最近は大正から昭和初期を舞台にしていながら、登場する女性に膝丈より短いスカートを穿かせたりしているのをよく見るが(ミニスカートが登場したのは1960年代後半である)、この舞台ではそういう時代を無視したようなものにはなっていない。
    どうしても現代の女性が無理をして当時の言葉を喋っているような口調に感じられるが、好意的に考えれば、時代をあまり特定せずに、いつの時代にも通用する岸田戯曲の魅力を伝えるために、こうした現代的な口調を敢えて使ったのでもあろうか。
    「男つて、いくたりもの女を、同じやうに愛することができるつて云ふ」けれど「女が、心の中で、一人の男を撰んで置くなんて、実際、無意味ね」という奈緒子の言葉は当時はかなり先端的なものだったろう。それをサラリと口に出す奈緒子の本当の心情はいかばかりのものか。
    気になったのは奈緒子役の黒沢佳奈が口紅と同じ真っ赤なマニキュアをしていたこと。マニキュアが一般的になったのは、1950年代に現在のようなマニキュアが生まれてからで、一般の女性がマニキュアをするなんてことはこの物語の時代には(海外でも)ありえない。まぁこれもどこまで時代を特定して表現するかということに関わってはくるのだが…。因みに日本で最初につけまつげを用いたのは昭和初期の淡谷のりこで、当時はバケモノ扱いされたという(笑)。
    梢栄はいかにも純情そうな風情を感じさせ、くっきりとした印象の黒沢佳奈とは好対照。キャスティングの妙だ。 

    【命を弄ぶ男ふたり】
    眼鏡をかけた男が腰掛けて溜息をついたり髪の毛をむしったりしているところに、ミイラ男のように繃帯をした(前髪・眼・鼻・口の部分だけが見えている)男がふらりとやってくる。と、眼鏡は包帯に声をかける「君、君、踏切はもつと先ですよ」―ここはちょっと唐突すぎる。原戯曲のように包帯があちこちウロウロして何かを探している様子があって後にそういう言葉が出るべきだろう。
    眼鏡は役者だったが自分を誤解したことがもとで死んだ恋人のため、包帯は学者だったが研究中の爆発で顔に大きな傷を負ったために、共に列車に飛び込んで死のうと深夜の踏切へやって来たのだった。
    この2人の話し声がやたらと大きい。線路巡視(花村が扮している)がやってくると身を隠そうとする程なのだから、もっと声を潜めて話すのが普通だろう。ましてやLE DECOという小さな空間での芝居なのだ。あんなに叫ぶように喋る必要はどこにもない。
    暗い中を列車が通過する時の音と光の効果が、男たちの決意を鈍らせていく列車の恐ろしさを間近に感じさせる。 

    【ぶらんこ】
    前述したように4編中で悪いところが最も目だった1編。
    上田晃之の滑舌・口跡が悪く、また、寝巻きから通勤用のスリーピース・スーツに着替える時にチョッキの下のワイシャツの裾をズボンから出したままなのだ。それで出勤しようなどと、当時はとても考えられないみっともないことを当たり前のようにやっている。演出の花村はTRASHMASTERSでは平井えり花の名で衣装担当(スタイリスト)すら務めているのに、そういうことにすら気付かないのか(この点は千穐楽では直されていたが、誰かに注意されたのだろう)。
    妻が自分が見た夢の話に乗ってこないのにイライラして手を小刻みに動かし続けているのがいかにもわざとらしいし、箸を持ったままの手で妻を指したり、出かける時に蓋をしてもいないお櫃を跨いだり(蓋をしてあっても論外のことだ)、行儀が悪いこと甚だしい。要するに演じる上田も、演出する花村もそうしたことに無頓着なのだ。
    一方の妻はといえば、夫が食べかけの茶碗にご飯をつぎ足したり、そうかと思えばご飯が残ったままの茶碗を片付けたり、とこれまたひどい。こうした点に目が行き届かないようでは、こういう時代の物語を演出するレベルではないと言わざるをえない。
    日常の中ですれ違う心の哀しみを、妻を演じる佐々木史の微妙に変わる表情が物語る。が、この物語を観終わって、その妻の表情にどこかすっきりしないもの、隠された何かがあるような気持ちになったのは演出の意図か。
    卓袱台は昨年の「蝶のやうな私の郷愁」で使用したものだと思うが、この傷だらけの卓袱台には使われる食器類がちょっと洒落すぎた感じがしないこともない(この日は湯呑茶碗にヒビが入ってはいたが…)。また熱い味噌汁が入った鍋を直接畳に置いているが、やはり鍋敷きが欲しかった。 

    【恋愛恐怖病】
    原作では前半は“男と女とが、向うむきに、脚を投げ出して坐つてゐる”という指定があるのだが、花村は最初から2人を正面を向かせてベンチに座らせている。
    女が迫れば迫るほどそれに失望し、女から心が離れていく男…が翌日、他の男からそれが彼女なりの思惑だったと知らされた時、男の心が乱れる。何よりも恋愛恐怖病の男を演じる西村俊彦が目の縁や唇の端で表現する心理の見事さ。相手役の一言ひと言にそれらがごく微妙に、絶妙な間をもって反応する。この上手さには脱帽だ。西村といえば、YouTubeで20万回近くアクセスされているという「ひとりラピュタ」(彼は観客の希望に応じてジブリ映画のどんなシーンでもひとり芝居でやってのけるという)がすぐに話題になるが、明治大学が金に糸目をつけず(笑)毎年行なっている「明治大学シェイクスピア・プロジェクト」(演技だけでなく、翻訳から衣装・装置まで全て学生がやる、明大全学をあげてのプロジェクト)の第2回「マクベス」でタイトルロールを演じているほど学生時代から演技力には定評があった(その時のマクベス夫人役は、その後当時合格率4%という江戸歴史検定1級に史上最年少で合格し、今や“お江戸ル”として活躍している堀口茉純だ。ワタシはなぜか彼女とも親しい…)。
    大森茉利子も妖しい魅力を感じさせるが、奥田一平はやはり髪をなんとかしてほしい。私はどんな映画であっても(それが例え戦時中を舞台にしたものでも)髪型を変えようとしない織田裕二やキムタクが大嫌いなのだが、奥田も岸田國士の作品と知って出演を承諾したのなら、まず髪をきちんとする位の心構えがほしい。
    身体は許しても絶対に「ラヴ」という言葉を口に出させまいとする女や、そんな女に対しても「僕の懐は彼女の病院」と言い切る(別の)男の心情、そして恋愛から起こる煩雑さが億劫だと思っていた男の心の乱れ…三者三様の姿がじんわりと迫ってくる作品だ。それにしても「僕の懐は彼女の病院」…そう言える相手がいればどんなに素晴らしいことだろうと思わずにはいられない。 

    さて主宰の花村雅子は数ある岸田の作品群からどういう基準でこの4編を選んだのか。自分が好きな作品を集めたということではなく、作品の選択や配列に何らかの意図があると思うのだが、いまひとつはっきりしない。もっとも私的には、この4編それぞれから(殊に後半の2本には)天からのメッセージかと思うものが感じられたのだったが…。 

    カーテンコールの演者(役者だけでなく演奏者も含むので)紹介等で花村雅子がいくつかのポカをやって笑いを誘っていたのは、自身のユニットの公演というだけでなく、出演を控えて初の演出に挑む中での直前の体調不良等、様々な心的緊張が続いていたことが千穐楽を終えて緩めることができたからか…。花村自身笑いながら訂正する様子は微笑ましい情景だった。 

    この公演、絵画で言えば油絵ではなく、デッサンや写生、水彩画の世界。が、それでいて内容が濃く、役者やスタッフも苦労したろうが、チケット価格は実に良心的。 

    一期一会には豊かな側面も残酷な側面もある。慰めるでもなく鼓舞するでもなく寄り添う素朴…。

    0

    2017/04/06 12:44

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大