AKEGARASU―明烏 転生 公演情報 NPO法人WOMEN’S「AKEGARASU―明烏 転生」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    “人間”が描けていない…
    落語好きでもある私(このCoRichで使っているアイコンは、私が落語を演じている想像図を紙切りの林家今丸師匠に切ってもらったものだ)にとって「明烏」はお馴染みの演目だ。八代目桂文楽が練りに練った噺としても有名だが、私はナマだと古今亭圓菊で聴いてその艶っぽさに惹きこまれ、それで圓菊が好きになった(3年前に圓菊師匠が亡くなった時は町屋斎場でのお通夜にもうかがった)という縁もある。因みにブラボーカンパニーにも「明烏」という作品がある(主宰の福田雄一の手で映画化もされた)が、これは「芝浜」をモチーフにしたものだった。 

    さて、落語「明烏」は、実際の情死事件を基にした新内節(浄瑠璃の一流派。哀調のある節にのせて哀しい女性の人生を歌いあげる)の「明烏夢泡雪」が下敷きとなっているのだが、今回のこの作品はその新内節をベースに時代劇と現代劇を融合させる試みでの上演という。 

    私がこの舞台に興味をもったのは落語好きということもあるが、何よりもドガドガプラスでお馴染みのゆうき梨菜や中瀬古健、それにコロブチカのコロが出演しているからだった。 

    NPO法人WOMEN'Sというところの主催公演は初めて観るのだったが、受付横の物販コーナーに以前観た「Desperate Broadway」二部作や「かたつむり」三部作のDVDが並んでいるのを見ていやな予感が。
    というのもこれらの作品はキィーワードの主催で、演出はいずれも安井ひろみ(「Desperate Broadway〜男と女のラビリンス〜」は私が観た公演時点では演出:Dr.Pepperとなっていたが、どうやら安井のことらしい)。この安井の演出、杉村春子に師事したという割には心情描写が浅くて、物語に深みが感じられないのだ。慌てて、今回の演出者をチラシで確認したらやっぱり安井ひろみ…。 

    舞台中央奥に打掛が衣桁に掛けて置かれている。 

    5分遅れで開演。上演時間2時間5分。 

    (以下、ネタバレBOXにて…)

    ネタバレBOX

    冒頭はTVの人気者・香西祐司(中瀬古健)が時次郎、元アイドルの佐倉樹里(木夏咲)が花魁・浦里に扮しての芝居の稽古。暫くはこれが芝居の稽古とはわからないが、演出家・篠田が飛び出してきてやめさせることで、それとわかる仕組みだ。
    樹里は昨年までAKGのセンターを務めていたが、卒業して俳優としての力をつけようとこの舞台に懸けているのだが、篠田は色気が足りないと言う。樹里は「調べたら、花魁は初会では客と寝ることはないとのことだったので…」と反論するが、篠田は「この芝居に時代考証など必要ない」と言い放つ。
    稽古が終わり、樹里は香西と個人的に稽古を続けようとするが、香西は撮影のために立ち去り、それを狙って女にだらしのない土岐久蔵(関戸将志)がちょっかいを出してくる。 

    これと並行して、江戸時代の吉原の廓・山名屋の花魁・浦里(高杉美羽)と春日屋の若旦那・時次郎(コロ)をめぐる悲恋の物語が、その周囲の人間模様を絡めながら語られていくのだが、やがて江戸時代の浦里と時次郎の転生が現代の樹里と久蔵であることが本人にだけ知覚され、2人はかつては結ばれなかった恋を成就させようと、立ち塞がる困難に立ち向かう決意を固める…。 

    終盤で久蔵(関戸将志)に騙されて自害する遊女・千歳役でお目当てのゆうき梨菜が登場するのだが、その時に千歳が姉のように慕う病弱の遊女・玉雪を見てびっくりした。よく観劇に訪れる江戸川橋のパフォーミングギャラリー&カフェ「絵空箱」のカウンターの中にいる美女なのだ。女優さんらしいとは知っていたが、お名前も存じ上げなかったので、この作品に出演しているとは思いもよらなかったのだ。舞台姿は初めて観るが、存在感のあるしっかりした演技。蜂谷眞未という名前をしっかりインプットしたのだった。 

    お目当てのゆうき梨菜と中瀬古健はそれぞれの持ち味を活かした演技をたっぷりと観れて満足したのだったが、コロの茶髪にはがっかり。男役だが、いい演技をしており、殊にラストの心中シーンは増村保蔵監督の名作「曽根崎心中」をも思わせるものだったが、時代劇で茶髪はないだろう。無論、ゆうきや中瀬古が出ているドガドガプラスのように、それこそ細かな時代考証などないところで独自の世界観を確立している劇団だったら、客もそれを承知の上で楽しんでいるのだから、ある程度のことは許される。だが、今回の作品のように“時代劇と現代劇を融合させる”と大上段に振りかぶってそれぞれの部分をきっちりと描こうとするのであれば、時代劇の部分で髷がなかったり茶髪だったりするのは、はなはだ興を削ぐ。衣装にはそれなりに金をかけているのだから、こういった点にも注意すべき。 

    “時代劇と現代劇を融合させる”という部分に関しては、異なる時代を並行して描きながら終盤でそれを関係づけるという程度のものだったら、これまでいくつも前例がある。これが新しい試みだとは到底言えるほどのものではない。
    それに時代劇と現代劇のバランスも悪い。時代劇の方が骨格がしっかりしているのに比べて、現代劇の部分は冗長で内容的にも軽い。 

    全編を通して、登場人物らの心情的な部分はやはり低調である。安井ひろみは登場人物の心理状態に深く踏み込もうとはせず、ただ脚本を何度か読んで「この台詞だったらこういうものだろう」的に受け止めた描写にとどまっている感じだ。だから“人間”が描けない。一部の役者は自分なりにそれを表現しようとしているように見受けられたが、決して演出家の手腕ではないだろう。 

    浦里役の高杉美羽には花魁としてのオーラが全く感じられない。花魁といえば最上位の遊女で、吉原全体でも数えるほどしか存在しなかったほど。大名や豪商を接客するために、古典や書道・茶道・和歌・箏・三味線・囲碁などの教養・芸事を徹底的に仕込まれていた。高杉からはどこにもそうしたものを身に付けているというものが滲まないし、ゆうきや蜂谷に比べても下位の遊女にしか見えない。キャスティングの失敗としかいえない。

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    2016/12/16 12:46

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