無差別 公演情報 柿喰う客「無差別 」の観てきた!クチコミとコメント

  • 「かみ」をころす。
     表演空間が物凄くシンプル。
    おまけにおしゃれでかっこいい。
    けれど、その裏に隠れた「深さと重さ」が半端ない。

    ネタバレBOX

     天体の関係性を表現したら、わたしたちのいる世界は
    「ジャングルジム」になってしまうのか、という驚き。
    さらに、銅鐸を使って、キンコンカンコンと打ち鳴らした音を使うことで、
    絶妙の光の塩梅と相まって秋特有の深いながらも、
    おどろおどろしい夜を表現している。

     この空気で、「差別と被差別」、「あなたとわたし」、
    「狩猟と農耕」というそれぞれが持つ歴史の「始まりと終わり」を
    「ニンゲン、ヒト、ドウブツ、ケモノ」という立場、
    また「天上、地平、地下」という場所、
    そして「日常と非日常」という状況の3つを
    圧倒的なスピードで掻き回していく。
    この物語の行き着く先は、壮絶なる「いただきます」と「ごちそうさま」だった。

     突き詰めると、生きとし生けるものはなにかを
    「食べなければ、生きていけない」のだ。

     ということは「食べる」ためには何かを「殺す」という作業を
    しなければいけない、ともいう。
    故に「殺したら、食べろ、食べないなら、殺すな」ということでもある。

     故に、生きとし生けるものが「正に単独の存在」で
    「生きていく」≒「孤立する」ことは「可能・不可能」という次元を
    飛び越えて「できない」、「無理」という前に「ない」というレベルなのだ。

     だからこそ、生きとし生けるものそれぞれに段階というものがあり、
    役割というものがあるらしい。

    そこを無視して、「秀でている」と「勘違い」した存在が
    段階や役割を「逸脱」することが「神になる」という行為であるのだろう。

     逸脱してしまったが故に「生きとし生けるものの関係性」から
    「追放」されてしまった。
    この世はすべからくこういったことの繰り返しだと
    この物語は言っているのかもしれない。

     物語が進むに連れて、「生きとし生けるものの関係性」から
    追放される、ということは、ある社会システムでのある存在が
    神格化せざるを得ない状況と同じではなかろうか、と。

     結果、その身は防腐処理を施され、透明な覆いを被せられ、
    厳重な温度管理やら何やらの元で、時間と人間を限って
    供覧されてしまうのだろう、と感じてしまう見後感。

     普通は、その身を焼いて灰にするか、埋めて土に還すか、という
    手段で「生きとし生けるものの関係性」というものを守って、
    次の世代に、いいものも悪いものもそれぞれ、受け継いでいくのだろう。
    ・・・これが「無差別」という掟なのかもしれない。

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    2013/05/23 23:54

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