雲間犬彦の観たい!クチコミ一覧

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舞台「真田十勇士」

舞台「真田十勇士」

TBS

キャナルシティ劇場(福岡県)

2015/02/13 (金) ~ 2015/02/15 (日)公演終了

期待度♪♪♪♪

山川草木敵味方 栄枯盛衰夢の跡
 昨年はマキノノゾミによる舞台『真田十勇士』もあり、演劇界はちょっとした「真田十勇士ブーム」だった。マキノ版の製作が日本テレビだったことを考え合わせると、これはTBS対日テレの様相を呈していたとも言える。
 片や赤坂ACTシアター5周年記念作、片や日本テレビ開局60周年記念特別舞台。双方が満を持して提供した舞台がなぜ同じ「真田十勇士」だったのか。それは作者である中島かずきとマキノノゾミがどちらも同じ1959年生まれであることに起因している。

 すなわち、二人とも1975年より放送された柴田錬三郎原作によるNHK人形劇『真田十勇士』を、16、7歳の頃に観ているのだ。子供向けの人形劇を高校生が観ていたのかと今の人は首を傾げるかもしれないが、前年の『新八犬伝』から始まった辻村ジュサブロー制作による人形の華麗で耽美な造形、綿密な時代考証による本格的なドラマとして制作されたこの2作は、大人をも巻き込んで大人気を誇ったのだ。NHK人形劇の最高傑作であることは誰も否定できない。
 中島・マキノの二人が人形劇版『真田十勇士』に影響を受けたことは、原作である大正時代の講談「立川文庫」を、時代小説の雄・柴田錬三郎が現代的にいかに改変したか、それを二人がどのように「踏襲」したかを見れば一目瞭然である。

 一口に十勇士と言っても、有名なのは数人で、立川文庫のシリーズは巻数を重ねるうちに人気も衰え、キャラクターも大同小異な無個性な人物が増えていた。そこで柴田錬三郎は、原作にないキャラクターを十勇士の中に付け加えている。海野六郎、望月六郎、根津甚八の三人をカットし、高野小天狗と呉羽自念坊というオリジナルキャラを登場させ、真田幸村の長子・大助(幸昌)を十勇士の二人に加えた。他の原作キャラも設定は全て変更され、猿飛佐助は武田勝頼の遺児、霧隠才蔵はイギリス人、筧十蔵は明国人ということになっている。そして猿飛佐助の恋人として、敵方の女忍者が登場する。
 それ以前にも福田義之が『真田風雲録』で霧隠才蔵を女性にした変更などがありはするが、柴田錬三郎のアレンジは大胆かつ豪快だった。そして柴錬の最大のアレンジは、作品のテーマを「滅びゆくものの美学」と捉えたことだった。真田幸村を諸葛孔明同様の「占星家」として描き、自らの滅亡を知りつつも義憤のために徳川家に組しない道を歩む男として賛美したのだ。

 中島もマキノも、十勇士の変更(特に真田大助の参入)、ヒロインとして敵の女忍者を設定している点、何よりも豊臣家への恩義よりも、徳川の治世が真の平和をもたらすものか、それに対する疑問ゆえに、自らの命を犠牲に奮戦する心意気を示している点などを鑑みれば、柴錬の「精神」を新たに再現しようと試みていることはまず間違いない。

 それは「敗戦国」となった我々民衆の「心」とも合致していた。敗れるためになぜ戦うのか、そして敗れ去った後、どう生きるのか。
 それを「現代」に再現することに意味があると、中島もマキノも考えたのだろう。そしてその物語はきっと「現代」だからこそ、波乱万丈の大ロマンに仕上がると信じたのだ。福岡での再演が決まったことを喜ばずにはいられない。
 

モンティ・パイソンのSPAMALOT

モンティ・パイソンのSPAMALOT

avex live creative

福岡市民会館(福岡県)

2015/03/14 (土) ~ 2015/03/15 (日)公演終了

期待度♪♪♪♪♪

伝説の聖杯
 コアなモンティ・パイソンのファンは「日本版」と聞いて、鼻白むかもしれない。元になった映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』は、カルトと言っては失礼なくらい、イギリス製コメディ映画の金字塔として屹立している。
 もっとも、アーサー王伝説を不謹慎を通り越してデタラメなくらいにパロディしまくったその傍若無人なバカバカしさは、公開当時の日本人には今一つピンと来なかったようで、ヒットしたという記録はない。しかし、その炸裂するエネルギーは、時代を経て、いとうせいこう、松尾貴史、宮沢章夫ら熱烈なパイソンファンを生み出してきた。
 本作の日本版演出を手掛ける福田雄一もその一人だ。そう、あの『勇者ヨシヒコ』シリーズの、『アオイホノオ』の、『HK 変態仮面』の福田雄一だ。演劇畑では本作の初演を経て、『The 39Steps』ではヒッチコックのサスペンスミステリーを軽妙かつ目まぐるしいほどのスピーディーなコメディに仕立てあげてみせた。たとえ日本語版であろうと(いや、日本語版であるからこそ)、ただの「引き写し」はしないに決まっている。
 映画版のグレアム・チャップマン(あるいは舞台版のティム・カリーの)役をユースケ・サンタマリアがやるの? と首を捻る方もいらっしゃるだろうが、何しろあの超大根演技の指原莉乃を起用して『ミューズの鏡』や『薔薇色のブー子』という傑作を作ってしまった福田監督なのだ。不安材料は全て逆転して期待に返還される。脇を固めるマギーやムロツヨシ、皆川猿時、池田成志ら「福田組」の面々も決して期待を裏切らないだろう。スチールであからさまにジョン・クリーズの顔マネをしている池田君が可笑しい。
 初演は福岡までは来なかったので、今回が初見になる。個人的には、初演とキャストが変更されたヒロインの平野綾に注目したい。『レ・ミゼラブル』『モーツァルト』を経て、安心して観られる「ミュージカル女優」に成長している。コメディエンヌとしての技量が更に上乗せされるかどうかが見所だ。

櫻の園 栗原小巻

櫻の園 栗原小巻

ACОRN

キャナルシティ劇場(福岡県)

2015/02/23 (月) ~ 2015/02/28 (土)公演終了

期待度♪♪♪

栗原小巻の再挑戦
 栗原小巻がラネフスカヤ夫人を演じるのは、30年ぶりくらいらしい。
 解説にもある通り、前回はロシア・モスクワ・タガンカ劇場のアナトーリイ・エーフロスを演出家として招聘し、宮澤俊一の翻訳台本、劇団東演の俳優陣によって、1981年4月に三越劇場で上演されている。当時の栗原小巻は36歳。17歳の娘がいる夫人を演じるにはやや若かった気もするが、今回は逆に年を取りすぎていて、多少の不安はある。東山千栄子の晩年の舞台をビデオで見たことがあるが、いささか鈍重で退屈だった。未だに激しさを失わない栗原小巻なら、大丈夫ではないかとは思うが。
 エーフロス演出は、チェーホフ戯曲の悲劇性・喜劇性の両面を鮮やかに描き、好評を博した、と記録にはある。『桜の園』と言えば、これまではどの劇団の公演も、没落する貴族の重苦しい悲しみばかりが強調されていて、名作の誉れはあれども、正直、しょっちゅう観たいと思わせる作品でもなかった(スタニスラフスキーによる本国の初演もそんな感じの舞台だったようだ)。
 ところが近年の研究で、本来、チェーホフは、本作を「喜劇」として書いていたことが判明している。個性的なキャラクターたちの右往左往は、「ドタバタ」として描かれたものだったのだ。そういうわけで、チェーホフの意図に基づいて演出される機会も最近は増えてきている。
 多分、エーフロスの演出も、最新の解釈に基づいたものだったのだろう。『櫻の園』は現在もなお、進化をし続けている戯曲なのである。今回の加来英治演出が、更にどのような解釈を加えて新しい翼を羽ばたかせてくれるか、期待したいと思う。

ザ・スライドショー12

ザ・スライドショー12

WOWOW

福岡市民会館(福岡県)

2012/10/07 (日) ~ 2012/10/07 (日)公演終了

期待度♪♪♪♪♪

まったりまったりまったりな
 みうらじゅん、いとうせいこう両氏の解説(というよりは突っ込み)で、世の中のおかしなもの、馬鹿馬鹿しいもの、脱力しちゃうもの、何か勘違いしちゃっているもの、常識の斜めを逝っちゃってるもの、看板とか建物とか動物とか野菜とか仏像とか人の顔とか、そんなものをただ見るだけのイベントなのに、これが毎回大盛況。心霊写真よりも面白い!(笑) 
 前回のイベントから、何と5年の歳月を経て、本当に満を持してのお蔵出し公演となるのが今回。世の中の事件とかいじめとか原発とか領土とか、わりとどうでもいいやと考えてる人には、超オススメ。つまり真面目な人は見るものじゃありません。これは、人生の何の役にも立たない「暇つぶし」こそが至高の嗜好だと信じているバカのための祝祭なのです。
 「いやげもの(=貰っても始末に困る土産物のこと。東京タワーの置物とかの類ね)」は今回も全員配布の大盤振る舞いだ!

 もちろん参加したいんだけど、予定が重なっていて、今のところは難しい。これも誰かレポートを書いてくれないかと思っているのだが、真面目くんばかりだと望み薄なんだよな。

INDEPENDENT:FUK

INDEPENDENT:FUK

NPO法人FPAP

ぽんプラザホール(福岡県)

2012/08/11 (土) ~ 2012/08/12 (日)公演終了

期待度♪♪

一人上手と呼ばないで
 「最強の一人芝居フェスティバル」と謳っているが、出演者は公募によるもので、本当に最強メンバーが揃ったのかどうか。結局は観てみなければ分からない。
 実績があるわけでもないのに大口を叩くと、それは得てして大言壮語、誇大広告、羊頭狗肉となるものだ。過剰な期待は禁物だろうと思う。企画意図が見えにくいと言うか、なぜ「一人芝居」に特化させなければならないのか、それがよく分からないのである。
 まして、こちらはディディエ・ガラスにイッセー尾形という世界でもトップレベルの創造性に満ちた一人芝居を観た後だ。それ以上の「最強」とやらを見せてくれるというのだろうか。
 どんなに年季を積もうと、観客の想像力を喚起しない一人芝居は独り善がりなものにしかならない。吉行和子などは何十年も一人芝居を演じたが、下手に周りがおだてるものだから、「観客のいない一人喋り」のままで固まってしまった。贔屓が役者を殺した典型的な例である。今回のフェスティバルもそういうテイタラクにならないか、実は不安の方が大きい。
 ただ、今回は「柿喰う客」の玉置玲央の一人芝居がある。脚本、演出も主宰の中屋敷法仁で、一応、「柿喰う客」の本公演に準じるものと呼んでよかろうと思う。『ゴーゴリ病棟』は福岡の拙い役者に足を引っ張られて「守りに入って」いた感が強かったので、あれを中屋敷氏の演出の限界とは判断しきれない。観客に対して挑戦的になった時にこそ、中屋敷演出は本領を発揮すると思う。そこに期待したい。

すうねるところ

すうねるところ

梅田芸術劇場

そぴあしんぐう (福岡県)

2012/09/22 (土) ~ 2012/09/22 (土)公演終了

期待度♪♪♪♪

少しだけ優しくしてあげる
 薬師丸ひろ子が舞台復帰! と言ってもこれを大ニュースと捉える人はもう40代後半だろう。80年代、彼女の人気がいかに絶大だったか、若い人にはピンと来ないだろうが、「名前で客が呼べる最後の女優」だったんだよ。デビュー作の『野性の証明』以来、『翔んだカップル』『ねらわれた学園』『セーラー服と機関銃』『探偵物語』『メインテーマ』『里見八犬伝』『Wの悲劇』『紳士同盟』『野蛮人のように』など、わずか六、七年でこれだけの映画に主演していずれもヒットさせた女優なんて、彼女の後は誰一人出ていない。宮沢りえも広末涼子も長澤まさみも薬師丸ひろ子は越えられていないのだ。
 何がそんなに彼女を魅力的にしていたか、そんなことは一言で言えることではないが、時代が彼女に微笑んでいたことは事実だ。結婚、離婚後、一時期低迷していたが、脇でも輝く女優として復帰、『オペレッタ狸御殿』『うた魂』『めがね』『バブルへGO!』『三丁目の夕日』シリーズ、『今度は愛妻家』など、円熟した演技を披露しているのは皆さんご承知の通り。でも往年のファンはきっと思ったはずだ。彼女の「主演作品」が観たいと。
 舞台でそれが叶う。場所がそぴあしんぐうって、あんな交通の便が悪いとこでやらんでも、とは思うが、福岡まで来ないよりはマシだ。あそこ、ロビーもまあまあ広いから、サイン会もやってくれないかなあ。

 と、ミーハーな関心はそれとして、演劇としての「売り」はやはり木皿泉の初舞台戯曲ということになるだろう。私はテレビドラマは殆ど観ないが、『野ブタ。をプロデュース』はしっかり観た。原作のキャラクターを男性から女性に変える大胆な脚色には驚かされた。舞台も期待してよいと思う。

DADDY LONG LEGS ダディ・ロング・レッグズ

DADDY LONG LEGS ダディ・ロング・レッグズ

東宝

福岡市民会館(福岡県)

2012/10/03 (水) ~ 2012/10/03 (水)公演終了

期待度♪♪♪♪

三百六十五歩のマーチ
 声を聴いただけで背筋に戦慄が走る経験なんて、滅多にあることじゃない。作画されたキャラと声の演技との一体化があってこそそういう奇跡も起こりうる。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』で「幸せはぁ~」と歌いながらEVA仮設5号機を駆る真希波・マリ・イラストリアスの登場を観たときにはその破天荒ぶりに唖然呆然、それはまさしく「鮮烈」の一言に尽きた。
 もちろんそんな奇跡が起きたのはこれが初めてではない。『攻殻機動隊』で15歳の坂本真綾が「ネットは広大だわ」と呟いた瞬間から、彼女の声の虜になったアニメファンは莫大な数に上るに違いないのだ。
 歌手としてのキャリアは20年以上、オリジナルアルバムがオリコンチャートで1位を記録したのは声優としては水樹奈々に次いで二人目の快挙、舞台『レ・ミゼラブル』のエポニーヌ役も実力で勝ち取った。二足、三足のわらじを履いて才能の枯渇することがない実力派、それが坂本真綾なのだ。
 今年は劇場アニメの出演作も『コードギアス』『伏』『ヱヴァ:Q』と続き、「坂本真綾の年」と言っても過言ではない。極めつけがこの『足ながおじさん』だ。『レ・ミゼラブル』のジョン・ケアードと再び組んで、どんな新しいジュディ・アボットを魅せてくれるか、胸が高鳴るばかりなのである。

 8月8日で鈴村健一さんとの結婚一周年。忙がしくてすれ違ってないかがちょっと心配かな(笑)。

Knockin' On Heaven's Door

Knockin' On Heaven's Door

コンドルズ

イムズホール(福岡県)

2012/09/15 (土) ~ 2012/09/15 (土)公演終了

期待度♪♪♪♪♪

扉を開けて
 「日本のモンティ・パイソン」(←ロンドン公演で本当にこう呼ばれた)コンドルズの真夏の定例ツアー。『THE BEE』では、"踊らない近藤良平"に驚いたけれども、今度はしっかり踊りまくります!
 タイトルの『天国への扉』(ボブ・ディラン)が流れるかどうかは分からないが(十中八九流れない)、あのアンニュイなメロディーに乗ってグダグダに踊る彼らを観てみたいような怖いような。男同士で絡んだりkissしたりなんて、全然平気なんだから、彼らは!(そのへんがモンティ・パイソン?)
 各公演にサブタイトルが付くのも恒例。「楽園」がキーワードだから、東京はシャングリラ、大阪はアヴァロン、といった具合。福岡は「ニライカナイ」だ! って、それ沖縄じゃん!(笑) 「蓬莱スペシャル」とかでもよかったかな。


 それはさておき、元ギンギラ太陽'sのぎたろーさん、コンドルズに入ってもう四年になるけど、まだ(新人)が取れないね。もしかすると一生このまま?

子供のためのシェイクスピア「リチャード三世」

子供のためのシェイクスピア「リチャード三世」

華のん企画

J:COM北九州芸術劇場 中劇場(福岡県)

2012/09/02 (日) ~ 2012/09/02 (日)公演終了

期待度♪♪♪

リチャード三世は傴僂男か
 シェイクスピアの原作では、主人公のリチャード三世は醜い傴僂男だということになっている。一昨年の舞台『国盗人』では野村萬斎が原作のイメージ通り、四肢に異常があるがゆえに心まで歪んだ人物として「悪三郎」を演じていた。
 華のん企画・子供のためのシェイクスピアカンパニーによる『リチャード三世』は6年ぶりの再演だが、初演を観ていない身なので、この「傴僂男問題」を演出の山崎清介がどう処理したかは知らない。原作のままというわけにはいかなかったのではないかと思うが、脚色の仕方によっては「甘い」芝居になりかねない。不安と期待が半ばするが、「子供向けだからと言って、決して手を抜かない」ことを一義として、18年の長きに渡って
続けられてきたこのシリーズである。三世の悪逆の背景にある悲哀を描くことは押さえているものと信じたい。
 それにしても、山崎清介さんが、『ひらけ!ポンキッキ』の「やまちゃん」だったとは、経歴を見るまで気がつかなかった。子供を舐めてかかっちゃいけないことは肌身で感じてきたことだろう。期待してよいと思う。

柳亭市馬 独演会

柳亭市馬 独演会

福岡音楽文化協会

イムズホール(福岡県)

2012/09/07 (金) ~ 2012/09/07 (金)公演終了

期待度♪♪♪♪

落語ブームの一翼
 堀井憲一郎や広瀬和生ら、辛口の落語批評家の中でも、柳亭市馬の評判は頗る良い。更には落語家仲間からも悪口らしい悪口を聞かない。本人の人徳もあるのだろうが、「歌」という武器があり、またその飄々とした佇まいが、噺に安心感を与えているからだろう。堀井氏曰く、「ダレ場をダレ場として流せるのが市馬」ということになる。
 先日聴いた柳家喬太郎の噺のマクラでも、市馬は愛すべきキャラクターとして紹介されていた。大の相撲好きとして知られる市馬は、両国国技館にも足繁く通っているとか。テレビにもしょっちゅう映っているので、喬太郎は兄弟子の姿を発見すると、頃合いを見計らって携帯に電話をかけるのだそうな。取組の一番いいところであわてふためく市馬師匠の姿が全国放送されるという(笑)。
 21世紀に入り、志ん朝、談志を失い、「名人なき時代」と言われながらも寄席は関東、関西ばかりでなく、地方巡業も満席が続くブームの最中にある。若者の姿を客席に見ることも少なくないが、果たしてどの落語家を観るべきか、迷う人もいるのではないか。市馬はまず観て損はない。間違っても正●・●平、二人会などに大枚をはたかないように(笑)。

イッセー尾形のこれからの生活2012 in 真夏の博多

イッセー尾形のこれからの生活2012 in 真夏の博多

森田オフィス/イッセー尾形・ら(株)

イムズホール(福岡県)

2012/08/03 (金) ~ 2012/08/05 (日)公演終了

期待度♪♪♪♪♪

そして船は行く
 九州での舞台公演、小倉が最後になるはずが、急遽、博多公演が決まった。「休眠」に入るイッセー尾形の舞台を観られるのは、これが本当に本当の最後だ。
 先日公開された映画『図書館戦争 革命のつばさ』では、イッセー氏は重要人物である当麻蔵人を演じた。画と声を一致させる「初」声優経験には、さすがのイッセー氏もかなり苦労させられた模様である。しかし、童話を朗読するシーンの出来映えはやはりさすがとしか言いようがない。
 今後はこうした「声優」活動も含めて、映像の仕事の方が増えていくのだろう。それでもイッセー尾形の真骨頂は、舞台にこそあると力説したい。

 小倉と福岡は距離も近いので、ハシゴする観客も少なからずいる。そのため演じられるスケッチは、極力重ならないように、新ネタを持っていくのが常であったが、ポスターを観ると、小倉で演じた「博多のサラリーマン」を再上演するようだ。小倉公演で一番の爆笑を誘った珠玉のスケッチである。
 これはぜひもう一度観てみたいのだが、残念なことにどうしても都合が付かなかった。観に行けない芝居を宣伝するのも気が引けはするのだが、毎回必ず高水準で、観た甲斐があったと感じさせてくれる芝居など、滅多にあるものではない。
 これがおそらくは、九州でイッセー尾形の舞台が観られる最後になる。ぜひ、ご観劇を乞うものである。

なにわバタフライN.V

なにわバタフライN.V

パルコ・プロデュース

嘉穂劇場(福岡県)

2012/08/11 (土) ~ 2012/08/12 (日)公演終了

期待度♪♪♪♪

大千秋楽に向けて
 再演を滅多にやらない(『12人の優しい日本人』『君となら』『笑の大学』くらいだろうか)三谷幸喜が、もはや「三谷組」と呼んでも構わない相性のよさを見せている戸田恵子と組んで、再度ミヤコ蝶々の一代記に挑む『なにわバタフライN.V.(ニューバージョン)』。初演は、戸田が朝日舞台芸術賞秋元松代賞、読売演劇大賞最優秀主演女優賞を得るという高い評価を得た。
 声優としてのイメージが強い戸田だが、元々は歌手であり、劇団薔薇座を中心に活躍していたミュージカル女優である。舞台こそがその本領であることを、この公演ではっきりと証明してみせた。
 今回はその再々演。しかも全国九都市を巡るロングラン公演で、その大千秋楽が、ミヤコ蝶々との縁も深い嘉穂劇場。大衆演劇のメッカであり、長らく小劇場の枠から飛び出せなかった三谷幸喜が、近年とみに「次の井上ひさし」を目指して「商業演劇化」を図っている過程の道標として、最も相応しい舞台を選んだと言うべきだろう。
 とは言え、私が一番関心を惹かれているのは、「戸田恵子がいかにミヤコ蝶々を演じるか」という点である。蝶々さんが亡くなってもう十数年。晩年は関西ローカルの番組にしか出演しなくなっていたから、親しみを感じる世代は40代より上だろう。今すぐにその姿を観たいと思えば、ビデオレンタルで『続・男はつらいよ』を借りて、寅さんの母親を演じているのを確認するくらいしか手がないのではないか。
 戸田恵子の「旬の演技」が、「ミヤコ蝶々って、凄い喜劇人がいたんだよ」と次の世代に送り伝えるものになっていれば嬉しい。

主たちの館

主たちの館

E-Pin 企画

西鉄グランドホテル(福岡県)

2012/08/18 (土) ~ 2012/08/20 (月)公演終了

期待度♪♪♪♪♪

あなたも名探偵になれるかもしれない
 『十角館の殺人』に始まる綾辻行人の「館」シリーズのファンは多いだろう。何と言っても、「新本格ミステリー」の旗手として活躍、現在に至るミステリーブームを築いたのは、綾辻行人を初めとする京都大学推理小説研究会出身の面々なのだ。綾辻行人がいなければ、『金田一少年』も『名探偵コナン』も生まれなかったと断言して構うまい。
 「館」シリーズは全十作を予定して、現在九作まで発表されている。今回の舞台は、その番外編とでも言うべきものだ。館シリーズの作者その人が「館」の中で殺される(かもしれない)。ミステリーとしてだけでなく、セルフパロディのコメディとしても楽しめそうな雰囲気だが、やはり心が躍るのは、我々観客がこの事件の「探偵」として推理を競い合うということである。
 そんじょそこらの推理クイズのレベルではない。「犯人」は毎回、その知力を尽くして「レッドヘリング(罠)」を仕掛けてくる。欺かれた我々は地団駄を踏み、ゲームの仕掛人たちはしてやったりと快哉する。これまでのミステリーナイトも決して簡単な謎ではなかったのだが、今回は特に「難しい」とは、企画・構成の城島和加乃氏の弁。参加を決めたものの、正直、真相に辿り着ける自信は全くない。
 しかし、そこに「山」があるならば、登らなければならない。「壁」があるなら破壊しなければならない。ミステリファンにそう思わせるだけの密度の濃さが、ミステリーナイトにはあるのだ。まるまる一泊で25,000円以上の大出費、しかも“本当に眠る時間もない”ハードスケジュールにもかかわらず、リピーターが続出で、チケットもほぼ即日完売という大人気企画なのである。
 あまりの人気の高さに、今回、福岡公演は、追加チケットの販売も決定した。まだ間に合う。ミステリファンを自負するならば、これは絶対に観逃せな……、いや、「参加」しないではいられないはずだ。グランドホテルに集えかし。

【福岡公演間近!9月末は鳥の演劇祭!】アルルカン(再び)天狗に出会う

【福岡公演間近!9月末は鳥の演劇祭!】アルルカン(再び)天狗に出会う

ディディエ・ガラス×NPO劇研

ぽんプラザホール(福岡県)

2012/07/14 (土) ~ 2012/07/15 (日)公演終了

期待度♪♪♪♪♪

Arlequin meets Japanese Goblin
 タイトルからは有名なアニメ『バンビ、ゴジラに会う』を連想してしまうのだが、コメディだと言われると、あの作品のように、何かとんでもない邂逅の仕方をしてくれるのではないかと胸が躍るのである。

 アルルカン(ハーレクイン)に思い入れのある人は少なくないだろう。もちろん女性向けロマンス小説のシリーズではなく、物語を引っかき回すいたずら者、トリックスターたちの総称であり、そのモチーフは演劇のみならず、小説や映画、漫画などにも頻繁に登場する。
 アガサ・クリスティーが生み出した最もミステリアスなキャラクターがハーリー・クィン氏であるし、『バットマン』の最大の敵・ジョーカーは明らかにアルルカンをモチーフにしていて、その傍らにはまさしくハーレイ・クィンなる愛人が傅いている。
 ただの道化師ではなく、ドラマを予定調和に終わらせないための重要な役どころを担っているのがアルルカンだ。演劇史上で言えば、『リア王』のフールが最も有名なアルルカンの一人だろう(黒澤明『乱』ではピーターが「狂阿弥」の役名で演じた)。

 片や天狗は、そもそもは天狐であり彗星であり、凶事を運ぶ魔である。神格化され、記紀においては天孫降臨の道案内となる「猿田彦」となり、はたまた化性の類とも言われ、隠れ里の主となり、神隠しもまた天狗の仕業とされた。現在では主に山神として修験道の信仰の対象となっている。まるで神と妖怪との間を往復し続けている印象だ。鞍馬山で牛若丸に剣術を教えたのも修験道の流れから。折口信夫が唱えた「マレビト」思想の代表者である。
 これまたフィクションでの登場は、具体例を挙げきれないほどであるが、演劇に登場例を求めれば、これは「癋見(べしみ)」を挙げるに如くはないだろう。天狗の面であると同時に鬼面でもある。普通の天狗の面でも、口をぐっとへの字に曲げているものが圧倒的に多いが、あの表情を「べしみ」と言うのだ。
 漫画では何と言っても、手塚治虫『火の鳥』『鉄腕アトム』シリーズのサルタやお茶の水博士が真っ先に思い浮かぶ。「呪われし一族」としてのサルタたちは、まさに神から妖怪へと落魄した天狗のようである。つげ義春『ゲンセンカン主人』のまがまがしい天狗の面も印象的。

 これだけ「有名」で、種々様々な顔を持っている以上、観客のアルルカンや天狗へのイメージは豊穣すぎるほどである。即ち、そんじょそこらの安っぽいドラマに散見するような貧困なイメージでは、観客の心に届く作品には成り得ない。相当にハードルの高い題材なのである。
 それを一人芝居で? いかに世界的に盛名を博しているディディエ・ガラス氏とは言え、果たして勝算はあるものなのか、外国人が日本の伝統芸能や文化に惹かれる時に生じやすい浅薄なエキゾチズム、即ち「勘違い」に陥ってはいないか、不安は決して少なくはないのだ。
 それが前作では大好評を博したというのだから、期待は大いに膨らんでいる。大きな期待はたいてい裏切られるものだが、これはそうならないことを祈りたい。

飛び加藤 ~幻惑使いの不惑の忍者~

飛び加藤 ~幻惑使いの不惑の忍者~

東宝

福岡市民会館(福岡県)

2012/07/10 (火) ~ 2012/07/10 (火)公演終了

期待度♪♪♪♪

大千秋楽
 福岡が大千秋楽で、題材も魅力的だと思うのだが、チケット、結構余っているらしいのである。かなりギリギリで前売り券を購入したのだが、結構前の席が取れてしまった。平日はやはり集客が難しい。
 忍者・加藤段蔵は実在人物ではあるが、詳しい経歴は詳らかでない。上杉謙信、武田信玄の両武将に仕えたことが伝えられるのみである。言い換えれば脚色はかなり自由。石川五右衛門や呂宋助左衛門のように、大冒険絵巻を展開することも可能だろうと思うが、これまで漫画や小説、映画に脇役として登場することはあっても、主役を張るのはこれが初めてであるように思う。謙信、信玄も登場しないのなら、これは「飛び加藤earlydays」の物語なのだろう。シリーズ化を期待したい。

間取り図ナイトツアー

間取り図ナイトツアー

「間取り図大好き!」コミュニティー(mixi)

FUCA(福岡県)

2012/06/22 (金) ~ 2012/06/22 (金)公演終了

期待度♪♪♪

マドリマニア・マドリマギカ
 家も一つの舞台と考えれば、間取りは立派な舞台芸術(笑)。
 興味のない人には家の図面を観て何が面白いのかと訝しまれることだろうが、世の中には間取りマニアというヘンな人々が確実に存在しているのである。私ですけど。
 エンタテインメントとしての「間取り本」で、一番有名なのは、舞台美術家・妹尾河童の『河童が覗いた~』シリーズだろう(ほら、ちゃんと舞台美術と関係がある)。河童さんの精緻な筆致で描かれたヨーロッパやインドやニッポン家屋の俯瞰図は、ちょっとした調度まで詳細な解説が付けられており、まるでリカちゃんハウスを覗き見ているような楽しさに溢れていた。
 けれども河童さんの本はあくまでイラストレーションとして面白いのであって、「設計図としての間取り」の面白さを伝えるものではない。真の「間取り図」とは、何の調度も描かれていなくとも、ただ壁と柱の位置と、部屋の用途が書かれているのを観るだけで、なぜか面白いのである。単調だからこそ、その間取りの歪つさが目立つのである。
 そういう種類の間取り本も、いくつか発行されている。『ヘンな間取り』シリーズがそれだ。窓が全くない部屋、迷路のような部屋、廊下が異常に長い部屋、「ここにどうやって住めと?」の惹句にウソはない。でも実際に住んでる人がいるんだよね。人は住まいをよりよくしようとして、かえって環境を悪化させてしまうもののようだ。
 そんな楽しい間取りばかりを集めて観てやろうという人気のイベントが、ついに福岡に初上陸。楽しみで仕方がない。前売予約は即日完売で、もう当日券しか残ってはいない。なんだ、やっぱりマドリマニアはいるんだね。

快楽亭ブラック毒演会

快楽亭ブラック毒演会

HiRoBaプロジェクト

甘棠館show劇場(福岡県)

2012/06/17 (日) ~ 2012/06/17 (日)公演終了

期待度♪♪♪♪

談志が死んだ
 ご存知の方も多かろうが、立川談志の弟子でありながら、ブラック師匠が立川を名乗っていないのは、立川流を除名されているからである。
 原因は借金。一時期は2000万円を超えていたとか。家元制度を採り、師匠への上納金を義務づけていた(現在は廃止)立川流にあっては、示しを付けるためには愛弟子と言えども除名せざるを得なかったようで(破門は免れている)、談志がブラックを疎遠にしたわけではない。
 談志の弟子も数多く、その芸風もバラエティに富むが、ブラック師匠ほどその「毒」を受け継いだ噺家も無い。談志にしてみれば、除名は断腸の思いであったろう。「快楽亭ブラック」の名跡は明治の初代から途絶えていたが、漫画『美味しんぼ』などに取り上げられていて知名度はあった。立川を名乗れずとも、この改名で一本、商売が出来ようという師・談志の恩情であったろう。

 俗に「放送禁止落語」と呼ばれる通り、ブラックの落語をテレビで観ることは殆ど叶わない。差別ネタのオンパレードで、その対象となるのは××であったり××であったり××である(だからヤバ過ぎて書けないんだってば)。ウワサではあるが、話を聞きつけた某抗議団体が寄席に押し寄せたというほどの過激さなのだ。
 もちろん噺家や芸人は放送禁止ネタをいくつかは持っているもので、表と裏を使い分けるのが普通である。表で名を売り、裏で好き勝手やっているようなものだが、それでなくては寄席の存続もままならないのが現実だろうから、このような「二枚舌」も仕方がないことではある。
 師・談志もまた、テレビやビデオなどの表に出回っているものは相当に“毒気を抜かれた”ものであった(だから談志を生で見たことがない者に談志は語れないと言われる)。
 しかし、ブラックには表の顔がほぼ存在しない。映画評論家としての顔はあるが、本業の落語は全て皿まで喰らわされる毒に充ち満ちている。表も裏もあるか、頭のてっぺんから足の裏まで全て毒、これが俺だ、という潔さがブラック落語の真髄なのだ。ブラックの落語会に押し寄せる常連客たちは、まさにその毒気に当てられた「中毒患者」なのだ。
 その過激さに眉を顰める人は確かに大勢いる。しかし、落語の笑いはそもそも差別を基調にしていたものだ、と言うか、今でもそうである。落語の主要人物の一人である与太郎は、子どもではなく明らかに頭がナニである。与太郎がなぜ落語の主人公になりうるか、明らかに与太郎をモデルにしている赤塚不二夫『天才バカボン』を読めば一目瞭然ではないか。馬鹿の価値観こそがお定まりの常識や既成概念をひっくり返し、笑いに転化できるからである。差別を描くことこそが差別から目を背けずに差別を打ち破ることのできる唯一の方法だからである。「これでいいのだ」。
 上っ面だけの正義、キレイゴトばかりが横行する社会では、人間の憎悪、怨恨、侮蔑などの黒い感情は意識されなくなる。ブラック師匠の毒に鼻白む人間は、自分もまた差別者であることを自覚できない。いじめをする人間は、それがいじめだと自覚できていない場合が殆どではないか。結果的に、無意識の差別がこの社会に蔓延することになっているのである。ブラック落語が表で鑑賞できないのは、この日本にとってはどうしようもなく哀しく不幸なことなのである。
 言葉狩りでは差別は絶対に解消できない。差別を笑い飛ばせる感性は、差別ギャグにどっぷり浸ることでしか培われない。それが落語の本道であるし、立川流の本領でもあった。談志の生落語を聞く機会はもうない。しかし快楽亭ブラックはまだここにいる。

 落語会は何を演目とするかは当日にならないと分からないが、今回は『談志の正体』を演ることは告知されている。福岡では当然、初お披露目の新作で、今、ここでしか聞けないものになるだろう。先日、ブラック師匠は『立川談志の正体:愛憎相克的落語家師弟論』(彩流社)も上梓したが、この書籍販売及びサイン会もあるのではないかと踏んでいる。どちらも談志を肴にどんな過激な話が飛び出すのか、ミモノだ。

立川志らく 独演会

立川志らく 独演会

福岡音楽文化協会

イムズホール(福岡県)

2012/07/13 (金) ~ 2012/07/13 (金)公演終了

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志らくVSブラック 立川電撃大作戦
 立川談志の死後、それをネタにしない落語家はいない。
 福岡での落語会でも、小三治、小朝、喬太郎、春蝶、みんな談志をネタにして扱き下ろした(笑)。舞台『江戸の青空』でももちろん花緑がからかった。
 落語家はネタにされ、笑われてこその商売である。生前、毀誉褒貶相半ばしながら、談志師匠がどれだけ愛されていたかを物語っているようではないか。
 書籍でも快楽亭ブラックが『立川談志の正体』を上梓し、今月(2012.6.14)は談之助の『立川流騒動記』が刊行予定だ。談志という巨星を失って、落語界は確かにつまらなくなったと思う。しかしそれは志ん朝が亡くなった時にも、枝雀が逝ってしまった時にも感じたことだ。談志の弟子たちは、師の衣鉢を継ぎ、その壁を越えるべく、精進していくことだろう。

 奇しくも、談志の弟子のうちでも、犬猿の仲と言われる快楽亭ブラックと立川志らくが、ブラック師匠は今月17日に、志らく師匠は来月13日に福岡公演を行う。当然、お二人とも、師匠を肴に舌戦を繰り広げてくれるだろう。談志の「毒」を最も過激な形で伝えるのがブラックなら、「才能だけなら弟子で一番」と誉めてんだか貶してんだか分からない評価を師匠から受けていたのが志らくである。ともに部類の映画好きで映画監督の経験もある二人だが、その趣味嗜好は正反対。二人を聞き比べるのも一興だろう。

蟹工船

蟹工船

劇団 東京芸術座

ももちパレス(福岡県)

2012/10/16 (火) ~ 2012/10/22 (月)公演終了

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村山知義とマヴォ
 「元祖ワーキングプア」としてブームになってしまった小林多喜二の『蟹工船』であるが、果たしてプロレタリア運動による「革命」を本気で画策し、反政府運動家として虐殺された多喜二と、バブル崩壊後の自業自得的格差社会の中での低所得者層とを、簡単に重ね合わせていいものかとは疑問に思うのである。ブームというものは多分に宣伝が実態を過剰に修飾することで成り立っている。『蟹工船』を再評価することを否定したいわけではないが、現代との接点を具体的にどう見出すのか、それが提示されなければ、それは単に歴史的名作を観てみました、というだけの意味にしかならないだろう。

 『蟹工船』を舞台化し、最初に演出したのは村山知義である。彼の名前も若い人には忘れ去られているだろうが、映画ファンには山本薩夫監督の『忍びの者』シリーズの原作者として知られている。盗賊石川五右衛門を組織の中で使命に苦悩する個人の忍者として描き、この五右衛門像は『ルパン三世』の五右衛門に直接の影響を与えた。
 近年、再評価が進んでいるのは、芸術振興団体「マヴォ」の中心人物としての活動においてである。彼はもちろん左翼活動家であったが、小説、劇作だけに留まらず、建築、美術、デザインにおいてまで、多岐にわたるそのアヴァンギャルドな活躍には、左翼家という一括りで語るには計り知れない自由さがあった。村山知義は思想を超えたスタイリッシュな存在であった。
 その村山知義の演出を再現するのが、今回の『蟹工船』だというのである。プロレタリア文学の短絡的な舞台化なら、たいして興味はない。村山舞台演出としての『蟹工船』なら観てみたいのだ。

イッセー尾形のこれからの生活2012 in 小倉

イッセー尾形のこれからの生活2012 in 小倉

森田オフィス/イッセー尾形・ら(株)

J:COM北九州芸術劇場 中劇場(福岡県)

2012/07/28 (土) ~ 2012/07/29 (日)公演終了

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イッセー尾形、最後の舞台
 イッセー尾形が、今夏をもって、舞台活動を「休止」する。
 DMによれば、「今後は映像活動に専念する」とあったから、実質、舞台からは「引退」ということだ。イッセー氏の気が変わって、再び舞台に立たれる日が来るのかどうか、それは分からないが、「小倉でお会いできるのは最後です」という文面からは、還暦を機に、やれることは絞っていこうという意志が伺える。
 小倉には年1回、博多には年2回、イッセー氏は必ず公演に来てくれていた。だから毎回チケット完売でうっかり購入し損なう時があっても、「次の機会があるからいいや」という気分でいたこともあった。しかし、物事には必ず終わりが来る。イッセー尾形の真骨頂は、誰も真似のできない一人芝居のスタイルを確立したことだ。スタニスラフスキーもアクターズ・メソッドも否定し、カリカチュアされた表現でありながら、後の現代口語演劇が達成したリアルなスタイル以上のリアルさを客席に届けてくれていた。
 もうそれを生で眼にすることは叶わなくなる。小倉公演の後も、東京公演など、いくつかの舞台が残っているが、九州の私たちが「イッセー尾形とは何だったのか」を考える機会は、これが最後になる。チケットの発売日を忘れないようにしよう。

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