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Juicy’s

Juicy’s(演劇)

東京都設立:2006年

作・演出を手掛ける主宰の山本浩貴と永沼友由輝・長島慎治 ・大迫一平の4人で、 2006年3月に「JUICE」という作品を上演し、 旗揚げしたPU-PU-JUICE。 「映像と舞台の垣根を取り払う」ことを目指し、旗揚げした。 ストレートで奥行きのあるバラエティ豊かな作品群で、若者の 強い支持を得ている。 2009年5月いしだ壱成を主演に迎えて上演された「新・罪と罰」 で観客動員1300人。 2010年2月の中野裕太・加賀美早紀・下宮理穂子を迎えて 上演された「パニ☆ポス」では観客動員2000人を突破。 今年6月第11回公演に風間トオル・浅見れいなを迎えて上演された 「奇跡の男」も2000人を動員した。 また山本浩貴の脚本・監督で撮影した映画「サムライ・ダッシュ」 においては2011年2月にゆうばり国際ファンタスティック映画祭に 出品された。 今回、PU-PU-JUICEに所属する若手によって 旗揚げされたエンターテイメントユニット ≪Juicy’s≫ 2007年に上演されたPU-PU-JUICE山本浩貴の 渾身の作品「クロス」を 次世代を担う PU-PU-JUICEの若手が挑む!!

第11回全国障害者芸術・文化祭埼玉大会実行委員会

第11回全国障害者芸術・文化祭埼玉大会実行委員会(舞踊・バレエ)

設立:2011年

文化・芸術分野の創作活動への参加を通じ、障害者の‘生活の質’の向上を図ると共に、その活動で生み出された優れた作品を広く紹介することで、障害者の創作活動に対する国民の理解と認識を深め、障害者の社会参加や自立の促進につなげていくことを目的とする。

ニュースタイルメディア

ニュースタイルメディア (演劇、その他)

東京都設立:-

企業様とユーザー様を結ぶ接点の中から、最適な組み合わせやタイミングを発見し統合型ブランディング戦略を提案します。

株式会社ディクトリー ボイスワーク

株式会社ディクトリー ボイスワーク(その他)

東京都設立:2006年

ナランチャ

ナランチャ(演劇、その他)

北海道設立:2009年

熊谷リョウ(星くずロンリネス)、 中島マコト(演劇公社ライトマン) によって結成された二人組コントユニット。 独特な空気管のネタを主とし、札幌を拠点に活動中。 お互い別々の演劇団体に所属したため、2010年4月より 1年間活動休止していたが、今年の4月より再開。 ライブやイベントなどへ多数出演。現在に至る。

日本大学芸術学部演劇学科 舞台総合実習ⅡA「春のめざめ」

日本大学芸術学部演劇学科 舞台総合実習ⅡA「春のめざめ」(演劇)

設立:-

座・一座

座・一座(演劇)

大阪府設立:1993年

2019年1月1日より、「山﨑千惠子一座」は 「座・一座」 と名称を変更いたしました。 山崎千惠子一座は、1993年 大阪で旗揚げ。 以来、宇野肇(一座グループ代表)による完全オリジナル脚本で現代劇を発表。 2023年に30周年を迎えました。 一座のお芝居は、”人”が本来持つ”人”の根源にある<おかしみ><滑稽さ>を捉えたドキュメンタリー・コメディ・・・ 一座ではそれを[聖(セイント)・コメディ]と呼んでいます。 芝居を芝居らしく飾るのではなく、人と人として演じる演劇表現です。 芝居のパターンを覚えるのではなく、人の心を感じます。 芝居をたくさん観るのではなく、たくさんの人のディティールを観察します。 人間の生きる滑稽なほどの逞しさを本格的なセリフ劇で展開。 代表 宇野 肇・・・一座の代表兼脚本家             フリーランスの映像監督としても活躍中 座長 山﨑千惠子・・・一座の看板役者 マスコミや商業舞台でも活躍中               最近では、TV:「越路吹雪物語」・「現ナマ弁護士~17歳の依頼人」「幕末グルメ ブシメシ!」 舞台:「しゃばけ弐~空のビードロ・畳紙~」「新橋演舞場七月名作喜劇公演~紺屋と高尾」等々に出演 近年、声のワークショップや表現のワークショップを東京・大阪にて開催。 好評を博す。

IF...(Improvisation Future)

IF...(Improvisation Future)(演劇)

設立:2011年

(Improvisation Future/インプロ・フュチャー)とは? 現在のアートシーンにおける「インプロヴィゼーション」がもっている要素を洗い出し、そこから次のステップにどう発展できるかを試行錯誤する試み。 音楽/ダンス/演劇分野のインプロバイザーが集結し、「現在」と「これから」を舞台で具現化していく。

ヤパパ・レスポンス

ヤパパ・レスポンス(演劇)

設立:2011年

CreoStyle

CreoStyle(演劇)

神奈川県設立:-

劇団HALLJACK

劇団HALLJACK(演劇)

大阪府設立:2003年

SLOW Project IN JAPAN

SLOW Project IN JAPAN(舞踊・バレエ)

設立:-

【篠原憲作プロフィール】 1983年札幌生まれ。大学在学中より踊り始め、2005年に創作集団パンチネロを立ち上げ作品を発表。グラインダーマンなどに参加の後2009年渡米。Jennifer Muller, Daria Faïn, Philippa Kaye, Giada Ferroneなどとの多くのコラボレーション、国内外のツアーに参加する。2010年より振付を担当するSLOW Projectは “A spirited and fun take on urban experience” (Art Values Education), “Filled with humor” (OFFOFFOFF.com) と評された。ダンサーの個性と技術を活かした濃い空間構成が特長。 篠原憲作ウェブサイト:http://kensaku.jimdo.com/ 【篠原憲作アーティストステートメント】(ウェブサイトより抜粋) いま、私のダンスは、ニューヨークに住む人々とその文化に影響を受けています。 街角での熱い口論、指を絡ませるカップルの甘いささやきまで、彼らが表現し、意思を通わせるものはすべてこの街の喧噪となります。この街は、誰もが参加できる巨大な実験室です。そこでは、地球の様々なところから集まってきた表現や観点は、ひとつとして同じものはなく、相容れないのが当然なのです。私の知る、細やかで思慮深いアジアのバックグラウンドと対照的に、終わりのない、決して止めることの出来ないノイズは、私のダンスづくりへの意欲を駆り立て、個人の持つ文化とは何か、個性とは何かということを考えさせるのです。その結果、私は型にとらわれないダンスづくりを強く望み、現在ではユーモアや色、ロック音楽や現代美術インスタレーション、最先端のファッションに刺激を受けています。 ・・・ 私にとってのダンスは大げさなものではありません。 それが享楽的なもの、悲しかったり、かすかなもの、情熱的、スピードのあるもの、ゆっくりだったり、言葉に言い表しにくいもの、どんな形であれ、ダンスは自由であってほしい。そして、本物で、誠実で、共感できて、楽しいものであってほしいと思っています。 私は自分自身のアイデンティティとはなにかを問いながら、自分以外の誰かとつながるためにダンスを作ります。私たちひとりひとりはこんなにも違うのだという驚きと興奮のなかで、日々ニューヨークで繰り返される、止めることの出来ない無数の会話の一つとして、私のダンスは生まれます。

計画のドロシー

計画のドロシー(演劇)

設立:2008年

INNERSPACE

INNERSPACE(演劇、その他)

設立:-

東京都内で即興芝居の公演とワークショップを行っています。

ピンポロ

ピンポロ(演劇)

岩手県設立:2011年

■ピンポロ・プロフィール 岩手県盛岡市周辺で活動するアマチュア演劇人で構成される演劇企画団体。 モットーは「テクニックだけではなく、いかに本気で、たましいをぶつけて芝居をするか」。 技術だけにとらわれず、メンバーの意欲・自主性・アイディアを重んじること、それぞれが積極的に提案・実践していくこと、コミュニケーションをしっかり取りながら一丸となって頑張っていくことを重要視し、精力的に活動中。 前回公演「八月のシャハラザード」で、第10回盛岡市民演劇賞大賞を受賞。 ■プロデューサー紹介 東 隆幸(ひがし・たかゆき) 1976年、岩手県岩手郡岩手町生まれ。盛岡市在住。 岩手大学劇団かっぱを経て、現在は役者・演出・舞台監督・舞台装置スタッフなど、多方面で活躍中。 好きなもの……ラーメン、美味しいもの。

日本パフォーマンス/アート研究所

日本パフォーマンス/アート研究所(演劇、その他)

設立:-

現代演劇協会

現代演劇協会(演劇)

東京都設立:-

ラストソングス

ラストソングス(演劇)

設立:-

「遊園地再生事業団」で出会った3人組ユニット。 名作ドラマをいきなり完コピしたり、無理矢理な展開で熱演をするなど、 劇的でデタラメなパフォーマンスを追求。 野外フェスから結婚パーティーまで、様々な場所で作品を発表している。

アリストパネス・カンパニー

アリストパネス・カンパニー(演劇)

東京都設立:1981年

1981年に第一回公演を開いて以来、主宰者黒川欣映(くろかわ・よしてる)のオリジナル作品を中心として、イギリス・アメリカの現代劇を上演してきた小劇団でしたが、その後東京・世田谷にスタジオARを建設し、1984年からは毎年二回そのスタジオで公演を開くようになりました。 さらに、1990年には劇団を解散して、演劇企画主体となり、すべての出演俳優を公演ごとに集める形に変わって、それから24回の公演が行われてきました

芦屋サロン・クラシック

芦屋サロン・クラシック(その他)

設立:-

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