散歩する侵略者 公演情報 散歩する侵略者」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-20件 / 46件中
  • 満足度★★★★

    イキウメの代表作の再々演
    配役が変わって装置も演出も一新。すごく良かったです。

  • 満足度★★★★

    うん
    感動しました。
    結構みんなに評価されてますが、なかなかの作品でした。

  • 想像より
    想像よりずっと良かったです。思ったより深くて引き込まれました。

  • 満足度★★★★★

    名作
    何度見ても名作だと思う。何度見ても最後泣ける。

    チケットをとったとき、「地球侵略会議はファミレスで」という新作かと思ったことは秘密だ。

  • 満足度★★★★

    不思議な
    いつもながら
    不思議な浮遊感と緊張感が漂う舞台
    ラストもくる!

    やっぱり、最近の演劇で見とくべきは
    イキウメと 前川知大さん作品 と再認識

  • 満足度★★★★

    「愛」を論じて文学的
    地球外知的生命体による侵略というSFサスペンスホラーの1つの典型的なスタイルをとりつつ、最終的には「愛」を論じて静かに終わるのが文学的。
    また、G-up版とも青山円形劇場版とも異なる具象的な装置によって別の味わいが生まれた気がする。

  • 満足度★★★★★

    感想を見失う前に。
    観劇後、即座に感想など語り合える機会に恵まれ、メモなど録るのを忘れてました…

    突出して感心(生意気ですが)した部分は、文化やコミュニケーションのとり方、価値観などでなく「のり移った対象の生態が持つ言葉の意味は分かるが、概念として取得したい」という異星人(?)の発想。

    言葉のもつ意味は薄っすらわかっている。
    それはごく短期の一過性健忘のようでもある。
    言葉と現象が繋がれば「ああ、それは知っている」と言うのだが、本質的な部分が結合しない。
    これは恐ろしい。

    「概念」というのは、ほとんどの人が共通して認識している場合もあり、また、ものによっては個人の価値観から形成させた「概念」もある。
    感情に密接したものは後者が多いかと思う。

    だからこそ、鳴海から「概念」を奪った時の激しい反射に(内面ではそこまで!)という驚きが起き、同時に受け取った真治の激しい嗚咽と続く慈愛の行動がその深さを裏付ける。
    鳴海の「愛の概念」=「真治への愛」を理解した途端に、二度とそれを得ることができないと知った真治の悲しみが、痛々しかった。
    「愛の概念」を理解したとき、おそらく真治も自分の中に生まれていた鳴海への愛を自覚したんだろうな…と。

    最後の言葉を言いながら、ゆっくりと振り返り、鳴海へ歩いていく真治。
    ここから次の物語が始まるのだという予感を与えてくれる余韻が、絶妙だと感じた。

    セットチェンジ無しでも、ここまでできるのか、という妙技も堪能しました。






  • 満足度★★★★★

    やられた
    ラストシーン、やられました、としか言えないくらい、最後で心をわしづかみされた感じです。あの1シーンで、まわりの人何人泣いてるの?ってくらい。役者さんもいつも素晴らしいですし。途中までは怖さだけでしたが、あんな結末を考え付く前川さんに脱帽です。前作の食べ物連鎖はちょっと自分の中ではいまひとつでしたが、今回は完璧でした。

  • 満足度★★★★★

    インベーダー・ゴー・ホーム!
     演劇でSF作品が成功した例は少ない。小説のようにどこまでも読者のイマジネーションに頼ることもできないし、映画のように主にSFXによるスケールアップも困難である。下手にセットや仕掛けに凝ってもかえってチャチになるばかりだ。
     必然的に、舞台を限定した日常SF、ワンアイデア勝負の作品が多くなるが、プロでもSF作品に通暁している劇団は必ずしも多くはなく、傑作が生まれにくいのが現状だ。ヨーロッパ企画の舞台など、この程度のレベルで演劇人たちが賞賛するのはどうかと疑問に思わざるを得ない。他のジャンルに疎すぎるのが現代演劇人の大きな欠点であろう。
     その点、「イキウメ」に期待できたのは、タイトルで既に『ウルトラマン/侵略者を撃て!』や『ウルトラセブン/散歩する惑星』などを連想させていて(劇中、ちゃんと『ウルトラマン』にも言及されている)、観客にSFファンを視野に入れていることが明示されていたからだ。脚本・演出の前川知大の、これは観客への大胆な「挑戦」である。
     結果、私たち観客は、見事に前川氏の前に「敗北」することになった。『散歩する侵略者』は、数ある日常SF、侵略SFのジャンルの中で、斬新なアイデアを盛り込んだ傑作になり得ていた。
     宇宙人と地球人の邂逅を描く場合、文化の違い、価値観の違い、存在の成り立ち自体の違いから起きるディスコミュニケーションをモチーフに描くのは基本中の基本だが、ともすればそれは「どちらの文化が優秀か」という優位性の問題に収斂されがちだ。
     本作の場合も、観客はうっかりすれば情動的に「“愛”の優位性」を感じて涙を流すことになるかもしれない。しかし、本質的にはこの物語は「奇跡」や「感動」を拒絶し、極めて理知的な整合性のみで成り立っていろ点に最大の面白さがある。「愛」は事態を解決する手段としては、実は全く機能していない。「愛」がもたらすものは、むしろ「混乱」なのである。
     「愛は地球を救う」という陳腐な結末になりそうになった寸前で「止める」、その「抑制」がなければ、この物語は凡百な既存のSF作品の中に埋没してしまうことになっただろう。ラストの一言こそが本作のキモである。聞き逃してはならない。

     未見の方には、小説版(メディアファクトリー/1400円)も出版されています。戯曲版との相違点もありますので、ご一読を乞う次第です。

    ネタバレBOX

     とは言え、その「ラストの台詞」は、いかにも聞き逃しやすいように、さらりと語られる。「泣き屋」の観客には、そこまでの展開で充分泣かしておいて、「気がつく人にだけ気付く」ように、最後のどんでん返しを前川氏は仕掛けた形だ。

     宇宙からの侵略者たちは、地球人に乗り移り、他人とのコミュニケーションの中で、自分たちにはない地球人の持っている「概念」を調査しようとする。
     侵略のための「前準備」で、ここまでならば、既存のSF作品にもよくある手法だ。しかし、斬新なのは、宇宙人たちにとって単なる「調査」のはずだった行為が、実質的に「侵略」として機能してしまった点だ。「概念」をもらう行為が、文字通り、他者から概念を「喪失」させることになる。
     その結果、「概念」を奪われた者たちは、「言葉は知っているのに、その意味するものが分からない」ゲシュタルト崩壊を起こす。人為的に、相手にアスペルガー症候群と同じような症状を起こさせることになるのだ(恐らく、作者の発想もそこから取られたのだろう)。
     「侵略行為に移るつもりはまだ無かったけれども、侵略してしまった」、それがインベーダーたちにとっても“イレギュラー”であったことがこれまでにないアイデアで、本質的に、宇宙人と、地球人とのディスコミュニケーションが「埋められない」ことを、この事実は示唆している。

     「地球人の概念」を奪い取っていったその先、宇宙人はどうなるのか。
     もちろん、「地球人」になるのである。
     宇宙人から「地球人としての概念」を奪われていった地球人はどうなるのか、「宇宙人」に近づいていくのである。
     これでは、二者は立場が逆転するばかりで、交流は不可能である。実際、宇宙人・真治に「愛」の概念を奪われた妻の鳴海は、“愛を知った”真治の哀しみ、苦しみが分からない。
     真治に「所有」の概念を奪われた丸尾は、真治に向かって「国家、財産、人種、宗教、そういうの奪ったら戦争もなくなる」と訴える。それが、迫り来る侵略者たちに対抗する手段になるだろうと一同も賛成する。鳴海は、侵略者である真治が、地球人のために協力するはずがない、と反論するが、それに対する真治の答えがこうだ。
     「それが、今はもう、よく分からないんだ」
     「愛」を知った真治は、もうほぼ「地球人」である。だから「侵略者」の意識ではいられない。「愛」を奪うことが、地球人を「かつての自分たち」にしてしまうことになることを知ってしまっている。
     しかし、既に「概念」を奪われた「元地球人」たちは、更に「概念」を奪ってくれることを望んでいるのだ。「宇宙人」に対抗するために、「宇宙人」になろうとしている。その方が、「地球人のため」になるのだとすれば、「侵略されること」は肯定されるべきことなのか。しかしそれでは、地球人がこれまでに産み出してきた「災厄」を、今度は“宇宙人”が引き受けなければならないことになる。
     これではいつまで経ってもどうどうめぐりだ。真治にはそこまで、「真実」が見えてしまっている。真治はパンドラの筺を開けてしまったのだ。もはや真治は“誰の立場にも付けない”。 「愛」を知ったことが、永遠のジレンマの中に真治を置く結果になってしまったのだ。

     「概念」を奪われた人々は、確かにどこか平和である。
     初めこそ涙し混乱しているが、じきに慣れる。「概念を持たなくても生きていける」あるいは「生きていってもよい」と指摘してみせたことは、自閉症やアスペルガー症候群の子どもを持つ親などにとっては、「福音」に聞こえるのではないか。「痴呆」などと一括りで偏見の眼で見られていた彼らは、実は「結構元気」(鳴海の台詞)なのである。
     ドストエフスキー『白痴』のムイシュキン公爵も、白痴と言うよりは発達障碍なのではないかという気がする。彼らを「純粋」とする無条件な礼賛には問題があるが、「概念」に囚われることが我々の思考に枷をはめてしまっている事実についてはもっと再考されてよかろうと思う。
     本当に苦しんでいるのは、「概念を持たざるを得ない」我々の方ではないのか。

     厳密に考えると、「所有」の概念を失っただけで、丸尾がコミュニストになってしまうという論法には無理がある。普通に考えれば、「あの家とこの家と、どれが“私の”家か分からない」ような状態になるだけではないのか。本当に戦争が無くなるかどうかも疑わしい。
     また、どうやらもともと「言葉」自体を持たない宇宙人たちが、「言葉」を知った段階で、いちいち概念を奪わなくてもその知った言葉から概念を作り上げることができないものなのか、とも思う。人間の赤ん坊は、言葉からちゃんと概念を作り上げるが、人間の子どもほどの能力も宇宙人は持っていないのか、それとも宇宙人たちも生まれつきのアスペルガーなのだろうかと疑問に思う。だとしたら、彼らは「侵略」という概念はどこから得たのだろう?
     しかし、それらの疑問点も、全てはラストの「混乱」を演出するための伏線だと考えれば、瑕瑾に過ぎないように思える。

     SFとは、既成概念に対するアンチテーゼを象徴的に描く「手法」である。
     『散歩する侵略者』は、それが最も効果的に発揮された舞台となった。発想の元になったのは、劇中でも示唆されていた通り、テレビドラマ『ウルトラ』シリーズであるが、宇宙人とのディスコミュニケーションを扱ったり、隣人が侵略者かもしれない恐怖を扱ったSF作品は、数限りなくなある。
     Twitterで、本作の発想の元を大友克洋『宇宙パトロール・シゲマ』に求めた人がいたが、あれはそういった侵略SFのパロディであって(手塚治虫『W3』や永井豪『くずれる』の設定をもじっている)、本作に直接的に影響を与えた作品だとは言えない。感想であれ批評であれ、過去作品を挙げるのであれば、元作品をどう換骨奪胎し、差異化を図ったのかを具体的に指摘できるものを例としなければ、知見の狭さを露呈することにしかならない。
     宇宙人が地球人の“姿を借り”、地球人との間の交流と齟齬を描いた作品の「源流」あるいは「代表作」を挙げるのならば、真っ先にハインライン『異星の客』や、ジョン・ウィンダム『呪われた村』(映画化名『光る眼』)や、映画『地球の静止する日』(ロバート・ワイズ監督)などを思い浮かべるのが順当だろう。テレビドラマシリーズなら、往年の『インベーダー』『謎の円盤UFO』、『ミステリーゾーン』のいくつかのエピソードから『Xファイル』に至るまで、枚挙に暇がない。フレドリック・ブラウンは、パロディとして『火星人ゴーホーム』をものにしている。
     この程度の基礎教養的なSFは誰でも読んだり観たりしているものだと思っていたが、どうもそうではないらしい。Twitterで呟いていた御仁は、一応は演劇のプロなのだが、やはり他分野についての教養は疎いのだなと思わざるを得なかった。でも、演劇人なら、安部公房『人間そっくり』を連想したっておかしくないんだけどね。
  • 満足度★★★★

    気に入った
    同じ舞台上で登場人物が交錯したまま別の場面が演じられたりと面白かった。
    はじまり方や暗転の使い方も面白い。
    話の展開も引き込まれていった。

    宇宙人の認識間能力がアスペルガー的であったりしたことに面白さを感じたが、「概念を奪う」ことでの人間側の変化には観客を納得させるには少し足りなかったのではないかと思えた。

    ラスト近くの妻の「愛」についての概念は、彼女のそれまでの演じ方から見ていると、それこそ愛が足りないのではないかと思えた。

    「愛」なんて人それぞれだとは思うが、それこそ「概念」も個人でずれがあるのではないか、それを宇宙人たちはどうするのか、というところに穴があるように感じる。

    ラストがハッピーエンドだけを感じる終わらせ方ではなかったところもよかった。

  • 満足度★★★★★

    やっぱり いい!
    こういう作品ばかりだと、『演劇を観る人がどんどん増えていくだろう』と思わせてくれる作品だった。
    余分なキャストも場面もなく、演出も文句のつけようもなく、しっかりと計算された芝居だった。前の席ということもあるが、役者の滑舌が良いため、聞き取れなかったセリフが一つもなかった。基本的なことも、しっかりと練習されているのだろう。

    ネタバレBOX

    今回も、美しく素敵な芝居を魅せてくれた伊勢さん。
    主役の窪田さんも、知的障害者?という状態から、だんだんと変わっていく様子を見事に演じていた。
    いつもどおり、森下さんはいい味を出していた。イキウメは、個性のある役者さんが多いので、作品に味わいがある。

    すばらしい芝居を魅せていただき、ありがとうございました。
    前川さん、1年に1回は、福岡県に来てくださることを期待しています。
  • 満足度★★★★★

    ご時世にて
    名前を言ってはいけないあの劇団、のような感じです笑。が、言いますがイキウメ(きゃー!)作品(&前川作品)は、よほどの初期でないかぎり、観てないものはないと自負している者のひとり。小劇場を脱したイキウメのセットはいつもクールで実にうまく構成されている。今回はとくにカラーの統一もあり、日々観る芝居の中で最も美術がイケてるんじゃないかと思う(大きくてメジャーな劇場のたっかいチケットの芝居をも含めて)。以下ネタバレへ

    ネタバレBOX

    概念を盗む者たちの話。過去にも観ている。その時もラストシーンで泣いたが、今回はさらに泣いた。役者が変わったせいもある。そして、世の中がいま、そんなご時世である、ということもあるだろう。己を最も愛してくれている者から、その愛の概念を奪ってしまう。奪ってその深い想いを知った瞬間から、その相手はもう二度と自分を愛すことはない。こんな哀しい話があるだろうか。過去に息づいている想い出の意味を自問自答した。記憶から紐解くひとつひとつの愛。この涙ゆえ、あれは愛だった、と思うしか無い愛の存在。崩壊してしまった愛の概念は、記憶のパズルのようだ。奪いとられるのと、崩壊させられるのと、どっちがマシなんだろう。・・・そんなことを思ってまた泣いた。天に召されても、地に引きずり込まれても、イキウメだけは観たい。絶対観られると確信している。それが私の死後の楽しみでもある。←笑うとこ
  • 満足度★★★★

    観にいけた。
    雨の高速で事故るかと思った。舞台、白だったと思うが一面に塗られていて、役者の切り替えで場面を変える。結構好きな演出。ラストはわかりかけてはいたけど、ウルっときてしまいました。

    ネタバレBOX

    顔を真っ赤にして叫ぶセリフ(桜井)迫真でした。チラシの設定を舞台上で種明かし空いて行くストーリーは納得でした。
  • 満足度★★★★★

    のめりこみMAX
    ずーーっと余韻を引きずっている、観劇後に知り合いと
    話したことも、今読み終えた台本と対談も全てがパーフェクト。
    もう大好きです、イキウメ。
    まだ舞台では3回しか観たことがないのだけど、
    いつも人間臭いことを突拍子もない方法で表現している感じがする。
    現実離れしてるけど現実。

    ネタバレBOX

    最初は怖かった前川さんがどんどん可愛くなってくるw(ゴメンナサイ
  • 満足度★★★★

    初イキウメ
    今まで行こう行こうと思いながら、行きそびれ続けた劇団です。
    久しぶりの立ち見席でした。ちょっと疲れましたが、
    最後まで飽きずに引き込まれました。
    役者さんたちは安定感あっていいですね。
    今回が初見だなんて、今まで本当に損していたなと思いました。
    今度はきちっと前売り予約するぞ!っと

  • 満足度★★★★★

    観ました。
    イキウメ3回目ですが、毎回はずれがなくチケットが安く感じます。話を聞くたびに前回の「散歩する侵略者」を観てみたくてたまりません。アマノ役の大窪人衛の成長がめざましいと思いました。

  • 満足度★★★★★

    すごいね!
    高野しのぶさんのメルマガを見て観劇。ここまでやってくれる演劇は初めて見た。時間や空間を自由自在につなげていく。素晴らしい。ストーリーには興味が湧かなかった。再見。今度はストーリーに注意が向いた。上演台本を買った。台本読んで再々見。役者では、最後のシーンの伊勢佳世と窪田道聡が良い。岩本幸子も良い。27日。4回目。客の反応がすごく良かった。それに影響されて役者の演技もすごく良かった。

  • 満足度★★★★

    見えない何か
    イキウメのお芝居にはいつも「見えない何か」について考えさせらます。それにしても、あのラストは切なすぎる。。

  • 満足度★★★★

    期待通り!
    面白かったです。イキウメは冷やっとしてるのに温かさを感じさせる微妙なバランスが好きです。ようできてます。私もホロホロきましたが、隣の人は号泣してはりました。

  • 満足度★★★★★

    演劇の面白さに溢れている
    面白い! 凄い! 
    演劇にしかできない巧みさ。

    立ち見がこんなに多いトラムは初めて。
    人気があるのも頷ける。

    ネタバレBOX

    どうなっているのか、そしてどうなるのかという興味で進む、物語自体が面白いし、役者も演出もいいから引き込まれていく。
    笑いも用意されている。

    観ながら思ったのは、自分を含め、多くの人が「概念」をきちんと考えずに言葉を使っているのではないかということ。
    どれだけの人が「概念」を意識して言葉を発していたり、受け止めていたりしているのだろうということなのだ。
    一見、「概念」を奪われて大変なことになると思いつつ観ているのだが、ひょっとしたら、概念を奪われても、誰も日常生活にはまったく困らないのではないかと思ってしまう。
    「言葉」は「言葉」だけで存在し、自由に行き来する。そんなに重みもないし、それが実態ではないか。

    フリーターの丸尾と長谷部が言う「戦争」も「平和」も、本当に理解して発しているのかはわからない。単にそういう言葉があるだけなのだ。
    (所有の概念を失っただけでそんなに共産主義っぽくなっちゃうのか、という台詞には大笑いしたけど・笑)

    逆に、もちろん、言葉に付いてくる「概念」はあるということも言える。つまり、言葉に託している「気持ち」がそれにあたる。
    その「気持ち」は、あまりにも個人的すぎて、誰にでも共感できる共通項にはなり得ない。それだけに、奪われてしまうことは怖いとも言える。

    だから、宇宙人がどんなに「概念」を集めたとしても、人間の総体は見えてこないことになる。

    つまり、もしこんな形で侵略してくる宇宙人がいるとすれば、でたらめで適当に発せられる概念なき言葉と、極個人的な概念に支えられた言葉、そういうものを集めてしまうと、宇宙人たちは困惑し、混乱するだけなのかもしれない。

    それは、どういうことかと言えば、「人間同士だって、そんな簡単にはわかり合えない(理解できない)」ということなのだ。
    言葉は適当だし、それに付いてくる「概念(思いとか気持ちとか)」は、その人の中にしかなく、それも発している本人が意識しているかどうかもわからない曖昧なものだから、その意味(気持ち)の交換と共有なんてできるはずはないということなのだ。

    宇宙人じゃなくても人間は、わからないというのが本当のところなのだ。

    物語の落ち着く先に「愛」があるように設定されていて、それを軸に新たに光の差す物語が展開するように見えるのだが、それは人間たちが勝手に思い込んで、盛り上がっているだけで、「愛」の概念を知った宇宙人の真治は何も言っていないのだ。
    確かに人間の思考を手に入れ、あらゆる概念を知ったのだが、それによって真治は人間になったわけではなく、彼は、あくまでも人間とは異なる思考の者であるのだ。
    だから、勝手に盛り上がる人間たちの思うようになるとは限らない、と思わせるあたりが、またSFっぽい幕切れでもあると思う。

    灰色で、その存在を意識させないセットや道具が配置され、それを巧みに使いながら、時間や空間が重なり合う。
    ふとした瞬間に自宅から病室に移ったりする。
    そういう演出があまりにもうまい。一気に見せてくれる。

    役者も誰もが素晴らしい。特に中学生・天野を大窪人衛さんの、あのイヤったらしさは凄い。宇宙人とは言え、イヤな中学生だ(笑)。
    真治の妻・伊勢佳世さんの、後半にいくに従い感情が上がっていく様も見事だし、奇妙さがうまく表現されていた真治役窪田道聡さんとのコントラストもいい。真治の義理の兄・安井順平さんのきちっとした感じ、フリーターの丸尾(森下創さん)と長谷部(坂井宏光さん)のいかにも、もいい感じ。

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