『革命日記』 公演情報 『革命日記』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-17件 / 17件中
  • 満足度★★★★

    これはおもしろい。
    よかったです。

  • 満足度★★★★

    馴染みすぎた。
    得意分野のお話だったので、すんなり世界観が馴染みすぎて、かえって違う部分に気がとられてしまう。
    やや失敗。

    革命日記は、集団で何かをしている人にはグサリと刺さるものだったと思う。
    個人的には、出だしの数分間が暇…だった。
    抑揚が単調な俳優のセリフを聞く根気がないあたしが悪いんだけども。

    ストーリに関しては、どこまでも自分の主張を押し通す人と、そこに疑問をぶつけても、のれんに腕押しどころか人格批判に及ぶような論点を外す言い逃れなど、ああ。どこの組織にも、っていうか、個人でもいるよね。なんて思いながら観てた。
    とにかく、それぞれの人物の「生き様」が、執筆する際には、時間をかけて膨大な資料を読まれるという平田さんならではの迫力。

    「興味はある…でも深入りするのはちょっと…とりあえず、顔だけ出してもいいですか?」
    こういう人が一番、底が知れなくて怖い。

    アフタートークは、さすがの掴み。
    とても楽しかった。
    会場を出る前は、シゲシゲとセットを隅から隅までみました。
    チンプな表現だけど、すごいとしか言いようが無い。

    ネタバレBOX

    …だた、本気で質問しているのか、他の観客のために質問しているのか分からない質問が数個あり、ちょっと微妙だった。

    そこまで勤勉でないあたしでさえ、Web上の書き物やインタビュー記事や、安価な書籍で読み知っている内容を聞いたりしてたから。
    うーん。
    これはこれは。
    と思って、何も聞けなかった。
    まぁ、あの場で聞くようなことでもなかったので良いんだけど。

    あとはポンプ音。
    確かに不可抗力ではある。
    不気味さを煽る効果音のようでもあったけれど、演出の意図しない場面で芝居のテイストが強引に変えられたような気がしてならない。
    もう少し、馬鹿馬鹿しくも生真面目な、笑っていいんだか哀れむべきなのか彼等を楽しんでも良かったんじゃないかと思う。
    なんとなく、損した気分。
  • 満足度★★★★

    現代にも彼らはいると思う
    面白い舞台だった。
    現代において未だ革命を夢見ている集団。
    平田さんが書かれていたように、「過激派」は近くにいなくても、他の何がしかの集団は自分たちの近くにいるのではないか、または、自分がその一員なのではないかと考えさせられる。

    出てくる登場人物は共感しにくい、なぜそんな考え方をするのか、といった人たちばかり、それぞれが周りが見えてない様子に息苦しくなるばかり。

    背景の置物群はなかなか考えられていて面白かった。

    私が観た回は音響不備(ポンプが動かされた)のため劇中に異音が起こった。
    あまりにも長い時間だったので、私もほかの方と同じように「効果音」だと勘違い。しかもこれが上手く不安感をあおるようないい音だった皮肉。

  • 満足度★★★★★

    化石の記憶
     『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』のような、連合赤軍の山岳ベース事件、あさま山荘事件や、『マイ・バック・ページ』の赤衛軍事件などの、過去の革命闘争を描いた物語ではない。『機動警察パトレイバー2 the movie』のような、近未来における自衛隊の蜂起など、日本に革命が起きうるとすればそれはどのような形を取るかというシミュレーションを行った物語でもない。
     これは、過去において確かに存在はしていたが、現在はすっかり時代遅れになった、現実から乖離し、観念的かつ独善的で、自己陶酔と視野狭窄に陥った、今でも「革命」などというものが本気で起こせるという妄想に取り憑かれてしまった、「現代の化石」とでも称するのがふさわしい愚か者たちの物語である。「オルグ」なんてコトバ、今どき使ってるのって、日教組くらいじゃないのか(笑)。

     登場人物たちを滑稽だと笑える観客は幸いだ。彼らのような愚かさを具象化したような存在は、その人の周囲には全くいないのだろう。
     しかし、必ずしも「革命家」でなくとも、彼らのような自己顕示欲の塊、自我肥大に陥ったナルシスト、他人を支配下に置くことで悦に入る精神的ファシストは、巷にはいくらでも存在している。そういう人間に関わらざるを得なくなった者にとっては、この物語を笑うことはできない。うっかりすれば、彼らの「夢想」に、こちらの「現実」が浸食される事態にもなりかねないからだ。

     あるいは、「彼ら自身」が、この舞台を観たとしたらどうであろう。彼らが登場人物たちを自分の分身であるように感じ、胸に刺さるものを憶えられたのならば、まだ幸せだろう。その場合、彼らには、自らの愚かさと向き合うことのできる精神的余地がある。しかし、「他山の石」と思えなかった時は恐ろしい。彼らは決して自らの過ちには気付かない。そして彼らの「愚かさ」がそのまま実行に移されても、それを止めることは誰にもできないのである。
     悲劇を回避する方法があるとすれば、まさしくこの物語が終わったところから始まるのだろう。しかしそれは、「取り返しの付かない事態」が生じて後のことである。

     題材自体にどうしても眼が行くが、この舞台では、現代口語演劇の方法論が、最も効果的に作用している。
     同時会話も、長い間も、観客に背を見せる演技も、この場合は自然さの演出と言うよりは、緊張感や逼塞感、重苦しさと言った、舞台空間を維持するために働いている。
     レッテル的に語られてきた「静かな演劇」を拒絶した「叫び」の部分も、登場人物たちのやるせなさと密接に結びついていて、批判的に語れることの多い「絵日記」的な表現から脱して、昇華されたものになっている。

    ネタバレBOX

     「私たちはオウムではないのか?」
     パンフレットに書かれた、平田オリザ氏のこの言葉を、事件が起きた1995年当時、自問自答した青年たちは決して少なくはなかった。
     学生運動など、とうに下火の時代である。「革命」を本気で唱える人間などいなかった。けれどもバブル崩壊後のモヤモヤとしたいらだちや鬱屈のような沈滞感から、何か一つ突き抜けたい、そういう空気が時代を覆っていた。
     オウム真理教が本気で世界を革命する気だったのかと言えば、それは否としか言えまい。アニメのタームを多く借りていたオウムは、存在自体がファンタジーに過ぎなかった。
     しかし、オウムに帰依した人々は、時代を打ち破る矛として「これだ」という感触を持ったのだろう。金銭も社会的地位も自分を満たしてくれない、「自分探し」の果てに、彼らが行き着いた先が、「精神的な生き甲斐」を提供してくれるオウムだった。
     その過程は、かつての学生運動の闘士たちの姿にも重なる。彼らは本当に共産主義革命が成ると信じていただろうか。信じていた者もいただろう。無理やり自己暗示をかけて信じ込もうとしていた者もいただろう。正義は自分たちにあると、正義が成らないはずはないと、そう考えるのが自然であった時代なのだ。学生の多くがその共同幻想の中に飲み込まれ、全国の大学で、デモとロックアウトが繰り返されていた。
     もっとも、そんな「夢」から醒めていた者もいた。「何かがおかしい」と気付いていた者もいた。
     しかし、連合赤軍は、その醒めた者たちを「総括」という名のもとに粛正した。オウムは「ポア」と呼んでいくつかの殺人と、地下鉄サリン事件を起こした。遡れば、戦前の思想統制、言論統制は、大杉栄を、小林多喜二を、そのほか多くの思想家を虐殺した。
     この類似は、「人間は過去の過ちに学び反省することなどできない。結局は同じ轍を踏み続ける」という哀しい真実を物語っている。
     「劇団も、演劇人も、彼らと同じなのではないか?」平田オリザの非凡さは、その組織の内側にいる者が最も気付きにくい、自らの思想の誤謬に眼を向けることができた点にある。
     
     物語の冒頭で、篠田は既に革命の計画についてこう発言している。
     「机上の空論でしょ?」
     少人数での空港と大使館の同時占拠など、実行不可能なことは素人にだって分かる。サイバーテロの方がずっと実効性があるにも関わらず、その方法を採れないのは、彼らの脳が「化石」だからだ。
     この革命計画は最初から瓦解が予測されている。にもかかわらず、彼らは自らの思想の呪縛に囚われて、計画を中止することができない。そもそもこの計画に無理があることに気付けない。
     後半、首謀者の佐々木は、民衆を啓蒙し煽動することが目的だと嘯くが、三島由紀夫の失敗が、ビジョンのないアジテートだけでは、人心を掌握することもできなければ、誰も行動に走らないことを見抜けなかったことにあることを理解していない。
     そうなのだ、彼らは、全共闘世代の革命家たちと同様に、革命を成したあとの具体的な政治、外交、経済、産業、文化その他、諸々の社会構築のための計画を、何一つ考えてはいなかったのだ。

     なのに、誰も、この無謀な計画を止められない。
     増田武雄は 「カルトはいいよなあ、金があって」と愚痴を言うが、つまり彼らは「金のないカルト」なのである。そしてその姿は、自尊心だけが肥大した、現代の演劇人たちの姿にも繋がってくる。
     増田典子が立花の「感情」を自己反省に基づいて批判する論理は、連合赤軍の永田洋子が、山岳ベース事件の時に遠山美枝子を「自己批判」させようとした時の論理と全く同じである。遠山美枝子は、後にリンチに遭い死亡した。立花の口から、当局に計画が漏れれば全ては水泡に帰する。観客は、どうしても立花の安否を気遣わないわけにはいかない。
     典子はまた、組織の実態に感づいた柳田から「粛正とかされちゃうんですか?」と聞かれた時に、「そんな時代じゃないし」と答える。しかしその時、計画に批判的だった篠田は、会合に現れなかった島崎に刺されているのである。その理由は判然としないが、彼らの組織もまた、何かのきっかけで簡単に崩壊してしまうことを暗示して、物語は終わる。

     アフタートークで、平田オリザ氏は、演劇人を革命家たちになぞらえたことを明言した上で、「集団が(劇団が)崩壊するのはたいてい金と女が原因です。若い世代は優しいからそれをうまく回避していますが」と冗談めかして説明した。
     しかしこれもまた、永田洋子の殺害の動機が、本人は「思想」の問題であると主張していたにもかかわらず、他のメンバーからは「女としての嫉妬」であると看破されてしまったように、「劇団の崩壊」もまた、当事者からは「思想的対立」が原因であると主張されることが多いのに対して、実態はきわめて下世話な理由に基づくことが多い事実を示唆している。

     平田氏は、自らを映す「鏡」として、この戯曲を書いた。
     それはもちろん、世の演劇人、劇団員たちにとっても「鏡」となる。
     戯画化されてはいるが、佐々木のような観念でしか演劇を語れない演出家、櫻井のような自己犠牲が格好いいことであるかのように錯覚している役者、山際のような劇団にすり寄ることで自己のステイタスを上げた気になっているスポンサーやシンパは、実際にいるのだ。
     しかし、彼らにこの舞台が「鏡」として見えるようなら、初めから自画自賛型の舞台を作ったり、賞賛したりはしないだろう。平田氏の、世の演劇人たちへの切々としたメッセージは殆ど届くことはあるまい。
  • 満足度★★★

    消化不良
    初めての青年団、期待が高すぎたのか満足することが出来なかった。
    『革命日記』という作品名から想像していた内容と、かなり違ったものだった。

    ネタバレBOX

    まず、隣人が自治会広報担当を増田に頼みにくる部分は、話の流れを断ち切るだけで全く不要と思う。

    一番の見せ場である、立花が革命家のリーダー佐々木を罵倒する場面は、迫真の演技だと感じたが、立花は客席に背を向けたままであった。せめて横顔だけでも見れるように何故しなかったのか、不思議に思う。

    曲がりなりにも、日本は民主主義国家で言論の自由もある。国民の支持を集めて国会で両院の過半数を取れば、平和的に自らの目指す政策を実現できることは、中学生でも分かることである。
    それなのに、自らの人生と命を懸け、他人の命も犠牲にして軍事革命を何故行おうと考えるのか、何に対して不条理を感じるのか、心の闇を明らかにしてほしかった。少なくとも本人達は、正しいことをやっていると考えているのだから。

    一人ひとりの俳優は、良い演技をしていたのだから、役者の人数をもっと少なくして内部対立を掘り下げて描けば、良い作品になったと思う。
  • 満足度★★★

    観てきた。
    革命というのはこういうことだったのですね。初演の時代背景は理解できました。ただ、キャラはもう少し少なくてもいいかなと。

    ネタバレBOX

    チョット遅れて入ってしまったので、最初は、いや、普通の世帯の話にしか見えなかった。残念。隣人の設定がいらないかなあと。
  • 満足度★★★★

    洗練された舞台
    新人団員のための作品だったらしいけど、私たちの年代には
    激しく心揺さぶられる内容だった。舞台は現代になっていたけれど、
    「革命」が「宗教」や「芸術」に置き換わっても同じだったと。
    討論している内容はちんぷんかんぷんでわからないけど、
    何か「集まって」行動をしたいという欲求は普遍だと思う。
    一人狼って理想高いけど、現実には無理だよ。

  • 満足度★★★

    お見事でした
    人は、革命を夢想していても
    所詮日常生活を全て切り捨てることは出来ないのだろうか。
    個人と組織が危ういバランスの上に成り立っている状況を
    リアルに見せてもらったように思う。

    当日は、かなり辛い体勢で観劇していたのだが、
    途中から全くそれが気にならなくなっていた。
    感情移入は出来ないけれど、
    もの凄く集中して観ることの出来る芝居だったと思う。

    ネタバレBOX

    人物造形とそれを表現する役者さんが素晴らしかった。
    組織のリーダー役が、メンバーを完膚無きまで論破するあたりは
    観ていて本当に腹が立ったくらいだったし、
    女性同士の感情の行き違いにもドキドキさせられた。
  • 満足度★★★★

    観ました
    面白かったです。

  • 満足度★★★★★

    観逃さなくて良かった!
    「個と集団」「組織におけるプライバシー」の問題が革命活動家たちを通して描かれている。
    社会問題を平田オリザならではの自然な会話、人物配置の巧みさで見せる。
    私が平日昼にこまばアゴラに来ることは珍しい。週末より観客の年齢層は高めだが、常連客らしい中高年女性グループのけたたましく甲高い笑い声が響きわたり(笑っているのはその一角だけ)、劇の雰囲気を壊してしまうのがとても気になった。笑うのはご自由だけれど、もう少しトーンを抑えていただけないものか。
    爆笑漫才を聴きにきたわけではないので鼻白んでしまう。

    ネタバレBOX

    配役表が、革命家、元革命家、隣人、組織のシンパの4つに分かれている。この4つの立場の人たちが劇の中で交錯することによって、社会における「組織」や「生活共同体」の性格が浮き彫りにされていくのが見事だった。
    「空港」と「大使館」の2つの襲撃計画を企て、アジトの増田家に集う革命家たちのもとを町内会に代わる市の街づくり委員会の人々や、組織の非合法の部分を知らないシンパの人々が訪れ、そこで「小さな組織での一般的な社会活動」についてのかかわり方が語られ、革命家たちとの対比がなされる点が興味深い。
    「組織におけるプライバシー」は、男女関係で語られる。革命や宗教など、ストイックな目的の組織においても、異性関係はついて回る問題。連合赤軍の浅間山荘事件の騒動が落着した際に大きく報道されたのは、彼らの目的である革命思想ではなく、永田洋子を中心とする仲間同士のドロドロの男女関係の話題だったし、オウムでも教祖や教団幹部を取り巻く男女関係が面白おかしく報道された。北朝鮮に渡ったよど号ハイジャックメンバーも、拉致問題がクローズアップされた際、当時の活動家同士の複雑な夫婦関係が報道された。
    ここでも、実働部隊と後方支援組の心情的対立に絡み、桜井(佐藤誠)と立花(鄭亜美)の恋愛や、増田夫妻(海津忠・中村真生)と千葉(長野海)の三角関係をめぐって激しい口論になる。革命思想の中に女性の嫉妬や反発が加わって感情的にエスカレートし、男たちを当惑させる。
    連合赤軍の中でも男女関係をめぐるいざこざが集団リンチの過熱要因のひとつになっていたと聞いている。
    組織も人間の集まりゆえ内包するもろさや綻びの描き方が巧い。
    もうひとつは家族の問題。息子のシュンスケをアトピーを理由に田舎の実家に預けている増田典子を妹の田中晴美(小林亮子)が訪ねてくる。「たまには顔出してやってよ。お母さんも気にしてるし」と。この姉妹は共に革命家と知り合って結婚した。晴美・英夫夫妻は活動から抜けたが、夫婦仲はうまくいっていない。
    あとから1人で夫の田中英夫(河村竜也)が武雄に話があると訪ねてくる。終盤、革命家の篠田(佐山和泉)は会合に現れなかった島崎に刺されたらしく重傷という知らせが届き、騒然となる。英夫がシュンスケの学芸会の様子を典子に語ったとき、典子が「お父さんに似たのかしら。学生時代、映画とか作ってたんでしょう?」と英夫に聞き、「うん、まあね」と答えるところで、シュンスケの父親は増田武雄ではなく、英夫では?という暗示がなされる。また、シンパの山際に連れられてやってきた柳田由佳(木引優子)が実は活動中交通事故で亡くなった革命家の妹で、父親は亡くなるまで、姉は事故ではなく殺されたと思い込んでいたことがわかる。
    俳優では革命家のリーダー格の佐々木役の近藤強、商社マン山際役の畑中友仁、委員会の坂下役・能島瑞穂がいかにもそれらしい人物像を演じ、印象に残った。NPO経験があり、ボランティア活動に熱心な坂下が、やはり「組織的」な持論を展開するあたりが面白かった。
    舞台美術のインテリアのセンスがよく、赤い壁、白い棚の内側の赤い部分やマトリョーシカにスポット照明が当たり、赤が強調され、全体が「革命」を表現しているようで、記憶に残る。
  • 満足度★★★

    えっもう終わり
    組織(集団)における個人のあり方を巧みに描写、あっという間に終ってしまった。

    ネタバレBOX

    終了後に出演者の全員の挨拶がなかったのが残念。ストーリーと役者さんの役柄を整理しきれなかった
  • 満足度★★★

    安心して観ていることができました
    青年団の本公演はやはり、安心して観ていることができました。俳優陣の技量の高さは、さすがの一言に尽きます。

    ネタバレBOX

    脚本は、うーん、「革命」という言葉が想起させるものと、ホンが描いている若い世代が、観ていてどうしてもうまくマッチしませんでした。1960~70年代の学生運動を実際に体験していない世代にとって、「革命」とは単に、教科書やテレビのニュースでしかお目にかけない、リアリティに欠ける事柄なのだと思います。「個と集団」というモチーフを描くのであれば、もっとベターな素材があるのでは。役者の芝居自体は優れているにのかかわらず、イマイチ物語に入り込めなかったのは、そこらへんが理由かと思いました。
  • 満足度★★★★

    カクメイ、トーソー、恋愛!
    都市近郊のマンションの一室をアジトにした過激派グループが航空突入と大使館襲撃を計画する為の座談会!(笑)


    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    ワタクシは集団が嫌いだ。会社という組織に席を置きながらそんなことを思う。だから休みの日ぐらいは誰とも群れずに独りポツネンと芝居を観たいと願う。組織から逃れたいという、そんなワタクシの願いと相反するような光景が目の前で座卓を囲みながらにぎにぎしく「トーソー、カクメイ、占拠!」なんつって言葉が乱舞する。

    革命家たちは空港の管制塔と大使館を占拠すれば、国家の中枢機能を麻痺させることが出来るとの考えから、その計画を実行すべくリーダーが士気を高める。しかし、立花は「闘争の為の要員も揃ってないし、資金もないのに、安易だ」と主張する。しかし、佐々木は革命理念を強引に押し通し、「安易な路線の変更は出来ない。我々は組織の中の兵士だ。」などとのたまう。

    そのことで口論になった立花と佐々木は勢い余って怒鳴りあいののしりあうも、一向にお互いの考えは接点がなく平行線をたどる。そんな中、立花は「帰る。帰って料理を作るから。」と帰ろうとするが今度は増田典子に「帰って桜井とセックスがしたいって事ですか?私たちは兵士なんだから生活を革命化、武装化していかないとダメでしょう。私たちは革命の為に生きるんだから。」と意見される。

    革命家たちにとっては重要な会議なのだが、そんな場面に隣人やら組織のシンパたちやらの闖入者がまるでコメディアンのごとく勝手にやってくる。特に隣人の二人が見事なまでの話術とユーモアで増田の意見をうまくさばき、端から受け付けない。聞き入れるつもりなど毛頭ないのだ。「お願いします。」と言葉では柔軟にコンニャクのように言いながら、全身に媚びをたたえているが、裏を透かしてみると人差し指を増田の鼻先にくっつけながら「良くお聞き!」と猛獣使いが鞭を持って脅してるかのようだ。笑

    そんなだから滑稽というかコメディというか、革命家も所詮一般人には勝てないようで、結局のところ、トーソーもカクメイも同志との恋愛感情も「井の中の蛙」で井戸端会議みたいなものだ。笑

    鄭亜美が頑張った!(^0^)

  • 満足度★★★★

    組織と日常の面白さ!
    組織の構成員に降りかかる誰にでも起こる煩わしい日常…、日々の闘争のどこを切り取っても、日常がつきまとっています。

    組織が大袈裟であればあるほど、その落差があって楽しませてもらいました!

    ネタバレBOX

    パンフレットにあったように、過激派グループを新興宗教団体や劇団に、はたまた江戸時代の忍者、芝居好き、若手お笑い芸人たちなどと色々置き換えて考えながら観ていました。

    本性を隠したり、組織防衛などの観点から大雑把に並べると…、
    過激派>忍者>新興宗教>劇団員>芝居好き>芸人
    の順かな。

    お芝居を観ているのを会社に隠している知り合いがいます!

    好きな人がいたのに偽装結婚をして地域に紛れるというのも大変ですね。子供までできちゃって。できちゃったら愛しなさいよ!!

    30歳を過ぎて日常の比重が重くなれば、革命家も劇団員や芸人と同じようにどんどん辞めていくのは仕方ありません。

    組織を抜けても出入り自由のような甘い組織、ずさんな計画、民衆を一般人なんて呼んでるようじゃ革命はできませんな。

    立花さんの件はホントいいがかりのように聞こえ、立花さんを応援したくなりました。

    篠田さんが襲われた理由が良く聞き取れませんでした。残念!

    ところで立花さんが帰るとき、設計図入れを持っていなかったのはなぜでしょう?
  • 満足度★★★

    やっぱりいい。でも優等生。
    生きている中での大事にすべきこととか、さらりと軽く、でもしっかりと伝える戯曲はすばらしい。昨年の公演も観ましたが、やはり思いとしてぐっとくるし俳優の味はいい。

    ネタバレBOX

    家主の妻、中村真生さんのほんわか優しい雰囲気を保ちながらいざという時の革命家の顔すばらしくいい。鄭亜美さんのテンション高く怒り散らすのもあんまり見たことない感じだったけどしっかり強いな、と感じました。

    けど。。。
    平田オリザ演出だけにどこかに計算ずくな面を感じてしまいました。俳優はべらぼうにうまい。なのに、それをロボットに入れ替えてもできるんじゃないかというような変な感覚。この間は俳優の感触としてあるのでないっていうような芝居だな、っていう感じ。それを俳優が完全に体現しているから、逆にまとまりすぎてて計算された感動以上には、って感じでした。
  • 満足度★★★★

    笑いながら…随所に“毒”を感じる
    お茶らけたところは一切ないんですけど、笑ってしまいます。
    それは、“毒”が随所に隠されているから。
    で、… 観終わってから「革命を目指す理由への共感性が薄いんじゃ…」 などという批判めいたコメントをしてしまいがちなところまで、ひょっとしたら平田オリザ流の毒なんじゃないかと。

    ネタバレBOX

    町内会ではなく町作り部会。子供のために環境なんとかを伝えるNPO。子育てと両立する非合法活動。活動に理解を示すエリート商社マン。前線の方が後方よりも偉いという感覚。恋愛感情と活動との天秤。…こうした毒を盛りこみながら、それはときに笑いになり、それはときに「考えてみたら」という観客へのボールとなる。
    ・・・そこまでは、共有できるんですけど、やっぱりこの時代に日本という設定で「革命」を目指す理由がどうも浮ついている感じがしてしまいました。
    ただ、そこが、案外平田オリザさんの狙いじゃないかという不安もよぎったりするんですね。
  • 満足度★★★★

    つい入り込みます
    重苦しい緊張場面が、たびたび入り込んで来る部外者で中断される笑い。
    『一月三日』のときもそうでしたが、この会場は舞台と床が同じ高さで距離も近いので、つい入り込んでしまって、一緒に「疲れたー」と、なりました。
    その世界ってそうなのかー、と思うしかないのですが、無理矢理議論を自分の土俵に持って来るやり方って、ありそうですね。

    からんでくる外部者それぞれの「組織」との距離の取り方が様々で、とても興味深かったです。

    ネタバレBOX

    指導者「佐々木」から、議論を「私的感情」と決めつけられた「橘」が抗議していくところ、後ろ向きなのに、見えている肩から背中が赤くなって、「ほんとに興奮してるんだ!」と思ってしまった。顔を見るより、その色が彼女の気持ちを語っていると思いました。

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