KYOKAI 心の38度線 公演情報 KYOKAI 心の38度線」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    境界、教会、そして、、
    自身なら「巨魁」と言ったかも・・ このドラマのモデルとなった崔昌華という在日一世(故人)は、その足跡や彼に関する証言をみるに、シンプルで力強い権利意識、凡人の五歩先を行く背中、が思い浮かぶ。彼に前を横切られた者は、風に頬を打たれ、その風に「君はどう?」と言われたように思うのではないか。
    氏の娘であるピアニスト崔善愛が音楽監修、生演奏もあり。初日挨拶では、この舞台作品を自分のものとして愛しているようであった。

    氏の「運動」に捧げる人生の発端として、寸又峡の旅館に立てこもった金喜老事件が取り上げられ、これが前半の軸。その後の指紋押捺拒否や、娘の再入国不許可事件などは芝居では端折られていた。
    後半の軸である訴訟(NHK相手の名前裁判)では明快な主張を展開する。しかし史実としてはこの裁判は敗訴した。

    山谷典子の本は、少々台詞が硬かったり、逆に柔らかでなくて良いと感じる部分もあり、実際に俳優が本読みを始めた段階でも稽古に参加し、推敲し直すという作業を一工程設けても良かったのではないか。ただし以前酷評した本に比べ、一本筋の通った戯曲になっていると感じた。

    舞台装置は「考え」の跡が見えたがもう一つでなかったか・・。リアルでなく象徴的装置だが、にしては具象に見えてしまう階段三つ、想像力の働く余地の面、また機能面でも、違う形を考えたい・・という欲求にかられた。(もっとも専門外なのでこの戯曲にこの装置あり、やも知れないが・・)
    俳優が一番大変そうで、細部に宿る神をないがしろにしてしまった・・と見える場面も幾つか。
    いずれも初日を見ての感想。「作り」の面では1ステージごと、には無理でも楽日にはどうなっているか、観たいが観れない。

    この作品を数ステージで終えるのは惜しい。題材に鑑み、より熟成させ再演を希望である。

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