義経千本桜—渡海屋・大物浦— 公演情報 義経千本桜—渡海屋・大物浦—」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★

    -
    良くも悪くも意味が強調されている。見応え感がもっとほしくなるので、通しで観たいものだ。昔言葉に大きな音楽が重なると聞き取りにくい。

  • 満足度★★★★

    イマジン
    見やすい舞台のつくり、生者と死者の象徴的な衣装替え、ロックなテイストが効果的。
    復讐という名の殺戮を繰り返す、今も昔も変わらぬ負の連鎖を断ち切る
    双方の葛藤を鮮やかに浮き彫りにする。
    選曲がいかにも多田さんらしく、直球ストレートで
    「これでいいのか、日本は」と投げこんで来る。
    しかしあの音量はちと大きすぎやしないか?


    ネタバレBOX

    客席に向かって斜めに傾斜した舞台だから隅々まで見渡せる。
    知盛が碇を身に巻き付けて海へ身を投じるシーンなど、あの奥行きが
    あればこその迫力。

    兄頼朝に疎まれた義経一行は九州へと都落ちの途中である。
    一方、死んだはずの平知盛は典侍局と共に安徳帝をお守りしつつ
    船宿渡海屋を営み、復讐の機会を狙っていた。
    そしてついに義経一行が、その渡海屋に宿を取る…。

    見せ場は歌舞伎の台詞で、ストーリーの大きな流れは現代語でというメリハリで
    スピーディーな展開。
    壮絶な源平の戦いの場面では、討ち死にすると
    羽織っていた着物をはらりと落とし白装束になる。
    生者と死者のコントラストが鮮明になり、無常観が漂う。

    “生きていて欲しい歴史上の人物”は常に「生存説」を伴うものだ。
    彼らの無念な思いを想像して様々な物語が生まれたのだと思う。
    この物語は単に「無念さを晴らす」だけでなく、復讐の連鎖を打ち止めにするという
    未来への選択で終わるところがすごい。
    今世界中で繰り返されている“大義名分を掲げた復讐”を
    知盛のように受け容れ、終わらせることが出来る人間がどれほどいるだろうか。

    多田さんの演出は、ラスト清志郎の「イマジン」が象徴するように
    「もう止めようよ」と呆気にとられるほどストレートに訴えてくる。

    どこか雅な義経や、コミカルな弁慶のキャラに囲まれて
    知盛の壮絶な最期が強い印象を残す。
    確か碇を巻き付けて三度海に沈んだと思うが、その三度とも
    緊張感あふれる場面だった。
    木ノ下歌舞伎でベテランの域にある武谷公雄さんの台詞回しに
    安定感とゆとりが感じられた。

    ただBGMの大音量で台詞が聞き取りにくいのはいかがなものか。
    歌舞伎の音楽的な台詞をBGMと闘うように怒鳴るのはもったいない気がする。
    現代人はロックで大声でスピーディーでなくても、
    歌舞伎の良さを感じることは出来ると思う。



  • 満足度★★★★

    演劇は時代を超えて生きている…。
    なぜ、歌舞伎なのか?歌舞伎という形態を取らなくも…表現方法はと思いましたが…。形だけの美しさだけではなく、時代を生きて何を伝えるか。今でこそ、今だから伝えなくてはならない…。全般は説明的で少し退屈しましたが…泣きました。泣けました。多田さん演出は2本目。エネルギシューで多田さんの演出好きだなぁ…。

  • 満足度★★★★

    歴史が良く解かったなぁと(^^)
    様式美風なつくりと
    リズム感あるセリフの応酬や
    外連味のある衣装の選択や
    シンプルながら巧みな作りの舞台セット等
    出来が良かった♪

    惜しむらくは開演時間の厳守とか
    開演前の座な温め的なものがあったならばと思ったかしらねぇ

  • 満足度★★★★

    やっぱり歌舞伎はとても面白いコンテンツなのだ
    木ノ下歌舞伎は、歌舞伎を優れた古典としてリスペクトし、きちんと現代に伝える役割を担っていると思う。
    「歌舞伎って面白いね」と言えるような。
    今回は、それを感じた。

    「判官びいき」で見たならば、判官を推さずに知盛、安徳帝側を推してしまう。

    ネタバレBOX

    オープニングの滑り出しがとてもいい感じ。
    日本史の授業で受けたはずのことが、シンプルにさらさらと語られる。
    音楽に乗り、ダンスのような感覚で、何がどうしてどうなったかと。
    象徴的に日の丸が使われる。
    現代的・義太夫節とでもいうべきか。
    そして、安徳帝の入水シーンが。

    今回の『義経千本桜―渡海屋』までに何が起こり、誰がどういう立場にいるのか、誰と誰がどういう関係にあるのかが、ざっとわかるようになっている。
    そういう「説明」がないと、「義経」とは何者なのかを知らない観客にはちんぷんかんぷんになってしまわないように、という配慮なのだろう。

    ところどころに歌舞伎のような台詞回しを入れながらも、現代語というより、今の話し言葉でストーリーは進む。軽さが心地良く、歌舞伎の台詞回しも違和感はなく、1つの「リズム」の中に聞こえ、響いてくる。

    歌舞伎の要素としては、下手から舞台を出る通路を「花道」として設定し、また、後のシーンで知盛が亡霊の姿で舞台の下から現れるのは、花道のすっぽんだろう。すっぽんは、歌舞伎のお約束ごととして、「人ではない者が現れる場所」だから。

    壇ノ浦の合戦では知盛演じる佐藤誠さんが、歌舞伎のシーンのように、錨を巻き付け見事後ろ向きで海に飛び込む。これがラストにきちんと活きてくる演出となっている。

    義経が都落ちしていく様も、リズミカルでシンプルに描写していく。「実はキツネだった」という静御前を守る忠信も、この公演では『義経千本桜』の最後の段まで行かないので、一応は触れるが、まあ、それは『義経千本桜』を知っている人たちに対してのお楽しみでもあろう。
    このように、「渡海屋」の段を楽しめるような前提が揃うのだ。

    そして「渡海屋」の段になる。ここに入ってから建物への入口と奥の間への戸(壁も)舞台の上に設置される。
    そこまでがシンプルだっただけに、これは必要なのか、と思った。
    枠だけで、「あるていで」で良かったのだはないか。

    歌舞伎に限らず、舞台では「壁はあるもの」という形で上演されるのだから。あえて「渡海屋」のシーンを強調するためにしても、八百屋舞台の上に微妙な斜めな壁は、設置時間がもったいなく、不安定な印象を受け、さらにビジュアル的にも美しくないので、なかったほうがよかったのではないか。

    さて、渡海屋では死んだはずの知盛、安徳帝、その女官の3人が出てくるのだが、冒頭の安徳帝とその女官入水シーン、壇ノ浦での知盛の入水シーンが効いて、さらにラストでリフレインとなっていくので、その部分が強調され、彼らの無念さがグッと伝わってくる。

    一方、義経一行は、軽いノリで平家の裏をかき勝利して、うっかり弁慶が鎌倉からの使者の首をねじ切ってしまうという演出であり、ラストでは満身創痍の知盛に対してカジュアルな服装なので、どうも義経に気持ちが行かない。

    「判官びいき」という言葉があるが、判官を贔屓しようという感覚はなく、判官びいきするなら、知盛と安徳帝側になってしまうのだ。
    無念を晴らすことなく死んでいく知盛、そして義経に連れててかれてしまう安徳帝。哀れである。

    ラストは、盆踊りであろう。
    すべての「怨」を背負って、死んでいった知盛と安徳帝の女官。
    源平の戦いで死んで行った者。
    彼ら、死者を供養する踊りではないか。
    それはすなわち、運命が待ち受ける義経一行自身の供養でもあろう。

    津波のときのニュース映像で何度も聞いたようにな、鳴り響くサイレンと轟音、そして忌野清志郎が歌う日本語歌詞の『イマジン』が流れる。
    そこまでやるのはどうかな、とは思うのだが、これはいい意味での「外連味」なのではないかとも思った。

    渡海屋銀平と知盛を演じた佐藤誠さんの、歌舞伎ではないところにおいての「怨」の強いエネルギーの内在する感じがなかなかだった。
    清盛、弁慶を演じた榊原毅さんもとてもいい感じ。
    銀平の妻と女官を演じた大川潤子さんの、一本真の通った姿が舞台を締める。
    娘・お安、安徳帝を演じた立蔵葉子さんインノセントさもいい。

    結局、歌舞伎はとても面白いのだ、ということ。
    このコンテンツをもっと利用すべきではないか。
    シェイクスピアみたいに。

    木ノ下歌舞伎には、いろいろな歌舞伎の演目に挑戦してほしいので、期待している。
  • 満足度★★

    ネタばれ
    ネタばれ

    ネタバレBOX

    木ノ下歌舞伎の【義経千本桜~渡海屋・大物浦】を観劇。

    またも歌舞伎である

    平安時代末期、源義経は平清盛との源平合戦で勝利を収める。
    がしかし、兄・源頼朝に不信感を抱かれ、謀反を疑いまでかけられてしまい、仕方なく都落ちの為に九州に逃れるが、道中に立ち寄った船宿には平清盛の子孫・平知盛が復讐の牙をむいて待っているのだった.....。

    平安時代の不安な世の中を、現代の政治、文化と重ね合わせていき、複雑な時代背景などもさらりを描き、小気味良い演出で攻めてくる。
    そして戦乱の時代に産み落とされた己の人生、運命な抗いながらも復讐に向かう平知盛の人生は何ぞや?をクライマックスに期待したのだが、どうも今作はそこに焦点を持って行かず、戦っている平知盛を見守る家族、復讐をされた側の源義経の見解、そして復讐を成し遂げられなかった後の平知盛の無念さを描いている。
    このような描き方は悪くはないが、物語の展開としては、どう読んでも復讐を最後の大詰めに持って行っているのに、突然違う方向から描き始める辺りから、徐々に観客は失望感を感じ始めてしまう。
    折角、観客全員が物語の転に乗り出しているのに、何故ここで観客を路頭に迷わせる流れに変えてくるのかが理解不可能である。
    そして転の波に転げ落ちた観客は思うである「この演出家は何がしたいの?」と。
    そして終わりにかけては、源義経から見た世界を描くというのも意味が分からずという感じだ。
    観客は観たいのは、平知盛の無念の人生観なのだ。その人生観を徹底的に描く事が木ノ下歌舞伎なのだと。

    そう残念ながら、今作は演出家の演出ミスなのである。

このページのQRコードです。

拡大