雁次と吾雲 公演情報 雁次と吾雲」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★

    虚実混濁の世界...盛りだくさんのようで
    物語の場所・時代やその内容は架空・仮想という前提であるが、その描きからは日本の大正期...デモクラシーという自由民権をイメージさせることは間違いない。その一見史実に即した描きでありながら、実は虚実混濁という設定のズレに面白さを感じる。その情景・状況の錯覚、作・演出の藤森俊介氏の術中(語彙は相応しくないが好意的)に誘い込まれるようだ。

    内容的にはメインストーリーとサブストーリー、さらに挿話があり盛りだくさんになったようで、主張(印象)が暈けてしまうようで勿体無い。
    テーマ性の強い公演であり、その主張を中心に展開したほうが分かり易いと思う。
    (上演時間2時間20分)

    ネタバレBOX

    セットは階段舞台...正面上部に張り壁に架空の絵画街角(庵や珈琲店の看板)が描かれている。周りはレンガを模した張り壁。その全体的な雰囲気は少し敢えて野暮ったくした造作のように感じた。そこに大正のような時代感を漂わす。「自由の塔 凌空楼」が見えるが、浅草にあった凌雲閣がモデルであろう。この姿は空中楼閣かも...。

    梗概...暴動した中、兄・吾雲(一内侑サン)は弟・雁次(關根史明サン)との別れ際、「生きろ」と叫ぶ。以降2人は会うこともなく、雁次は兄は死んだものと思っていた。そして「生きろ」は兄の人生まで背負わされたような重み。この言葉が呪縛になって自由に生きられない。この心情の件も理解し難いところ。ところが偶然にも再会し...吾雲は自由に生き、親友・宝月(神谷未来紘サン)と「自由」を求める運動をしていた。そして自由を勝ち得た先にあったものは...。

    この「自由を謳歌」することは人民が暴力的になり、その先は軍靴の足音が高くなるというもの。この帰結が説明不足、短絡的に思えた。自由という抽象的なことに対し、人それぞれが選択し責任を負う、という過程が観られない。自由の果てにあるのが戦争である、というのは史実を見た場合であろう。この公演では虚実混濁ということからすれば、もう少し多角的な観せ方があってもよかったのではないか。またラスト...自由を空(カラ)に準えているが、突き放して観客(自分)に考えさせるということだろうか...。

    この公演ではラジオ(高校野球・駅伝放送)を用いているが、一方的に瞬時・広範囲に情報提供できる便利なもの。一方、情報の鵜呑みという思考停止という怖い面も裏腹にある。現代で言えばインターネットの普及が該当するか。その情報の真偽・正否は自由に利用と同時に責任も伴う、という主張も垣間見える。この壮大風の物語はメインであるが、この兄弟に親友の妹・白乃(本間理紗サン)との恋愛話がサイドとして絡み、さらに華族という戦前の「家制度」、「流民」に対する差別(人民が国民に代わった時、自分より弱者をいたぶる)などの問題も盛り込む。

    その演出にダンスシーンが入り華やかさが出たが、そのイメージする意図は何か。自由の謳歌を身体表現で表したのだろうか。物語は面白く考えさせるものがあるが、もう少し観せる焦点を絞っても良かったと思う。

    役者陣の演技は安定しておりバランスも良かった。ダンス・アンサンブルも高い身体表現で素晴らしかった。劇中での意味付けなり必然性を考え芝居・ダンスを調和できれば印象深い。

    次回公演を楽しみにしております。
  • 満足度★★★★

    変わらない良さがある団体さん
    上演時間(2時間15分)の事前告知や、
    会場に入ったら受付付近から年代物のポスターが貼られていること、
    客席には開園時間直前まで役者さんが当日パンフレットを配っていて
    「行ったらすぐに作品世界」感があって好きです。

    こちらの団体の本公演は2回目ですが、
    前回も今回も「スモークをたくので…」と
    マスクを希望者に配るサービスもあって
    (ぶっちゃけ、そんなもくもくするシーンはなかった気がします)
    幕が上がる前までの気遣いは最高レベルです。
    ギリギリまで場内にいた主宰さんがそのまま舞台上に上がって、
    前説→すぐに開幕、という流れも好き。

    公演ごとに脚本・演出が代わる団体なので
    好みか好みでないかは正直行ってみないとわからない
    (知ってる脚本・演出家さんでない場合)のですが、
    制作的な部分がとても心地よいのと、
    レギュラー出演する役者さんたちの
    熱くも、うっすら寒けを起こすような演技が好きなので
    次も行こうと思います。

    ネタバレBOX


    好みか好みでないかといえば、
    今回は後者でした。

    役者さんは(客演さん含め)皆さん熱量のある演技だったのですが、
    「登場人物の行動が先の展開をつくる」
    というより
    「必然の展開の上に登場人物が配置された」
    感じを受けました。
    なんていうか、
    「あの勢いなら現状をひっくり返せそうなのにな」
    って人物が揃っているのに、どんどん悪い方悪い方に事態が転がるように行動しているというか。
    (バッドエンド的&考える余地を残す展開は好きなほうなので、
    「展開が暗いから」好みでない、という理由ではありません、念のため…)

    不器用に想い合う兄弟が「自由」に
    揉まれて、
    くっついては離れていくのが心に刺さりました。

    次回公演も楽しみにしております。
  • 満足度★★★★

    柔らかく強く儚く
    初見の劇団、護送撃団方式さん。

    客入れ段階から丁寧な案内をしている役者さんが複数いて、下っ端の劇団員なのだろうと思って見ていました。そうしたら、一番喋って熱心に案内していた方が、ひょいと舞台に飛び乗って、今までの案内とは違う声色で物語へと一気に誘ってくれました。おお、一気に空気を変えたぞ〜!と感心していたら、まさかの主宰さんで主役(弟)だったという…!!!

    一内さんが主役兄弟の兄を熱演してます。私が見たアンドレ系・松崎演出では、無かった人物像で、優しくて繊細な自由人が生きていました。確かに舞台の上の、作られた人物ではあるのだけど、そこに現存させるのは役者な訳で…。新しい一面をしっかりと提示してらっしゃいました。
    弟役の關根さん(主宰)も素敵で、二人の掛け合いが熱い。

  • 満足度★★★★

    雲間を翔る雁
    吾は雲なる兄、’自由’にがんじがらめの弟。生きてこその’自由’と知り「死」を身近にして最も’自由’であった兄。 人間は目印がないと’自由’さえも見失う。経験できない「死」をそこに感じながら生きるかどうか。それが空をつかむ鍵と思えた。

  • 満足度★★★

    大作でした
    舞台セット、衣装、ダンス、役者さんの熱演、その他諸々見応えのある舞台でした。ストーリーは、理解出来るような出来ないような・・という感じで、私には難しく感じました。兄弟であるからこそ憎いけど愛しい・・それは伝わってきました。賛否両論ある舞台だと思いました。

  • 満足度★★★

    何かすごいもの観た感はあるものの…
    主宰の關根さん(ふりがなつけませんか)を何度か観たことがあって、ちょっといいなと思ってたので、今回初めて本家の作品を観てみました。

    結論から言うと僕はあんまりピンとこなかったというか、疲れました。
    想像で補完しなければいけない情報が多すぎるためでしょうか。

    そもそも護送撃団方式のwebサイトから引用すると
    ----
    観劇中、作品のメッセージを『伝える』のではなく、『渡す』。
    つまり。
    「お客様に作品の核心を一方的に見せず、様々な解釈の自由を持ってもらう」
    「作品のメッセージを答えとして見せるのではなく、そのチラリズムを美学とする」
    これらをコンセプトとした作品です。
    ----
    ということなので、やや観る人を選ぶのかもしれません。
    僕は観劇において「察しがいい」方ではないので…。

    熱いとか重いとかじゃない、何か「圧が高い」感じは確実にありましたが。

    ミザンスや何か含め古式騒然とした演劇らしい演劇を作ろうとしすぎ?
    もうちょっとエンターテイメント性が盛り込んである方が好みです。

    ダンサーチーム4人の使い方はおもしろかっこいいですね。

    ごく個人的には儚くも美しいヒロイン本間理紗が何パターンも見られてよかったです。袴とブーツ。昔かっ。

    よかったこと
    ・全席自由
    ・3,800円のつもりで行ったら金曜だけ3,500円だった
    ・アンケート記入しやすいようにバインダーが用意されてる

    よくわからなかったこと
    ・空調の温度設定22℃

    もうちょっとがんばって
    ・SEのタイミング
    ・劇場のイスが固い

    ネタバレBOX

    まず冒頭から世界の描写があまり丁寧でなく、重要な要素であるはずの統治体制がよくわかりません。

    フライヤー(デザインはともかく読みにくい)のあらすじによれば
    「-大正-
    それを思わせるような、かつての日本らしき虚実混濁の世界」
    ということですが、舞台上、少なくとも視覚的には確実に日本の大正デモクラシー前後を思わせます。
    その世界で、国を統べていると思しき大臣?がどういった背景でその地位につき、またどんな手続きを経て(一見簡単に)交代するのか、我々が受けた教育で知っている日本の状況とは明らかに異なる。(没落貴族や「新しい法律が制定される」過程など)

    これは終始キーワードとなる「自由」に大きく影響してきます。
    その自由なるものが民主主義の発展あるいは「公権力が私人に干渉しない」という、時代背景を踏まえた上での社会的な意味なのか、吾雲が持ち合わせていた「魂のありよう」(これがすべての災禍の源のように思えます)なんだかよくわからない。
    そしてその自由という概念の取り扱いを何かごまかされたような気分のまま物語は終盤へ。

    自由は生と死の両極端にしか存在しえないのでしょうか。
    吾雲は本当に自由だったのでしょうか。
    雁次は、白乃は自由になれたのでしょうか。
    …とは思っても、
    現代に生きる我々は自由なのでしょうか。
    結局のところ自由とは何なのでしょうか。
    とまでは思わない、ぐらいの「メッセージを渡された」具合でした。

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