高校演劇サミット2015 公演情報 高校演劇サミット2015」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★★

    都立駒場の作品が圧巻/各校約60分
    都立駒場高校、都立六本木高校、都立東高校の3校がそれぞれの自信作を上演。
    最も印象深かったのは、都立駒場高校演劇部が同校演劇部自身を演じた野心作『江崎ヒロがいなくなった』。
    駒場高校は、開演前のウォーミングアップをも公開で行い、20人はいようかという部員たちがもれなく笑顔で生き生きとストレッチに励む姿があまりにまばゆく、目を焼かれそうに。。
    本編ともども、このアップの様子も、強く心に刻まれました。

    ネタバレBOX

    都立駒場高校『江崎ヒロがいなくなった』は、同校演劇部の部長が部長自身を演じ、巨大な演劇部をまとめ上げる苦しみを表現した自己省察的作品。
    部長は劇中において大勢の部員たちに軽蔑される不様な存在として描かれ、部長が率いる演劇部も右肩下がりのダメ演劇部として描かれるが、面白いのは、部長も演劇部も決してダメではないことを作品自体が証している点。
    演劇部と部長の関係をサル山のサルたちと飼育員の関係になぞらえるアイデアも秀逸なら、演出も見事!
    多くのシーンで部員たちは数人ずつの小グループに分かれ、各集団はそれぞれ違ったことをするのだが、各集団に、さらにはその成員一人一人に細かな演技がつけられ、どのシーンでも間(ま)が持っていない生徒が一人としていないのは、目配りの行き届いた繊細な演出の賜物!
    大所帯を生かしたダイナミックな集団演技が見せ場となって客を引きつけるのも、粘り強く稽古をさせて統制美を作り出した演出家の功績だろう。
    もちろんそれが、演出家たる部長の意図を実現しようと頑張った部員たちの功績でもあることは言うまでもない。

    そして、終盤、部長を演じる部長自身の口から表明される“演劇愛”。

    「僕はこのワケの分からない演劇というものが大好きです!」

    演劇部がサル山になったり、サル山が演劇部になったり、サル山閉山の噂を聞いて脱走したメスザルたちが娼窟で働き出したりと、確かに本作は分かりづらい。

    だが、分かりづらさがそのまま魅力へと化けることが最も多い表現ジャンルが演劇であり、本作は本作自身を以てしてその例証ともなっているのだ。

    事実、本作は謎めいた点を数多くはらみながらも、観ていて楽しく、演劇を作るしんどさを描きながらも、結果としては演劇の愉楽を伝えている。
    このパラドックスも本作の魅力を高めている。

    しかし、本作の一番の肝は、演劇が一回性の芸術であることを作品自体を以て示している点。
    演劇部をサル山に見立てるという大胆な“抽象化”を行い、“駒場高校演劇部”をも含み込む“高校演劇一般”、ひいては“演劇一般”を描いているかに見える本作は、他校や他団体による再演も出来そうに思われるが、その一方で、今期の部長と部員たちが築き上げた阿吽の呼吸や信頼関係なしには成り立たないと思わせる“一期一会”性、“今期の駒場高校演劇部にしか上演不可能”と思わせる再現不可能性が色濃く感じられるのだ。
    この点に私は最も感じ入った。
  • 満足度★★★

    ネタばれなし
    高校生演劇を観劇。

    最近何気に映画の影響か?高校生演劇がブームのようだ。
    高校生大会には時間制限などがあるようだが、今作も1時間限定である。
    オリジナル、既存など様々な戯曲を使用しているようだが、既存の戯曲も1時間以内にまとめなければいけないので、その辺りの作業も大変だ。
    そして戯曲を作るのは先生であったり、生徒であったりと様々だが、作品の良しあしを決めるのは戯曲ではなく、上演された芝居で判断されるので、やはり演じると言う事が作品の出来を決めている感じだ。僅か1時間ながら、生徒たちが全てを注ぎ込むので、密度が濃すぎて、起承転結すら簡単に凌駕してしまい、2時間近く感じてしまうほどだ。
    そして世の中の演劇をまだそれほど知らないからか、何事においても枠がなく、生で生じる演劇特有の偶然性の連打で、新たなる表現方法が生まれてきているのは確かである。

    多ハズレがないほどレベルの高い高校生演劇であった。

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