エトランゼ 公演情報 エトランゼ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
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  • 満足度★★★★

    やはりさすがと納得する
    数年観てきた桟敷童子の前作「体夢」が、従来とかけ離れたイメージ世界であった路線を継いでの、「エトランゼ」(カタカナだし)と思いきや、舞台装置をみれば以前の桟敷と同じ木々に囲まれた、今回は山奥、登場人物も土着の人達で「ばっち(しかし=but)」がやはり出てくる、九州の話。
     だが今回、新鮮に感じたのは、題名となった「エトランゼ」=外来者の存在がドラマで果たす恐ろしげな役割だ。得体の知れない「外部の者」を演じたもりちえが絶妙で巧い。従来の桟敷のドラマにあった、内部の関係性から来る問題、強者と弱者といった目に見える確執や、神秘的なものへの畏怖ではなく、「外の人間」の未知ゆえの恐怖が、今回桟敷童子の芝居としては初めて見せる要素であったと思う。東憲司が呼吸する現代の「問題性」が九州の山奥を舞台にした物語に落ちてきた、そんな感慨を持った。
     沼を出現させた舞台も、多言は不要。ネタはまだまだあると言わんばかりで視覚的快楽を提供していた。
     大手と板垣の母娘が良い。二人と松下の規格外れの父が、不安定な三角をなし、最後に細いながら線で繋がる構成は見事。超自然の温かさを具現した婆さんという「奥の手」を借りつつ、「エトランゼ」の不穏な介在によって話が進行し、エトランゼ自身も昇華されるお伽噺。女に同行する若い男女(新井と深津)も不思議な存在感(エトランゼ感)を醸し、土着の側の役者との色合いの違いを出していたのも印象的だった。

  • 満足度★★★★

    やっと観られました
    東さんの作品は何本も観ていますが、劇団桟敷童子さんの作品としては「エトランゼ」初めてです。すみだパークスタジオも近所なのに行くのは初めてでした。役者さん達も池下重大さんと原口健太郎さんは、客演で何度が観たことありましたが、他の劇団員の方は初観で、とても新鮮でした。

    会場に入るとジャングル?確かに一般の小劇場では無いレベルの舞台で、これも劇団と会場が親密にやっているからこそできる演出なのでしょう。

    入場から退場まで、劇団員全員で案内するところもしっかりした劇団さんだともいました。

    で、お話ですが、確かに舞台も演者さんも上手いし面白かったけど、そんなに期待したほどではなかったかな。もうちょっと…って感想です。

    とは言え、次の過去作品の再演3部作も面白そうなので、とりあえずお得な先行3作品セットを購入しました。

    まだ全部行けるか分からないけど、今から楽しみです。

  • 満足度★★★★★

    熱気に包まれている。
    見るほうも、演じるほうと同じくらい高揚している。
    セットも大がかりであるが、役者はそれに負けないくらいの熱い演技をしている。一つ一つの場面が飽きることなく押し寄せてくる。圧巻であった。

  • 満足度★★★★★

    舞台に作った湖を効果的に使った密度の濃い舞台
    昨日、お気に入りの劇団の一つ桟敷童子がすみだパークスタジオで上演中の『エトランゼ』を観に出かけた。この劇団は、知り合いの役者・もりちえが所属しており、今回の公演では重要な役を担っているということと、水を多用するということで、大いに期待して出かけたのだが、なるほど、期待以上の舞台が仕上がっていた。

    山間の辺鄙な町で山の恵みを採取する女性たちの山母兵糧師、山岳信仰で様々な祈祷・お祓いをする女性・神業師、そして山主一家。彼らが生活する場に現れた不吉な湖。それを待っていたかのように村い戻ってきた兵糧師の元夫と、村を捨てた山主の長男の遺骨を持って現れたその妻とその仲間。村の人々と舞い戻ってきた者や部外者たちが、過去の思い出したくない出来事に振り回されつつも徐々に心を開いて忘れかけていた故郷というものを意識させていく。総じて話の核心は重く悲しい物なのだが、時折笑いを誘うセリフや演技で重苦しさを和らげる工夫も。その舞台に広々と設営された湖に飛び込んでびしょ濡れになりながら熱演する役者たちには拍手を贈りたい。
    個別の役者としては、舞い戻ってきた元夫に翻弄される兵糧師・彦原志乃役の板垣桃子、その娘役の大手忍、山主の長男の妻・奈緒美役のもりちえの演技には引き込まれた。また、山主役の原田健太郎や、兵糧師のマキ役川原洋子の渋い演技も光っていた。
    特に話が進むにつれて凄みを増していくもりちえの演技と湖の中での高笑いは、やや荒削りで進行が雑になりかけていた後半の脚本の欠点を吹き飛ばした感があった。

    残念だったのは、主要登場人物を含め、人物像というものの輪郭作りと、舞台全体で観客に伝えたいテーマというものがやや曖昧だったこと。

    それにしても、桟敷童子は毎回密度の濃い舞台を作り上げて感心させられる。
    10月から三ヶ月連続で上演する炭鉱三部作にも期待したい。

  • 満足度★★★★★

    こんなことが小劇場でも・・・凄い!
    舞台セットと仕掛けが好きなものにとっては堪らない!
    サスペンスを含むストーリーにもワクワクハラハラドキドキです。
    舞台セットを俳優も含め皆で作るという桟敷童子ならではの作品。
    ぜひ観ておくべき芝居。

    ネタバレBOX

    山岳信仰を基に山の神が棲む湖(たぶんカルデラ湖)に関わる話。
    山を所有する千蔵周蔵の長男ヨシヒラがこの村を出ていったまま帰らぬ人となった。
    その妻奈緒美と二人の男女がこの村に現れ、居座るようになる。
    奈緒美は死んだ夫のヨシヒラからこの村の話を細かく聞いていて、
    村の皆が隠そうとしている話を盾に村民を脅し始める。
    奈緒美の本当の狙いは何か・・・・。
    奈緒美役のもりちえが怖い!
  • 満足度★★★★★

    無題1574(15-263)
    13:00の回(晴)。

    12:15会場着、外ではなくいつも「開場待ち」で使っている部屋で受付、入ると大手さん。

    12:30開場、目の前まで樹木が迫っている舞台、その先に何があるのかは見えません。

    上手、四角い井戸(?)のようなものに水が流れ落ちています、縁には麦藁帽子がひとつ。

    13:01前説、開演~14:58終演。

    エトランゼ...異邦人、見知らぬ者...「L'Etranger(1942)」カミュの作品。
    カタカナのタイトルですが、とても和的な物語で、閉じた世界へやってくる者たちとの対立、何が目的か、何のためなのか...が神聖な場所である山に出現した大掛かりな舞台装置を十二分に活かした演出、役者さんたちのカラダを張った演技によって明らかにされます。

    ネタバレBOX

    最前列席には水よけのためビニールシートが用意されましたが大丈夫だったようです。

    新井さんは、プールのように悠々と泳いでいました。

  • 満足度★★★★★

    圧倒
    毎回、舞台美術の芸術性には驚かされますが、
    今回はもう凄いの一言。
    大量の水を使った演出にただただ圧倒されました。
    また、物語もよく、役者さんの演技に見入ってしまいました。
    この舞台を見れて良かったです。

  • 満足度★★★★★

    初見
    東作品は他の舞台ばかり見て、今回初桟敷童子。
    東作品見てると大正琴楽曲のような古賀メロディーをついついイメージしてしまう元九州人。
    70年代後半に流行したアイドル歌謡曲が陽気に聞こえる小山麓。
    山師の人たちも「あーこんなピュアでかわいらしいルックスのおばちゃんに見えないおばちゃんおったわー」と童心に返り見てしまいました。
    噂に聞いてた壮大な舞台装置も面白かった。
    客席に中高年の男性が多かったことに驚き、劇場の冷房が効き過ぎだったのは難点かな。面白かったです。約110分。

    ネタバレBOX

    山の神聖さ、不浄を忌み嫌う因習の仇、子の無邪気さ、童女のような老婆、女の挑発、正直でありたいが故の逃げ場ない思いと追い込み方に、喪黒福造の「ドーーーン!」って迫ってきそうな迫力を思い出してしまったが。その土地の田舎で暮らす人々と女の世界観が垣間見え、その図式に自分が疑似体験しておるかのような錯覚を覚えた。

    好きな男の言葉だけを生きる希望にした女の一途さに、物の怪のような感情が湧いてしまったのは「俗」の部分が勝っていたのか。結末に案外悪い人ではなかったのかも、と思った。こう考えるのはやっぱ甘いのかな。
  • 満足度★★★★★

    故郷を捨てた者の、望郷の念が溢れ出た舞台
    さすが桟敷童子、面白い。
    観て損はない。

    ネタバレBOX

    オープニングには驚かされた。
    井戸から大手忍さん演じる杏がいきなり現れたと思ったら、池下重大さんが演じる千春とともに井戸に飲み込まれた。
    大きな水しぶきとともに。
    そして手前の書き割りが左右に開いて、舞台の上に現れたのは、大きな池(湖)!
    その池から2人が水面に浮かび上がってくる。

    会場の「すみだパークスタジオ倉」の舞台のサイズは、たぶん横12、3m、奥行き7、8mぐらいではなかろうか。
    その中の4分の3ぐらいが、本水を張った池なのだ。
    こんなセットは初めて観た。
    そして、舞台の上で本当に人が泳ぐのを初めて観たのだ。

    天井から水が勢い良く流れ出し池の四方からも水が噴き出す。
    いきなりのスペクタクルである。

    毎回、桟敷童子の舞台にはスペクタクルがある。
    感情が溢れるラストシーンにそれは多く、一見外連味のように見えるのだが、そうではない。
    舞台装置やセットとともに物語を語っているのだ。
    今回はオープニングにそれがきた。

    昭和50年代の九州地方の田舎が舞台となる。
    いつもの桟敷童子がお得意の戦後・昭和の時代設定だ。

    山の幸を採ることで生計を立て、山を信仰の対象としている集落。
    山に湖が現れるときに、余所者がやって来て、集落に災いをもたらすという言い伝えがある。

    以前の桟敷童子であったら、30年前の出来事を絡めて、もっとドロドロした人間模様を描いていたと思うのだが、今回は少しだけ異なっていた。
    それは、観客にとって、今回の作品自体が、近しい存在になっていたからではないだろうか。

    妻と子どもを置いて出て行った、池下重大さんが演じる千春、そして山主の長男であったが、家を出て音不通になり、骨になって妻(もりちえさん)の手によって帰ってきた男。
    彼らは、故郷を離れ、都会に出ていた者たちの姿、あるいは想いなのではないだろうか。

    作・演出の東憲司さんは、九州の出身(作は正確には、サジギドウジとクレジットされているが)。
    彼が作った、ほとんどの舞台の上では九州の方言が話される。
    標準語は都会の言葉となる。

    彼が戯曲を書いているときには、自分が暮らした昭和の九州が頭にあるのではないだろうか。
    彼の頭の中、イメージの中にある故郷は、昭和のままで止まっていて、集落は信仰や生活や人間関係が絡まっている。
    時には、それらがそこに暮らす者たちをかんじがらめにしていたりする。

    そんな故郷は、実際にはもうない。イメージの中だけにある。

    タイトルの「エトランゼ」は、異邦人、見知らぬ人という意味のフランス語。
    あえて日本語のタイトルにしなかったところにも、故郷を離れた者の中に湧き起こる、違和感を感じさせる。

    故郷を捨てた者は、もうその場所の住民ではない。
    だから、そこには「異邦人」となって戻るしかないのだ。

    死を間近にした千春と、死んでも戻りたかった山主の長男の、捨てたはずの故郷への強い気持ちは、ほかの故郷を捨てた者たちと同じだろう。
    彼らにとって、今やイメージの中だけになってしまった故郷は、いつかは帰りたいと願う場所であり、心のアンカー、最後の心の拠り所になっているのではないだろうか。

    この作品は、そんな東さんの想いであり、そのことによって、故郷を捨ててきた者の気持ちをトレースしているのではないだろうか。

    舞台の上では、山の中に幻の湖が出来る。
    それは、故郷を捨てた者の胸に、あるときふいに湧いてきてしまう望郷の念のことではないだろうか。
    溢れて溢れて、大きな湖になってしまうようなモノだ。
    だから望郷の念の湖が現れたときに、かつてそこに暮らした彼らが、「異邦人」となって現れるのだ。

    この舞台では、故郷を訪れた千春はまた去り、長男の嫁も去る。
    骨になった長男だけが、残ることができる。
    つまり、故郷を捨てた者が、故郷に帰ることができるのは、魂だけだ、というラストではなかったのか。
    故郷はイメージの中にしかないから。

    作・演出の東憲司さんは、戯曲を書くたびに、そうした自らの胸に湧き出る水(故郷への想い)を綴っているのかもしれない。

    今回の作品は、いつもに増して群像劇の印象が強い。
    軸になるような主人公的な、絶対的なキャラクターを立てていなかったようだ。
    と言うより、登場人物1人ひとりの書き込みが丁寧で深さがある。
    台詞が、物語を進めるためにあるのではなく、自分を、そして他者を語っている。
    つまり、それぞれのキャラクター設定と台詞が自分自身を立たせるだけでなく、周囲の登場人物を立たせる役割がきちんとしている。

    笑いも結構ある。いい感じの笑いだ。
    集落の人たちの関係がとてもいいことを示しているようだ。
    そこには、反目し合う村人たちという図式はなく、板垣桃子さん演じる志乃を、みんなで助けようとしたりする。

    敵役は、もりちえさん演じる奈緒美だ。
    彼女は、結構恐い。
    数を数えるところや「家族のように暮らしていた」に、洗脳を思わせる。
    なかなかの迫力だ。
    ラストのずぶ濡れのシーンも、彼女が大きく見える。
    そして、すべてが終わったあとの彼女の表情が素晴らしい。
    そこまでのキツさが一気に解けたような表情を湖の中で見せる。

    山の神官のような神業師を演じた外山博美さんも、変に笑いに走らせることなく(笑いのシーンは多いが、笑わせるようとしすぎない)、ちょっと達観しているところと、下世話さがいい塩梅にミックスされていたと思う。それは、脇の役だが台詞の量がそれなりにあることから、彼女を描け、演じることができたからではないだろうか。
    山母兵糧師のリーダー・秀代を演じた山本あさみさんは、落ち着きがあり、懐の深さを感じさせる女性をうまく演じていた。
    山主を演じた原口健太郎さんも、いつもの感じで手堅くいい味。
    チカを演じた新井結香さんの、不思議ちゃんから、ラストにかけてのほぐれ具合もいい。

    今回も客入れのときに劇団員総出のスタッフワーク、ラストのお見送りまで、手抜きなしのホスピタリティが素晴らしい。
  • 満足度★★★★★

    サービス精神に頭が下がります
    ここの役者さんは開演前の出迎え、ずぶぬれになっての渾身の演技、そして早着替え、と皆さんフル回転されていて、そのサービス精神に本当に頭が下がります。加えて初日を迎えるまでの舞台セットの製作にも相当な苦労があったと察します。その甲斐あって素晴らしい舞台に仕上がっていて最後まで楽しむことができました。

  • 満足度★★★★★

    桟敷童子ワールドは健在
    相変わらずスペクタクル感が凄い!とても解かりやすい対立構造で目新しさは多くないが、それでもやっぱり満足度高し。
    夏休み期間なのに若い人の姿が少なく、空席が目立ったので本当に勿体ない。

  • 満足度★★★★★

    躍動する空間
    間違いない脚本・演出。
    そして役者の演技。

    桟敷童子の公演(並びに東憲司作品)はハズシが無い。

    今作では劇空間を創出する装置に驚きました。
    役者の演技もよかった。

    ただし、今まで私が観てきたものでは、作品が問いかけてくるものが、
    今現在の社会状況、もしくはそこで生きる私の生の深い部分に強烈な印象を残してきたましたが、そうい意味では、この作品と現代社会、または私の生の実存との接点が見出せませんでした。
     それは私の感受性・知性が不足しているためか、作品によるものかはわかりません。そもそも私が「意味という病」に憑りつかれているだけかもしれませんが。

    ネタバレBOX

    武塚千春役の池下重大さんが元ヤクザには全く見えないんだけれども、そんな前提を越えてなんだかとても良かった。

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