博多千年まんじゅうの旅/ななつ星号の冒険 公演情報 博多千年まんじゅうの旅/ななつ星号の冒険」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 1.8
1-4件 / 4件中
  • 満足度★★★

    クリスマスイブイブで
    今年最後の観劇を楽しんだ。
    チケットを買い損ねていたのでかなり後方の席だったけど、
    そう観にくいことはなかった。
    ななつ星はこないだ見れなかったので良かったな。

    ネタバレBOX

    福岡に住んでいても知らないことがたくさんだなと思う。
    大きな目標より先に目の前の目標だな。
    ギンギラは初めて観た頃のイメージが強いので
    どうしてもそのときと比べてしまうけど、
    やっぱり楽しいのでいろいろ誘って知り合いと観ることが多いかな。
  • 満足度

    余興ならまだしも
     「シリーズ第一弾」と銘打っているからには、観ておかないと次作との繋がりが分からなくなるかもと思って観てみたのだが、残念ながらpart2を期待させる要素を見出せなかった。
     博多銘菓や列車・駅舎などが擬人化された「かぶりもの」で表現されるのはギンギラ太陽'sの定番。ここで好き嫌いが分かれてしまえば、人によって面白さを感じる度合いも違ってくるだろう。以前はチープなところもまた味わい、といった好意的な見方もしていたが、今回のように、役者の演技が宴会の余興レベルにまで堕してしまっていては話にならない。
     お客さんがそれなりに受けているように見えるのは殆どラポール現象だ。それもまた「演劇の在り方の一つ」と言われればそれまでだが、仮にも福岡を代表する「劇団」として一定の評価も得ているのに、常連さんに「受けてもらって」悦に入っている状況は情けないのにもほどがあるのではないか。
     お客さんが「協力」してくれるから、底の浅いパロディにも笑いが起きはするが、「子供騙しの手品」に乗せられてあげる義理のない人間にとっては、何の感興も起きない。脚本家がドラマツルギーを理解していないから、短編なのに後半は退屈さが弥増してくる。イチゲンさんには到底お勧めしがたい内容だ。
     「福岡の宣伝隊」を自称されているようだから、駅前広場で無料公演すればいいんじゃないかな。どう考えても普通の客には3,500円を払って満足できるレベルの芝居ではない。「ドラマとしての演劇」を期待して木戸銭払って観るお客にしてみれば「何じゃこりゃ」な出来でしかないのだ。

    ネタバレBOX

     ネットの感想を散策してみると、概ね好評である。絶賛に近いと言ってもいい。ところがそれらの批評が全くあてにならないのは、実際に舞台を観てみれば判明する。
     確かに、客席に笑いは起きている。善悪二つの心に引き裂かれた紅白饅頭を一人二役で演じる中村雪絵は、向かって右半身が赤、左半身が白で、向きを変えるたびにキャラが変わる定番のギャグで客席の爆笑を誘っているし、出落ちの音楽で現れるひよこ侍(ギンギラのレギュラーキャラで、今回は壊れやすいひよこサブレ侍から頑丈なひよこ侍へと二弾変身を遂げる)の大城真和も拍手喝采を受ける。
     ところが演出の大塚ムネトは、これらのギャグを執拗なほどに繰り返す。そしてそのたびに笑いが沈静化していくのだ。そりゃそうだろう。同じギャグが一つの芝居の中で繰り返されれば観客は確実に飽きる。最初の笑いが7くらいだったとすれば、最後は3くらいに落ちてしまっている。
     ヒーローがBGMを背負って登場するのは『遠山の金さん』でも『暴れん坊将軍』でもクライマックスと決まっているのに、ひよこ侍(ほかの助っ人キャラも含めて)は、中盤から二度も三度も登場する。客席はだんだん白けていく。
     蟻のサラリーマンたちが「蟻のままでー」と歌うパロディも一部にしか受けていない。それもそうだろう。もうこのギャグはネットでも演劇でも何度も繰り返されていて(鴻上尚史も『朝日のような夕日をつれて2014』でやってた)、「旬を過ぎている」。大塚ムネトのギャグセンスのなさはここでも露呈してしまっている。
     この確実に引いたり白けたりしている状況を、本作を絶賛しているネット住民(殆どが福岡の演劇人、つまり「関係者」だ)は、意図的にか無意識的にか無視しているのだ。もちろん大塚ムネト自身も。
     ルーティーンのギャグはエスカレーションを必要とする。そうでなければ受けない。それはギャグの基本なのだが、それを大塚ムネトは習得していない。繰り返しのギャグを思いつかないのなら、他の種類のギャグをもっと詰め込む必要があるが、基本、かぶりものの出落ちギャグしかない大塚ムネトには、そこまでの引き出しがない。そのために後半、ドラマの勢いはどんどん失速していくのである。
     はっきり言って、どの銘菓が勝とうが敗けようがどうでもよくなっていくんだよね。ネットには「演劇として面白い」という感想も見受けられたが、いったいどこがなんだ。そりゃあ舞台に大根を置こうとハムを置こうと「これは演劇です」と言い張ることは可能だが、それは普通の客が期待する演劇ではない。「ドラマ」を演出したものとしての演劇はギンギラからは失われてしまっているのである。

     もっともギンギラは福岡・博多の宣伝ができればいいんだろうから、文句を付けたって仕方がないんだが、福岡の歴史を知りたければ、本を読んだ方が早いので、私は今後はそうします。
     一時間半で情報をちょこっとつまみ食いしたい人だけ、シリーズを観続けていればいいと思います。それに毎回3,500円を支払うとは何てお大尽なんだと思いますが。
  • 満足度★★

    ためになった
    博多の歴史、JR九州の成り立ちを知ることができてためになる芝居だった。
    が、それ以上でもそれ以下でもない。
    小学校の課外授業であったならまあ納得だが、演劇的に楽しいのかと言われれば疑問符が付く。
    菓子たちの話には必然性・整合性をあまり感じられなかったので、見ていても楽しくはなかった。
    博多・天神の宣伝部隊というなら博多以外で宣伝を行った方がいいと思うのだが。

  • 満足度

    負け組を揶揄する冷たい姿勢
    久しぶりに観たギンギラ太陽’sの舞台はゴチャゴチャと雑駁で、舞台の質は明らかに低下していた。
    勝ち組を持ち上げ負け組を揶揄する姿勢に疑問を感じた。

    詳細は、演劇感想サイト「福岡演劇の今」 http://f-e-now.ciao.jp/ に書いています。

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