死刑執行人 〜山田浅右衛門とサンソン〜 公演情報 死刑執行人 〜山田浅右衛門とサンソン〜」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.9
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  • 満足度★★★

    重めながらも
    実在した死刑執行人の話に現在の死刑執行人(刑務官)の姿を重ねた物語かな。最初世界観に入りきれない感はあったが、死刑執行人達の苦悩の描きかたはなかなか上手く、重めのテーマながらよい感じに仕上がってた。

  • 満足度★★★★

    月並みだが、面白かった
    大括りにいえば、フランスと日本・江戸時代/明治初期および現代の死刑執行人に関わる人間の苦悩といった話だろうか。日本に死刑制度がある以上、直接か間接かの違いはあるが、その執行に携わる人間がいることには違いない。
    この公演を通して「死刑制度」そのものの是非を問うには材料が不足している。まぁ、観客がどう感じ思い描くかは勝手であるが…それほど強いメッセージを発していたか疑問である。
    家制度における死刑執行人は世襲であり、その役割(罪人の処刑)こそが自分も含めた一族の「生きる」道だった、という皮肉な話である。現代における問題は「家」という世襲から、個人と家族の悩みとして描かれていた。この公演は、多面的・深耕的な問題提起をしているようだが、芝居としてはわかり易い見せ方になっていたと思う。特に、フランスと日本という国の違いや時代の切り替え演出には、暗転だけでなく、ダンスパフォーマンスを取り入れ魅せる工夫をしていることに好感を持った。
    観客が思い、考えるという芝居の醍醐味が感じられ、十分楽しませてもらった。
    なお、些細ではあるが疑問も…。

    ネタバレBOX

    なぜ、フランスのサンソン、日本の山田浅右衛門の両方を取り入れたのだろうか。もし「死刑執行人」=「死刑制度」に対する問題提起であるならば、あえて日本における時代比較(幕末・現代)でも十分に説明できると思う。
    説明に「ことの是非を声高に問うことは芝居にはあまり向きません。」と記しているのだから。
    また、公演タイトルの「死刑執行人~」という表現は、少なくとも現代における職業・刑務官にはそぐわないのではないか。職業観と人間倫理が混同した捉え方になっているように思う。死刑の執行をする人間の苦悩が、ギロチンという機械の導入で精神的に緩和したのだろうか。そのことが、現代日本の刑務官の気持に繋がるかが疑問として残った。

    今後の公演にも期待しております。
  • 満足度★★★★

    長い芝居は嫌われる。
    なんてことを劇中で言われたり客席いじりされてましたが、
    2時間越えのこの作品、長いなあーとは感じませんでした。

    過去の2人について知らなかったから、というのもあるでしょうか
    3つの物語を合わせてよりも1つ1つを90分程度の単独作品として観たかった気持ちもありました。
    特に現代の、奥さんの過去のエピソード、父と娘の物語を。

    今、実際にそういう仕事に就いている方がいるわけですが、
    どうなんでしょうねその時のその心中は。

  • 満足度★★★

    そのテーマについて話すべきなのでしょうけれど
    そのテーマについて話すべきなのでしょうけど、芝居の部分について。

    自分にはどうしても芝居が古臭く観えてしまった。

    これだけテーマの比重が大きい作品は、出来るだけストレートに余計な要素を排除する必用があると自分は思います。

    ネタバレBOX

    芝居なのだからどれだけ嘘があってもいいと思うのですが、どこを虚構とするのかもっと選り分けが洗練された方が良かった様に感じた。
    三時代ありましたが衣装が中途半端であったりとか、余計なアイテムを使っていたりとか(ピコピコハンマーとか)

    階段を組み上げて人で支えていましたが、観ていて危ないとしか思えず。
    もっとしっかり作るか、使わない選択もあったのではないかと。
  • 満足度★★★

    観劇の感想です.
    日頃死刑執行人に付いては,考えるきっかけはないのです。元公儀介錯人、拝一刀が一番近い(私にとって)そんなことを思いながら興味深く観ることが出来ました.人がいやがる仕事をしてくれている人がこの世には存在している.仕事は望んで着く部分もあるとは思いますが,そこに至る道は自分の親、環境など運命の道筋と言うか,あらがえない部分があること。そうなのだろうな.と理解できました.そこでどう生きるか,刑務官の宣言は矛盾していてどうしたらいいのかなと思いますが,宣言したことに意義があるんだなと思いました.踏み出す為には明らかにしないといけないですね.
    私はラストの部分は劇団の特色なのかとは思いましたが,階段のシーンのかっこいいところで終わっても良かったのかなと思いました.

  • 満足度★★★★

    取り組みは好き。
    面白い演出も見受けられて良かったが、内容に違和感を覚えたのは、別に書かれている方の指摘があるからなんでしょうか。ヤングジャンプのイノサンを読んでるのでそちらの印象は強い。時代と国が違うので繋ぎが難しく感じたのもあるが、こういう試みは好きです。動画でも死刑や人が死ぬのは見れるが、どのくらいの役者が見たのだろう。死刑云々を問う場面自体はなくて良いと私は思います。感じて思うのは観客そのものなのだから。

  • 満足度★★★★★

    ”投げかけ”をしてくれる作品
     「イスラム国」の事件の期限の日、観劇を迷ったけど、観てよかったです。

    <戦争>も<死刑>も、そして<テロ>勿論<犯罪>も、人が人を亡き者にするという行為に変わりがない。
    『戦争は英雄で、犯罪は死刑囚』この矛盾する構図は<法>という制度を作った人間の共同体がもたらした価値観の破たんである。

    ともすると<死刑反対を訴える作品>と取られるようだが、私はそうは思わなかった。

    「死刑執行人」の苦しみを<権力者>と称される人間は味わった上で<人殺し>の決断を下しているのか?
    <国益>という名のもとに、命令を下しているだけではないのか。

    様様な憤りと不信を喚起される作品でした。

    多くの人々に観て・感じて欲しい作品でした。

    ネタバレBOX

    オスプレイの効果音が、この作品の主題を象徴しているのだなと感じました。
    非常に明確で且つ巧い手法だと思いました。

    演者のまっすぐさも好感が持てました。

    セットのシンプルながら効果的な空間設計にも感心しました。
    (緞帳替わりの文字に劇中スポットのハレが漏れるのが気になりましたが)

    パン屋が絞首台につく象徴的な展開はシュールで良いですね。

    「生きる」という事も逆説的に説いている事が作品の深みになっていますね。
  • 満足度★★★★

    今のこと
    当日パンフレットに目を通すと今のことが主眼だということが分かりましたが、ちょっとネタバレに近い踏み込み過ぎだと思いました。

    ネタバレBOX

    死刑を執行する東西、過去現在の人たちを描きながら、彼らの苦悩などを通して死刑廃止を訴える話。

    昔が世襲だったというのは分かりますが、今も他人にやらせるのは忍びないという理由で刑務官が自分の子に刑務官への就職を勧めるというのが印象的でした。また、若い刑務官が先輩刑務官の娘と結婚していましたが、もしそうなら今も世襲が行われているのと同じじゃないか、そんなに狭い特殊な世界なのかと驚きました。本当にそういう傾向が強いのか、パーセントなどが気になりました。

    死刑廃止には賛成ですが、刑務官の苦痛を通して論ずるのは少し強引ではないかと思いました。

    それにしても、死刑囚が執行時に暴れて刑務員が怪我をすることがあるなどとは思ってもみませんでした。てっきり飲み屋で喧嘩して怪我したのだとばかり思っていたのでショックでした。でも考えてみれば死を目前にしたら暴れるのも当然ですね。バタンコがばたんとなった後、ロープの揺れが長く続くのも目に焼き付きました。
  • 満足度★★★★★

    「死刑執行人」を通して見えたもの
    鑑賞後、一夜明けて心にのこったのは死刑執行の是非ではなく、自分が関わることの出来る人生の課題についてこれからどう向かい合っていくか?どう考えていくか?ちゃんと考えていこう、という前向きな気持ちだった。国という枠組み、時代によってかわる正義、人が人を裁くということ、親から子へと受け継がれていくもの、死の意味、そして生きるということの意味、などなど。
    随所に散りばめられた現代の風刺ともとれる注意喚起がピリリとして、その痛みが心地よくもあった。

    劇そのものの出来は初日のぎこちなさもあり、★3.5かな?というところだが、最終的にのこしていただいたもの、良いきっかけを頂いたことへの感謝の気持ちで+1.5の★5とさせていただく。作っている方々は死刑反対団体ではないだろうから、おそらく様々な思いを込めていることが考えられ、少しでもそれらを受け取ることが出来たなら幸いである。千秋楽にもう一度観に行く予定なので、どう完成されているかが今から楽しみだ。

    ネタバレBOX

    前半で一気に物語の世界に引き込んでくれたパン屋さんがお亡くなりになったことが、なんだか無性に悲しかった。
  • 満足度★★★★

    刑務官ー父から子へ
    現在の刑務官のシーンが印象的でした。
    その職業は、一般に開放されているとはいえ、どこの国でも、いつの時代も世襲が多いようだ。
    麻痺してしまうのだろうか、今現実に死刑執行をする刑務官が存在しているんは事実だ。
    それとは別によく映画で見られる刑務官の悪態ぶりはないのであろうか、その辺も突っ込んでほしかった。

    ネタバレBOX

    特別手当2万円。子供が欲しいものを母親に強請ると決まって、「少し待ってね」の返答。その意味が分かった子供は確かにショックだろう。
    でも汚いお金ではないと思う。
    劇中の台詞にも出てきたが、間違いなく極悪非道の犯人には、死刑執行のボタン押しを希望があれば被害者にやらせてもいいのでは?と個人的に思っている。それでも気が晴れるとは思わないが・・・。
  • 満足度★★★★

    玄人向け
    他の方の感想を見ても長文が多く深く考えて観ていらっしゃる方が多い作品なのかと感じました。

  • 満足度★★★★

    「自分の職業は人殺しなんだ」と認めること
    奇しくも日本人2名が異国の地で執行人とともに「死」の瀬戸際にいるニュースが報じられるなか1月21日の初演を観た。革命前フランス・パリの死刑執行人・サンソン一族、江戸時代の死刑執行人・山田浅右衛門、現代の法務省矯正局刑務官・オヤマダタダシ。「職業は人殺し」が共通点である彼らを通してとてもよく描かれているなと思ったのは「葛藤」だ。登場人物たちが殺すのは基本的に「罪人」で、時の権力者や社会システムから「殺人行為」の承認を受けているのに、やはり人を殺すことは周りの人間から"そういう目"で見られることから免れないんだなということがヒシヒシと伝わってくる。

    死刑が良いか悪いか。死刑を廃止すべき存続させるべきか。ではなく殺人を職業とするということはどういうことなのか。人間が文明を起こして以来、脈々と続いてきた社会的な役割に就いた人々が感じた「心の内」を描き出し「あなたはどう思う?」と問いを投げかけることで、観客の心のなかにモヤモヤを生もうという脚本家兼演出家の仕掛けにまんまとはまってしまった自分がちょっと悔しい。

    ネタバレBOX

    そしてそのモヤモヤをラストで氷解させるの見事。最後の場面、現代の刑務官「オヤマダタダシ」はある決意を口にする。それがまたいい。彼は「えっ?」と思うほど当たり前のことをいう。でもその言葉は現代の死刑執行人としては「職業」を辞めるという意思にしか聞こえない。だけど、それでもなお彼の職業は刑務官なのだ。

    「えっ?当たり前でしょう」と思う人もいるかもしれない。でもこう考えて見て欲しい。江戸の死刑執行人・山田浅右衛門は技を磨く。頭を支え骨の通った分厚い人の首をはねるというのはかなりの技量を要するので、罪人が苦しまず首を落としてやるためには訓練が必要だ。この訓練をしたことで人殺しである自分を職業人・社会人として認めることができた。

    山田浅右衛門が技を磨いて「人殺し」を仕事へと変えたように、刑務官・オヤマダタダシもその決意を口にし刑務官であり続けることで「人を殺す社会人」としての覚悟を持って生きることを表明したのではないか。

    ちょっと深読みし過ぎたかもしれない。でもこれくらい考えてしまうおもしろい芝居だったということは声を大にして言っておこう。
  • 満足度★★★

    本当にそうだろうか?
    普段はほとんど取り上げられることのない執行人の心情や苦悩を描いた点で目新しさと意欲は買えるが、現代の執行人の心情はもっとドライなものではないか? 実際には何人かの執行団で心理的負担が分配される訳だし、名前が公開される訳でもないし、大臣の執行決定に従って任務を全うしているだけなのだから。仕事や任務ということになると人間的な感情が抑えられることは理解できる方も多いはずです(「屠殺」がその一例)。

    それよりは死刑をジャッジした裁判官や裁判員、執行を指示した法務大臣、死刑囚の被害者遺族などの心情の方がもっと重く複雑ではないだろうか。むしろそちらを主題にストーリーを組み立てていただいた方が死刑という問題をもっと深く見つめることができたと思う。

    さらに昔の執行人に関して言えば、武士や騎士など戦いを生業に「死」に隣接して生きている人々であり、また罪人に対する恨み憎しみに加え、生きるのに精いっぱいという時代背景も重なって、執行にあたっての苦悩や心理的重圧はそれほどでもないのでは?と考えてしまった。少なくともそのような重圧を感じない人が執行を引き受けたはずだ。

    相当綿密に調べ尽くされた上で作り込まれたようなので、このような観方は正しくないのかも知れないが、自分の尺度では疑問に思うところも多く、描かれる世界にどっぷり浸ることができなかった。

  • 満足度★★★★

    オスプレイの飛行高度
    いくつか指摘しておくべき点がある。先ず、リーフレットに書いてあることから。山上たつひこ「がきデカ」に関して記している文で「国家」への「信頼」が、まだまだ揺るぎない時代でもあったように思う。とあるのだが、山上は、「がきデカ」の前に「喜劇新日本思想体系」を描いており、その前には、「光る風」を描いていて、この作品で弾圧を喰らったという話が、当時流れていた。結果、彼は、国家をおちょくる路線に転じた、と観た方が自然なように思う。

    ネタバレBOX

     
      国家への信頼なんぞ、この国の民衆のしっかりした部分が持つ訳は無かろう。百歩譲って、敗戦で一応、精算されたと見做したとしても、少なくとも砂川事件で最高裁が、当時駐日米大使であったダグラス・マッカーサー2世からの指示で法を蔑ろにし、自ら憲法も、法の独立性も裏切って以来、法的にも完全に崩壊している。それ以前に、吉田 茂が、1951年9月8日、旧安保条約を米第六軍司令部の下士館クラブで調印したこと、更に現在の地位協定に引き継がれた行政協定は、1952年2月28日東京の外務省庁舎でひっそり結ばれた時点で、政治的には完全に終わっている。
      また、オスプレイの最低飛行高度について、刑務官が喋るくだりでは、航空法の規定通り最低飛行高度150mが述べられるが、オスプレイの飛行高度に関しては、完全な誤りである。劇作家協会プログラムと銘打った公演でこのような誤ちは、悪くとれば、情報操作の誹りを免れない。
    何故なら、日米地位協定によって、航空法第六章の規定は適用除外となっているからである。更に言うならば、米軍発表は“平均”150mで超低空飛行をするとなっていて、2010年3月の米海兵隊訓練マニュアルによれば、オスプレイには最低高度60mでの訓練が求められているのである。(これらの資料は、「日米地位協定入門」p.6~7、p.42~43、p122~123などから引かせて頂いた。)
    さて、本題に入ろう。今作の評価である。描かれている死刑執行者は、首切り浅と呼ばれた山田 浅右衛門、ムッシュ・ド・パリと呼ばれたサンソン、そして無名性を特徴とする現代日本の刑務官らである。
    一応、名前と綽名がある前2系統の流れは、己が主体性の下に罪人を処刑する。と同時に社会からは忌み嫌われる処刑者としての有象無象を背負わされてもゆくのであるが、社会機構の一部として機能する己の職分から来る苦悩と差別を社会的位置の問題として捉える視座を保つことができ、その責任の在り様を自覚することができる。即ち、アイデンティティーレベルでの不如意は、軽減されている。
    また、社会的にも独自の保証が為されている。(金銭面や、社会的地位という面で)然るに、刑務官の場合は、死刑囚を誰が殺したのか分からないようになっている為、刑務官は、自分が人を殺したという確証すら持てない。位の高い連中は、裁判官にせよ、法相にせよ、命令するだけで実際に自らが他人を殺す訳ではない。従って殺人を犯したという後戻りできない罪の感覚からかなりの距離を保つことが出来る。然し乍ら、最低辺で死刑を実行させられる刑務官は、実際に死刑囚を自分が殺したかもしれない、という可能性とそれに纏わる想像力によって自らの精神を苛まれるのであれば、最も、残虐な目に遭っているのは、刑務官だと判断した。また、上位にある者ほど、その苦しみから縁遠いシステムを構築し、汚れ仕事は総て下の者に押し付けて綺麗事を抜かす現代日本の為政者、支配層の下劣極まるテクニックと底意地の悪さに反吐の出るような実態を暴いた点を評価したい。

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