刈り取った恥部をマンホールに詰める=殺人事件 公演情報 刈り取った恥部をマンホールに詰める=殺人事件」の観てきた!クチコミ一覧

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  • 迎合主義という名のディフォルメ化
    タイトルに惹かれた。
    たぶん、この劇団だから観にきた人も、私と同じくタイトルに惹かれて観にきた人も、「下ネタ」を思い浮かべたはず。しかし、「刈り取った恥部」のタイトルだからこそ、それを裏切る舞台だろうな、とは事前に把握していた。

    ネタバレBOX

    現代社会を 生きる日本人にとっての「恥部」は、紛れもなく、第二次世界大戦の敗戦国、日本だろう。この「恥ずかしさ」は 勝手な考えでは ない。
    国際社会の礎である国連憲章においても、「旧敵国条項」(107条)が削除されない事実。日本が 条項削除を求めたところで同盟国•アメリカも拒絶するだけだ。
    国連の公式言語は何語か…。英語(イギリス、アメリカ)、フランス語、ロシア語、中国語の4言語である。連合国の主要メンバーだということが お分かりになると思う。
    「そもそも国際連合は英語で記すと、The United Nationsだ。これは第二次世界大戦中の連合国という意味だ。戦後、日本の外務官僚は、国際連合があたかも公平公正な機関であると見せかけようとして、連合国と異なる意訳をあえてした〜略」(SAPIO 2013年3月30日号)

    国益第一の立場からすれば、日本人自身の議論で「対米戦中の政治指導者は国を滅ぼした責任を負う」という答えを導くべきたが、残念ながら国際社会の中の総意として「恥部」である。これは、賛同するか、否定するか、の二者択一ではなく、私たちには どうしようもできない現実だ。

    本作は「恥部」を 盗み出す、すなわち「恥部泥棒」なる集団が出現する。この「恥部泥棒」なるものが、歴史認識や領土紛争で対立し、反権力のタブロイド紙が 争いを盛り立てている中国•韓国に 他ならない。
    「恥部」は欲望そのものらしい。戦中の軍事国家•日本を領土拡張に置き換えたとすれば、まさしく今の中国政府、韓国政府は泥棒だろう。
    こう例えたら私は違和感があるのだが、作演出の京極周氏の見方に立って考えてみた。(あくまで私の推論である)

    「正直な作品を つくろうとした結果
    壮絶な自己嫌悪との闘いになりました。
    そんなことは客席の皆様には関係ないかもしれませんが
    僕はおそらく現代における平均的な人間と言ってもいいので
    共感してくれる方も多いでしょう。
    それを期待すると同時に、そのことに失望してる自分がいます」(挨拶文より)


    「そのことに失望してる自分がいます」の末文が控えめな演説である。

    実は本作ラスト、「恥部」を刈り取られた男女の住む施設の「所長」が、「だって、(恥部が)あるのに ないない 言うから取ってやった」という趣旨の台詞を吐いている。ズバリこの所長こそアメリカである。
    喫茶店のテーブルに、まるでヤルタ会談の連合国首脳のごとく集まった「恥部泥棒」(中国、韓国)、「所長」(アメリカ)、「雑誌記者」(マスメディア)の三者。「所長」が「恥部泥棒」と結託し、裏で提供していた…。
    中盤には「恥部泥棒」を 倒すため、刈り取られた男女が武装するシーンさえ あった。

    こうした構図は、国際社会を深読みすれば理解できるものではない。しかし、改めて日本を取り巻く現実を見回そう。
    国連憲章107条の「旧敵国条項」は残り、国連予算の拠出金を全加盟国中、二番目に負担している日本が非常任理事国すら何度も落選した現実を。米中が戦後秩序を捨ててまで戦争するのか。核戦争が勃発してまで アメリカは日米安保条約を 守るのか。

    繰り返しになるが、本作は「恥部」の単語こそ連発されたものの「下ネタ」は ほぼ なかった。言い方も学術的だ。
    だから作演出の京極周氏に対する「不謹慎だ!」も 言い過ぎの批判。むしろ象徴的な意味合いとして捉えるべきだと思う。


    多くの観客は本作を「現代社会における若者像」を映像や、ロボットダンス交え描いた作品だと考えたのではないか。「恥部」も、草食系男子や肉食系女子の新しい形を描く装置だと…。

    だが、それでは「失望してる自分がいます」の意味が不明である。
    実態は、かなり踏み込んだ、今日のメディア、政府、大衆、若者への痛烈な迎合主義だろう。

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