韓国新人劇作家シリーズ第二弾 公演情報 韓国新人劇作家シリーズ第二弾」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
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  • 満足度★★★★

    『ピクニック』・『罠』の回
    アフタートークで興味深い話を聞きました。

    ネタバレBOX

    『ピクニック』( キム・ヒョンジョン作 金世一翻訳・演出)
    母親の認知症が始まりだした頃に母親と娘と孫の三人でピクニックに行き、子供を母親に任せた間に子供が海に転落して死んだ過去を持つ母娘の日常。

    部屋を汚物で汚し、汚い言葉で娘を罵りながら、一方で海に真っ逆さまに落ちたことを母体回帰と捉え、もうすぐ娘の体内から生まれてくると思い込み、編み物に勤しむ母親の言動は、娘として心身ともに苦痛だろうと思います。ビニールシートがリアルでした。

    『罠』 (ホ・ジンウォン作 金世一翻訳 鈴木アツト演出)
    昨日売ったカメラの交換のことで粘着質の客ともめたカメラ店の話。

    ゴネ得韓国人の話かと思っていましたが、白いカメラを買ったつもりが黒いカメラだったということで当初の客の申し出は正当でした。いくら変な客でもそのくらいさっさと言えよって感じです。

    カウンターをぐるぐる移動させながら、客と店員、店長、途中からは警官も加わっての見せ位置を変える演出は、スピード感と力学が感じられ良かったと思います。

    相手の揚げ足を取って、立場が二転三転するところが絶妙でしたが、終わり方は中途半端でした。

    アフタートークでの、韓国では新聞社の主催するコンクールで賞を取らないと、いつまで経っても小説家や脚本家の卵扱いをされるというキム・ヒョンジョンさんの話は興味深かったです。

    彼女は、『ピクニック』で現在と過去を演じ分けていることをお客さんが理解できるだろうかと心配していたのも印象的でした。もちろん演出は彼女ではなく金世一さんなのですが、過去のときの衣裳が白一色だったのは現在と過去とをことさら区別しようとした現れだったのかと思い至りました。

    今の日本ではそんなことを気にするような人はいませんが、お客様の一人から、日本でも昔は過去を演じる前に10分間の休憩を取っていたという話があって、昔はそこまで説明的だったのかと驚かされました。

    日本語に訳すとバカヤローなどとしかならないのですが、韓国語には悪口が数多くあって翻訳者泣かせだという金世一さんの話も面白かったです。で、『ピクニック』では、母親の使う様々な悪口が評判になったとのことでしたが、それも大きいんじゃないのという気もしました。
  • 満足度★★★★★

    変身(三作目)
     韓国もTPP参加の報があったが、IMFに食い物にされたり、厳しい経済状況の中でも対中、対北を睨んでの政治・軍事状況が生活に影響を与える中で、未だ分断されたままの民族が負う厳しい現実を、先ずは見ておく必要があろう。

    ネタバレBOX

     そして、そのつけを払わされるのが、最も弱い層で在る事実も看過すべきではない。今作で何度も出てくる「真面目で正直な者が、変身する」という行き場のない鬱屈が、女性作家によって表現され、女性演出家によって演出されているのも偶然ではあるまい。
     つまり“変身”は、努力しても報われることの無い、真面目な庶民の逃亡願望の喩なのだ。参考までに言っておくと、ノーム・チョムスキーも指摘している通り、IMFの実体は、アメリカ財務省の出先機関そのものだし、世銀にしても、多くの良心的識者の指摘する通りIMFと協同で欧米の利益拡大の為に動いていることは、これまた常識である。その時、弱い立場に置かれる者こそ、紛争を抱える現場の民衆なのであるから、逃げ出したくなるのは当然だろう。力の無い、真面目な庶民に他のどんな方法があるというのか? 自殺以外に。その自殺も宗教的に禁じられている場合には、今作で表されているような形以外にどんな方法があり得るというのだろうか? まして、韓国の場合、現在の日本より遥かに体面を重んじる社会であるならば、今作のように不条理演劇として表現するのが、最も合理的な表現手段と言えるのではあるまいか?
  • 満足度★★★★★

    メタ演劇
     上演回によって、演目が異なるので、よく確認のこと。

    ネタバレBOX

    罠 
     閉店間際に飛び込んで来た偏執狂的な客と量販店のカメラ売り場店員、店長、警官を巻き込んでのファルス。客の職業は弁護士だが、デートの約束がある女店員を相手に、来店の目的を一言、箱の表記と中味が異なるので交換に来た、と言えば済むものを、交換に来た、とだけ言うものだから、店員は、当然、商品に不具合があるものと考えて、その点について質すと、言い方に難癖をつける、人権問題だと食って掛かる、おまけにパソコンで確かに、この客が、昨日、この店で、この商品を買ったことなどを確かめただけなのに、48回分割払いにしたことについて、個人情報収集に当たるのでは云々を言いだす。総てが、こんな調子なので、偶々、戻って来た店長と対応するが、一々、文句をつける態度は変わらない。終に堪りかねて警察に連絡、警官が来るが、、その時、強盗だ、と言って警官を呼んだことに対する抗議は延々と続き、20時少し前に来た客は0時を回り、朝を迎えるかも知れない状況で、互いのバトルが繰り広げられる。店側の反撃は、客が店長と女店員の写真を撮ったことを肖像権の侵害、と言う、それに対して客は、客が、カメラテストの為に、撮影をしたからと言って店員の肖像権が成立するのか、と反論する。或いは女店員に対するセクハラ容疑写真についても、幕切れで反論を始める。
     この作品の基本はファルスなのだが、受賞作となった原因は、このラストが、ホラーに転化し得ているからだろう。余りにもくどい、店員たちへの顧慮等一切ない、偏執狂的言質で、一般人を追い詰めてゆく弁護士より、観客は、店員たち、警官を気の毒に思って観ている。つまり観客のメンタリティーは、一般人に同情的なのである。だが、その彼らが漸く手にしたかに思われた勝利は、弁護士の反論によって覆されるかもしれない、という所で幕を下ろすことによって、ファルスはホラーに転化したのである。
     更に、俯瞰的に見てみよう。作る側と観客とのオルタナティブな関係が、演劇を成立させることに思いを馳せるならば、作る側はこのメタ作品を呈示することが役割、一方観客はこの構造を見抜き、再びファルス次元に戻して現実に戻るのが、役割だ。即ち、作る側の提示した作品と観客とが想像力の綱引きをすることによって、劇場を後にすることが出来るか否かをも問い掛けているだろう。そのように知的なゲームであることによって、今作は、喜劇たり得ているのである。
    ピクニック
     年老いた母は、アルツハイマーを発症している。彼女は、娘を1人産んだが、その潔癖症と神経症的傾向から、娘の行動範囲を厳密に結界で区切り、自由を奪って育てた。その潔癖症は、1歳になるかならぬかの娘が、食事を食い散らげることをも許さない有り様。おむつにする排泄物に関しては、推して知るべし、である。その娘も子を産んだ。自らの経験に内心我慢ならない娘は、自分の子を自由に育てたいと望む。従って結界を設けない。漸く、立ちあがってよちよち歩くことができるようになった頃、子供は、海へ行きたいと願う。ピクニックである。3人は連れだって海辺へ出掛けたが。アイスクリームを買いに行った娘が戻り掛けると、子供は、海に面した弾劾に向かってゆく。老母は蕎麦に居るが。アイスクリームが溶ける。若い母は立ち尽くす。
     この時の経験を巡ってアルツハイマーを発症した老母と若い母とは、延々と過去と現在を往還する。その束縛と自由への憧れ、起こったはずの事実と事実を認識する狭間での乖離、互いの認識ギャップと認識主体の崩壊過程に於ける不如意を、聖職者の着るちくちくする着衣のような老母の編み物と若い母の悔痕の情・母性、客観的なもの・ことを総て曖昧化してしまう老母の妄想を、蝋燭の朧げな光でないまぜにし、想像力の時空へ誘う金 世一の能を意識した演出が巧みである。また、文字を打ち出す時のスタッカートのような切れ、雷鳴、子供が操り人形で表現されている点にも注目したい。映写シーンで糸の絡まる人形の大写しが映し出されるが、このシーンの象徴性にも着目すべし。

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