「広島の友」より お藤 公演情報 「広島の友」より お藤」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    今に続く被曝・被爆
     1999年の一人芝居以来、今作、「お藤」を演ずるまでに、オフィス・サエでは広島三部作を毎年演じてきた。
    アメリカに追隋することしか考えられない為政者が、着々と破滅への道を歩み始めている現在、被爆体験者が、自らの体験を通して作品化した広島三部作上演の意味は益々、大きい。何故なら、原爆被害は、その余りの甚大に想像力が追いつかないからである。多くの人が、忙しい、と総てを簡便に処理することに慣れ、それで分かったつもりになる現在、この事実に気付いておくことの意味は、更に増している。
    (追記2013.8.16)

    ネタバレBOX

     まして、2011.3.12以降、単に原子爆弾のみならず、「平和利用」とされた原子力発電の制御不可能性は、誰しも知る所となったばかりか、その推進の根拠としての潜在的核抑止力は、推進派である自民党自身が述べていることである。
     当たり前過ぎて、殆どの人が謂わないことだが、原発は、何をしているかについても、更に今一度、言っておく。原発は、一言で言えば、湯を沸かしているだけである。そんなことをする為に、地球上の総ての命に対するリスクを犯す権利など、ヒトにある訳が無い。
     舞台に話を戻そう。野口 ゆきの演技が一皮むけた。~すべき、~すべしという演技から純粋に演じるようになったのである。感情が、素直に見て取れるようになった。努力家で真面目な女優だけに、この進歩は実に大きい。バイアスや警戒感なしに物が見れるようになったということであり、自然に表現できるよういになったということである。何年か彼女の演技を観てきて本当の女優になったのだな、と素直に評価できる。自らを振り返り、考え、験し、積み重ねて来た努力に敬意を表したい。
     一方、演劇とは不思議な媒体で、ただ上手ければ観客を引き込めるというものではない。上手い演技は感心させる。だが、それだけでは感動まではさせない。今作で自分を感動させたのは、先ず、シナリオの良さである。体験した者にしか書けぬ深さと広がり深化がこの作はある。同時に演出家、演者が共に、余りにも甚大な被害を与えた原爆被災について、如何なる想像力を以てしてもカヴァーし切れないとの認識を創作の入り口に持っていることが、正しくこの作品を描く為の前提になっていることである。
     このような認識が舞台再度の共通認識となって居る為、原文の意味する所をその深い所迄謙虚に真摯に見つめる目を養い、結果として、原爆が生命に対して齎したものを再現するのに役立っているのだ。

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