毬谷友子一人芝居「弥々」 公演情報 毬谷友子一人芝居「弥々」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
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  • 満足度★★★★★

    感動で涙が止まらなかった・・。
    色々わけあって、20年越しでついに観劇しました。
    本当に出会えて良かった作品です。
    まず圧倒されるのは、16才~72才までの女の一生の演じわけの知らぬ間に変化していたかのような滑らかさや、老若男女の登場人物の演じわけのリズミカルでユーモアさえある巧みさ。
    特に七色に輝く声の魅力は素晴らしい。
    もちろん巧みなだけにとどまらず、溢れる魂が物語りの進行にあわせて少しづつ舞台のすみずみに広がってゆきます。
    どんなに鮮やかに変化しても、けして過剰なものがあるわけではなく、戯曲の言葉の魅力をまっすぐとどけてくれて、胸に突き刺さった台詞がいくつもあります。
    なにしろそこかしこに燃える命を感じる舞台。
    女優ってなんて凄いんだろうって、震えました。
    そして気がつけば弥々が大好きになっていました。
    また、弥々に会いに行きたいです。

    ネタバレBOX

    子供時代の「紫色だけ残しておいて!」と虹の空に言ったり、
    同じ海辺に老婆となって戻り「今からだって(おロシアに)行ける」と言う場面の台詞に、ぞくりとしながら切なさで涙しました。

    彼女の本質にある望郷。母への思い。
    祖母、母、自分と、つぶれたりふくらんだりしながら受け継がれる女というもの。その性からは逃れられぬまま、でもそれを精一杯の生命力と自分らしさで無垢に、時に激しく生きる姿に激しく心が揺さぶられました。

    そうして、弥々が唯一残した命も、娘なのですよね。。
    どこまでも深いです。
  • 満足度★★★★★

    圧倒的な演技力 演出も絶妙 醜さも含めた人間賛歌
    演技力に圧倒され続けた。
    それは、単にエネルギーが強い演技だったというだけではなく、
    また何役もの役を演じ別ける器用さに驚愕したというだけでもなく、
    その点も凄いのだが、それ以上に、
    人間の持つ一面的ではない複雑な感情を見事に表出していたということによる。

    その演技力に加え、光を利用した空間の把握、着替えによる時間経過の演出なども見事。

    ネタバレBOX

    人が本心と呼ぶものには、無意識の裡にも打算や計算が含まれている。その本心に基づいて、日々私たちは生活しているが、その利害のバランスが少しでも変われば、そこにある本心なるものも簡単に揺らいでしまう。

    また、それを言葉として誰彼に話す際には、話す相手へのおもねりがあったり、逆に強がりがあったりと、その本心はさらに複雑なものとなる。そして、その対話の中でさえ、やり取りの中でその本心は様々に変化する。

    このような本心の変化の中で、日々、何らかの決断をくだしながら私たちは生きている。それでも、その決断をくだす一瞬においては、その決断は最良のものであり、真実なのだと思い込んでいる。そして、その決断を信じ続ける場合もあれば、時間経過の中で、その決断は誤りだった後悔することもある。

    この物語の主人公「弥々」も、自分を取り囲む様々な状況の変化にとともに、自分の本心を変化させて生きている。
    それは、一方では、状況に自身が、その本心が、振り回されているようにも見えるが、自身を保つためにこそ本心を選び取ってもいる。

    若き日に、良寛ではなく、別の男を選んでしまったのは、おそらくその時の弥々にとっては本心であっただろう。だが、その選択の際にも、確かに良寛も良いなと思った部分があったのも事実だ。財力や地位だけの問題ではなく、その誠実さに惹かれた部分も確かにあった。三人で浜辺の小屋に泊まった際、婚姻する相手ではなく良寛の手を握って眠ったのがその証左ではある。
    それでも、ロシア行きへの希望や、退屈な良寛への不満など様々な要因が作用して、もう一人の男を選んだ。

    ただし、その際に良寛に向かってその生真面目さや退屈さを罵ったのは、本当にそれが嫌で嫌でたまらなかったのか、それとも自分の選択を間違っていないと思い込みたかったからそう振る舞ったのか、はっきりはしない。
    おそらく弥々自身も無意識に行っていることだと思う。

    後年、弥々は、状況に振り回され続ける自分を保つためにこそ、過去を、その時の本心を希望として作り変えていく。
    おそらく、若い時の弥々にとって、良寛はもっとも愛した人ではなかったであろう。上でも述べたように、そういう部分も少しはあったのかもしれないが、それはほんというに小さな気持ちだった。それでも、その気持ちの方を当時の自分の本心だったと思い込むことで、今を強く生きる原動力に変えていった。変えられない過去を悔やむのではなく、過去さえも書き換えて強く生きる。このしたたかさ。そんなことは欺瞞だという見方も一方でできるが、このしたたかさこそが、人間の強さなのではないか。キレイゴトの人間賛美ではなく、人間の醜さも含めた人間賛歌。


    そのような複雑に表面と内面が反転するような描写が、この作品にはたくさん出てくる。それは、矢代静一の筆の力であり、また、それを演じる毬谷友子の演技力のなせる技でもある。まさに、親子合作。


    演出も絶妙。
    照明による場の緊張感と空間把握の妙。

    特に浜辺の小屋でロウソクに火をつけて過ごす場面の緊張感と、それを消して眠りに入り闇へ、そこに光が舞台全体を照らしていく朝の浜辺の描写など、あっぱれ。

    衣装の変化と演じ分けによって、経年の変化を表すのもとても素晴らしかった。

    素晴らしい舞台でした。
  • 満足度★★★★

    ようやく初見。
    毬谷友子さんが江戸末期を生きた女性の10~70代を演じる一人芝居「弥々」。女郎の話だがありきたりな悲壮感を漂わせない。明るく前向きで“度胸”のある不器用な女性を、きばり過ぎず、プレーンと言っていいほどサラリと演じる。演じ分けがこれ見よがしでないのも素晴らしい。毬谷さんのお父様が毬谷さんのために書かれた戯曲は、上演を重ね、毬谷さんの心身と不可分の完成した芸になったんだと思う。

    ネタバレBOX

    祖父がロシア人だった弥々は「ロシアに行きたい」と強く思っている。そのせいで栄蔵(のちの良寛)ではなく清吉と夫婦になってしまう。家族というのかルーツというのか…やはり人間はそれを求め、憧憬するものなのだなと思いました。

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