新釈『金色夜叉』 公演情報 新釈『金色夜叉』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    現代人にも理解しやすい脚色
    ここ何年か新派の「金色夜叉」を観たいなぁと思っていた矢先に公演があるのを知り、三越劇場に何十年ぶりかで行き、新派公演も10年以上観ていない。

    「新釈」ということで、これは文学座に書き下ろしたもの。

    今回の芝居はあえて登場人物の色分けをはっきりさせることで、現代人にも理解しやすくなっている。

    悪い人が一人も出てこない、各人の心に寄り添った描き方。


    初演は国立劇場だったが、今回は小さな劇場で場面転換が多いから大変だろうが、明治情緒を入れながらうまくつないでいた。

    新派のほうの「金色夜叉」も改めて観てみたいと思った。

    最近の新派公演は小津安二郎や木下惠介の映画作品の舞台化が多いが、私はやっぱり川口松太郎や泉鏡花原作の芝居が観たい。

    ネタバレBOX

    「金色夜叉」と言えば、宮には有名な「ダイヤモンドに目がくらみ」なんて決まり文句の形容があるけれど、この芝居の宮(波野久里子)は西洋文明や上流社会の社交など、自分の身のまわりにないものへの好奇心と憧れで、成金の富山と婚約してしまう。

    意に染まない親子ほど年の違う男の妾から後添えに収まった女高利貸、満枝(水谷八重子)は、高利貸の手代となった貫一(風間杜夫)に一途な恋を仕掛ける。

    宮の変身に傷つき、軽蔑していた「金銭」を扱う仕事をしながら、宮への憎しみに縛られている貫一。

    有名な熱海の海岸の場面も貫一が宮を下駄で蹴るとかはなく、あまり芝居がかっていなくて、貫一の真情がごく自然に伝わってきた。

    新派への客演が多い風間杜夫の貫一は、いかにも書生らしく、年齢を感じさせない若々しさ。

    台詞に説得力があるので、観ていて気恥ずかしくならない。

    つかこうへいの芝居をやっていた風間さんが貫一をやるなんて、当時からすると想像もつかなかったが、ピッタリはまっている。

    貫一が夢の中で見る宮と満枝の対決の場面が見ごたえがあり、水谷、波野の凄絶な演技はさすが。

    この二人を観ることがいまやとてつもなく贅沢に思えた(言わずと知れた梨園の血筋のお二人でもある)。

    この夢の場が貫一の自己分析とけじめにもなって終盤へと展開していく。

    満枝の水谷は貫一とのやりとりで、大真面目に演じるほど笑いを誘う。それだけに終幕の亡き夫の郷里でひっそりと暮らす覚悟を語る場面の慎ましさが哀しい。

    この脚本における人物像では、宮が一番演じるのに難しいとは思う。

    末は狂うほど愛している貫一を捨て、なぜ富山になびいてしまったのか。

    「飛んでみたかったのですわ」という宮はある意味、現代的でもあり、羽振りのいい青年実業家と玉の輿婚をして夢破れる女性タレントの例は現代でもいくつもある。

    また、明治と言う新しい文化流入の渦の中に立つ者の混乱をも象徴している。

    英太郎の狂った老婆の繰り言に出てくる「お嫁に行けなかったスーちゃん」はどこか、宮の心のうちを示しているようでもあり、英も好演。






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