『ヒッキー・ソトニデテミターノ』 公演情報 『ヒッキー・ソトニデテミターノ』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★★

    これは凄い!
    鳥肌。



    ネタバレ長々と書いてしまいました。
    ホントにネタバレなのでこれからご覧になる予定の方は、ご覧になった後で。

    ネタバレBOX

    『ヒッキー・カンクーントルネード』の「森田が引きこもりから脱した」その後の話。
    森田は、自分を外に出した引きこもりを引き出すサービス会社「出張お兄さん」で、実際に森田を外に出した黒木の下でスタッフとして、一生懸命に働いていた。

    彼は、引きこもり8年の太郎や、20年の和夫たちを、黒木とともに外に出し、自分たちの寮に住まわせようとする。

    太郎と和夫は、彼らの努力により、寮に住むことになり、さらに働く場所も探してくる。
    しかし…。

    そんなストーリー。


    ハイバイなので、胃のあたりに何か重いモノが残りつつも、笑ったりして楽しいのではないかと想像していた。

    確かに笑えるところもあったが、有川マコトさんが、オムツ姿で、何やら訳のわからないことを、強い口調で話しながら出てくるあたりで、うわわわわ、となった。

    彼、有川マコトさんは、かつて森田が引きこもっていたときのエピソードとして、どんなところにも順応してしまうという「飛びこもり」(!笑)の人を演じていて、森田ともの凄く通じ合っていたように見えた。
    同じ人が演じているから同じ人であるとは限らないのだが、同じ人と考えると、「引きこもり」とは別の症状だった彼が、社会に出ることで結局、あのように壊れてしまったのかと思うと、かなり恐い。
    「飛びこもり」の彼が黒木に連れて行かれるときに、「実験をする」というようなことを言われていた(タオルがない世界)だけに、いろいろされて壊れてしまったのではないかと思うのだ。

    そして、和夫。
    古舘寛治さんが演じる和夫は、古舘さんらしい口調で、静かな不気味さというか、不安さを秘めている。「大丈夫な人」のようなのだが、それは(たぶん)繕った外見であり、中身は不安の塊であることを隠しきれない。

    和夫がお弁当屋さんで働くことになり、その壮行会のときに、彼の母が見せた涙を見たあとの、和夫(古舘寛治さん)の、一瞬の表情には鳥肌が立ち、その後の彼の言動・行動の揺れの表現は素晴らしいものがあった。
    すぐそこに奈落がある予感をさせる。

    彼の行動を筋道立てて考えてみると、太郎の就職発言に対して、擁護する発言をしていた和夫だが、つい、口が滑って「自分も…」と言ってしまったのではないだろうか。弁当屋のおばさんの視線のことまでサービストークをしてしまっているし。だから母の涙を見た和夫は、初出勤のときにああするしかなかったということなのだ。
    いったん社会人として働いたことがあった彼が、引きこもってしまった一端が見えるようだ。
    なんて、ふうにもとらえることはできる。
    しかし、そう単純に、彼の最後の行動をとらえることもなく、それは「わからない」であっても、このテーマの感想としてはアリなのだと思うのだ。

    結局は「なぜそうなったのか」「なぜそうしたのか」が、家族や他人はもちろんのこと、自分にだって、いろいろ「わからない」のだから。

    ラストの前に、森田が家を出ることができるはずのエピソードが繰り返される。しかし、彼は、玄関ではなく、「窓」から出て、スローモーションで倒れる(落ちる…)。「いやいや、家を出たんだから違う」という台詞に戦慄した。
    「ああ、これはキツイぞ」と思った。
    さらに暗転前に、彼がまた窓を乗り越える一瞬が見える。
    「これは……」。

    てっきりこのキツいやつで幕、かと思っていたのだが、実はそうではなかった。

    あまりにも「普通な」「日常」のようなシーンがラストには待っていた。
    いつもの通りに、黒木とともに森田は引きこもりのいる部屋の前にいる。
    そして森田は「用がある」と言ってそこを立ち去る。
    黒木は何かわかってしまったような顔をしている。
    そして幕。

    このシーンは泣きそうになるぐらいのインパクトだった。
    先に書いた、暗転の「窓」のシーンよりも何十倍も、ずしーんと心に重くのし掛かる。

    もちろん、窓のシーン、森田が去っていくシーンについては、解釈はいろいろできるのかもしれないが、例えば、今まで舞台で行われたシーンすべてが、森田の脳内のシミュレーション(和夫もやっていた)であり、「窓のシーン」がその結論であった。つまり、みちのくプロレスには行かなかった、ともしれるし、太郎や和夫など、多くの引きこもりに接してきた体験の後、彼がたどり着いた、悲しい結論ともとれる。さらに彼の未来の分岐点だった、ともとれる。
    なんて、いろいろとああだこうだと、筋道立てて考えることをしないで、観たそのままを感じるということが一番のような気もする。

    しかし、それは楽しい結末ではないように思える。

    どんなに説明されても、「わかる、わかる」なんて簡単には言えないけれど、それぞれがそれぞれの事情でそういう状況になっているのであって、黒木も言っていたように「なぜ外に出たのかわからない」ということが、森田や太郎や和夫たちにとっても、実は同じということ。

    もう1回同じことを書くけど、
    「なぜそうなったのか」「なぜそうしたのか」が、家族や他人はもちろんのこと、自分にだって、いろいろ「わからない」のだから。

    「今の状況はマズいかも」と気がつくところが、あまり良くないと思われている引きこもりなどから脱するための、第一歩であることは間違いないのだが、そこから「普通の暮らし」「普通の社会」と言われているところに出て、「普通の生活」をするということは、とんでもない距離があるということなのだ。
    もちろん、太郎という人もいるので、その距離も人それぞれだろう。

    家族を含め、周囲から常に言われ続けてきた「普通」と言う言葉。「普通」という「言葉」に縛られてしまい、「普通」が何なのか突き詰めすぎてしまう彼ら(和夫のファミレスでの注文練習のように)にとっては、見えないほど彼方に「普通」はあるのだろう。

    和夫の感じていた「普通」が母の涙によって、現実になってしまったのかもしれない。

    鈍感になることが、唯一生きていける方法なのかもしれない。

    森田の行動を見ていると、かつて自分がそうであった引きこもりたちと、懸命に寄り添い手助けをしようとしている。その姿はあまりにも美しい。しかし、寄り添いすぎることで、自分の中に「完治」してない部分が共振してしまったのだろう。
    黒木は、厳しい口調と態度で常に臨み、「闇黒」に引き込まれないようにしている。

    「引きこもりはなぜダメなのか」という台詞が重い。

    なんという観劇後感を残してしまう作品だったのかと思ってしまった。
    唸りながら帰るしかない。

    森田などを演じた吹越満さんは、やっぱりうまい。嫌みなほど(笑)うまい。「うまい演技」をしている、と言ってもいいかもしれない、という嫌みをつい書いてしまうほど(笑)。あの演技は、大きな舞台ということを考えてのものだったのではないかと思う。引きこもりの人だった森田の動きとか。ただし、吹越満さんの表情が凄い。これはホントに凄い。

    そして、先にも書いたが、和夫を演じた古舘寛治さんの、母との、あのシーン、古舘寛治さんのの一瞬の姿が素晴らしい。
    オムツ姿でうろつく有川マコトさんはなんか恐い。社会に出てこうなってしまうかもしれない、という行く末のひとつとしての怖さが、常に舞台の上にあった。
    黒木を演じたチャン・リーメイさんももの凄く良かった。きっぱりした口調の中に、自分の仕事への疑問(揺らぎ)のようなものがうかがえる。ラストに近づくにつれてその配分が多くなるところもうまい。
    さらに、森田の妹を演じた岸井ゆきさんが良かった。兄への愛情と、明るさが救いであった。森田が唯一心を許せるたった1人の存在であることが、よくわかるのだ。

    舞台は、シンプル。ドアや壁を想像させるパイプがあり、それがくるくる回る。そのくるくる回すシーンが、なんか恐い。そして、ドアの構造がハイバイだった(ハイバイ扉と呼んでもいい・笑)。
    舞台の下手奥には俳優たちが出番を静かに待っている。そういうことも含めて、小劇場の香りがした。

    私の観た回は、後ろのほうが、すっかーんと空いており、「大丈夫か?」と思ったのだが、今はどうなのだろう。パルコだからちょっと高いけど、観る価値はアリ、だと思う。
  • 満足度★★★★

    パルコ・プロデュース「ヒッキー・ソトニデテミターノ」観ました
     初日で観たのに、こりっちに登録されているのが見つからず書きそびれてました。。。
     ハイバイドアからフラクタル進化したような独特のセットは、手触りの不確かな夢でも見ているような気分(その奥で、出番のない役者が楽屋的に待機しているのも含めて) 。
     キャラ描写が病的なまでに気持ち悪くリアル。取り繕っている人も取り繕ってない人も、そこに至るまでの経緯を考えさせる。
     時折入る前日譚「ヒッキー・カンクーントルネード」の回想は、ややテンポ悪く感じた。しかし、物語の構造としては不可欠か。
     結局、どこまで行っても出口のない闇のような日常を生きている。あえて分かりにくさを舞台に乗せる、心の奥に隠れたわだかまりを大事にした舞台。

  • 満足度★★★★

    岩井秀人作・演出「ヒッキー・ソトニデテミターノ」
    笑った…不謹慎かなと思うぐらい笑ってしまった。パルコ劇場の新機軸!?視覚的にも空間的にも意味的にも、暗闇に吸い込まれそうだった。闇は有(生)なのか無(死)なのか、確かな手触りがあるのに実体をつかめない時間だった。幽玄、なのかな。

    ネタバレBOX

    吹越満さん演じる主人公が窓から出る(飛び降りる)演技を繰り返す意味が、最初はわからなかったんだけど、古館寛治さんの役が亡くなった時に、やっとこさピンときて。
    「ヒッキー・カンクーントルネード」は、ラストに主人公がプロレスに行ったのか死んだのかの境目が、公演によって違ったように記憶しているんだけど、あの意味が、この続編でくっきりしたように思いました。私自身が、生きてるのか死んでるのか。
  • 満足度★★★★

    寝て起きてご飯食べてゲームして
    それまでパルコの舞台上規模?で公演を見ていた広さの小劇場からパルコ劇場という、メジャーな劇場へ一歩足を踏み入れた岩井さんの連続代表作の上演。例えが酷いかな‥?
    役者さんがステージ上で待機してる姿が見えるいつものシンプル設計舞台。
    劇場は変わっても肩肘張らず何時もの岩井節が漂い、吹越さんが入りこんだらお洒落感ある雰囲気になるのではないか、と発表時は懐疑的だったけど、劇中少し歳を取った元ひきこもり男を見事に表していました。

    ネタバレBOX

    寝て起きて、ご飯食べて、ゲームして息抜きのプロレス技かけあいこしあうような日常。それを日々見ている家族。
    20歳の青年と40歳の中年引きこもりを抱えた2家庭と、それを支援する団体。
    ひきこもり支援団体のお兄さんとお姉さんが問題家庭へ訪問し、本人同士が出会う初対面は緊張を伴うと思うが、彼ら流の年期の入った治療活動により次第に心を開けさせる。それによって家族も好転の兆しが見えるがどこかでほころびも見られ、そんな情景に問題の根の深さやその接し方と生活していく生き辛さやぎこちなさが窺える。
    ドキュメンタリーとかだったら深刻さとかが全面に出そうだけど、そこは岩井さんの独特なケムに撒くようなセンスで時折笑え、また行動の深刻さに考え込ませたりと、見ているうちに自問自答しているような話の展開に惹き込まれて、彼らとその家族、それまでの登美男の体験と併せて、行く末を静かに見届けていたくなるような舞台。
    予期せぬ行動を起こした支援者。苦悩と繊細を合わせ持つまで成長した登美男に衝動的な行動はないと思うが、そこからスローペースで生きていってほしいと願わずにいられない。
    黒木お姐さんのシンプルなセリフのやり取りなのに、句読点のない滑らかな喋りが毎回聞いてて癖になる。スタッフとしての指導者ぷりが良い。もし同業だったら、別の部署から彼女の働きっぷりを参考にしたいけど、マネは出来ないなw。毎回、無味乾燥気味にも見えるがそれが黒木さんにとっての自然体なんだろう。不思議で魅力的な雰囲気が増していた。

    鈴木家の占部さん、悩んで悩んで人の手を借りてやっと人並みの生活を得て一安心かと思いきや、鈴木家の小河原さんの気力崩壊しそうな行動とその裏返しにも思えるようなタンコブ姿と踊る行為にまた苦労の予感。が、やっぱり夫婦個別の悩み事の行く末に生真面目さと不器用さが可哀相だけど可愛いくも見えた。長年暮らすと、いつから似た者夫婦になってしまうんだろう。
    斉藤さんの古館さん、佇まいと発言のインテリジェンスさが見事に一致してるけど、時折見せるブラックな毒が効いている。彼のあの行動は最後、何を見て何か独り言ちていたんだろうか。
    ベテラン寮生その他、有川さんの七変化も面白かった。格好で判断してはいけないが、最後の考えたあげくあの選択した姿の有川さん良かった。
    登美男の妹、綾の岸井さん、毎回ハキハキっぷりの性格が静かに進行していく舞台の中で、森田家の家族の救いにも見える。
    太郎くんの落ち武者ぷりのインパクトは笑えたが、十代特有の掻きむしりたくなるような焦燥感やこれからの世渡り下手というか不器用貧乏加減がわかる。
    斉藤母、希望の道筋が見えた方向だったのに、心強い味方になる人に出会えたのが遅過ぎたのか。一瞬の希望が残酷になってしまったのが切ない。

    騒ぎ立てるような盛り上がり方はしないけど、全体を受け止める彼らの変化する様をこれからも見続けたくなる余韻ある良い舞台でした。
  • 満足度★★★★

    とっても良かった
    いい芝居だった。観に行って良かった。役者も皆良かった。笑ったし、じんと来た。パルコ高いしアゴラで演るとき観に行こうと思ってる方、行ってください。今日楽日です。今年の一本。

  • 突き落とされた
    どーしても観たかった作品。みられて本当に良かった。

    ハイバイではおなじみの冒頭の注意事項も、吹越さんがやるとなんだかもうそこからが芝居っぽくて、いつものゆるいハイバイとは一味違う感じがしました。開幕前は”岩井作品がパルコってどうなの?”って声も聴いてましたが、私は福岡の西鉄ホールで「ヒッキーカンクーントルネード」を観ていたし、今回も3列目だったので、パルコ劇場の広さは全く気になりませんでした。
    作品も個人的なものから社会的なものに進化していて、役者さんたちの力もあって、広い会場に十分対応できていたと思います。

    ネタバレBOX

    引きこもってる人とか、その親とか、引きこもりを外に出そうとしてる人たちとか、それぞれの立場にそれぞれに伝わってきた。カズオさんもタロウくんも、あまりにもあっさりと(でもないか?)仕事に行くことになってしまったので、え?と思ったのだけれど、やっぱり話はそう簡単にはいかなかった。外に出てみたトミオだって、そう簡単にはいってなかったのかもしれないなと思う。芝居の中でトミオの内面はほとんど語られなかったけれど、タロウやカズオや、タロウの父や寮で暮らすわけのわかんない男、みんなにトミオの内面が投影されていたのかもしれない。あ、彼らは全員男ですね。それに対して、タロウの母やカズオの母や、トミオノ妹や母は、引きこもりの気持ちとか全然わかってない”周囲の人”って感じでしたね。

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