フリル 公演情報 フリル」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.6
1-20件 / 31件中
  • 満足度★★★★

    第0回公演
    「うれしい悲鳴」で爆破したひょっとこ乱舞改めアマヤドリの第0回公演。

    んー、良作でした。メンバーはほぼ同じだけれど、劇団名を変えるという大きな決断をした価値が十二分に出ていたと思う。確かに「だから何?」という話の流れが主軸になっていて、こんな日常を観るためにお金を払う必要かあるのか?という面もある。が、劇団と広田淳一さんが放つ世界観というのはあの劇場のあの時間でしか体験する事ができないので、演劇らしい貴重な「だから何?」だったと思う。

    無理せず作品をリリースした第0回公演。今後も期待する。

    松下仁さんは観させてもらう度にレベルを上げていっている。こちらもまだまだ楽しみだ。あと観させてもらった回では、なぜか根岸絵美さんが椅子に激突しまくっていた。意図的な演出なのかなとも思ったが途中からはぶつからなくなっていたので、単なるアクシデントの連続だったのかもしれない。

    ちなみにもう「乱舞」ではないので、踊りのシーケンスはいらないのではないかな。

  • 満足度★★★★

    水彩の抽象画のイメージ。
    アマヤドリ「フリル」を観る。ちょっと劇団 青い鳥の「夏の思い出」を思い出させる。
    「無くしたもの」「記憶」「見えないもの」「見たかったもの」。これまでの作風とは変わって静かに佇む作品。
    今作は、ダンスや動きを抑えつつ、揺れる質感を出したかったのかな。が、中途半端なぎこちない動作にしかなっていない。1週間公演でパターンになっているのか。
    原宿あたりで野球の歓声が聴こえるシーンは、祇園祭の季節には、どこにいてもお囃子が聴こえる京都の人のエピソードを思い出す。

    個人的には、情緒的で、ブラッドベリ風の切なさがあって良かったと思います。まあ、アクティブな物語を観たい人には退屈だったかも。冒険物語を読もうとしたら、詩集をわたされた、みたいな。全体的に水彩の抽象画のような作風になったのかな。以前はアクリルでマンガっぽい感じでしたが。
    あと、台本、照明、スクリーンなどがアマヤドリスタイルになったのに、役者はまだ前のスタイルのように見えました。台詞や動きが少なくなって、存在感まで小さくなったような。役者の強度、見せ方は、まだまだ改良の余地があるように思いました。
    照明、美術はステキでした。

  • 満足度★★

    説明しない
    第0公演
    ほんとうに説明のかけらもない舞台でした
    全然理解できなかった。不思議な感覚だけはしっかりといただきました。

  • 満足度★★

    あまり入ってこず
    ようわからんかった。と言うか物語が入ってこなかったが正しいか。
    第0回公演で実験的だったからと思っておくか。舞台セットはよかった。

  • 満足度★★★

    俳優さんよかった
    俳優さんたちがすてきでした。とりわけ、松下仁さん、糸山和則さん、渡邉圭介さんの男性陣がとてもよく、女性陣も小角まやさんが本当に良かったです。

    ネタバレBOX

    恋人に大切にしてたフィギュアを捨てられて、その流れで所有欲を失い「君のことを所有する意欲もなくなった」ていうセリフがひとつの核心のように提示されるんですが、romantic relationshipは別に一方が一方を所有することではないので、この言葉遣いには全く共感できませんでした。
  • 満足度★★★★

    せせらぎのように流れる
    前身の劇団(ひょっとこ乱舞)特有の群舞はなかったけれど、
    水のように言葉が流れてくる感じが巧いなと。

    松下さんの台詞が長いのは相変わらずなのか、
    それでも止めどなく流れて
    その中で感情の起伏を表現してくるところが
    素直に凄いと感じた。

    別れ、辞める、捨てるとか負や陰の要素が多く、
    マイナスの気が溢れる芝居かと思うが、
    逆に夜明け前の闇のように次に何かが始まっていく
    シークエンスのようにも思えた。

    あと女性キャストの表現が良い。
    強いけど、繊細で一人一人のカラーの違いを
    自然に出していた。

    ネタバレBOX

    終演後のDULL-COLORED POP主宰、谷賢一さんと
    アマヤドリ主宰の広田淳一さんのアフタートークは面白かった。

    観劇した後の率直な意見を述べ、
    広田さんの精神状態を案じながら、
    終始ツッコミを入れつつ、
    トーク全体を仕切り倒す職人となっていた谷さん。

    このアフタートークで
    広田さんがこれまで無意識に感じていたもの、ことが
    今作に反映されていることが分かった。
  • 満足度★★★★★

    ねっころがって
    最後、みんな、静かに、寝っころがって空に向かって手を伸ばす。

    この幻想的抽象的思索的なエンドマーク。

    しみじみと人間て孤独だなあと思った。

  • 満足度★★★

    「説明しない」説明も要らない
    モノローグよりも何気ない会話の中での台詞の方が印象に残りやすいものだし、モノローグは押し付けがましく共鳴しない長台詞を聞くと観劇力が弱まる。だからと言ってモノローグを多用するこの作家の作品が嫌いじゃないのは作者がモノローグ(台詞)よりも役者の肉体を重視してるように思えるからだろう。群舞なくとも群舞があったかのような感覚、なんだこれ。

  • 満足度★★★

    優しく降り注ぐ
    カーテンにライトがあたると、雨か砂が静かに降り注いでいると錯覚する。
    芝居が進むと、失われた過去に対する後悔とか、伝えられなかった想いとか、そんなものが降り注いでいるように見えて。
    全体的に薄暗いなか、そんな風に降り注ぐものを眺めていると、何故だか優しい気持ちになれたのです。ちょっと不思議な感覚。

  • 満足度★★★★★

    空気も
    不思議な気持ち に なりました

  • 満足度★★★

    つかめず
    公演情報にあった「僕には君を所有する意欲がない」というフレーズに強烈に惹かれて観劇。膨大な台詞の中から、心に刺さる言葉を聞き逃すまいと、前のめりな観劇に。「説明をしない。複雑なものを複雑なまま」ってそう当日パンフにも書いてあったのに。。。帰り道疲れた頭で、ついつい舞台を見ると何か掴んで帰らねば、と思うせっかちな自分(元を取らねば精神?)を改めて自覚。前作の「幸せはいつも小さくて~」では、目を閉じていても言葉の力で否応なしに引き込まれたので、そういう点ではちょっと期待とは違っていました。アルファ波のような(実際舟を漕いでる方もちらほら)静かで心地良い雰囲気はとても好きでした。あと、白いカーテンは違う素材の方が良かったかな、なんとなくですが。

  • 満足度★★★★★

    死なないもの、生き続けるもの。
    登場人物達それぞれが語るエピソードや感情に悉く共感。それはとてもささやかで、日常で確かに感じているはずなのに、いとも簡単に受け流し忘れ去ってしまっていることばかり。そんな何気ない日常が、広田さんによって台詞として紡がれ役者さんを通して語られると、驚くほどキラキラとして切ないほど愛しく思える。自分の中にあるものがこんなに素敵に輝けるなら、もっと日常を、生きているこの瞬間を大切にしようと思えました。演じる役者さん達も、力のある(しかも美しい)方揃い。素敵でした。 ※15日にリピートしました!最後列から観るフリンジのカーテン、とても美しかったです。前に背の高い人が座ることを恐れてついつい最前列に行ってしまうのですが、今回のように高低差のある客席は最後列から全体を眺められるのでとても嬉しいです(^-^)

    ネタバレBOX

    最後まで分からなかった「生き続けるセミ」。彼女は何を記録していたのか、ちょっとだけヒントをいただいたら全てがつながりました。広田さんの演劇への思い。それは人生とイコールなのだろうな、と。そして人生をも超えて、演劇界へと思いを馳せさせてくれました。「演劇は死なない」。ああなんて演劇って素晴らしいのでしょう。

    ちなみに、ひょっとこ乱舞時代に「ブリキの町で彼女は海を見つけられたか」と「HUMAN LOST」を観たのですが、実は全く理解が出来てなかったので今回とても不安でした。でも観て良かったです!次回は座・高円寺とのことで、乱舞も期待してますね♪
  • 満足度★★★★

    序盤は
    うまくはまった時のフランス映画的でよかった。
    -----
    王子を第1回にしたくなかったので0回にしたと思うのは邪推ですか

  • 満足度★★★★★

    初アマヤドリってか、ひょっとこ乱舞。。。的なアマヤドリ
    きらびやかにアルペイジオ。
    群衆で踊るシーンは大草原の水場に集うフラミンゴの群れを思わせ美しい。
    特に女性キャストは光の当たり方も幻想的で綺麗。
    ってか、可愛いですよね?

  • 満足度★★★

    観た。
    予備知識なしで観劇。
    セットや照明が素晴らしいが、自分にはあまり伝わるものが無かった。
    これからは当パンくらい読んでおこう・・・。

  • 満足度★★★

    クレープ
    視覚的聴覚的に美しい。

    ネタバレBOX

    チラシ裏のストーリーめいたものと当日の挨拶文に目を通しておくと世界に触れられる。なかったらどうだったかな。
    世の中は結論のでないごちゃごちゃしたもので、説明をしないことを心がけたってのは理解できるけども、説明とそれ以上の何かが同居してた方が好き。

    面白いつまらないってよりも、おいしい水って感じ。あと、中盤眠くなった。
  • 満足度★★★★★

    たゆたう。
    確かに静か。確かに「何が言いたい?」という感じ。でもよかった。例えるなら、インストゥルメンタル系バンドが気まぐれで歌詞付きの曲書いてみましたみたいな感じ。観客を目掛けて飛んでくるというより、あたりに放たれるような台詞たち。そんな風に散りばめられた台詞の中に、確かにはっきりと脳裏をかすめる台詞やシーンがあって、そうして心に触れたものが頭の中で散り散りになってしまわないように拾い集めたり、つなぎ止めたりしている内に上演時間が終わってしまいました。まったく飽きなかったです。

    ネタバレBOX

    でもまあ、飽きちゃう人は飽きちゃうでしょうね。私の近くにも退屈オーラを全身から放っているお客さんがいました。それはそれで正直な反応だと思うのです。個人的には、引っ張り過ぎもせずもの足りなさもなく、丁度いい長さだったと思います。明るさの加減も作風に合っていてよかったです。ヒラヒラしたカーテンのような物も綺麗でした。成河さんも言っていましたが、役者さんがあれを通り抜ける時の、一筋だけ計算されたかのように肩にかかる具合は見事ですね。
  • 夏なのに静か
    全体的にとても静かな作品
    夏の虫や雨、ファッションブランドなど、
    出てくる話題は、どちらかというとノイジーなものなので、
    そこをあえて思い切り静かに攻めていた。

    静かだけどだるくも眠くもならなかったのは、
    (舞台美術に助けられている部分も大きいが)
    脚本と演出の地力を感じさせた。

    ただ、全体としてこじんまりしていた印象は否めず。
    こちらまで、静かな緊張と絶望と期待が届かなかったのが惜しまれる。

  • 満足度★★★★★

    なるほど第0回公演
    試行錯誤。

    次回に期待したい、
    っていきなり書くのは失礼か(笑)。

    ネタバレBOX

    ひょっとこ乱舞は「笑いを手に入れた」と、前に書いたことがある。
    今回のアマヤドリでもその片鱗は見えた。
    が、ほとんど笑えなかった。
    それはなぜか?
    簡単に言えば、タイミングだろう。

    笑える台詞を笑えなくしたのは、そういう演出によるタイミング。

    ひょっとこ乱舞は、プッシュ型の劇団の印象がある(そういう分類方法があるかどうかは知らないが)。
    エネルギーを観客にぶつけてくる。そして、舞台の上でぶつけ合うという印象だ。

    相手に対する欲望や感情を台詞や演技に乗せてぶつけてくる。
    もちろん、「押す」だけではなく、「引く」という設定と演技もあるが、それは「引く」というよりは、「プル(pull)」なわけで、「押す(push)」を受けていたと思う。

    また、過剰なほどの情報が舞台にぶち撒かれるような、観客への強い「PUSH」も特徴のひとつであり、勝手に「ひょっとこフォーメーション」と呼んでいた群舞は、それをさらに補強したり、オーバーヒートしている観客の脳をクールダウンさせたりする役割もあった。

    しかし、今回も「押し」と「引き」の関係、「押し合う」関係もあったと思うのだが、以前のような強さは感じられなかった。

    それは「シンプル」にしたからではないだろうか。
    余計な感情表現をできるだけ削ぎ落としたシンプルさを、意識したのではないかと思うのだ。

    冒頭の2人の男の会話を観て、「あれっ、これはダメかも」と思ってしまった。
    ひょっとしたら2人の噛み合わせが悪いままOKしてしまったのではないか、あるいは、単に下手になのか、と思ってしまったほどだ。
    とても居心地の悪い数十分間が続いた。

    しかし、舞台進行するにつれで、これは演出で敢えてこうしているのではないか、と思い出したら、なんとなく視界が少しだけ晴れてきたのだ。構造についても。
    噛み合わせではなく下手なのでもなさそうだ。
    (冒頭の2人の男の会話は、2人の距離の変化だけはきちんと見せてほしかったと思う)

    また、先に書いた「過剰なほどの情報が舞台にぶち撒かれるような、観客への強いPUSH」も、作品の方向性から、できるだけ排除したのだろう。
    「説明はしない」ということで。
    (「行間」を読ませることで、実は逆に強く「押して」きているのではあるが)
    したがって、ひょっとこフォーメーションも、その必要性はあまりなかったわけであり、実際に、いつもの気持ちいいと感じるほどのものはなかった。

    作品の構成には、数人が特定の人物を演じたり、重ねたりという、ひょっとこで培ったテクニックが活かされてはいたが、言葉と演技と台詞のシャワーを一気に浴びせてきて、気持ち良くさせる演出を排除して、全体的には「禁欲的」に、「抑えた」作品になっていたのではないだろうか。

    それはチャレンジだ。

    各場面にはひょっとこ乱舞の「残滓」も残っていたが(いや、まあ当然だけど)、ひょっとこ乱舞という、言わば安定した劇団を脱ぎ捨てて、「意識して」アマヤドリになるためのターニングポイントをつくり、「意識して」超えるべきラインを跨いだということではないだろうか。

    安定しつつあった劇団名を変えてまでやりたかたことは、変革、チャレンジではなかったのだろうか。
    それが今回、晴れて第一歩を踏み出した(いや、第〇歩か・笑)ということ。
    この先に何があるのか知らないけれど、とにかく新たにスタートを切ったということだ。

    「第0回公演」とはよくぞ付けたなと思う。
    作品を作る前にこうすること(こうなること)はある程度予測の上ではあったかもしれないが、それでも見事に「第0回」であったと思う。

    であれば、前回のアマヤドリ名義の公演は、「ひょっとこ乱舞 〜 アマヤドリ」の過渡期にあるから、アマヤドリ名義にはしないほうがよかったと思う。

    今回の公演は、ひょっとこ乱舞の公演と比べてしまうと、もの足りないという人は多いだろう。絶対にひょっとこ乱舞の印象をぬぐい去るこはできないからだ。したがって、厳しい評価が下されると思う。一緒に行った者は、「次回もこういう感じならば、もういいや」とまで言っていたし。

    そういう評価や感想によって、この先、やっぱり先祖返りをしてしまうのか、あるいはここから先に踏み出していくのか、は見ものである。
    ハードルの高さをどこに持っていくのか、ひょっとこフォーメーションを復活させたとしても、それが今回の延長線上にあるのか、そんなところが楽しみになってくる。

    もの凄く苦しむのではないかと思う。
    苦しんでくれ、と思う。
    大爆破したのだから、更地からのスタートなのだ。

    この先に進むということに★5つを賭けた感じだ。

    結局、好きな劇団なんで、「それにずっと付き合うよ」ということなのだけど。

    蛇足になるが、理由はわからないけれど、個人的には、中村早香さん、笠井里美さんの出演はなく、飛車角落ちなような状況は非常に残念ではあるが、彼女たちが会得し、振りまいていた、ひょっとこ臭のようなものを、新たなチャレンジである第0回で封印した、というのは深読みしすぎか。
    だけど、この2人を、この舞台で観たかったと思ったのだけど。

    役者では、リコ役の根岸絵美さんが、この作品の良さを体現していたように思う。もともと持っていた素地が活かされたのかもしれない。
  • 満足度★★★★

    観てきた
    心揺れる。乱舞がないのは少し淋しいです。

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