官能教育第四弾「藤田貴大(マームとジプシー)×中勘助『犬』」 公演情報 官能教育第四弾「藤田貴大(マームとジプシー)×中勘助『犬』」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★

    山内健司の底力
    初日。
    山内健司が冒頭からアップアップ状態。
    明らかに、他の2人についていけてない。
    ところが、2日目。
    山内健司が冒頭から余裕のよっちゃん。
    昨日とは別人のよう。
    完全に藤田の舞台に適応している。
    舞台を完全に支配している。
    他の2人は一応最低限の演技をこなしている状態。
    良い演技ではない。
    それに比べて、山内の演技にはプラスアルファがある。
    存在感、リアリティーがある。
    おそれいりました。
    ラストの15分間は初日の当日の稽古で出来たらしい。
    そして、その前に山内はソウル市民2ステージこなしてきている。
    だから、アップアップしてたんだね。
    これはリーディングなんかじゃない。
    本公演並みの舞台。
    作品自体は本公演より少し雑な気がする。
    荒削りというか。
    SEXシーンもう少しどうにかならないかな。
    「塩ふる世界」が5つ星なら、これは3つ星かな。
    マームとジプシーの舞台でも山内を見たい。
    今回の舞台も青柳と尾野島だから、実質マームとジプシーみたいなもんだけど。
    アフタートーク聞いてたら終電のがした。(^_^;)

  • 満足度★★★★★

    確かに
    青年団お茶ばっかり飲んでる(笑)

    マームとジプシーにカラーの違う山内健司さんが加わって、良いアクセントになってアダルトなマームとジプシーになってた。
    濃密なお芝居を観た。

  • 新しい世界。
    週末の夜の港区西麻布、新世界。
    元はあの「自由劇場」だった場所とのこと。
    ドリンクを手に席について開演時刻を待ちながら
    おのずから雰囲気が盛り上がります。

    プロデュースの徳永京子さんが
    「風変わりな寄り道」をさせた作品、と
    記していました。
    確かに今まで見てきたものと違い、
    「リアル」な役者個人が物語の中で立ち上がっていきます。
    そしてその同じ言葉を繰り返し語る同じ役者個人が
    上演の中でだんだんとその立ち姿を変えていきます。

    観ている者も、そのままで同じであることを許さないような
    そんな迫り方を受けました。

    見るたびに
    演劇のいろんな可能性を試しているような感じのする藤田さん。
    劇場の持つ力と相まって
    なんだか触れたことのない時間をすごしたひとときでした。

    劇場入り口の横に貼ってあったポスターの
    寺山修司の笑顔が素敵でした。

  • 満足度★★★★★

    原作を原点に取り込んで・・・
    演劇の構造自体にまで座標軸を広げて・・・。
    重なりがしなやかに作りだされて。

    リーディングの態を逆手にとって
    役者の力、さらには演劇の力が
    がっつりと引き出されていました。

    ネタバレBOX

    客電が落ちて役者が現れます。
    冒頭の素を演じる山内健司的自己紹介、
    カンニングペーパーを示して
    この舞台の原点にピンを立てる。

    青柳いづみ的な距離感が
    観る側に、原点からのいくつもの彼女の立ち位置を観る側に示す

    尾野島慎太郎的なあからさまな存在感が
    それぞれの立ち位置にリアリティを注ぎ込んでいく。

    いくつかの台詞と身体で
    刹那に場をすっと立ちあげていく作り手のメソッドが生きる。
    浮かび上がる表層的なキャラクターの姿と空気の染まり方、
    風景の現出・・。
    役者としての女性、キャラクターを演じる女性、
    リーディングされる作品中の女性
    二人の青柳さん、そして三人の青柳さん・・・、
    認識の共有を確認する言葉が
    素敵に脱力系な言い回しで織り込まれていきます。

    一見ルーズに、でも極めて確かな足腰で
    役者たちがイメージを広げ始める。

    ひとつずつの世界の中に、
    織り込まれていく動きの秀逸、
    描き出され、繰り返され、実存感に満ちていく空間・・・。
    藤田作劇の引き出しが、
    役者たちの豊かな力量とともにしなやかに場を組み上げていく。
    それは平板にリーディングされる中勘助の原典であり、
    そこから作家の創意とともに浮かび上がる風景であり
    演劇の世界を演じる態でさらに派生した楽屋の光景。

    観る側に密度をもった肌触りを与え続ける中でも、
    かっちりと演劇の世界が定義されていることで
    それぞれの世界が混濁し滲むことがない。
    観る側は原点にあるカンニングペーパーからの各階層を
    舞台の流れに従って降りた戻ったりしていく感じ。

    そして少しずつ重ね描かれていく世界たちに
    広がりが生まれる中で、
    まるで、回転錠の番号が揃ってロックが外れるように
    それがどの階層にも織り込まれた「犬」の世界のコアが重なる。

    淡々とつぶやかれ、並べられるように
    女性の性的体験が導かれて・・・。
    視線に込められ、あるいは突然に姿を現わす劣情、
    男性がすっと縛めから解き放たれ
    女性の扉が押し開けられて、
    さらには男たちの殺生の世界へと広がっていく。
    刹那の繰り返しに加えて
    階層ごとに描かれた物語の重なりが、
    よしんば、あからさまな表現であっても
    それを観る側の劣情だけに丸めこまず
    人が普遍的に持ち合わせた
    歯車のかみ合わせの感覚にまで導く。

    醜さと美しさと淡々とした普遍の感覚・・・。
    それらがあたりまえのように観る側に降りてきて・・・。
    でも、世界がカタストロフ的に崩れて
    カオスに陥っていくわけではないのです。
    観る側にとっても演じ手にとっても、
    「そういうことになっている」という
    演劇の骨組みに守られている感覚があって。
    作劇の秀逸が空間を共有する規律を醸し出し、
    演じる側も踏み越え得るし
    観る側も受け取りえる世界が
    端正な容貌を崩すことなくそこに生まれる・・・。

    女性の体験や想い、
    さらには男性の憎悪や殺意は
    観る側にとって好奇な想いや
    目を背けるような感覚や、
    触れることへの嫌悪を伴うもの。
    でも、そのコアの部分を混沌に埋めたり、
    拡散させたりぼかしたりせず、
    そのままに舞台の技法にのせて現わしていく作り手の姿に、
    なんだろ、原作に対する矜持のようなものも感じて。

    ピュアとか昇華されていくというのとは少し違う。
    圧倒的な重さや切っ先があるわけでもない。
    観終わって、エロさも衝動的な感覚も
    浄化されることなく残る。
    なにか、情けない感覚が浮かんだり
    刹那がどこか滑稽で面白かったりもする。

    終演後の素舞台を眺める中で、
    初めて
    それらを含めて抗うことができず、圧倒され、
    幾重にも捉われていたことに気がついたことでした
  • 満足度★★★★★

    壮絶
    壮絶。1時間強だけど体感時間は2時間ぐらい、の、体験。終演後のトークで演出家が積極的に語ってくれて、ものすごい夜になった。しばらく他のお芝居見たくなくなるぐらい。刺激の強いお芝居ですので、そのおつもりでぜひ。あえて初心者オススメマークにしてみました。

    ネタバレBOX

    当日パンフレットも作品にリンクしてて、寺山修司作品を思い出したり。

このページのQRコードです。

拡大