パール食堂のマリア 公演情報 パール食堂のマリア」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-20件 / 45件中
  • 満足度★★★★★

    そういえば・・
    観てきたんですよね。面白かったです。
    潮の香りがするようで。お袋もヨコハマ生まれで昔はお嬢だったようなので(笑
    よく昔話を聞かされました。そんな柔らかな風の吹く街のことを凄くステキに描いているところがまた良かったなな、と。

  • 満足度★★★★★

    じんわり
    見終わったあと、なんともいえないふわっとした気持ちが残った。しばらくは
    他の芝居見て、この気持ちを上書きしたくないと思った。

  • 満足度★★★★★

    今更ながらの感想だけど
    素敵過ぎた!現在の小劇場界の中で力は1つ抜け出ている気がする。ただ、THE エンタメ♪ではないから、力だけでいったらもっと集客してもいいはずだけど、伸びはそこまでなのかもしれない。全然内容と関係なくてすみません<(_ _)>でも、本当に素敵な世界観で、あの空間にずっと住んでいたかったです☆

  • 満足度★★★★

    やっと見られました
    以前、ProjectBUNNGAKUという演劇にて、
    青☆組を観てから気になっていました。
    やっと今回鑑賞できることになり、三鷹まで足を運びました。

    舞台のセットがとてもきれいで、
    横浜の港町を表現していたと思います。

    ある家族を中心とした群像劇でした。
    愛することをあきらめた長女と
    愛することをはじめた次女。
    それを温かく見守る父親。

    家族の暖かいぬくもりの感じる物語でした。

    印象に残っているのは、
    クレモンティーヌですね。
    オカマキャラが凄い様になっていました。
    でも、彼もまた愛することをあきらめた人であり、
    悲しい人でありました。

    登場人物達が最後に新しい一歩を進めていく、
    再生の物語だと思い、
    観ていて肩をポンと叩かれ元気だそうよと言われたようなそんな感じです。

    劇中に彷徨っていたマリアが町を去るのが、
    母親からの自立、また過去への決別を表しているのかなと思うと、
    マリアのことが悲しかったです。

    すれ違う事も過ちを犯す事もある。
    でも赦し繋がる事で救われる事もある。
    帰る場所、家族という近くにあって遠くに感じるものの
    大切さを改めて認識させられました。

    アフタートークも参加して大満足でした。

  • 満足度★★★★

    懐かしい雰囲気に包まれる
    起こる事実だけでなく人の考え方に至るまで時代設定である「昭和47年」が色濃く現れており何だかとても懐かしい雰囲気に包まれる。
    また、シンプルな線だけでも本人の特徴をとらえた似顔絵のように僅かな台詞や演技から各人物の人と成りがくっきり浮き上がってくるのが見事。

  • 満足度★★★★★

    観劇

  • 満足度★★★★★

    初めて観た
    素敵な脚本と舞台美術。
    もちろん、役者さんも良いです。

    ファンになりました。
    次も観たい。

  • 満足度★★★★★

    “港”は回帰の舞台
     先日 ボランティア活動から戻った友人とこの劇の思い出話が弾み、忘れがたいシーンとそこで浮かんだ受け止め方が一致した。友人の分と合わせて遅まきながら感想を述べたい。
     そのシーンは暗い舞台にいくつかの灯明が揺らめく場面であり、この瞬間、ストーリーも空間も時間も超えた鎮魂の祈りで舞台も客席も溶け合ったように感じた。
     この時期に創られたさまざまなジャンルの作品で震災や一連の事故の影響を免れたものは稀有であり、この場面で過去の戦争や災害に加えて、3月の震災で失われた魂達の回帰する舞台としての“港”も表されたのではないかというのが私達の憶測である。やりばのない鬱屈した想いをここで癒してもらえた。
     白いマリアの口ずさむ「聞かせてよ愛の言葉を」も心に沁みた。
    黒い衣装で実存主義者のアイドルとなったジュリエット・グレコの持ち歌でもあり、昭和40年代の追憶も楽しませてもらった。
     人生の年輪に応じた味わいを発見させてくれる吉田小夏氏の
    さらなる活躍を期待している。

  • 満足度★★★★★

    今更ですけど…
    なかなか感想を書くタイミングを逃していたんですが、私的に凄くストライクだったので折角だし書こうかと思います。
    まず舞台美術が素敵。
    無数のドアと灯籠。
    幻想的な雰囲気の中で、優しくてゆっくりと流れる音楽のような物語が観れました。
    役者さんはムラはありましたが、役作りはしっかりできていたし、なによりも脚本の美しさにびっくり。
    中だるみをしていても、なんだかそれも味かななんて思っちゃうあたり、完全に私の好みなんですが…笑
    とにかく、観れてよかったです。

  • 満足度★★★★

    観客の事を良く考えている。
    まず、パイプ椅子に座布団が敷いてあり、膝掛けまで準備しているとの事。
    大変好感が持てます。長時間椅子に座るのは、やはり厳しいもの。

    さて、お芝居ですが、まず劇場空間に圧巻。
    次に役者の方の実力とでも言うのか空間のおかげなのか分からないが、まるでその場所(物語)に自分もいるかの様な錯覚。
    人物の内面が丁寧に表現されており、良かった。
    何も考えずにゆっくり観られる、そんな感じのお芝居でした。
    時代設定は昭和との事ですが、その時代の雰囲気が出ており、良かった。

  • 満足度★★★★

    白い二人、「聖俗」「祈り」「命」そしてマリア
    すごく気に入ったのですが、何がどう気に入ったのか、なかなか感想を書きづらく思っていました。私はどうやら「温かく重い」ものを受け取ったようなんだけど、それが何なのか、不完全ですが、書いてみます。

    たくさんのドアと街灯の舞台美術をみて最初の印象は「絵本のよう」と思いました。そして、街灯は「なんか人魂(たましい)みたい」と感じました。
    (この最初の印象は間違っていないことにあとで気づきます)

    このお芝居で白い服を着た登場人物は二人。街娼Mと猫ナナシです。
    街娼と捨て猫、一番汚い、一番穢れた存在が白い服を着ている。

    彼らが白い服を着ている意味は二つあるように思います。
    (以下ネタバレBOXにて)


    ネタバレBOX


    ひとつは最も穢れた存在が最も神聖なものにつながる、ということのように思います。聖と俗は対比されながら、つながる。
    聖書のなかで、イエスが最初に弟子にしたのは徴税人や罪人でした。
    あるいは、心の貧しい人々は幸いである、悲しむ人々は幸いである、そのような世界観に通じるように思います。

    もう一つは、彼らは固有の存在ではなく、抽象的な存在だということ。望まれずに生まれてきた混血の子とその母、そういう類型を描いていることを視覚的に現しているのではないでしょうか。

    ナナシを演じる大西玲子と、Mを演じる木下祐子は、下記の複数の親子を演じます。

    ①水島鞠子の子ども時代(ナナシ=大西)とその母(M=木下)、母が米軍兵に強姦されることが示唆、その後混血の男の子が産まれ、父が間引きをした可能性も示唆
    ②ミッキーこと本田幹子の子ども時代(ナナシ=大西)とその母(M=木下)、ミッキーが孤児院に連れて行かれる道中を描写
    ③ナナシの赤ん坊(大西)を捨てた母(M=木下)、母がMの墓前にひざまずき、懺悔と告別の場面

    直接的にはナナシとMは③のみの関係なのでしょうが、①も②も演じることで、この時代に普遍的だったことを示しているのではないでしょうか。

    私はこの③の場面で泣けて仕方ありませんでした
    ナナシ「来てくれたんだね。ずっと待っていた。ここで。何度も、死にながら。何度も生まれながら。」
    M「あなたを捨てたあの日、『私を離さないで』あなた、はっきりそう言った。声が出るはずもないのに・・・・」

    この白い二人が邂逅する場面で、全ての登場人物がユリの花を捧げて祈ります。
    「祈り」はこの劇のテーマのひとつと思われます。

    もう一箇所全ての人物が出てきて祈る場面があります。

    舞台上手上方で史子(高橋智子)と松田(荒井志郎)が丘の上の墓所とそこで眠る「望まれずに生まれてきた命」について語り、舞台中央クレモンティーヌ(足立誠)が「これまで看取ってきた猫の名前を挙げる」シーンが並走する場面。
    (ナナシが「何度も死にながら何度も生まれながら」というように、この舞台では猫は魂の現われとして描かれています)

    ここで、他の人物が全員ろうそくを持って登場します。
    跪いて祈る姿ではないですが、これも鎮魂の祈り。
    戯曲を見ると「無数の魂が灯火となり、丘から降りてきて、食卓や階段の周りに集まってくる」と書いてありました。ああ、やはりこれは魂なんだ、と得心しました。美しい場面でした。

    実は、舞台美術の私の第一印象は「たくさんのドアとたくさんの街灯、街灯はまるで魂みたい・・」と感じた、そのイメージが強調されて出てきて揺さぶられたのだと思います。
    魂と呼ばれているものは実は「命」そのものです。たくさんの命の存在を感じることが出来るから、格別に美しく、揺さぶられるのだと思います。

    このお芝居では、混血の子=望まれずに生まれた命、だけでなく、ユリ(小瀧万梨子)は乳がんで乳房を失いますし、松田は無精子症と、「欠けた命」をも描いた群像劇になっています。命、生きていることの奇跡を強く感じさせられます。

    このお芝居の何が気に入ったのか、気になったのか・・・
    私にとってのキーワードは「聖と俗」、「祈り」と「命」という感じでしょうか。
    大きなテーマにつながる世界を水島家の長女鞠子(福寿奈央)中心にしっかりと束ねているので、優れた舞台になっているのだと思いました。

    この3つのキーワードをひとつにすると多分「マリア」になるのだと思います。

    マリアは特定人物を指すものではないと思います。
    街娼M=メリーさんとも、長女鞠子とも、またナナシも自分のことを「マリア」と呼んでいますし、ユリも・・・百合の花はマリア様の象徴ですよね。そういえば終盤、善次郎(林竜三)にも「マリア様みたい」といわれていましたね。
    マリア様=女性性一般でも、いいのでは。

    久しぶりに、女性性が強く肯定された世界に触れて、こういうのも気持ちよいな、と思いました。
  • 満足度★★★

    理由は解りませんが
    少し涙が出ました。
    でも、なんででしょうね、空間と空気感がよかったです。
    みんななにかしら事情を持っているのが多過ぎな気もしますが
    少しだけ明るく替わって行く毎日を見ている感じがいいですね。

  • よこはま
    観劇から、一週間が経った。
    浮かされるような日々も過ぎ、ようやく、ことばに纏めることができそうなので、ここに綴りたいと、思う。

    ネタバレBOX

    劇場に足を踏み入れた瞬間、夢のような舞台美術に心を奪われ、息をするのも忘れ灯籠を眺めていた。
    あの現実離れした空間、何処よりも淀んだ空気が溜まる場であるはずなのに、汚れをなくした空間だったからこそ、猫のナナシの目で眺めた世界、「無名性」が表現されていたのではないか、と思う。

    冒頭で、眠るようにノアが息をひきとってからの鮮やかな場面の転換、「わたしは、今夜、死にました」ではじまる猫のあいした街、横浜を描写することば。ふいに訪れる夜、ひるがえるスカートの色彩、音楽。

    あの美しさを、ことばであらわしたいのに、うまくあらわすことができない。


    わたしは。横浜を、知らない。
    そこで吹く風も、
    異人街も、煉瓦の道も、さびれた裏通りも、白い十字架が並ぶ丘も、街にこびりつく哀しさも、なにも。

    それどころか、なにもかもが揃った世界に生まれてきたわたしは。
    肌に刻みこまれた記憶として、戦争を、もたない。

    けれどなぜだか。劇で描かれた風景を、ひどく懐かしい、と。夕暮れ時にマリアが歌うのを、とおい昔にこの目でみた、そんな気がした。

    横浜、と次に耳にする事があったらわたしはきっと。
    中華街ではなく、港でもなく、この作品を思い出す。そんな気がする。
    素敵な作品を、ありがとう。
  • 満足度★★★★

    美しく切ない
    星のホールは、行く度に「どんな舞台を見せてくれるのだろう?」と期待してしまう。
    今回も期待を裏切らない素敵な舞台でした。
    ただ、話が進むに連れて、綺麗過ぎるというか、綺麗な所だけ切り取ったように感じて・・・。

  • 満足度★★★★

    「いのち」の連鎖
    会場で配布されていた「作者の言葉」に、この作品への意図の一端が
    垣間見えるような気がしました。 「親」から「子」へ、またさらに「その子」へ。

    いつしかその場所から建物や独特の「匂い」「雰囲気」のようなものが
    消えてなくなってしまっても、「人」を介して「記憶」は受け継がれていく。
    横浜の街角の片隅にひっそり在るパール食堂が、その連鎖の一部に
    あるような、そんなささやかだけど、広がりのある作品でした。

    ネタバレBOX

    「生命が幾多の場所を経て、再び回帰する」というのは、
    ままごと『わが星』にテーマが近いですね。後半特に
    ファンタジックな展開になっていくところも含めて。

    ただ、決定的に違う部分も、あります。

    「女性であることの哀しみ」「喜び」「温かさ」。全部観ることが
    出来たけど、中でも「哀しみ」を強く感じました。何だろう、
    心の中に深い悲しみを密かに沈めていても、それだけじゃない。

    そういう「人間臭さ」を感じました。 吉田氏の筆致は、説明過剰に
    ならずに、地に足のついた「人間の姿」があるのが魅力だと思います。
    作者の願望に陥っていない、そこが素晴らしいです。

    結構重い背景を、登場人物達が抱えていながらもそれを
    中和するような美しい演出、特に照明を使ったものが素敵で
    まるで、「一時代に起こった夢の話」を聞かされているような
    気持ちでした。 

    あの、時間軸、そして場所まで表現する照明は本当に凄い。
    舞台の幻想性に相当貢献していましたね。

    グッとくる台詞、胸をつかれるような場面は結構あったけど、

    ・クレモンティーヌの台詞、「『去る者を追わず』と『別れる』とは
    違うのよ」
    ・善次郎がユリを迎えに行くところ、「マリア様みてえだ…」に
    至るまでの場面
    ・ラスト直前、捧げられる百合の花の中、「名無しの猫」が
    生まれ変わることを告げ、自身の墓詣でに来た親に、名前を
    付けてね、と懇願する場面

    は、思わず涙が出ました。 舞台空間と同じように広がりのある
    作品でした。マリアのように、そっとそこに佇んでいるような、
    誰かを待っているような。
  • 満足度★★★★

    見事!
    しっとりとした、優しく、切ない世界。見事!としか言いようがない。ただキレイすぎて、路地裏の猥雑な感じが少しくらいあってもいいのではないかとも思いましたが。

  • 満足度★★★

    やや期待ハズレとマンネリ感
    青☆組さん、観劇3回目。

    これまでは、狭い劇場で、同好の観客層に囲まれて、一人異質な観客として、緊張感で観ていたせいか、張り詰めた空気の中で、舞台に否応なく同化せざるを得ない環境があったのですが、三鷹の広い劇場では、そういった束縛感もなかったせいか、やや緊張に欠ける観劇時間となりました。

    だから、マンネリ感を感じたのは、きっと、個人的な私独自の理由によるのかもしれません。

    でも、どうも、今回の舞台、制作サイドにも、悪い意味での慣れを感じてしまいました。

    同じ役者さんが、いつも、似たようなキャラクターを演じるという点でも、ストーリーに作品の独自性を感じない点でも、一部の役者さんに、役になりきる気構えが足りなさそうに見えるのも、私には、全てパンチ不足に感じられました。

    大西さん、木下さん、荒井さん、櫻井さんは、自然に役を生きていらして、素敵でした。

    ネタバレBOX

    またもや、猫と、ミカン。

    最近、遭遇することが多く、個人的にちょっと食傷気味で、またか!と心が萎えました。

    でも、大西さん演じる猫には哀愁があり、独白の場面は、詩的で、照明の程好さと相俟って、魅入ってしまいました。

    松田が、史子と結婚できない理由を語るシーン、生理的に不快でした。
    たぶん、これは、青年団の常套手段の観客騙しの手法で、作者が描きたかったストーリーではないように感じられたもので…。(これは、私にとっての観劇アレルゲンなので、被害妄想的過剰反応かもしれませんが)

    この作品、今回のキャストではなく、もっと実績のある役者さんで上演することがあれば、もう一度観てみてもいいかなと思っています。
  • 満足度★★★★

    秀麗な舞台
    話の内容と展開そして舞台設定、役者さんの質、全てにおいて高いレベルだとは思うのですが、観終わった最初の感想として何かが足りなくて何かが多いなあと感じました。初めて見た舞台でしたら文句無く手放しで褒め称えたのかも知れません。しかし、一度基準を上げてしまった分期待が大きすぎたのもいけなかったかし、冒頭の入りから、もうこれは絶対面白くなるとさらにハードルを上げてしまったのも問題ですね。
    既にK点を越えている作品に対して、さらに求めてしまった自分の責任ですかね。

    ネタバレBOX

    横浜生まれの横浜育ちの自分には、グッと来るものがありました。
  • 満足度★★★

    猫さんよかったです
    同じ星のホールで観た「ままごと」の『わが星』の女の子を思い出しました。全体としては、私には向いてなかったようです。

    ネタバレBOX

    うかがったところによると死んだ猫が女子高生になったということだそうです。序盤に学生さんの手の中で死んだ猫と学生さんが最後に友達となったという筋が私には気がつきませんでした、単なる2役と思ってました。でも評価は同じです。
  • 満足度★★★★★

    さらに格調高く!
    アトリエ春風舎を中心に細部の細部までこだわったていねいな作りが売りの青☆組。その青☆組が三鷹市芸術文化センター星のホールという広い舞台を吉田小夏がどう料理するのかが注目された。

    結論から先に言えば、見事に使い切っていた。特に舞台美術が見事で、街の街灯のようであり、燈籠のようでもある照明が舞台をさらに幻想空間にしている。

    うまい役者、磨き上げられた台詞、さほど劇的なことが起こるわけでもないのに、人生の機微に触れ観ている人の心に染みいる情感あふれるシナリオ、すべてが相まって格調高い作品に仕上がっている。

    今回、この劇の象徴的存在である娼婦を演じた木下佑子と次女を演じた高橋智子がとても姿勢がいいことに感動。立っているだけで絵になる。魅力的な女優だ。

    これから青☆組は劇団制になるとのこと。これからがますます楽しみだ。

このページのQRコードです。

拡大