パール食堂のマリア 公演情報 パール食堂のマリア」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
21-40件 / 45件中
  • 満足度★★★★★

    それぞれの時間たちに組み上げられた籠に抱かれたような
    三鷹の広い空間を得て
    これまでの青☆組の凝縮された洗練とはことなる
    広がりをもった質感を感じることができました。

    街の風情を組み上げる、
    登場人物たちのいくつもの時間の流れに
    したたかに抱かれ
    浸潤されました。

    ネタバレBOX

    場内に足を踏み入れると
    舞台上にはすでに、
    物語のテンションがあって。
    しっかりと時が舞台に流れている。

    トンネル、コンクリートの階段状の坂、
    裏町の風情、
    そして人々。

    それぞれのキャラクターが紡ぐ時間に
    因果があって
    それが街の風情として
    しっかりと組み上がっていきます。

    時の流れが舫を解かれ
    繊細で緻密なだけではない、
    切っ先をしっかりと持った語り口で
    描かれる時間たちが
    それぞれの歩みをを浮かび上がらせて。

    気が付けば
    その街の空気で呼吸をして、
    その時間に浸され、
    大仰な言い方ですが、
    生きることの質感に深く浸潤されてしましました。


  • 満足度★★★★★

    天才肌の傑作
    アワード候補。よすぎてコメント書けず。

  • 満足度★★★★★

    空間美
    空間を活かした美術、素敵でした。劇場の空間と役者さんの力量で、時、場、想いと、様々な世界に導いてくれるのが、素晴らしかったです。切なくても、愛おしさや優しさに包まれる、小夏さんの世界観は、やっぱり、好きです。

  • 満足度★★★★★

    祈り、とどきました。
    観たあと、ふと気が付くとなぜか人に優しくなっている。それが吉田小夏の世界!

  • 満足度★★

    演技!
    役者の演技がいまいち。あの程度の演技では物語の世界には入れない。セットが素敵だった。女優さん2人、スタイルがとても良い。

  • 満足度★★★★

    蜜柑色の夕暮れのような作品
    凄く練られた脚本は繊細で素晴らしいと思いました。が、演出に物足りなさを感じてしまいました。寂しさや生々しさを感じなかった・・美術のセットもですが、汚いところ、嫌らしいところをオブラートに包んでいるように思えたから、ほんの少しのスパイスみたいなものが欲しかったのかもしれません。回想シーンを含め詰め込み感も感じたので、何かをちょっと引いて、もっとピリリと描写にリアリティーを見せてほしかったのかも。劇団のカラーなのでしょうか。でも、私が感じ取れなかっただけかもしれません。シャンソンでも流れていたらなぁ・・。←追記:劇場・劇中にシャンソンが流れていたようです。知らない曲で、しかも自然過ぎて気づかなかったようです。ごめんなさい。

  • 満足度★★★

    みた
    何度か見ている側の欲なんだろうとは思いながらも、10年という節目であるとは知りながらも、何かもっとはみ出したものを見たかった。
    良くも悪くも安心して見られてしまう。まったく共感できない人間、見ていて負の気分を催される人物が誰もいなくて、優しさの意味について考えさせられる。
    あれこれ想像する余地を残しながら、きれいな環を描いてみせるのは誰でもできる技ではないと分かるけれども。

  • 満足度★★★★★

    さなぎが蝶に孵るように
    吉田小夏さんの作品は完成度高く商業にいつでも持っていけると言ってきたがそれが証明された。素晴らしい美術、万遍なく配置された人物とエンタメとして行き届いた物語、横浜の黄金風景を立ち上らせる魔術。猫のようにして人間たちを見つめる優しい眼差し。必見。

    ネタバレBOX

    私見だが、小夏さんの作品はぜんぶ面白いが、作品全てに「女」としての怨念がこもっていてある意味怖いと思ってきた。男たちの愚かさに対して先ず恨みの視線があるように感じていた。(身に覚えのある)男としてはぎゃーって悲鳴をいつもあげていた。しかし「パール食堂のマリア」ではこれが大いに変質していた。

    男たちの愚かさに対する慈愛の眼差しがあった。男たちだけでなく人間の営み全てに対する慈しみの眼差しがそこにあった。女は女でも恨んだり憎んだり悲しんだりする女ではなく、醜くても可愛いわが子(あいのこ、ハーフとか)を愛おしむ聖母の眼差しで書かれた物語だった。

    それはタイトルや物語の中に聖母の名前が乱舞することからも知ることができる。

    吉田小夏さんの芝居は、舞台の規模が巨大になるにつれ、演劇的な色合いも、立派な商業性をもった物に変容したが、それだけでなく、作家としての美しい変容を感じた。今回公演、さなぎが蝶に孵った記念すべき公演となった。

    とは言うモノの、今後は、たまにでいいので、男を追い詰める恐ろしさの芝居もまた書いて欲しい。マゾ的にはちくちく刺され、いたたまれなくなるあの客席も、たまにはうれしい。でも「たまには」でいい。基本はマリアのままでいて(笑)

    終演後、小夏さんや、木下ボッコさん、荒井志郎さん、櫻井竜くんらに挨拶。ProjectBUNGAKUの仲間たちが元気に派手にやってるのが嬉しい。あれ?っと思ったけど櫻井くんは谷くんのに出てたんだっけ。小夏さんがさらに美しくなっていた。
  • 満足度★★★★

    公演観劇後
    必ず台本を購入。読むと新たな発見があったりして楽しめるし、忘れたくないってこともある。小説集楽しみです。
    ナナシの語るセリフが印象的。

  • 満足度★★★★

    昭和47年横浜港町のとある食堂
    を舞台に描いた群像劇。この時代の横浜港町はワタクシには解らないが、たぶん、路地裏では犬や猫が徘徊し、米軍人を相手に如何わしいバーや大衆飲み屋やストリップ劇場などが盛んな色町と同居するように、高級とは言えない人々が暮らす下町の混在した香りのする街だと推測する。だとしたら・・・

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    今回の云わば整然とした人間臭い香りのしないセットにどうも違和感を感じてしまう。薄ぼんやりと照らす灯篭のようなライトや照明や天から下がった真新しいカラードアはあまりにも下町にそぐわない幻想的で優美なのだった。セット自体は本当に素晴らしいセットだと思うがこの物語には合わないセットのような気がする。

    説明 には「なにもかもが流れ着く港町の片隅に、小さな食堂を営む一家があった。」とあるのだから、どう想像しても賑やかで猥雑な港町の風景しか想像できないのだ。また物語もミッキーや牧田のような黒い肌の混血児が望まれないまま生まれてしまうのだから、色町で起こる事柄や、港町の女たちが外人に強姦されて出来た子らだと考えると、やはりセットと物語が合っていないように感じた。

    物語にパール食堂の近くで営業するオカマバーの店主・クレモンティーヌ、娼婦のメリーなどが登場する。今までの青☆組は家族を中心に温かな物語を綴ってきたが、「家族」から「町」に風景は広がったものの、最終的にはやはり家族愛を主軸に描いていたと思う。だから、姉が妹を詰るシーンは落涙し、姉独特の家族を思い遣る犠牲的精神と妹の性格との対比が絶妙だった。

    また片乳を取ったユリの涙がバックライトに反射して煌めきながら落ちる粒の美しさに鳥肌が立ち、これに感動して泣かされた。泣き所は数か所あったが、こういった物語の構成ははやり見事だと思う。

    横浜メリーを演じた木下裕子はワタクシの大好きな女優の一人だが、彼女はなまじ品がある為に、売春婦のメリーではなく、王妃のように感じてしまうのだから、生まれ持った品性というものは動かしがたいのだなと改めて感じる。

    この物語に人間臭さや街独自のアジア的香りや下町の裏路地で匂ってくる酸っぱい匂いが混じっていたなら港町の群像劇としては傑作だと感じたがいかがだろうか?

    青年団から独立した「青☆組」に荒井志郎, 福寿奈央, 林竜三, 藤川修二が入られたようで嬉しい限りだ。
  • 無題73
    あいませんでした。セットや、上下左右をうまく使った演出は構図として美しいし、衣装、照明もよかったと思います。もちろん、役者さん、それぞれ味わいがあって、有隣堂というと伊勢佐木町かな、墓地は外人墓地のことかな、と思いめぐらしながら観劇。でも、あわなかったんです。台本を買ったので、もう少し考えてみます。

    ネタバレBOX

    ■まだ雑記■
    パズルのピースがたくさんあって、手に取るととても丁寧な仕上げになっている。身近に置いておきたいくらい。でも、それを組み合わせてできたものは「普通」の風景。全部集めないと「絵」にはならないけど、無理してでも予め決められた通りに組み合わせなければならない。ピースがピース自身の意思で自分の場所を探し求め、運命的とも言える必然によって隣のピースと邂逅。そこには時代に翻弄された小さな命だから分かり合えるものがあるはず。そして出会うものがなかったピースは、静かに、ひっそりと、自身の色を陽の色に染め変える。徐々に薄れ、風景に溶け込んでいつか忘れさられる。

    ■以下、思い込み■
    「普通の仕事」を見つけるのは難しいと分かっているのだから、人一倍努力をするのではないかな。そうでなければ鞠子が惹かれる理由がないのでは?小さな店だけど、味にこだわりを持っている、そんな店だからこそ継ごうと思うのでは?食堂が少しも食堂らしくない。

    海の色は…灰色じゃダメだと思う。横浜に灰色は似合わない。朝が来れば、陽が昇る海じゃないと。

    綺麗な砂糖菓子でできたような街並み。 港の油臭さ、裏道のすえた匂いもなく、茶菓子にはビスケットがでてくる。カモメの声が聞こえるから港は近いのだろう。でも潮風は感じない。何も動かない。実際にはない観光用の絵葉書のよう。

    悲しみ…不妊、体の中のデキもの、わが眼でみることもなく喪った子、頭の中の父…女性の視点。みていて、なぜか焦点が合わない、そういうことなのかもしれない。鼓動が聞こえてこない…違うな。こちらの波長がズレているんだ。最初は小さくとも重なってゆくもの。
  • 満足度★★★★

    素晴らしい
    いつもの春風舎よりも劇場にマッチしてると思った。
    空間を支配していた。
    なるほど、大きい劇場の方が青☆組は活きるのか・・・。

  • 満足度★★★★★

    宇宙空間に浮かんだ日常。
    言葉にする時に、
    あんな言葉を口にできたら、
    世界はぐるりと変わるかもしれない。
    なんか優しいんだよなぁ。

    青✩組の芝居を見て
    いつも思うこと。

    素敵なセリフが星の数ほどありました。
    おかげで幸せな眠りにつけそうです。

  • 満足度★★★★

    青☆組初めて観ました
    星のホールは好きな劇場のひとつです。

    劇場に入りセットを見た瞬間に、ああこれはいい感じだなとの印象を持ちました。始まるとその期待を裏切ることなく、すばらしい芝居が展開されました。
    なんかピュアな感じで、冷たくておいしい水を飲んだような気がしました。

    10周年ということですが、これからもますますの活躍を祈念いたします。
    おめでとうございました。

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい
    上品で上質なお芝居に感動。
    大きな劇場でよりスケールが大きくなった印象を受けました。
    登場人物がどこか人間らしくて暖かい。
    少し凝った演出も丁寧に作られているからわかりやすい。
    いつまでも観ていられるお芝居でした。

    本当に楽しいひと時でした。

    所用で、アフタートーク観られず残念。

  • 満足度★★★★

    「生」と「性」に一筋「聖」の光が射し込む
    青☆組の劇団化最初の舞台。
    それは、大きな舞台への第一歩を確実に示した。

    ネタバレBOX

    青☆組の舞台は品(ひん)がある。
    どんな設定の世界でもその中には必ず品がある。

    今回の舞台では、品に加え、また新たな魅力を見せてくれた。
    それは、舞台のサイズから来ているものかもしれない。
    今までは、どちらかと言うと小さめのサイズの舞台で上演され、あらゆる要素が刺繍糸のように組み合わされ、手のひらに乗るような凝縮された世界を見せてくれていた。
    今回は、星のホールという広い会場での公演であり、今までになく大きなセット、しかも段差が大きく取られたセットが組まれている。
    このサイズをどう使いこなすのか、で大きな舞台に進出した演出家の技量が問われると言っていいと思う。もちろん、何度か経験を積みつつ、それぞれのサイズに最適な演出方法をつかみ取っていくものであり、一気にできるものではないと思うが。

    青☆組の今回の舞台は、このサイズにより、「間」が生まれたと思う。それは「時」と「空間」という「間」だ。
    今までの青☆組の舞台でも、台詞の「間」はとても意味があり、効果的であったが、今回の「間」はまた別の意味を帯びていたように感じた。
    それは「時代」だったり「家(家族)から外の世界」への広がりだったりを感じさせるものとなっていた。

    つまり、今までの青☆組の舞台では、あくまでも「家(家族)」だけに収斂していく物語であったのだが、今回は1つの家(家族)を核としつつ、さらにそれの周囲へと物語が染み出していく感覚があったのだ。
    さらに1つの家族を軸にしながら、もうひとつ大きな軸がラストで見えてくるという、スケール感があったのだ。それは、「生」、それも「つながり、続く生」という軸である。

    「つながり、続く生」とは、もちろん「性」と一体のものであり、切り離してはとらえられない。昭和47年の設定がここで活きてくると考えてもいいと思う。
    つまり、「つながり、続く生」が唯一の「正解」、あるいは「正義」として、さらに「現代」に近い時代で成り立っていたギリギリのラインがそれぐらいの昭和だったのではないかと言うことなのだ。
    現代の多様化はそれが唯一の正解でもなく、むろん正義でもなくなっているので、現代を舞台にして、それを軸にとらえることは少々困難だっただろうと思う。そのテーマのための、時代設定ではなかったのだろうか。

    それは実のところ、作者の意図せざるところかもしれないのだが、「つながり、続く生ではないモノ」の排除を強く感じさせてしまう。
    例えば、おかまバーのマスターや次女の恋人の存在が、舞台から排除されていく様は、昭和47年ならば致し方ないと思いつつも、そのオトシマエのような覚悟、あるいはメッセージみたいなものが欲しいと思うのだ。もちろん、作者の意図があくまでも「続く生」=「正しい」と言うのであればそれでもいいのだが。

    次女は恋人の告白に涙し、父親と寄席に行き癒される、おかまバーのマスターは帰ってこないで、自分の代わりの小さなミカン(=クレモンティーヌ=マスターの名前)を送ってくる、という程度のオチでは、個人的には今ひとつ納得できないのだ。
    そうした重いモノを選んだからには、だ。

    パール食堂のある場所というのは、親不孝通りとか有隣堂とかメリーさん(マリーさん)とかギリシャ水夫とかという言葉が出てくることで、「ああ、あのあたりかな」となんとなく見当がつく。
    日の出駅に近いほうだったりすると(さすがに昭和47年頃は知らないが、それでも昭和の頃ならば)、あまり足を踏み入れたりしたくない場所だっただろうと思われる。もちろん余所者であるからその感覚は当然かもしれない。土地勘がないので、歌舞伎町とはまた違ういかがわしさに溢れていたような気がする。

    で、そのあたりを描いているはずのこの舞台には、そうしたパーツはいくつかあるものの、「俗」や「猥雑」さはあまり感じられない。包丁を振り回しても、立ちん坊がいても、ストリップだってきれいに踊っているし。
    その土地に生きる人たちにとっては、それが「普通」であり、「俗」でも「猥雑」でもないということなのかもしれないし、あくまでも青☆組のカラーなのかもしれないが、もう少しそんな臭いが欲しかったのだ。

    臭いということで言えば、「生」と結びつく「食」は大切なポイントとなるのだが、食堂で出される食べ物類の「匂い」だとか、そんなものを感じさせて欲しかった。胃袋を刺激するぐらいの「食べ物感」が欲しかったと思うのだ。せっかく食堂を舞台にしたのだから。

    「性」と「生」が「聖」と結びついていくラストは、ちょっと鳥肌だった。子どもと猫とが「つながり、続く生」を象徴的に表すということで、その役を同じ役者(ナナシ=大西玲子)が演じるということは、なるほどと思った(猫が何度も生き死にするという感じは、『雨と猫と…』にカブリすぎな感はあるのだが)。
    しかも、「名前がない」ということが丘の上のたくさんの十字架と重なり、さらに哀しさが増した。

    今回は衣装がとてもよかった。手を抜かず、きちんと変えて出てくることに好感度は高い。特に次女の衣装が素敵だった。
    セットのことで言えば、いろいろな「俗」なものをギリギリにそぎ落とし、それでもリアルな空気を残しているものであって、今までの青☆組にはなかったもので、劇場のサイズと青☆組の最大公約数をうまくくみ取っていたと思う。
    ただし、個人的な感覚だけど、食堂のセットはもう少しだけ大きくしたほうがよかったのではないだろうか。少し気持ちが拡散するような感覚があったので。

    役者は、長女役の福寿奈央さんの健気さが、また次女役の高橋智子さんの先生ぶり、その恋人役の新井志郎さんの哀しみが印象に残る。ユリ役の小瀧万梨子さんのダンサーぶり(ダンス)もなかなかだった。

    「パール食堂」は、実在の店名らしいが、店主の想いが込められていたりするとなお良かったかな。
  • 満足度★★★★★

    10周年おめでとうございます
    初日観劇。吉田小夏さんによって丁寧に丁寧に紡ぎ出された愛おしい物語。劇場が大きくなることによって空気感が薄まることを懸念しておりましたが、全くそのようなことはありませんでした。楽日にもう一度観るのが今から楽しみです。

  • 201107311800
    201107311800@三鷹市芸術文化センター 星のホール/終演後ppt有

  • 10周年
    継続は力なりです。
    今後も頑張って下さい。

  • 満足度★★★★★

    切なくて素晴らしい!!
    横浜の哀しさが様々な登場人物を通して描かれていました。表現方法も工夫がみられ、小夏さんの一つの集大成とも思える素晴らしい作品でした。

    ネタバレBOX

    パール食堂の親子を中心に、近隣の人々を通して横浜の哀しさがいっぱい溢れていました。ただ、東京のやつらとか、あの丘の上の墓地とか、港が見えるとかいった表現はありましたが、横浜という言葉は出てこなかったと思います。それでも具体的に横浜のことだと分かり、かつ戦後を引きずっていたあの当時の日本が伝わってきました。

    混血児の哀しさもさることながら、間引きの実態も明らかにされました。悲しい現実です。

    お母さんがお父さんに将来のこととして混血児の雇用をお願いしたシーンがありました。贖罪としてのお母さんの意志だったことが明白にされましたが、あの言葉が無くてもパール食堂のコックさんが混血児である理由はほんのりと伝わっていたと思います。

    ストリップ劇場の支配人と踊り子の関係、オカマバーの店主の望郷の念、美容院親子の男の子と母親らしい関係もくすぐられました。妹の同僚の松田先生をあんな設定にまでしなくてもと気の毒になりましたが、愛のりんごの効果か姉とコックの光治の関係に光明が見えてきてホッとしました。

    下手と上手上部の別々の場所のシーンで、交互に台詞を言いながら会話するという手法は難しいだろうなと思いつつ新鮮に感じました。

    パール食堂のテーブルの一部がバーのシートにも使われていましたが、違和感無くとても自然な流れでした。

    ここでも100万回生きた猫がモチーフになっているように思えました。そんな猫や猫たちの魂、姉の子供時代などを演じたナナシの存在が素敵でした。

    吉田小夏さんの集大成とも思える切なくて泣けて、それでいて笑って迎える明日がある、そんな作品でした。

    因みに、この話から10年後に私もメリーさんを見掛けたことがあります。初めて見たときは白粉の白さにぎょっとしたことを覚えています。

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