仏教キリスト教イスラム教(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!) 公演情報 仏教キリスト教イスラム教(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.4
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★★

    仏教キリスト教イスラム教!のフレーズは最高。
    内容はタイトルと殆ど関係なかったです。所々でオマージュ的なものはあったけど。
    雰囲気は範宙遊泳の学生演劇っぽい感じ。範宙はわたしあまり好きな芝居ではないんですが、この劇団はかなり好感が持てました。
    展開は有りがちなヒーローものみたい。でもって最後の最後で、いい意味でズッコケさせられました。
    多分ほぼ同い年、もしくは一個上の人たちでやっているお芝居だからこそ、私は色々共感して観れた感があります。だからある意味若さで押し切った感が否めなかった。それが狙いなら成功なのかな。

    また次回公演も観れたら行きたいとおもいました。

  • 満足度★★★

    宗教というより精神療法?
    奇妙なネーミングの劇団だなぁと思い、興味を持ちました。

    「仏教!キリスト教!イスラム教!」という声が耳にこびりついてしまいました(笑)。

    ハイバイの岩井さんの演劇療法を連想するような、演劇によって自分の殻を打ち破ろうとする若者たちの姿にはすがすがしさを感じました。

    自己解放という点では宗教的かもしれませんが、次回予告を読むと、ネットと引きこもりを題材にするとのことで、劇団コンセプトに宗教を掲げる必然性があるのかなという疑問は感じました。

    今後どう進化、変容してしていくのかなという興味があります。

    追記させていただくと、観劇前に江戸東京博物館で「五百羅漢」の展覧会を観てきまして、仏教画のパンクなグロテスクさ、ぶっとび加減に「ピャー!」となり、この劇の一種異様な雰囲気にも入り込めた気がします。


    ネタバレBOX

    舞台の壁や床には『少年ジャンプ』の切り抜きがコラージュされ、奈良美智や草間彌生の複製画のようなパネルもあり、多摩美大系らしく、 なかなかアートっぽくポップな舞台美術でした。


    途中、生理的に「勘弁してよ!」と思う場面もありましたが、冒頭が最後の場面につながるあたり「へぇー、そういうことだったのか」と納得させられました。

    イスラム教の部分があまりわかるようには表現されてなかったように思いました。

    俳優では、ナレーションを務めるピアの柳瀬晴日さんの口跡のよさ、センニンの吉原千晶さんの性別不詳の迫力、ドレイの塚田朋揮さんのいかにもそれらしい動き、マオウの山元啓太郎さんの表現力が印象に残りました。


    男性はともかく、女性が半裸に近い下着姿になるのはかなり勇気がいることだと思うので、まさに自分の殻を脱ぎ捨てることにつながる表現なのかもしれません。
    学生劇団としてならこういう試みもユニークで面白いですが、最後の告白タイムは今回に限ったことなんでしょうか?

    宗教も個人のエゴや見栄を捨てることが求められ、最後の各自の告白で、個々にコンプレックスや弱さ、悩みなどを語るので宗教的告白にも感じられました。

    同時に、いま演劇をやっている人たちもまた、彼らのように、いろんな動機があって演劇を始めたんだろうなと思いながら聞いていました。

    ご家族に某有名宗教団体の信者がいるという人の、ユーモアを交えた体験にはふき出してしまいました。



  • 満足度★★★

    好き嫌いが分かれる内容? でも、あえて「宗教」にしなくても・・・
    好き嫌いが分かれる内容と思います。
    まあ、私は嫌いじゃない(笑)

    話は、大雑把に言えば、修行して悪に勝つ、みたいな「良くある話」で、
    非常に乱暴なたとえをすれば、(細部はまったく違うけど)
    オペラの魔笛などともかなり大まかには似てるかな?
    それに、話がばかばかしいところもね。


    さて、会場に入ると、床はゴミ屋敷のように、漫画雑誌の切抜きのようなもので充満し、
    壁にも同じ様なものが貼られている(この日途中で一部剥がれ出したのはご愛嬌)。

    上の方には、裸のマネキン人形や、ウ○コのようなものも含め、ぶら下がっている。
    そして、土に埋もれた9歳の少年と後で明かされる役の役者のみ、
    開演前からすでに埋もれたまま、怪しい視線できょろきょろしている・・・。
    要するに、ここまでまったく「宗教」らしくない、というかむしろ対極。

    そして、皆さんすでに書かれているように、下着姿で元気な踊りがまずあって、
    それから、修行して悪に勝つという筋書きが漫画風に、かつかなりいい加減に進んで行くのは冒頭申したとおりで、
    そして最後に突然、おふざけの雰囲気から、急にマジ告白になるのも、皆様のとおりです(笑)

    ネタバレBOX

    それで、私が何より印象を受けたのは、埋もれた少年ピア役の、
    (でも実際に演じるのは若い美人の)女優さん(柳瀬晴日)!
    公演が始まると顔の表情も豊かだし、滑舌もいいし、声の表情もいい。
    ナレーター役のみならず時としてリコーダーを吹いたり
    シャボン玉を飛ばしたりの手伝いもし、
    埋もれているので身体の動きはないものの、非常に存在感がありましたね。

    ただ、内容自体が猥雑な部分も多く、例えば男性のシンボルが(もちろん本物は露出できないが)、かなりリアルなものが登場し、
    もしかしたらこれだけで引いちゃう女性もいるように思った。
    それでも、坂上忍作品のような、乱暴な猥雑さはないのだけど、
    それだけに、あえてそこまでやらなくてもいいんじゃない、
    むしろやらないほうが良い笑い取れるのに、と言う気にもなった。

    それから、「 「仏教」を「努力」、「キリスト教」を「友情」、「イスラム教」を「勝利」に大胆に当てはめ、それらを統合し誕生した」という解説だけど、
    まあこれはひどいこじつけですね(笑)
    だから、何も宗教に結び付けなくても良いと思うし、
    むしろ、宗教にこじつけにしろ結び付けようという手法を無理に続けると、
    今後の活動領域をかえって狭める気さえしてしまう。

    最後のマジ告白も手法としては面白いが、毎回これというわけにも行かないだろうし、
    聞いているとむしろカウンセリングというか精神分析とか精神療法という印象を受けた。
    つまりこの点でも宗教に引っ付けなくて良いな、と思った。

    なお、余談だが、昔は、人生相談、悩み相談、カウンセラー役も、
    実際に宗教者が担っていたのだが、
    今の宗教は、冠婚葬祭のみの毒にも薬にもならない既成宗教か、
    それと真逆としては、有毒なだけのカルト宗教が目立つわけで、
    だから、ある意味宗教が現代社会で占める位置を喪失しつつある、
    ということは、まじめな宗教者にはぜひ考えてほしいところ。
    最後のシーンを観て、なぜか私はそんなことまで考えてしまった。

    それと、訳書をイスラム批判と取られて、命をとられた筑波大の教授も昔いたし、
    それも含めて、あえて既存宗教に結び付けなくて良いのではと思った次第。

    ついでに、最後の告白場面で、「外側を脱ぎ捨て、そのままの自分になる」
    という意味か、(また)下着姿になるわけなのは申したとおりですが、
    特に悪役女性お二人が、ナイスバディであられたので、
    俗人おじさんとしては、嬉しかった・・・。

    それと、私は出口に近いところに座っていたところ、
    会場案内係の美人お嬢様二人が、笑えるシーンで、
    笑いを必死にかみ殺していたのが、むしろ面白かったりもした。

    まあ、そういうような方向へよそ見していても、よそ見と感じられないほど、
    もともと雑多なつくりでございました(悪い意味ではなくね)。
  • 満足度★★★★

    大切な自己表現の場
    地図通りに行ったら小劇場がありそうな雰囲気がこれっぽっちもない立派なビルにぶちあたり、警備のおじさんに「このへんに小さな劇場があるはずなんですが」と聞いたら、地下にあるとのこと。あ、ホントにあった!しかも、中に入ったら建物の外観とは正反対の超怪しいセット!多摩美の人だけあって、センスはかなりいい。

    たしかに、大胆すぎるタイトルで興味を持ったのですが、内容からすると既成宗教の名前を借りる必要などなく、ピャー教でいいのではないでしょうか。

    ネタバレBOX

    最後のクライマックスでは、役者ひとりひとりから、演劇によって自己のさまざまな殻をやぶり、精神的に解放されているという旨の一言があったが、このような場は是非大切にして欲しいです。

    今回はガチでプライベートなカミングアウトに意表をつかれ、思わず心にグッときてしまいました。これも自由な表現の一環だとは思いますが、ある意味最終兵器であって、次回以降はこのパターンは使えないでしょう。

    作品に昇華したらとても面白いものが出来そうな、エネルギーを持っている劇団だと思います。
  • 満足度

    商業としてはどうだろう・・・?
    強烈な個性が出ていましたね。
    ある意味、予想通りというか・・。
    うーん方向性はこのままで行くのだろうか?
    と少々不安や心配が感じられました。
    ちょっと万人受けは、まったくしないでしょうね。
    とは言えます。

    ネタバレBOX

    舞台のつくりはヌイグルミハンターに似てました
    そこらじゅうに少年漫画のページ貼り付けての、
    病んでる系のハイテンション劇でした。
    何処に宗教入るのか疑問でしたが、
    ラストの”素”というか”地”を出しての大カミングアウト大会での
    下着姿告白は心に残りました。
    作品つくって、心のオリ出せて。
    舞台自体も面白く救われていくと良いですね。
  • 満足度★★★★★

    ちからまかせ
    おそろしく「力任せ」の舞台。
    でも嫌いではない。
    むしろ好きだ。

    若い彼らにしかできない、今しか見れない舞台だったと思う。

    旗揚げ公演より格段におもしろかった。
    次回もおもしろいといいなあ。

    ネタバレBOX

    物語の最後はTV版エヴァンゲリオンと同じやりかたで終わる。
    お芝居の登場人物たちは虚構から抜け出し、自らのコンプレックスの赤裸々な告白を通して自己是認に至る。おめでとう!
    「宗教劇団」を名乗る以上は必ずやっておかなければならない儀式であったか。

    劇団員たちがそれぞれの事情でお芝居をするように、わたしたち観客もそれぞれの事情でお芝居を観る。
    いいね、演劇って。
    ついでに、若いっていいね。うらやましいぞ。
  • 満足度★★★★

    舞台そのものが彼らの「宗教」であった
    「宗教劇団」という不気味ネーミング。
    しかも、『仏教キリスト教イスラム教』なんていうタイトル。
    怖いモノ観たさというか、なんか期待と不安半ばで観に行ったのだ。

    「雑」で「ぐだぐだ」だけど、自分と向き合う(あるいはそういう体の)彼らがそこにいた。

    ネタバレBOX

    会場に入るとすでに板付きで俳優がいる。板付きというよりは、泥付きというか、土の中に頭だけ出して埋まっている。
    悪意と悪夢のゴミ箱のようなセットがそこにある。なかなか悪趣味。

    冒頭(ほぼ)前キャストが下着姿で現れ、舞台に置いてある衣装を身に纏う。そして、「仏教キリスト教イスラム教」と歌い踊る。
    これはラストにも結びつくのだが、「始まり」の儀式だ。「虚構への始まり」の宣言であり、「役者」になる儀式である。

    いい意味で「雑」であり「ぐだぐた」であった。

    近未来かそんな感じの時代の話。
    宇宙からの光線で、人々は肉体が変化し、ある者は傷を負ってしまう。
    昔のことしか言えなくなってしまったり、内臓が出てきたり、排泄物の輪が頭の上に付いたりなどなど。
    人々は元に戻りたいと願う。
    ゴローとトネツグは、自分の身体を治すために旅をしている。その途中で出会ったショウジョにトネツグは恋をする。
    ショウジョは男に捕らえられていたところをゴローとトネツグに助けられる。
    ショウジョは、この世界を救うのは、マオウを倒すしかないと告げる。
    ゴロー、トネツグ、ショウジョの3人はマオウと戦うが負けてしまう。
    しかし、ショウジョの口から出てきたセンニンに鍛えられ、再度マオウたちに立ち向かう。
    と、まあこんなストーリーな、少年マンガな世界が展開するのだ。
    (舞台の周囲にはマンガが貼り付けられていた)
    悪との戦い、友情に、鍛錬、恋のフレーバーがあり、主人公の成長ものあり、の世界。

    だが、主人公が悟ったとき、自分の負を含め、すべてを受け入れる、という「ありがちな成長譚」を見せて、さらに「悪」であるはずのマオウが「実は私も最初から悪かったわけではない」的な展開の、あるある感、まではそれほどではなかったのだが、登場する役者全員が、負の疑似(たぶん)体験談を披瀝するにあたって、ここはちょっと鳥肌であった。

    ここで冒頭シーンと重なってくるのだ。
    彼らは来ている衣装を脱ぎながら、つまり最初の下着姿に戻りながら、自分の抱えていたトラウマや今の状態を語るのだ。
    どういう心境でこの劇団に加わったのか、などをヒリヒリ感たっぷりに語る。
    実名を入れながら、あるいは家族との関係、人間関係そのものについて語る姿は、明らかに彼ら自身の姿である。
    「演じている」姿ではない。衣装を脱ぐことで虚構も脱ぎ捨てていく。そして自分の姿で自分を語る。

    この内容そのものが、実は虚構であったとしても(同じ文体なので、よくできた脚本だと思っているが。もちろん役者が自分の言葉にしている)、それはまったく問題ではない。舞台(劇団)そのものが彼らのセラピーであり、シェルターであるということの吐露である。
    つまり、それは「宗教」であり、彼ら自身の本当の姿と向き合った上での「宗教劇団」というネーミングであったのだ。ホンネが聞こえた。

    ここに気がついて「ああ」となった。
    「虚構」の冒険物語は、あくまでプロローグであり、彼らのリハビリでもある。「虚構」としてのみ存在できることに意義がある。
    ラストは、「雑」で「ぐだぐだ」な「虚構」の部分とは一線を画している。
    もちろん、そこまで含めて全部が「虚構」であっても構わない。しかし、ホンネである幹は揺るがないだろう。

    唯一1人、ホンネを語ることのなかったピア(土に首まで埋もれた小学生)の視点が、ト書き的な位置づけにあり、彼ら自身を第三者的な位置から見ている視線であろう。
    自分可愛さに酔いしれるだけでない冷静な視線というものを感じた。この「視線(視点)」こそが「劇団」という形であろう。つまり、それがなければ、薬物や人間不信の中に閉じこもってしまっていたということなのだ。だからとても大切なのだ。

    全体的に悪趣味で、それは若さゆえで、なんかそんな神経も理解できる。理解できる、と言うのはおこがましいが、多くの人が通ってきた道であろうから、理解できると言ってしまう。
    彼らの心象風景は、今はこれでしか表現できないのだろう。


    ストレートプレイを好む、万人向けではないが、「今」観ておく劇団なのかもしれない。
    刹那に存在するというか、何かのedgeのあたりをふらふらしているというか。
    第2回にして、こう切り込んできたのだから、これから自分とどう向き合っていくのか、ということを踏まえて、今後に期待、というか興味津々なのである。

    なんとも気の抜けたのに、ヒリヒリした感じが、舞台の上にあり、「共感」のようにものが生まれる。「不器用さ」ともいえるその感覚があるからかもしれないが、舞台にいる女優たちすべてがキュートに見えてしまう。そんな姿に胸きゅん的な。

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