光子の裁判 ★ご来場ありがとうございました。 公演情報 光子の裁判 ★ご来場ありがとうございました。」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.3
1-10件 / 10件中
  • 満足度★★★★★

    難解な舞台
    難解な舞台といっても前衛劇のような難しさではなく純粋に量子力学というものの難しさである。しかしこれはすごい舞台になるかもしれない。なにしろ原作が朝永振一郎博士。いったい何十年前の戯曲なのだろうか。それをそのまま40分で上演するのではなく、現代の物理学者と現代の劇作家がタッグを組んで、観た者がそれなりに理解できる「新・光子の裁判」を上演してほしいものだ。希望を言えば、ぜひタイトルどおりの裁判劇で。

  • 満足度★★★★

    量子力学祭りは、不条理祭り(わかんないことだらけで笑っちゃう)
    不思議な感じ。
    「光子とはなんぞや」ということを、光子を擬人化して裁判スタイルで説こうとした舞台。
    で、観劇後「光子とはなんぞや」と問われれば「よくわからん」と答えるのが、どうやら正しいようだ。

    にしても、「量子力学演劇」というタイトルは、面白すぎる。

    ネタバレBOX

    本編の『光子の裁判』は、約40分程度。
    その後、役者の善積元さんによる、平田オリザ氏作の落語『素粒子の世界』の一席があり、さらにMITからいらした物理学者の方(お名前失念)を交えたPPTがあった。
    ここまでで、1つのパフォーマンスであったとみた。

    『光子の裁判』は、光子(こうし)を波乃光子(なみのみつこ)と擬人化して、彼女が同時に2つの窓を通り抜けたことを、弁護人が証明していくというもの。
    原作のノーベル物理学賞の朝永振一郎さんは、この『光子の裁判』を、ジョージ・ガモフの一連の作品のようにしたかったのかなぁ、と思ったり。

    まず、舞台にあるのが、光子を観測するための実験装置であるのだが、特に詳しい説明はない。というか、詳しく説明されてもわからないというのが本当だろう。

    そして、彼女が同時に2つの窓を通り抜けたことを、順を追って説明していくのだ。これはわかりやすい。と、思ったら、実はわからないものだったのだ。
    それは当然かもしれない。

    量子力学では、数式や理論では説明できるものが、矛盾していたりするそうだ。だから、舞台の上は、不条理臭(笑)が漂ってくる。理路整然として解説していくのだが、わからないことだらけである。「同時に存在」するというのは、「確率的に存在」することだ、と言われて「なるほど」と思ったところで、「ん? 確率的に存在?」となるし、「観測されているときと、観測されていないときでは行動が違う」というのも「観測???」となってくるのだ。難解というのともやや違う。それは不条理的である。
    理路整然としているのに、不条理とは! 
    これが(たぶん)量子力学というものだろう。違うかもしれないけど、そんなイメージがしたのだ。

    わからないことを、わからないままに演出し、演じて、それをわからない観客がわからないまま観る。そして、その内容は、専門家から見てもわからないことであるという、もう、なんかそんなことなんですよ、量子力学。

    素粒子の世界は、数式などでは解説できるらしいのだが、それならば演劇で、ということがこの企みの根本であろう。
    確かに、解説されてはいたのだが、観客側からの葛藤がないのだ。それはわからないから、というだけではなく、「なんで、2つの窓を同時に通り抜けたぐらいで、裁判で裁かれなくてはならないの?」という根本的な疑問が結局回収されないからということもある。
    そういうドラマ抜きでは、観客は納得しづらいのではないだろうか。別に起承転結をよこせ、と言っているわけではない。

    とは言うものの、刺激は受ける。重なり合う台詞と、強弱の感じは好きだ。役者の雰囲気もいい。
    「確率の波は、実在の波ではないのです」と、きっぱりと言い切る台詞には、なぜだか笑ってしまったし(光子の波は確率の波というのには、実際驚いたのだ)。

    で、PPTである。
    観客からの質問が、まさに知りたいことであったりして、「PPTを見て良かった」と思ったのだった。
    そして、最後の最後にされた研究者さんへの質問「同時というのは定義されているのですか?」の答えは「実は定義されていない」というものだった。これには、演出家、役者、そして観客からも「えー!」っと思わず声が出た。つまり、劇中であれだけ「同時」「同時」と言われていたことが、根本から覆ってしまうのだ。
    まさに、どんでん返し。
    これだけで、「ああ、来てよかった」と思ったほど。
    なるほど、これが量子力学(量子物理学)なのかと納得…いやいや納得してないけど、面白かったなあとなったわけだ。
    (ナイスな質問をしてくれた方に感謝!)

    ということは、別の回にも物理学の専門家を交えたトークがあったはずで、全部を見たら、さぞ面白かったのではないだろうかと思ったのだった。

    星は、本編、落語(地口落ちなのだが、一瞬間を置いて笑った。サゲは急ぎすぎたかも)、 PPTまで含めたところであり、「面白かったなあ」という後味が大層を占めているかもしれない。本編のみだったら数は減る。

    そして、また、こんな感じのものは観てみたいと思ったのだった。

  • 満足度★★★★

    分かった気になるとガツンとやられる!
    という感覚良く分かります。

    ネタバレBOX

    名前は波乃光子、そうなんですね、光は波であり粒子である。題名が「波乃光子の裁判」だったらもっと分かり易いのではないかと思いました。

    見ていないときは波のように振る舞い、見ているときは粒としてキャッチすることができる…、光子が台に乗ったり下りたりしたときの様子で雰囲気が理解できました。

    アフタートークでゲストの日大島田先生から物質と光の話があって…、物質である電子は物質だけど波の性質を持つ。光である光子は波と思われていたが粒子の性質を持つ。ああ、物質と光は違うのか違わないのか、境界があるのか無いのかあいまいですね。

    で、分かった気になるとガツンとやられるです。

    ところで、島田先生も不条理という言葉を使っていて、私もそうだなあと聞いていましたが、本当に不条理なんでしょうか?!

    光子の性質は、「矛盾しているように感じる」ということですよね。理解しづらいけれど、理屈は通っているんでしょう!!そうだったら不条理とは言わないのではないでしょうか?!

    単純に不条理でまとめ上げてしまうのは危険だと思うのです。

    『そうやって放り出されたものに私はいちいち立ちどまる』(2009年11月、王子小劇場、渡辺美帆子事務所)の中の一編、『雪の上の足跡』の三つで消えた足跡はさてどちらでしょうか!?

    また、分かり易く説明しようとしたのかもしれませんが、島田先生が聖書を引き合いに出したのにはがっかりしました。
  • 満足度★★★★

    みつこ
    数学の論題を解くような揺るぎなく明快な検証と実験。観客が疑問を抱くタイミングで舞台でも疑問としてフィードバックされ、スタイルで進めずに着実な速度で進行されるのがよかった。量子力学の池上解説といった趣で、よい授業を受けた気分。
    量子力学はどうも「解釈」を通して理解しないとやってけないものらしく、その解釈を巡って色々るようだが、この芝居はその中でも確率解釈寄りになってるらしい。元々知っていた形がおそらくパラレルワールド的な解釈だったので、ちょっと混乱。
    あと青年団系の自己同一性が保たれない演出が量子力学の理論と矛盾なく成立すると実証されたのは自分にとってかなり大きな収穫だったかも。

  • 満足度★★★

    講義のような
    前半はまあ演劇風、後半は講義風。ストーリー性としては物足りないが、原作によるところが大きい。その上で、現実なのに不可思議感があるという、ほかの作品ではあまり味わえない感覚が残るところが面白い。

    ネタバレBOX

    後半の眠くなるところで、笛が鳴ると助かる。
  • 満足度★★★

    科学的不条理劇
    科学と社会や倫理の関係を描いた作品はたまにありますが、学術的な内容そのものを扱った作品は珍しいと思います。想像していたよりも、ちゃんと演劇作品になっていました。

    粒子であり波でもあるという特徴を持つ光子を擬人化し、不条理劇的な話になっていました。
    登場する5人の役者一応役があるのですが、完全には固定されておらず、1人の役の台詞が少しいびつなイントネーションを伴って次々に受け渡されながら、または同時に語られ、不確定性とリンクしたような表現になっていました。

    ポストパフォーマンストークの島田先生の話も興味深く、普段使わない頭の部分が刺激されて、楽しかったです。

    床に固定された箱が35個だったのは、「光子→みつこ→35」の言葉遊びだったのでしょうか?

  • 満足度★★★

    わかったフリをしたいけれど
    残念ながら…わかったフリができず。敗北。
    光子って不思議なモノだということはわかった。
    いやいやムリ、、ですね、理解不能。
    自分がおもいっきり理系じゃないコトを再確認。
    でもでも不思議と、、
    良くわからないけれどおもしろい部分もあった。

    アフタートークで研究者の方の話を聞いていたら、
    ちょっとだけどいろいろ知りたくはなった。

  • 満足度★★★

    難しい・・・
    量子力学を分かりやすく書いた原作を舞台化した、という作品。
    興味深々で鑑劇しました。

    物理の世界をなんとか描こうと、試行錯誤している作品だけど、終演後のアフタートークで専門家の先生に質問されると演出家は言葉を詰まらせてしまう辺り、この作品を舞台化するにはまだまだ勉強の余地があるのかもしれません。
    というか、専門に勉強している学生でも答えられなさそうな意地の悪い質問をしていたのも確かですけど・・・。
    学者さんが語りだすと段々禅問答的になってしまうのが面白かったです。
    役者さんのレベルも高くて、他の作品も見たくなりました。

    ネタバレBOX

    先生が気にかけていた、光子が警備員にみつかったときの「あっ!」って、確かに科学的には何なんでしょう?
    とか考え出すととにかく深いみたいです。
    自分にはこの舞台で伝えたかった事の10%も理解できてない気がします・・・。
    有料で良いので、量子力学についての簡単な補助テキストのようなものがほしかったです。
  • 満足度

    観ることが育てること
    なんつー青年団特有のキャッチフレーズを見ると「ごもっとも!」なんつって観劇者もそれなりに寛大に幼子をあやすみたいな心持になるわけだけれど・・。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    はっきり申し上げて前半の芝居も講義のようでまったく合いませんでした。
    ってか、面白くない。
    演出家は少しでも観客を楽しませようとする努力はしたのだろうか?
    確かに観劇料金は破格の500円だが、観客は時間を割いて交通費をかけてわざわざ観に行くわけだから、もうちょっと工夫しないとダメだよね。

    その後の落語にも勉強不足を感じた。観ていて落語の口頭もなっていないし、とりわけ一人が複数を演じるのだから、声の高低と幅を変えなかったなら、どーにもならないと思う。

    そしてまだまだ公演を打つには未熟すぎる。と感じた次第。

    青年団自体が大きくなりすぎて末端まで目が届かなくなっているのだろうか?渡辺さんは今年の春に青年団に入ったようだが、確か、今年はかなりの人数が青年団入りしたはず。

    だからその多数の中の一人なら、相当な手腕と期待したのだが、残念なことに芝居という娯楽にまったく共感できなかった。

    青年団自体の質が下がったのだろうか?

  • 観測に近い。役者も素材。
    戯曲構造がどうとかではなくワンアイデアを演出で見せていくやり方。それだけに追える何かが欲しかった。冒頭の客席の緊張感は「何が起きているか分からないからちゃんと観なきゃ」が根源で、それは流石に何処かで尽きてしまう。それが尽きる前に劇中の何かがどうにかなる事を期待させるほうに目を向けさせる必要があった。つまりは変化。関係性とか感情とか状況とか。それがこの演目の場合、
    以上、プレビューでの感想なのでそれ以降どうなったか。

    ネタバレBOX

    アフタートークが作品のケアになっていなかったのが残念。純粋に分からなかったという意味でされた『量子力学って何ですか?』という質問に「全てです」と答えられても。先生の信念であり長年からの真理で事実なんだろうけど、知らない人にとっては興味を沸かす答えではなかった。イラっとしたし、演劇が内輪なものになっている現状は外部から見たらこういう印象なんだろうなと思えて寂しかっ

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