2001年-2010年宇宙の旅 公演情報 2001年-2010年宇宙の旅」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★

    会場が面白い
    まず、会場が面白い。普通のホールは使わず
    庭の水の広場に特設野外ステージを設置!

    近代的な「キラリ☆ふじみ」の建物(見ようによっては宇宙船に見えなくもない)
    そして、周りの風景、空気、音等もすべて劇中に取り込む荒業!


    舞台の内容としては
    あのキューブリックの「2001年宇宙の旅」風に始まり
    この10年間の劇団東京デスロック(主に夏目慎也の歴史)、世界の動きなどを
    単語やその時々の言葉で振りかえて行くような感じ。

    この日のゲストが
    小学生のきう(きゅう?)くんだったこともあり
    全体としてかなり怠慢な部分も多かった。


    この公演
    どこまでが演出でどこからがハプニングなのか
    境界線がよくわからん。終盤絶妙のタイミングで強風が吹いたのは驚いた。

  • 満足度★★★★★

    2010年の夏目慎也は、スターチャイルドになったのか?
    やっぱり東京デスロックは面白いじゃないか!
    富士見まで行ったかいがあるってものだ。

    野外の使い方と取り込み方が、物語においても秀逸。

    ネタバレBOX

    富士見市民文化会館キラリ☆ふじみの池の中に設置された舞台で行われた。
    野外であるということをうまく活かし、さらにそれらの要素の取り入れ方も見事だ。
    演出で時々打ち上げられる花火(音だけでなく火薬の香りも人類の歴史にとって不可欠)や車のエンジン音、そして野外の空気感までも舞台装置として取り込んでいた。
    台詞によって、その状況を逐一取り込むというのも面白い。

    ヒトザルから人類への数百万年の歴史と、2001年から2010年までの歴史。人類の歴史の中で、象徴的に「コトバ」にしてすくい上げられた「歴史」と、個人の「歴史」のパースペクティブ感が素晴らしい。

    改めて「歴史」は「コトバ」にして切り取る以外、手にすることができないものであると感じる。歴史として残るのは、コトバにして加工された事実と言われるものでしかない。その曖昧さの上だけに歴史はあるのだ。だからいくらでも意識的、あるいは故意に歴史は刻むことができる。と言うより、意識的、あるいは故意にしか歴史と呼ばれものは存在することができない。

    その意味で、「ヒトザルは、コトバを手にして歴史を手に入れた」(概ねそんな意味の・笑)は名台詞。

    個人と世界の境界が曖昧になっていくのは、野外の劇場が劇場と世界との境界が曖昧になっていくのに等しく感じられ、まさにこのテーマとマッチした舞台がそこにあったと言っていい。

    個人の歴史はそこはかとなく、(小さな)哀しみがある。世界(社会)の歴史にも、(大きな)哀しみがある。哀しみに大小なんて実はなく、単にそれが「コトバ」によって連綿と連なっているだけ。

    夏目慎也の住む風呂なしの部屋の裏には、連なる世界の歴史が見え、人類の歴史も連なっている。当然と言えば、あまりにも当然な事実なのだが、それは。

    本日のゲストは、2001年に生まれた希宇(きう)くん。ちょっとあざとい(笑)ゲストの選定だが、これも見事。さすが!

    かくして、東京デスロック立ち上げから10年の重しを脱ぎ捨てた、2010年の夏目慎也は、下北沢風呂なしのアパートに住む、スターチャイルドになっていくのだった。ん? そうなのか?

    モノリスという存在がヒトザルから人類への橋渡しをしたのであれば、夏目慎也がスターチャイルドになっていくのための「モノリス」は、実は「東京デスロック」だったというオチでもあるのだ。
    モノリスで一瞬にして「試された」ヒトザルと同様に、「東京デスロック」というモノリスで10年かけて「試され」「変化」していった夏目慎也というヒトザルの物語でもあった。「演劇」という「道具」を手に入れたヒトザル(たち)なのだ。

    それはまた、私たちも同様で、宇宙の歴史からは、ほんの一瞬の時間という曖昧な軸の中にあって、何らかの「道具」を手に入れ、宇宙にとって、あるいは人類にとっての「変容」を続けているにほかならないということなのだ。変容には大小の概念もなく。

    うんと未来に、われわれが肉体を脱ぎ捨て、感情だけの存在になったとしても、たぶん「演劇」という概念は存在し得るというメッセージも込められていたようにとらえた。スターチャイルドがいるし(笑)。

    ラストで全員が池の向こうへ遠ざかり、その後の静寂は、なんて美しいんだろうと感嘆した。野外の空気も味方にした一瞬でもあった。

    そして、2010年以降の夏目さんは、犬を2回飼うらしいのだが、その歴史の中に、「風呂付きの部屋に引っ越した」と「青年団に受かった」の2つは入れてほしかったと思うのだった。

    それにつけても、多田淳之介さんは、夏目慎也さんLOVEなんだなぁ(笑)。
    確かに、夏目さんいいよなぁ。
  • 満足度★★★★★

    地球の時間、10年の感触
    映画のごとく地球の中での人に至る時間が描かれ、
    さらにはタイトルの10年が刻まれていきます。

    夜空の下、拡散することなく
    むしろその場所の広がりとともに
    過去、現在、未来が観る側に膨らんでいく。

    当日ゲストたちの作りだす「今」のテイストも秀逸で。

    ちょっと鶴瀬は遠いけれど、
    足を運んだ甲斐がありました。

    ネタバレBOX

    劇場の建物に囲まれた池に、緑の島があってそこが舞台。
    ちょっとしたボードウォークのような板張りの場所が
    客席になっています。

    歩いて劇場まで来た身には
    風がとても心地よい。
    冷たい飲み物をいただきながら開演を待つその時間に
    すでに眼前に広がるスペースの広さに抱かれている感じ。

    映画のごとく、人類の黎明の歴史が描かれ、
    この星の長大な時間軸が降りてきて、
    メインディッシュとなる10年の座標が定められます。
    様々な事実や人物の言葉や文章がコラージュされ、
    気がつけば、作り手のしたたかな時間の遠近法に
    がっつり取り込まれている。

    過去の重さをグッズまでつかって背負って
    立ち続ける夏目年代記にがっつりとした力があって、
    そこに、観る側にとってなじみの深い世界の流れが
    違和感なく共振するように重なっていく。
    世界の広がりと一人の役者の生きる姿が、
    あたかも遠近法の魔法のごとく
    すっと一つの絵面におさまって・・・。

    しかも世界と個人が、それぞれに埋もれることなく
    互いの質感を強調し合っているのが凄い。
    そこには、劇場の建物たちに囲まれた広い空間に拡散しない、
    むしろその広さを物語のスケールに変えるだけの
    力量があるのです。

    当日のゲスト3人(山縣・大倉・田中)も、「今」の感触を
    構成のシュールさに負けない演技で
    作りあげていました。
    パフォーマンスに時間を絡める力があって・・・。
    投げ銭を集めて水にバラマキ、再び拾い集める感覚、
    ラジオ体操を踊り続ける姿、
    「今」を語ること、今を生きることの
    どこかPopで無機質な感覚も伝わってきて。

    「今」感覚がベースになって、
    未来が動き始める・・。
    登場人物というか役者ひとりずつのたちの姿が
    彼らの架空の年代記とともに遠ざかっていく。
    空の闇にまで届きそうな
    その時間軸の広がりに深く浸潤されて・・・。

    作り手の作劇の手練にがっつりと取り込まれてしまいました。

    ☆☆☆★★◎○●







  • 満足度★★★★★

    東京デスロッククロニクル
    キラリふじみの建物&敷地の特性を使い切った壮大なスケールの作品。
    照明と音響も素晴らしく。抜群に心地良い演劇体験。子供の頃に夏休みに観た野外映画上映会を思い出す。

    ネタバレBOX

    2001~2010年までの時代の流れを、夏目慎也の語る彼の俳優人生と、他の劇団員が語る世界の著名人のメッセージを聞いていくうちに、自分自身の過去10年間がフラッシュバックする感覚がメチャメチャ楽しい。
    ラストに劇団員が語る自分の数年~数十年後の姿も興味深い。
  • 満足度★★★★

    水と木々と星空のある広い舞台
    キラリ☆ふじみが宇宙ステーションにも原始の森にも見えました。

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