Les Bonnes 公演情報 Les Bonnes」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★★

    崇高なる様式美
    ジェネ作品に人を深く信用していない者ばかりが出てくるように思えるのは
    彼自身が愛の飢餓児のようなひとだからなのだろうか。
    この作品には、自己愛第一、他人は第二の次、悪口至上主義な人間の醜悪さに己の利潤に矛先を向けようとするも空回りしてしまうあぁレ・ミゼラブルな滑稽さが目立つ。
    そんな人間たちの負の財産を、極めて日本的な様式美で軽やかに讃える一作。

    ネタバレBOX

    ブルジョワのおくさまと旦那さまのお家に住み込みで働いている精根腐った女中姉妹の話。

    目覚まし時計のベルが鳴ると音と光がゆっくりと動き出す。
    その動きに伴奏するようにおんながひとり立ち上がり、目ん玉をギョロリさせて辺りを一瞥するとお能のような無駄のない動きで古びた木枠のスツールにこしかけ、ひとりごとを言う。それはあのひとはきっと私を愛してくれるに違いない。という願いやきっと大丈夫。などという祈りにも似たとても他愛もないこと。

    耐えがたい沈黙をため息で繋ぐとおんなの思考をかき消すようにサックスの不協和音がなだれ込んできて夢見心地は終わり、ふと我に返るともうひとりの女はすでに床磨きを終えていた。

    ボロい衣服を縫い合わせた美的感覚に乏しいちぐはぐな辛うじて服という形状を保っているみすぼらしい身なりのおんながふたり。姉はソランジュ。妹はクレール。
    ふたりは女中なのでとりあえず、手だけは動かす。ついでに口も動かす。
    まずは妹、クレールから。彼女は我が憐れみについてつらつらと述べる。
    いつも妹が同じことを言うので聞き飽きているのだろうか。
    黙って聞いていた姉が堰を切ったように、グチる。
    おくさまが居ないことをいいことに、グチる。
    まるで悪口を言うために生きているかのように、グチりまくる。
    まくる。ぐらいだからもちろんグチの勢いは凄まじく高速であり、かつ情報量があまりにも多いため、イマイチ何を言っているのか把握できないことは多いものの、とにかくふたりはおくさまの存在が厭わしく、おくさまが何かをしくじることを期待して、あわよくばおくさまが不幸になられるように企てていることはわかった。

    具体的な手段として先日、クレールは罪を偽造し、密告文書をねつ造し、ご主人さまをケーサツに突き出したのだ。しかしご主人さまは無実の罪にあるために間もなく釈放されるという電話がたった今掛かってきた。
    筆跡でバレるのではないかと慌てふためくに妹に姉はおくさま殺しを提案するものの、旦那さまは間もなく帰宅。どうして電話が掛かってきたことを言わなかったのか、問いただされると、奥さまを驚かせようと思って・・などという苦しい言い訳をするしかなくなりにっちもさっちもいかなくなる。

    とここで、パニクる姉妹の気持ちを盛り上げるかのようにオッフェンバックの天国と地獄のサックスの生演奏が入り劇中、常時ひとつしか点灯していない裸電球もこの時だけはチカチカと踊るように点滅するのが遊び心があっていい。

    その後ふたりはお茶のなかに毒薬を入れ、奥さまにすすめるがあっさり断られ、妹の送った密告文書は日本対西洋、日本対アジアを主にした主張であった…。

    団体が動くインスタレーションを提唱しているように美意識が強く、衣装や照明にもこだわりが伺え又、動作に無駄がなく美しい動きでしたが、それぞれのキャラクターが終始、鬼気迫る様相で会話をしているというよりもそれぞれ言いたいことをとにかく言い散らかしていて、しかもまくし立てるように喋るのが少し疲れました。姉妹と女中が前ぶれなく交互にすり変わるため、統一していたのかもしれないのですが…。
    あと何か、姉妹がよく使う言葉、キャッチフレーズのようなものや姉妹独特のノリのようなものがあるとことさら愉快なようにおもいました。
  • 満足度★★★

    芝居ではなく前衛アートを観た
    古典に疎い身としてジャン・ジュネの『女中たち』は当然の如く未見なので、一応ネットで探したあらすじを読み、当日パンフにそれよりももう少し詳しいあらすじが載っていて(これは有難い)それも読んで臨んだものの、あまり参考にはならず。
    というのも、オリジナルアレンジを知らないままリミックスヴァージョンを聴いた…というより原曲を知らないままにフリージャズ化されたものを「聴いてしまった」な感じだったから。(そんなことから、岡崎藝術座の『オセロー』(07年10月)を観た時のことなども思い出す)
    日本の伝統芸能的(最初にそういう印象を受けた)あるいは白石加代子っぽい(笑)台詞回し(ついでそう気付いた)で重々しく始まったかと思えば柿喰う客などのような早口に転じて、また重々しい調子に戻ったりという序盤から「今進行しているのはストーリーのどのあたりか?」と考えることはあまり意味がないと悟り、「考えるのではなく感じる」見方にしたのは正解?
    緩急自在な台詞回しに、ここでその曲ですか?なこともあるサックス(テナー&ソプラノ持ち替え)の生演奏も絡んで、時々台詞は聞きとれないし、終盤では戦時中の日本軍の(かな?)文書まで登場するし、いわば「芝居ではなく前衛アートを観た」というところか。
    これはこれで面白かったが、間違っても芝居を初めて観る人には勧められず。(笑)
    ところで原典を知った上で観たらどうだったんだろう?
    そしてまた、いつか原典を観る日は訪れるんだろうか?(DCPあたりが取り上げてもフシギはない気もするが…)

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