鳥の飛ぶ高さ 公演情報 鳥の飛ぶ高さ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★★★

    いつもの青年団の芝居とは趣が違ったけど、
    ウェルメイドでとっても楽しめた芝居だったと思います! 演出が違うのだから、いつもの平田舞台とは違って当然。個人的には戸惑いよりも、引き出しの広さを見せ付けてくれた青年団の俳優陣に拍手を送りたいです。

  • 満足度★★★★

    どこまでも遠い、すぐ近く
     色々すごいなぁ、と圧倒されてしまったお芝居。なんというか、舞台から客席に向かってすごいプレッシャーが迫ってくるかんじ。なにか、大きなことが問題になっているんだけど、舞台上では答えは出なくて、宿題として渡されちゃったような気もする。

    ネタバレBOX

     フランスで、30年前に書かれた戯曲を、平田オリザが舞台を日本に置き換えてリライトしたもの。日本人の俳優たちが、日本語で、日本の話をするのに、舞台そのものは、どこかシェイクスピアみたいなヨーロッパ風なつくり。平田オリザさんの日本化が、ヘンに上手にできすぎてるのだろうか、日本的な表面と西欧的な構造のギャップが、舞台を観づらくしていた気もする。

     テーマは、企業買収。日本の便器メーカーが、フランス資本に買収されるまでの物語は、シェイクスピアの歴史劇ライク。絶対君主の社長が倒れて、二人の息子が争って。フランス企業の介入を、最終的には受け入れて。そういう様子が、形式どおり、わりとドライに、描かれる。「経済演劇」というより、これは伝統的な「歴史劇」を、現代に置き換えたものなんじゃないかなと思う。

     この舞台は、日本側の元社員のひとりが、現実にあった買収劇を趣味で戯曲化したものの上演、という複雑な設定。なので、作者は、ちょくちょく劇中の役を離れて、作者の立場から観客に話しかけてくる。舞台を外側から眺める視点は、観客に、感情移入をさせない配慮だと思う。つまり、問題になっているのは、ひとりひとりのヒトではなくて、「買収」という経済の構造そのもの、ということだろう。シアタートラムの窮屈で広い舞台と、青年団俳優たちの、誰にでも、誰でもないものにもなれる「ニュートラルな身体」は、ヒトのカラダを使う具体的な演劇を、ものすごく抽象化する。俳優たちを置き去りにして物語は進む。これはすごいな、と思う。すぐそこにある舞台とカラダが、どこまでも遠く感じる。

     そして「買収」も、スイッチが入ってからは、する側、される側、双方の人間たちを置き去りにして、どんどん進む。最終的に、日本側の社長とその弟は、いつの間にか、喜んで会社を離れる。買収する側のフランス人も、ひとりは日本の社長と一緒に会社を去っちゃう。残ったひとりも、そのへんで見つけた次の人材に会社を渡す、橋渡しにすぎないかんじ。誰もいなくなって、買収のすんだ会社だけが残る。全員死んで、不安だけが残る、シェイクスピアの悲劇みたいに。

     怖いのは、これが、喜劇としてつくられてることかもしれない。作者は、最後に、この舞台の幕切れは、アリストファネスの喜劇をもとに、結婚で終わるようにした、と解説。舞台上の人々も、だれも死なないし、なんだか嬉しそうだし、一見すると喜ばしいのに、やっぱり、その底にあるのは、人間不在の不安にみえた。これは、あからさまな悲劇よりもずっと怖いと思った。

     もうひとつ、怖かったのは、この舞台が、全体的に、とっても人工的だった、ということ。企業買収というメインプロットの脇に、日本神話の話や、ルワンダ虐殺の話やなんかが、並行して語られるんだけど、こういうのが、いかにも「下部構造!」という感じに、説明っぽく分かり易く置かれていて、なんだか、世界の全部を把握して、描こうとする、欲望が見え隠れしているみたいで、怖かった。

     それが、最近の青年団の、なにか、観客たちに「世界」をみせて、必死で「教育」しようとする姿勢と重なって、僕は、なんだかとっても、不自由な違和感を覚えた。
  • 満足度★★★★

    2つが1つになる方法が重層的に描かれる
    企業買収、虐殺、征服、結婚、公武合体、合唱・・・等々と、何かと何かをくっつけて1つにする方法が重層的に描かれていた。
    その層の断面を見せてくれる舞台はさすがだと思った。

    ただし、いささか消化不良。こちらのキャパに、というか語学力にも問題はあるのかもしれないのだが・・・。

    ネタバレBOX

    とにかく、1つになろうとする話がしつこく次々と現れる。

    主軸は、フランスの会社が日本の便器会社を傘下に収めようとする話(2つの会社が片方に飲み込まれる)であり、日本神話の形を借りて描かれるのは、半島からの民族が土着の民族を征服する話(民族が他民族を飲み込む=国家が1つになっていく)、そして、ルワンダでの虐殺は、片方の部族を殲滅し、1つにしようとする話(2つの民族を1つだけにする)の3つ。

    つまり、すべて「力(ちから)」によるものであり、対する相手は「対抗」するのだが、結果的に、1つめは「懐柔−容認」、2つめは「闘争−服従・浸透」、3つめは「排除−消滅」というところか。

    そこに結婚(なぜだが異民族同士の結婚が3つも現れる)や、皇女和宮の公武合体(フランス人女性が強く惹かれるという設定も面白い)などという要素も加わる。
    極めつけは、「私」という、この舞台の作者が現れ、自らが仲介となり、舞台と観客をなんとかくっつけようとすることだ。
    合唱という声の合体まで使って。

    とにかくあまりにも多くのものが次々と現れる。
    問題は、その多さだけではなく、「言語」だ。
    つまり、日本語で語られる台詞はいいのだが、フランス語の台詞は舞台上方の字幕に頼らざるを得ず、また、フランス語と日本語が交互に現れるところもあり、そのための視線の行き来が結構大変なのだ。
    さらに場面展開も早い。

    また、役者さんたちに気持ちの余裕がなかったように見えた。観ている側(というか私)に余裕がなかったせいでそう見えたのかもしれないが、もっと余裕があれば、笑えるシーンではきちんと笑えたような気がする。

    大長編だったオリジナルを今回の長さにまとめた、ということからなのか、どうも一気呵成に進みすぎ、息抜きができない。
    笑いのパートがそれにあたるのだが、それほど笑えないのだ。
    唯一、合唱のパートはかなり面白く、笑顔で見入って息抜きにはなったのだが。

    フランス企業が日本企業を買収するというエピソードは、今、この景況を考えると、テーマとしては、中途半端に古い印象は否めない。
    会社法の改正で、外国企業による日本企業の子会社化が行いやすくなったと言っても(実際はそうでもないのらしいのだが)、どうしても10年ぐらい前の、日産のカルロスゴーン氏や日本長期信用銀行の外資売却、数年前(リーマンショック以前の)の海外からの大都市圏の不動産への投機的活動が思い出されるからだろう。
    ま、その設定は、原作からの踏襲で、しょうがないのかもしれないけど。

    子会社化(または買収)の手段として、日本企業内部の欲望をかき立てて、内部から切り崩し、さらに新製品の投入とマーケティングによって実績を上げ、企業価値を上げるという手法はうまいと思った。
    ライブドア以降、敵対的な合併・買収には敏感になっている日本企業攻略としては、極めて適切かつ有効な方法だろう。

    しかし、フランス人コンサルタントのなんと怪しいこと! 
    マーケティングというコトバの裏に隠れ、ブレストなんていう方法で煙幕を張り、出てきたコピーがアレで、しかも、それに対してもっともらしい理由をつけるあたりは、マーケティングによる販売や事業展開自体を揶揄しているように思えてならなかった。
    それで、購買意欲が高まり、新製品の便器がじゃんじゃん売れるというのもなんともやるせない(もちろん、私もそういう消費者の1人として)。

    そう考えると、最後にフランス人社長が、「私が欲しかったのは、人です」と言うのも大いに怪しい。完全なる眉唾ものだ。

    なぜなら、彼らは日本人の思考(嗜好)もきちんとマーケティングしてあるはずで、ここは日本神話のエピソードを紹介するときに「征服した相手をも神として祭る」というあたりの、日本人的なメンタリティーを見事に掴んだ発言としか思えず、その言葉は、新・猿渡社の社員の心には響いていたようだが、舞台では空しく響いていたように感じたのだ。
  • 満足度★★★

    疲れた。
    これがもっとも素直な感想。元々は6時間以上の公演を2:20分に短縮させた公演だったからか、色んなものを詰め込みすぎ。

    以下はネタバレBOXにて。。

    ネタバレBOX

    便器を扱う猿渡商会の商戦と泥沼買収劇。日本の家族経営メーカー・猿渡商会が世界最大手のフランス資本便器会社に狙われる。二つの企業戦略に日本神話を上手くはめ込み、日本の古代の神々が国を取り合う話とリンクさせる。神話の中の世界戦争勃発と企業同士の買収劇は似たようなさまになる。更に日本の皇室と将軍の話も登場し、その登場の仕方は猿渡商会の社長の趣味で収集している古美術品を長男嫁のフランソワーズ(フランス人)に教える事によって舞台に登場させる。
    更に更に、猿渡商会の営業社員の娘婿がツチ族だった事から、フツ族がツチ族を大量虐殺したルアンダ虐殺までも回想的に舞台に登場させちゃってるのだから、物語を追うだけでもワタクシ、ものすっごく疲れちゃったのよね。

    フランス資本便器会社のターゲットにされた猿渡商会の内部抗争にフランソワーズが裏で罠を仕掛けていくのも、男の影に女ありき、じゃあないけれど、長が失脚する時には必ず裏には女が居る。という泥沼のようだけれど、単純に描く。だからストレートな勝負だった。

    だからってフランス人妻は誰からも嫌われてない。夫の父親にも可愛がられ、夫の弟ともデキちゃってる。「お金目当てで結婚したけれど、少しは愛情はあったわよ。」なんて夫にサラリと話すのもフランス的で現実的だ。

    結局薬局、猿渡商会はフランス便器会社に買収される訳だけれど、彼らがそこで学んだ事は「何処に落とし穴があるか解らない」ということと、エルシオのように「穴を掘り続けるしかない」ということ。

    そしてパトリック(買収後の新社長)は言うのです。
    「買収したのは機会でも特許でも製品でもない。人材です。」・・と。

    いやはや・・・フランス人にしてやられたり!って感が強い。
    パトリックにしても、フランソワーズにしても、利己主義で主張が強い。フランス人の特徴ですね♪

    これだけの内容を2:20分に詰め込むのだから・・・観ているほうも疲れますってば!だから、終盤はものすっごく長く感じた。隣のご夫人は寝てたし。溜息の連打も聞こえる状態。
    そんなに長くなくていいから、主軸だけをはっきりさせてもらいたかった舞台。
    ワタクシには合わなかった。



  • 滑らかに表現される会社の内幕劇、だけど・・・
    よく出来た話だとは思います。

    ビジネスの一面を、確かな感性と裏付けを持って捉えた作品だし
    役者達の表現もすっきりと的確だったと思います。

    海外の役者についても、台詞回しの可否はわからないにしても、演じるものはしっかりと伝わってきた・・・。翻訳の提示も凄く見やすかったし・・・。
    でも・・・・、やはり何かが足りない気がするのです。

    ネタバレBOX

    シンプルな舞台装置が会社のピラミッドの役目を果たし、社長・経営陣・社員と分けられていく前半部分・・・、その広さにあわせた社員の動きなどがすごくスムーズで、観ていて物語がどんどんと客席に広がっていく感じ。

    会社が凋落していく姿も、また、カリスマ経営者によって再生していく姿にも、真理が含まれていて、そこからの力強さも確実に伝わっていたと思います。

    日本書紀と会社の関係も良く出来ていて、観ていて飽きることはありませんでした。ミュージカル仕立てにした部分もとてもしっかりと機能していて・・・。

    作者の分身であるという狂言廻し役の社員の存在も旨いと思った。


    でも、観終わって、満足したかというと、かなり微妙。
    なんというか、深いところにまで舞台の感動が染みとおっていかないのです。

    元々この戯曲は7時間くらいの長さが合って、そこから上演時間に合わせて4つのバージョンができたとのこと。今回の上演はそのなかの一番短いバージョンだったそうで、原本を削ぎ落としていく際に舌足らずになった部分があったのかもしれません。

    一番気になったのは、企業が活性化する仕組についてダイナミックに描かれていたのに、人についての描き方が足りないこと・・・。

    親子(社長も営業担当者も含めて)の距離や兄弟間の確執、社内の人間関係・・・、それが事象にとしては非常にしたたかにに描かれてはいるのですが、それらのバックボーンにある人間の想いが、なにか書割のように感じられるのです。

    不思議なことに役者の芝居がしっかりとしていればいるほど、そのキャラクターから伝わってくるものの希薄さが浮き立ってきて・・・。また、希薄であるが故に、ダイナミックに動く会社の根本が人であるという終盤のスピーチに説得力がやや欠けるように感じたり・・・。

    決して悪い芝居ではないと思うのですが、昨今の秀逸なお芝居たちに比べると、大味な部分を感じてしまうのです。
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  • お尻がムズムズ
    30年前に書かれた上演時間約7時間のフランスの戯曲を、平田オリザが日本を舞台にして2時間強の芝居に翻案したもの。演出はフランス人。テキスト自体は労作だと思うけれど、演出や演技は翻訳劇くさくてあまり好みではない。

    ネタバレBOX

    外国企業の進出という外圧によって、日本のある会社で経営者の交代劇が起きるという経済ドラマ。
    原作ではトイレットペーパーを作るフランスの会社がアメリカ企業の脅威にさらされるという話らしいが、翻案では便器を作る日本の会社がフランス企業に脅かされるという設定。日産とルノーの関係を連想したりした。
    ルワンダの虐殺や日本の古代神話などを絡めてあるが、これはあまり有機的に繋がっているようには思えなかった。ただ、異質なものと対立してもそれを排除してしまうのではなく、最終的には内に取り込むのだという見方は面白いと思った。原作でも同じなのだろうか。

    便器の開発をめぐって行われるブレインストーミングの場面では、大竹直が出ているのを見てサンプルの「地下室」を思い出したり、フランスの現代美術家デュシャンの「泉」を連想したり。

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