インテリア 公演情報 インテリア」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★★

    演劇を普段どう捉えているかによって、どこに面白さを見出すか、それどころか面白いと感じるかどうかすら変わってしまう作品だと感じました。

    物と空間の位置関係への異常な執着心がまず目を引きましたが、カリカチュアされているだけであって、自分の行動を客観的に見れば同じように見えるかもと若干の恥ずかしさを覚えました。

    ラストに客電がついて部屋を片付けていく(=バラシていく)と、これまで意識しなかったブラックボックスの劇場が露わになっていき、リアルが剥がされフィクションが立ち上がっていくような感覚を受けました。これは通常の演劇とは真逆の体験で興味深かったです。そして物が片付けられた舞台上で、それまでと同じような動きを始めるのですが、まったく違和感なくむしろとても演劇的に感じました。観客の想像力が演劇たらしめるのではないかという当たり前の前提を、純粋直接的なものとして提示された気がしました。

    ソリッドでチャーミングな動きを繰り返した俳優の貢献度もとても高いと思います。

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2020/03/13 (金)

    「ものを動かすことへの執拗なこだわり」

     隣席には戸惑いの表情を浮かべている人がいたが、私は一瞬たりとも飽きなかった。まるで生活音をBGMにした日常動作という振付のダンス作品を観ているような心地になった。

    ネタバレBOX

     上演が始まると手前のドアから男(金子仁司)が入ってくる。手を入念に消毒し洗面所の鏡の前で身支度を整える。ソックスを履き直し、ビニールをたたみ、ズボンの上から尻を叩いて「オシッ」と声を上げる。少しすると男は外出する。この間せりふは一切ない。

     客席から全体を見下ろせる舞台上にはソファや机、ペットボトルの飲み物や電灯、絵画や飾りなど、自室に置いてあるものが所狭しと並べられている。観客は主宰から、自宅のインテリアを持参して舞台上に設置するよう事前に呼びかけられていた。ものの配置から推察するに、何部屋かに区切られているように思われる。

     今度は後方のドアから女(石田ミヲ)が入ってくる。机の上に加湿器を置き水を入れて顔面に蒸気をあててくつろいでいるようだ。先程の男との関係はよくわからない。そしてこの間も一切のせりふはない。舞台上にはただものが出す音や演者の出す音が響くだけである。

     この調子で演者が自室でやっている動作を続けものを動かしたり置いたりして1時間半近く上演が続く。男も女も同じような動作を繰り返す。途中別の女が入ってきて絵画や美術作品(と思しき物体)を置き移動させる。そうして最後はこの三人がものを全て一箇所にまとめて終幕する。

     本作は劇作家の書いたドラマではないが、観客はいくらでもドラマを想像する余地がある。ここまで思い切った上演を実現した福井裕孝の企みは興味深い。観終わってから自室に置いている「インテリア」とはなにか、私は考え直さざるをえなかった。また台詞なしで動きだけにもかかわらず丁度いい間で実演をした演者たちも見事である。時節柄入念な手洗い、うがい、消毒という動作にもリアリティを感じた。小津安二郎やロベール・ブレッソンの映画で描かれるような体の動きへの執拗な注目を想起した。

     そうしてくると徐々に演者がものを動かすというよりはものが演者を動かしているような心地にもなってきたから痛快であった。インテリアひとつとっても、ものをある場所に動かしたりそれをもとに戻したりするには相応のエネルギーが必要である。高校時代の化学や物理の授業で習った熱力学の法則を思い出した。

     一点不満が残るとすれば、本作のコンセプトである観客が自室のインテリアを舞台に持ち込み、上演で使われたそれを持ち帰ることの意義があまり伝わってことなかったということである。ここは再考の余地があるのではないだろうか。
  • 満足度★★★★

    まず大事な前提として、東京公演ではなく、京都公演を観た。おそらくこれはまったく違う上演だったのではないだろうかと想像する。本作は“部屋の中の生活というスケールから、人・もの・空間の相依的な関係の顕在を試みた”とある。三鷹SCHOOLでの東京公演はビルの一室を用いた「部屋」での上演、京都公演は「劇場」での上演となると、そもそも企画の意図と効果が違う意味を帯びてくるのではないだろうか。ちなみに本公演は、三鷹SCHOOLで上演される「#部屋と演劇」企画、のひとつだ。

    ネタバレBOX

    という前提のもと、「『インテリア』京都公演(劇場)」について振り返ると、そこはあくまで劇場であり、訪れた人々はあまりにも観客であった。来場者はなにかしら自分の部屋にある「もの(インテリア)」を持ってきてステージに置くが、『人・もの・空間の新たな出会い、新たな関係の形成』という意味では、パーソナルな家からパブリックな劇場に「もの」を運んできたことによって、劇場内におけるその「もの」はよそ行き顔の特別な「もの」になってしまっていた。さらには、その「もの」が作品内でなにか用いられたり、関係性を発するわけではないので、舞台美術の一部になれず、場合によっては無いものとして扱われていたようにも見えた。

    そのなかでルンバが登場し、動きまわる。この「人(生命体)」ではないが動く「もの」の存在が、新たな関係性をうむ煌めく原石のようだった。劇場空間に対しては少しルンバのサイズでは小さい気もするが、きっとこれが三鷹SCHOOLの白い室内で観たならばかなり胸に刺さったと想像する。

    それら「もの」の効果と、観客(「人」)との関係は、劇場での公演にあわせたあえての演出なのかもしれない。けれどもフィクションの空間においては(しかも観客はステージを見下ろすタイプのすりばち型の劇場なので、多少なり「異空間から眺めている」という関係性のもと作品がスタートしている空間)、「もの」はもう少しフィクション性を持たないと存在できないのではないだろうか。

    #部屋と演劇、とあるが、「部屋」「空間」以外にも、「演劇」「劇場」とは……とあらためて考えさせられた。パフォーマンスではなく演劇であることの意義。演劇として劇場で上演することの意味。そのうえで、舞台上に人の身体が存在していること。では「もの」とはいったい……?

    さまざまな問いと本質が入り乱れる、可能性の溢れる企画だった。丁寧に組み立てられているのだろう。また、当日パンフレットの引用群は、ものを持ってくる観客として作品に関わる「人」に対して、さまざまな波紋をうむ石を投げていたのはたいへん面白かった(もうすこしガイドがあってもいいような気もしなくもないけれど)。

    ぜひ三鷹での上演を目撃したかったという気持ちもありますが、今後この作品が改訂を重ね上演されつづければ、ある程度どこで上演したとしても空間にフィットし、大きなインパクトをもたらす唯一無二のものになるかもしれない、希望が輝いていました。
  • 満足度★★★★

    「コード(=ルール)からの逸脱がユーモアを生む」という旨のことが千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』に書いてあったと思いますが、この作品ではまさにルールを破ることでおかしみが沢山生まれていました。

    ネタバレBOX

    舞台は「もの」が散乱しているだけで、劇場の壁以外に空間を分割するものはありません。そこに俳優がやってきて、手を洗う身振りをします。ああ、あそこには鏡と洗面台があるんだな、と観客が了解し、俳優がリビングのような空間に移動したと思いきや、先ほど洗面台として使っていた空間に上着をばっと投げつけます。上着はさっき鏡がかかっていた壁があるところを、壁がないかのように通過し、現実に存在する劇場の壁にドンとぶつかり床に落ちます。え、そこ洗面台だったじゃん!壁の設定どうなったん!と観客は意表をつかれ、そのルールの逸脱に笑います。こんな調子で、ルールとその逸脱に笑いが起きる場面が多く、面白く観ました。

    私の隣の席には大きなぬいぐるみが座っていました。客いじりなどが苦手な私は、近くに俳優が来たら嫌だな…、と警戒していたのですが、結局俳優が近くに来ることはなく、最後までぬいぐるみは私の隣の席に居座ったままでした。どうやらこのぬいぐるみは「ものの観客」だったようです。「ものが来て、ものが観て、ものが帰る演劇」は面白い試みだと思うのですが、上記のように「人間の観客」からは、「ものの観客」が、観客なのか出演しているものなのかは、上演前や上演中に判別できません。その意味で、終幕までの間、私の隣のぬいぐるみは、私と同じ現実のレイヤーに存在しているとは思えず、現実からすこしずれたフィクションに近いレイヤーにいるように思えました。私としては「『ものの観客』が演劇を見ている、という演劇」を、私が見ている、みたいな感触を、事後的に持ちました。この事後的にしか「ものの観客」を認識できないという仕組みの遊戯性は、とても魅力的です。

    全体的にルールと戯れる手つきには魅力を感じましたが、ルールが曖昧に見える場面も多く、よく見方がわからないシーンも散見されました。おそらく登場人物が変わるごとにルールも変わっているのだと思いますが、それに気付かせるにはもう少しルールがわかりやすい構成をとると良いかなと思いました。その曖昧さは私にとって、単にノイズとなっていました。

    部屋と家の違いなど、概念的に整理できていない箇所もあるように見受けられました。


    <参考>
    千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』:https://honto.jp/netstore/pd-book_30097183.html
    千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』書評:https://allreviews.jp/review/2013
  • 満足度★★★★

    2018年にスタートした「#部屋と演劇」と題されたプロジェクトの最新版。
    観客は、部屋に見立てられた空間に、自分の部屋から持ってきたインテリア(といっても、サイズ的に生活用品や置物に限られますが)を配置します。

    ネタバレBOX


    やがてこの部屋に男が帰宅し、日々のルーティンをこなしたのち、出かけていきます。と今度は舞台奥のドアから女が入ってきて、やはり自分の時間を過ごし、出かけていきます。男は舞台の手前、女は奥を主に使うので、二つの部屋は隣り合っているのでしょう。ただし、壁はないので「インテリア」は共通です。さらにこの空間に(想定される「部屋」とは関係なく)絵やオブジェなどを運び込み、展示する女性が現れます。これが3度繰り返されます。

    ものの配置は男女それぞれの行動に合わせて変わる(変えられる)ため、特に几帳面に同じ行動を繰り返す男性の暮らしに、女性の暮らしが一部干渉、浸食しているように見えます。実際、女性の置き換えたものによって、男性の行動は向きを変えたりもします。台詞もほとんどなく、事件が起こるわけではないのに、なぜか見ていられるのは、こうした変化を、無意識にでも追っているからでしょう。また、全編を通じて、自分の持ち込んだアイテムからがどう扱われるのか、そこから見た風景を想像してみる、という関心もあります。

    人やものの移動が、周囲の空間や他者の行動を書き換えること、時には「展示空間」のように、その場所自体が意味の異なるものになる可能性。いま考えるとこれは、その作品世界に、外部から観客=ものがやってくることも含めて、とても「劇場」らしい演目だったのかもしれません。

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  2. 福井裕孝「インテリア」に関しては近いうちにnoteにあげます。

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  4. 「もの、お持ちですか?」と伺う受付は初めてです。 福井裕孝『インテリア』 これから楽ステ! https://t.co/iKIgJvh6dv

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  5. 【外部参加情報】 神田真直が、福井裕孝『インテリア』に舞台監督補佐として参加しています。 ぜひTHEATRE E9 KYOTOへ足をお運びください。 https://t.co/vLqeiZN5bj

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  6. 【2020/03/15日 13:00-/17:00-】[京都府/東福寺駅]THEATRE E9 KYOTO▽福井裕孝 「インテリア」▽https://t.co/FZ5xVoIjgh(本日まで)

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  10. 【2020/03/14土 14:00-/19:00-】[京都府/東福寺駅]THEATRE E9 KYOTO▽福井裕孝 「インテリア」▽https://t.co/FZ5xVoIjgh(-03/15)

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  11. 福井裕孝 “インテリア” – 物を配置、再配置することで時間をつくる驚きの演劇^_^カンパニーも劇場もできうる限りの環境を整えています。ご来場を心よりお待ちしております。 https://t.co/08cp5WZC6D

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  21. [投稿:BBS] THEATRE E9 KYOTOオープニングプログラム 福井裕孝『インテリア』 https://t.co/myMs47OfFc

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