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「あぁ、自殺生活。」

「あぁ、自殺生活。」

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

淡々としたストーリーの中に吸い込まれる
人は一回しか死ぬない…確かに
理不尽な言葉に傷ついたり、他の人と違う感覚や考えが違う中で傷つき、疲れ、時に消えたいと思う事は誰にもある
生きるのも死ぬのも勇気や行動が必要だよなぁと思いながら鑑賞
自身の老いに脅える気持ちよく分かる
自分が自分でなくなる事を考えたら…消えくなる

若い社員の会話が面白かった、ある意味宇宙語で意味わからなかった…もっと知りたかった笑
昨年に続いて良い時間を過ごさせて頂き
穏やかに帰路に向かってます

Ulster American

Ulster American

本多劇場グループ

「劇」小劇場(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

怒涛の会話の応酬。
自分の信念・信条がNO.1で他人の思考には「配慮できるよ」と思っている3人が
本音と建て前を行き来して、他人が折れるのを誘導する。
SNSでのやり取りが目の前で展開されているように感じました。
こうやって、諍いが大きくなっていくんだろうな、と感じられた作品。
演者のお三方、素晴らしかった。

底ん処をよろしく

底ん処をよろしく

東京ストーリーテラー

シアターKASSAI(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/23 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/04/19 (金) 11:00

演劇『底ん処をよろしく』Aチームを観劇。大衆食堂底ん処の皆さんに再びお逢いできました。

演劇を考察してみよう!

演劇を考察してみよう!

無限のネコ定理

王子小劇場(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/04/18 (木) 18:00

初見のユニット。演劇を続けることの苦しさと楽しさ、ということか。(前説3分)75分(16分休み)74分。
 とある学生上がりの男4人と女1人の劇団。辞めるという劇団員が出るが、…の物語。いくつかの「演劇は○○に勝てない」というタイトルで章立てするのだが、演劇を続けることへの若い世代の感触を綴っていると思う。苦しさもあるが、楽しさもある、という感じかと。劇団が演劇の芝居をすると自己肯定的になるという傾向があるのだが、ややそれは見られるものの嫌な感じではない。ただし長い。思いの丈をひたすら綴ったということだろうか。桐朋の卒業生の劇団だそうだが、登場人物全てが若い。「メタ演劇」という評もあったが、メタとは思わない。

さるすべり

さるすべり

オフィス3〇〇

紀伊國屋ホール(東京都)

2024/04/06 (土) ~ 2024/04/15 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

異色作。2022年に前哨戦をやっていたのか。殆ど書き上げたばかりのをやったかの空気感だった。(大幅に書き直して、とあるのでそれはそうだったかも。)
昨年の「ガラスの動物園」で見事なアンサンブルを俳優との間で形作った生演奏の川本悠自(b)と鈴木崇朗(バンドネオン)が付くというので、全幅の信をおいてチケット購入。千秋楽であった。
ヘルメットを被ってトンカンやってるイベント準備の中、二人が入って来る(トンカンやってるのは演奏者二人と踊り手(松井夢)だったらしい)。渡辺が客席語りをしながら、高畑女史に過去の話題作の演技を再現させたりのサービスの時間。そこから、渡辺えり節全開な支離滅スレスレ(否ほぼ支離滅か)の展開へ。ピースを後付けで力技で繋いでいた。華麗な台詞回しと展開があるかと思えば、弾けないもどかしい場面も。「死ぬまでにやりたい事やる」宣言を「した公演」を含めて三つ目を数えたが、まだまだ随分続きそうな勢いでもあり、通常ペースで見守る事にするか・・。

ネタバレBOX

導入はコロナ禍の「コロナ」を思い出せず、「何で私たちは4年間も自粛してるんだけ」と思い出そうとするやり取りから。「八月の鯨」をモチーフに、老いた二人の姉妹がどうにかこうにか生きてる風景だ。駄弁りが芝居の基調でちょっと笑える会話や風情に客席からはドヨと笑い声が起きる。八月の鯨のベティ・デイビスとリリアン・ギッシュを舞台で演じたいと思っている二人の稽古風景でもあり、即ちもっと老いた渡辺と高畑の未来予想図、といった趣きもある。だから二人が八月の鯨を抜けて、別の物語を生きる場面も点々とある。
「これはアングラなんだから」と序盤で渡辺が高畑に言う。戸惑う新人に宣告するニュアンスは、アングラ組から新劇組への宣告というより、「際物」から「普通」、「貧乏家庭」から「恵まれた家庭」への妬み半分の宣告にも聞こえる。カテゴリーにこだわるつもりはないが、小劇場演劇(遊眠社や第三舞台、劇団3○○(元2○○)、第三エロチカといったあたり・・見れば三の付くのが多いな)は確かに、アングラの延長と言って差し支えなさそうであり、「アングラ」と自称するのに何ら不自然はない。
物語らしきものはある。途中「種明かし」的に伏線を回収する体で、二人の共通の知人らしい「みつお」に言及される。「忘れようとしてた」から話題にもしなかったが、思い出した、と。二人の弟である彼は窓からさるすべりに飛び移ったり、平らになった枝にひもをかけてブランコを揺らしたりした思い出。ところが実は「みつお」は高畑の息子であり、高校時代に出会って感化された大学生との間に出来たが逃げられ、一人で生んだ。そして「みつお」は高畑の夫でもあった・・。そんな相の変化が断りもなく起きるので、台詞から人物関係図を完成させようとする脳では、到底追いつかない。「男」の持つ位相を「みつお」に代弁させたものと強引に解釈して観劇を続けた。
最終的には楽曲で締められる。パンチのある渡辺氏の声が歌の時である事を告げると効力覿面、終幕へと船は動き出す。無事進水すれば大団円、不思議な旅は終わりを告げる。このとき涙を拭う仕草を前の客席に認めるが、私はと言えば「夢の泪」の珠玉の歌を観た後である。そう簡単に騙されんぞと、肩肘を張る。だが席を立つまでがお芝居。舞台を終えた渡辺えりの語りに会場が沸く。手練れであるな・・ここは降参とするか。
「八月の鯨」に寄せた家族の物語の「みつお」を巡る悲劇は彼がさるすべきの木で首を吊った事。「果実のように」と表現し黒人の自殺に重ねている。八月の鯨の稽古を抜け出て、機動隊と対峙した全学連時代を潜り、爆撃のある戦時下を潜り抜ける。渡辺女史の社会派がほぼぶち込まれている。
第37回公演『ライダー』

第37回公演『ライダー』

激団リジョロ

シアターシャイン(東京都)

2024/04/12 (金) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

二度目の観劇。公演情報を入手したのがそれ以来なので久々の東京公演か、と勝手な想像をしていたが、劇団否激団の拠点は東京であり(旗揚げ2年後には関西から上京し、経緯あって東京にて改めて旗揚げした模様だが、それでも20年経っている)、また前回と今回の間に既に2公演やられている。前回観たのは2021年であった。
激団の名が表わす体は「熱い」。ただし前回は日韓の歴史を遡った(植民地時代から現代)リアル基調の劇で、尖った切っ先の熱とは異なり人情部分の熱(だから上がっても40℃位?)。だが今作は相当に現実離れしたフィクション。時空を飛ぶ。エッジの効いた鋭い「熱」にはこちらの方が親和的。で、これが中々面白かった。
過去公演の履歴を改めて眺めるとゾンビが登場する話もある。基本「激烈」な、啖呵を飛ばし合う劇の様相が浮かぶ解説文だったりするが、今回、作・演出の主宰は壮年期、他俳優が若手なのでこの「激しさ」「熱」を仕込む指南役とその弟子といった空気がやや舞台においても流れる。
おや?と思わせるのが冒頭、5、6歳位と見える女の子が登場し、最後も締める。普段っぽい表情で客席を眺めつつ動いたり台詞も言う。これが主人公の女性役の子供時代の設定で、何だろう?と目を引く。ツーリストと呼ばれる、操縦桿(一本のバーを床に据えて左右前後に動かす)一つで宇宙を旅するいかつい男(主宰・金光仁三)が現われ、女の子にこう告げる。「そうだと思った事が本当になる。何がしたい?」「宇宙に行きたい」「ならそう願えばいい。」大きくなったこの女の子は、AIと人間のハイブリッドこそ新たな時代の理想だと語る国のリーダーの下、潜在的な敵対関係を持つ事となり、「戦い」が徐々に始まっていく。
ディストピアな未来を生きる彼女は「そう願う」「そう信じる」いや「そう思っている(だけ)」でそれが実現するというそれが一つの「能力」である事を、自ら知る。かのツーリストが彼女を再発見し、これを告げた。彼は彼女の誘導役となるが、やがて前線から退場し、最後に彼女一人で戦う段階が来る。
AIと人間とのハイブリッドを高らかに歌う国のリーダー(女)のバックには、化け物的な、人間の肉体という宿を持ったAIの存在があった。だが、人間とAIの融合の実態とは、脳にチップを埋め込み、情報処理能力は高めるものの、指示者に対し従属的となるような代物。主人公の父はこれを悟って従わず、抹殺されるが、事が一巡りした後、国のリーダーも「理想」が欺瞞であった事に気づき、対抗勢力となる。だがその時点で主人公は先行してAIとの対決と撤収を繰り返し、逃れる過程で彼女はツーリストに紹介された避難先として訪れた星で、それぞれに個性的な存在たちと出会う。彼らに助けられ、また助け、学んで行く。
これはスターウォーズの構図だな、と途中から思い始める。「本当にそうなる」と心から信じていないならば、その力(映画ではforce=理力と言ったっけ)は生じて来ない。
彼女は旅の中で、この力を使いこなすコツを習得していくのだが、ラスボスであるダースベーダーと決定的な対決を行なうまでに、人間力を高める修行の中に様々な星の住人との出会いがある、という構図は、古典的だが力強い。

この荒唐無稽なSF物語が、ストーリー完結の辻褄合せに付き合わせるだけに止まらず、心が広がるような感覚を持たせたのは、ユニークな各星人たちを始めとしたキャラの魅力。
こういうタイプの芝居はそういえばあまり観ていないが、キャラ創出の才は中々ではなかろうか。最後まで「熱力」で押すドラマに相応しい精神論(根性論?)だが、スポ根とは異なり、最後には静かな心を希求している。
とは言え、その心を勝ち取るために、激烈な戦いを戦わねばならない物語の宿命は矛盾と言えば矛盾なのだが。
いずれにせよ、かような舞台を疲れず面白く観られた自分に気を良くして、帰路についたものであった。

S高原から

S高原から

青年団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/22 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

アゴラ劇場での最後の青年団公演である。満席の入場待ちの人々が階下のロビーに張り出された劇場のセット図面や台本などをスマホで撮影しているいかにも送別公演らしい賑やかさである。といっても観客数は百名足らずだから十分もあれば始末できる。そこが、良くも悪くも、平田オリザという劇作家の存在理由であった。
サヨナラ公演四公演から「S高原から」を見た。見ている内に過去に見ていたことを思いだした。初演が91年暮れ。せいぜい三十年余前だが、部分は思い出すが人物のキャラやプロットはほとんど忘れている。今回の再演はほとんど手を入れていない(例えば、台詞に頻出する「風立ちぬ」の解釈論は,その後のジブリ映画のタイトルに使われて人口に膾炙したが、初演通り、それがなかった時代で上演している)。新しい現在のキャストもかつての公演をなぞっている感じがする。サヨナラ公演だからそれもアリだろう。それで解ることもある。
平田オリザは,80年代までに演劇界を席巻したエネルギッシュに新しい世界を作る新しい演劇に対抗して出てきた。当時、唐、つか、鈴木忠志、太田省吾らの先行世代,蜷川、佐藤信、野田秀樹らの続く世代、一見おとなしく見える井上ひさしや串田和美ですら、今思えば十分に破壊力があリ戦闘的だった。その疾風怒濤の中から平田オリザはこの小さな駒場の小劇場を足場に出てきた。平田オリザは当時,日常生活の台詞、演技の上にドラマを見る「静かな演劇」として、ジャーナリスチックにもてはやされる時期もあったが、致命傷は大きな観客を集められる作品に向かうことがなかったことである。青年団はこの小さなアゴラから数多くの後継劇団を生み出したが、身近な日常の生活を基板として、それに甘えて仲間褒めで満足している劇団群で、既製劇団に対抗できる力がなかった。アゴラの閉館は静かな演劇衰退による閉館ではないと明らかになっているが、時代の流れは変わっている。現在は、最近見た舞台では,た組の加藤拓也やエポックマンの小沢道成などには、平田オリザの日常の上にドラマを構築する現代劇を受け継いでいることがうかがえる。
今「S高原から」を見ると、昔の流行り物を見る哀感も感じるが、演劇はこのようにして時代を超えていくものでもある。

デカローグ1~4

デカローグ1~4

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/04/13 (土) ~ 2024/05/06 (月)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★

前回の「デカローグA」の公演では、全体の企画への疑問を感じたが、それは、この「デカローグB]を見ても変わらない。しかし、今回の舞台の印象は大きく変わった。それはあとにして。
 前回に続く全体に関する問題では,エピソードを1と3,2と4,という組合わせで上演している。公演Bを見て、このシリーズはやはり、企画者が組んだような,どこから見ても良い、という並びの内容でもではないと言うことが解った。少なくとも、4までは、順に見るようにエピソードが並んでいる。単純なことでは主人公の年齢が成長していくように並べられている。それを無視して、演出者のくくりの都合で観客は見なければならない。確かに、演出者は資質が違うから順にすれば、お互いが損をすると言うことは解る。ならば、このような上演があることを企画の段階で解るなら、常識的には「順に見る」「演出者を二人たてるなら、までまぜこぜにして混乱するようなことはしない」というのは、制作者が、作品に対しても、観客に対しても行うべき最低の主催者の務めだと思う。
 で。舞台の方に移るが、前回、舞台が風俗的で必要な本質に迫っていないと書いたが、2、4をみると,同じアパートが舞台でそこに住む住人の日常的な物語りながら、Bの舞台は人間や時代の本質に迫ろうとしていることが解る。
例えば、前回の1のエピソードは,冬、パソコンの計算が得意な子供が大丈夫だと計算した池の氷の上で遊んで溺死する少年と家族の物語だが、舞台は単なる北国の不運に出会った家族のホームドラマの域を出ていなかった。今回の4のエピソードは父子家庭(父と娘)に残された封印されたままだった母の遺書の開封をめぐる父と娘の物語だが、その小さな一の封筒の上に、社会に巣立つ娘の不安と、父母への心情、さらに娘の男性への思い、自分が生涯の仕事にするかも知れない演劇への距離感、など微妙なところまで演じられている。Aではムード音楽かと言うような音楽(国広和樹)も、Aでもそれなりに上手いのだが,今回は弦楽器も加えて深く決まっていく。さらに分量は少ないが最近のプロジェクションマッピングを使って舞台の世界を広大な大自然の営みのなかに連れて行くあたり、観客をしびれさせる技法もあって,Aとは同じシーズとは思えない出来である。このあと、5.6は同じ上村聡史の演出だから楽しみでもある。

夢の泪

夢の泪

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2024/04/06 (土) ~ 2024/04/29 (月)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★★

観た時間が楽しかった(過去形)に止まらない今もひた寄せる感覚を伝えようとなると「おおおお」とか「ぐうぅ」「んなっ!」と咆哮にしかならないのを、無理やり言語化して結局「良かった!」「楽しかった」「泣いた」等の語彙を引っ張り出すしかなく。
「感動」という心のありようを表現する事は難しいので、やはりその周辺をぶつくさ書きながら「籠める」以外ないようである。

な事はともかく。開幕後まず目が探すのは、他でもない我らが桟敷童子の板垣桃子。。だがこれが中々見つからない。サザンの後部席とは言え、舞台上の雰囲気や声で分かりそうなものが、暫く目が泳ぎ、不穏な想像までした(降板...)。オープニングの歌を皆が賑やかしく歌ってるのにそこに居ない(後から登場組)とは考えにくいので、女優3名を消去法で潰すと一人残るのだが、声質も体の動かし方も当てはまらない。あの桟敷童子での立ち姿、風情から想像できない・・。言いたいのは、演技者としての幅が予想外であった事だ。声は高らかで明るく、体もしなやかで華やかな動き。それにまず驚いた。
一幕は寝落ちしそうな瞬間が何度か訪れた。(周囲にも相当数いたので私の「体調」だけが原因ではなさそうだ。)説明台詞が特に前半に仕込まれるのは博覧強記が戯曲にも滲む井上作品の「通常」で、休憩時間に回復した頭は「この仕込みが後半生きるのが井上戯曲だったな」と気持ちを改め、二幕物の華麗な「逆転」の例を思い出し、休憩後は前傾で舞台を凝視し始めた。読み通りであった。

弁護士夫婦の自宅兼事務所のある建物の「事務所」スペースが一、二幕とも変わらぬ舞台。ここで最初に「争い事」を持ち込んだ二人の歌い手の「同じ歌」の取り合い問題が、後半思わぬ形で決着を見る。そして改めて歌われ、最後には合唱となるその歌が、最初に耳にしたのとは見事に違って聞こえる鮮やかで静かなクライマックスは、忘れられないシーンとなった。既にメロディーも忘れ(譜割りの難しい歌だったが)前後関係も怪しいが、場面を反芻したくなる。
弁護士夫婦の夫(ラサール石井)は、東京裁判で松岡洋右元外相弁護団の補佐を引き受ける事となった妻(秋山)を支え、弁護人を有給で雇うよう当局へ掛け合う等「商才」?を発揮する。妻を公務に取られた弁護士事務所には、妻の父の知人という老齢の弁護士(久保酎吉)が応援に来ており、物の見方や法律上・人生上の助言もする役どころ。夫婦の間の一人娘は一本筋が通り、事務所の手伝いをしながら法律家を目指す。復員した正は抜け殻のようになった自分の中身を埋めるかのように勤勉に事務所の仕事に勤しむ。発語はいつも大声で「であります」口調。その感情を排除したような声が「言葉」として事実を淡々と伝える時、言葉の意味だけが情感を伝えてくる瞬間がある。ギャップ萌えと言えようか。

本論である東京裁判について、正面から言及されるのも二幕に入ってからの事。
妻はこの裁判はきっと「なぜこうなったのか」事実から振り返る機会、きっと良い影響をもたらそうだろうと熱っぽく語る。「歌」問題の調査(それぞれが歌を教わったというそれぞれの夫への聞き取りなど)を任された正が折々に報告する。この二つが主な案件として並行して進むが、これ以外に、弁護士事務所が受けた相談が紹介されるのは一件。
こんな相談だった、と報告する形で語られるのは、闇米の運搬を引き受け報酬を稼いでいたある女性が、上野で一斉摘発に遭った際、リュックサックに刃物を突き刺して穴を開けて中身を確認して回る警官の手にかかった。実はリュックには赤子を入れ、米は脇に抱えていた。赤子はその後死んでしまい、女が抗議しに行った所、文句があるならリュックに米を入れているヤツらに言え、と取り合われない。
この警官らの「返し」が井上の文才を思わせるが、占領下の日本でこれを告発するのは難しいとやむなく帰す。
この話と同様に「断念」を勧められるのが、弁護士夫婦の娘の幼なじみの青年。彼は父が朝鮮人で、地元の暴力グループに家を襲われた。警察はそっちの味方だから当てにできない、耐え忍ぶしかない、と周りはやむなく説得する。
朝鮮出身者は戦前「日本人」とされていたが、終戦で一旦処遇を保留されていた所、改めて「日本人」とされた。この事の意味についても作者は人物に語らせている。実は戦前は「日本人」と言いながら実際には区別していた。だが、今度は真正の「日本人」と規定した、それは「外国人」なら配慮が必要だが日本人なら放っておけば良い、という理屈なのだと。ここで歌われる歌は、日本人も朝鮮人も誰も彼も、「捨てられただけ」という歌詞。「ただ捨てられたのだ」が、日本人が到達すべき一つの認識(達観・諦観?)として作者が立てた(捻り出した)言葉だ。
負けた事を認められない人間が国家に寄り添い、政権に寄り添う。私らは政治によって良いように扱われ、軽んじられ、今も損をさせられ奪われている、つまり「負けている」のだが、これを認めたら権力と対峙する立ち位置に立たねばならなくなる。だから「奪われてなどいない」「政権は自分の味方だし」「反対を言ってるやつはパヨク」とこうなる。長期政権を「過ち=負けを認めない」リーダーが統べていた事も、影響しているだろう。
不敗神話=無謬性の原則に似て、先人の為したこと敷いたレールを、否定すべきでない、戦争でおかした過ちも「ない」として、改善と進歩の契機を一切認めない態度に通じる。20年前と言えば、歴史修正主義が勢いづいた時期だが、井上ひさしはこの時点でナショナリズムと「負けを認めない」態度との通底を見ていたのだな。

この捻り出した言葉に、井上氏の精魂が生々しく乗っている感覚を覚える。この作品も遅筆で苦しんだとの話。苦労の跡をこれほど感じ、そしてその苦労を超えて到達した高みをこれほど感じる作品はなかった。

ネタバレBOX

板垣桃子は藤谷理子と共に(年の差)歌い手コンビで歌の事で対立しながらコンビ愛が徐々に育まれていく役どころ。
オーラスは歴史の事も戦争の事も忘れた10年後の場面、ラサール石井が商才を発揮して四階建てビルを建て、弁護士事務所の二階に開いた店に皆が集い、二人の歌い手の歌と酒に酔う姿は「アッと言う間に忘れ去る日本人」を象徴。
この付録的場面(作者的には思いきり皮肉を込めただろうが)の直前が真のクライマックス。歌の作者の調査の最後の報告を読み上げる正。歌い手の夫それぞれを二箇所の陸軍病院に尋ね、同じ部隊に居た二人の上官が故郷を思って作った同じ歌を教わった事が判明した後の続報である。その上官も横浜の陸軍病院に居る事が分り、訊ねた所、二か月前に亡くなっていた。そこでその人の実家を訪ねて行く途中、丘を登って行った先に、正は「なんとそこに」・・「桜の木が風にそよいでいるではありませんか。(そんな感じの台詞)」と言い、目の前にその情景を浮かべる。軍隊に行き言葉に出来ない体験もしただろうこの青年が、二人の軍人と、その上官との「物語」の最後のシーンに身を置いている姿がそこにある。と、大事な事を、と正が報告を続ける。彼は上官の奥方に会い、歌をめぐる権利問題の決着をつけるべく経緯を話し、回答を待った。奥方は二人が夫の歌を大事にしてくれた事に礼を言い、「好きなだけ歌って下さい。それが主人への供養になります。」との回答を得る。
万事解決、と一同が喜んだ後、二人は申し合わせる事なく「桜の木」が口をついて出る。全員が、微かに声を合せ、小さな、儚い花の命を愛でるように、歌う。
この元歌なのだが、『ひょっこりひょうたん島』の挿入歌でこまつ座常連の宇野誠一郎作曲「心のこり」という歌だとパンフに書かれてあった。Youtubeではヒットしない。どこで聴けるだろうか、いつか聞いて反芻する事ができるだろうか、それが心のこり。
GOOD  -善き人-

GOOD -善き人-

フジテレビジョン/サンライズプロモーション東京

世田谷パブリックシアター(東京都)

2024/04/06 (土) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

今ひとつ面白くなかった。台本がそんなに悪いとは思えないし、では演出か?バンドの使い方など興味深いのだが、とにかくあんまり伝わってこなかった。佐藤氏萩原氏の演技が無駄になっている印象。

ワイルド番地

ワイルド番地

ホチキス

あうるすぽっと(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

前回の観劇は割と最近ではあったが、二年位?、、と見るとまだ一年前の事。自分(と劇団との距離感)にしてはインターバル短めであったがタイトルに惹かれ観劇。テーマ性、リアリティ、暗喩(皮肉?)そして最近は俳優(の蠱惑的演技)を重視する自分には異世界のホチキスの「見方」が、幾分判った気がした。
近未来(又はあり得ない現代)の設定でのっけからリアルを飛び越えた漫画的キャラ演技で成行きを正当化、ストーリー展開させるが、僅かな隙にリアルを忍ばせる。そこが終極「感動」に繋がるので(無論感動アピールは抑制的だが・・小玉女史の演技がこれを象徴)、やはりリアルは演劇の要であるのには相違ない。
「決闘」する本人のような出立ちの小玉氏は市役所決闘課二課の課長で、「決闘の要望を実現させる」ために奔走する課の課員は生き生きと躍動的。一方の一課は「決闘をさせない=和解に持ち込む」役割を任じており、倦んだ勤務環境をデフォルメしたかのようだが老獪な課長は課長なりのスピリッツがある事が観客の前に表面化し、両課の二項対立は二課の新人社員の「恋」も絡んで物語的に激化し漫画的展開とナンセンスすれすれなゲーム感覚が暴発して行く。
醒めた目では楽しめないリアル外しに思えるが、テーマ性はそこはかと漂ってる感があり、メロウを嫌った終劇で笑いを誘う。
今少し述べたいが後日追記。

ネムレナイト

ネムレナイト

大人の麦茶

ザ・スズナリ(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

始めて見る劇団だが、最終公演という。二十年あまり、スズナリで30回公演を打ってきたと言うが、そろそろ時分なので・・という見方によっては潔い引き方である。客席にも舞台にも悲壮感もないコメディ調のお別れ幽霊譚である。批評はやめておくが、小劇場の世界もこれからは今までのような安直な友達座組では成立しないのだろうと思う。稼ぎのために2.5まがいの営業をしなければならないとすれば、下北沢の空気も変わっていくことだろう。

La Mère 母

La Mère 母

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/29 (月)上演中

実演鑑賞

満足度★★★

久しぶりに二日続けての演劇鑑賞。それも格調高そうな交互上演の2作品なので期待大だった。しかし昨日の息子の方はまあ普通だが今日の母にはガッカリ。演出の都合上内容が薄いのは仕方がないがそれにしてもこちらの想像を一歩も出ないストーリーには呆れてしまった。

まあこんなストーリーで商売が成り立つのはフランスの事情なのだろう。チェーホフの描く没落貴族の贅沢な悩みと同じだ。木戸銭を払うことのできる階層相手に商売をしているわけだ。日本のお父さんは家庭内の居場所は早々に失い、定年で会社という居場所も失うという悲惨な状態なのだが、彼らは演劇なんか観ないので芝居になることはない。そしてこんな母よりもっとたくましい(=鈍感ともいう)。

若村麻由美さんの熱演がかろうじて芝居の形を作っていた。それでようやく☆3つ。

電撃メトロ

電撃メトロ

ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/04/13 (土) 13:00

内戦勃発により国別に設置された地下鉄の駅内のシェルターに避難した日本人たちの物語。第一幕ではシェルターでの様子、第二幕では内戦終息後の各人物を描いているが、昨今の世界情勢から妙なリアリティを感じさせる。
そして終盤の「あの台詞」はずっとそうあって欲しいという堤さんの願い/祈りと受け取ったが、それが痛烈な皮肉に聞こえてしまう現状……。まさにイマの世界(特に日本の)情勢に警鐘を鳴らす意欲作と言えよう。

ネタバレBOX

終盤の「あの台詞」とは「日本という国は戦争をしないし日本人は優しくて思いやりがある」というもの。
哀しいかなこれが痛烈な皮肉に感じられてしまうイマの日本の姿……
朗読劇「Aiと命」

朗読劇「Aiと命」

WizArt

Art Live Space 「Special Colors」(東京都)

2024/04/13 (土) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 朗読劇である。尺は約1時間。全3回公演の楽を拝見。

ネタバレBOX

 板上はホリゾントセンターに大型スクリーンを据えて人間の歩んできた各時代の景色等を映写で示し、スクリーン手前にセンターを開けてカキランを配しハの字に重ねた平台の上に2人掛けのソファを1つずつ配してAI役が2体ずつ腰掛ける。時代設定は数世紀後、人類は既に死に絶えんばかり。無論、戦争のあからさまな結果故である。登場するのはサイボーグ化した身体に人間の意識を移植し数百年を生きる最後の人間・カキランと第1世代から第4世代迄のAI達。AI達は何れも不死を獲得している。そして皆、寿命を持っていた人間、戦争という愚かな行為を繰り返しつつも各々が生きていた意味について思考していたことの意味について検証する為に転生するカキランの生の軌跡を追って答えを得ようとする。
 即ち物語は不死を獲得したAI達が持った疑問を検証する為に二足歩行をするようになって脳が肥大化し狩猟・採集によって生きることを可能にした人類文明の黎明期からシュメールを始めローマ等数々の文明を生き死んでいった人間の有様を通して死が思考に与える影響を考えるという体裁を採っている訳だ。
 尺が短いことも、恐らく脚本家が若過ぎることなどもあり、AI各世代の性能による人間評価の差異というよりは、女の子の形をしたAI個々の性格の差異という観点からしか描かれていないように観えたのは残念。また、人間のように感情を持つようにプログラムされた後代AIが不死を得て退屈という怪物に悩まされずに安穏と日々を送っている点などにも疑問を覚えた。また、転生を繰り返すカキランにはシュメール文明を立ち上げたキャラとして活躍することなども織り込まれるが、このようなことができたのはAIが時代を遡って関与した結果であることを示しながらタイムパラドクスについての顧慮も無い点は問題だろう。
 AI役の4名の内、音響に負けて台詞が聞き取れない役者が2名いたことも残念である。この辺りは全3回の公演とはいえ演出家がキチンとダメ出しをして音響を抑えるなり、台詞を大きな声で言わせるなり対策を施すべきであった。
電撃メトロ

電撃メトロ

ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

SSチーム千秋楽観劇。
1幕はあまり乗れず。危機的状況の中で心理的軋轢の描写がもっと欲しかったなというのが正直なところ。
秩序を乱す存在と受け取ったテントの男、もっと暴れても、、、と思う。
ある意味、日本人的倫理観を象徴していたのかもしれないが。
一転、2幕は面白かった。
戦後の闇市の未来版とでもいうか、人々のエゴが見え隠れするストーリーに引き込まれた。
結局、だれも救われずに終わるかに見せかけて、最後の歌ですべてを持って行った感じ。胸熱くなった。
松子の存在がかなり異質というか空気読めない系の人物だったが、社会情勢に無関心、何事にも受け身な日本人の暗喩として物語全体のキーパーソンだったのでは?と思った。
外れているかもだが。

さよう、ならば、また、

さよう、ならば、また、

時速246億

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2024/04/13 (土) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初日さようチーム観劇。
青春ファンタジーで既視感あるも小劇場らしい展開でまずまず満足。世代間ギャップネタ、ベタだけど笑える。
ただ、ライトすぎるというか、テーマといえる「接続の物語」やプロローグとエピローグの繋がりが少し薄い感じが気になったかな。

アイドルは AT 車に限る

アイドルは AT 車に限る

怪奇月蝕キヲテラエ

新宿眼科画廊(東京都)

2024/04/12 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

劇団名からは想像できないストレートな作品。
だが、理解はできるが共感できず。所詮アイドルは偶像に過ぎないという冷めた人間なので…怒られそう。
とは言え、藤真さん、平安さん、荒井さん見たくて行ったというこの自己矛盾。

那須塩原とか宇都宮とか、元県民なので何となく嬉し。

ひぐるま、ゆもとが中心なのは当然として、アイドルと一般人どちらの感覚も持ち合わせている感じの那須娘がいてこその話かな。
2人の演技、良かったなと。

マシュー・ボーンの「ロミオ+ジュリエット」

マシュー・ボーンの「ロミオ+ジュリエット」

ホリプロ

東急シアターオーブ(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

新たなジャンルの舞台を拝見しました。
台詞は全くありませんから、あらすじ読んであとはステージを見るだけです。

こういうものはどれも好みだと思いますが
個人的にはかなり高得点のステージでした。
台詞がたくさんなのも大変かもしれませんが
全く台詞がなく全て身体表現っていうのも物凄い大変でしょうね。。。
1つ間違えたら大ケガをする事になってしましますから

外人好きという方では無いと思いましたが
隙のない構成、ダンススキル、人形の様に美しいキャストと満足感は高いと思います。
台詞好きには勿論勧めませんw

悪童日記【4月15日夜~4月16日公演中止】

悪童日記【4月15日夜~4月16日公演中止】

サファリ・P

THEATRE E9 KYOTO(京都府)

2024/04/12 (金) ~ 2024/04/16 (火)公演終了

満足度

名前が少しとおってルからといって、この対応は観客を小バカにしていて、コロナ経験を全く生かされていない…😢最低な劇団

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