忘却論 公演情報 華凛「忘却論」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

     レイアウトが少し変わっている。(追記4.25:04;48)華3つ☆

    ネタバレBOX

    板中央は十字路が通っており、その各コーナーには水を張った水槽が1個ずつ置かれている。無論台に載っている。これらの周囲を囲むように椅子と机が置かれているが、机は入口からみて右奥のコーナーを除く3か所に、机用椅子は机の手前に背凭れの無い物が置かれている。他の椅子は十字路への入口を除いて均等に置かれている。このひと回り外側総てが観客席である。天井からヨシキリ鮫の顎ほどの大きさ、形状の枠から吊り下げられたテルテル坊主が吊るされている。
     出演は女性ばかり10人。5人が姉妹、母、教職の研修に来ている国語教師、近所のおばちゃん、花屋、姉妹の彼氏役である。
     しょっぱな忘却曲線について語られるが、このデータを得る為の実験と結果の妥当性が今も古びずに用いられていることが緩やかな導きの糸となり、物語というものは作家の意図次第で結末をいくらでも改変できるという事実をもう一つの糸にして物語が紡がれてゆく。各出演者かなりの熱演で、その点は評価していいが、3~4 割の演者の科白は、がなられているだけで滑舌が悪く聞き取れない。演出はしっかりダメ出しをして少なくともゲネまでには改善するか、それができなければ舞台を通常の形にして滑舌の問題が余り観客の聴き取りに問題にならないよう、科白の聞き取り易さを優先すべきであろう。仮にこのような点にも気付いていないのであれば、演出を基礎からやり直すべきである。演出の役割とは、脚本に書かれていることを観客に最大限効果的・的確に伝えることだろうからである。熱意や勢いだけで演劇は成り立たない。
     ネタバレが楽日以降との要請があったので、この点については楽日以降に記すことにする。
     善悪は人間が勝手に決めるもの、一方人間はどんなことも考えることができ、罰を考えなければ簡単に実行に移すことができる。それを演劇という手法で見せた点が良い。
     但し様々の悪行は、己の内側の論理によって、己の総てを明澄化し、律していないことから来る。考える気になれば無意識のある程度迄を意識化できるし、八識についても認識できるのが人間である。またこのレベルに至って初めて無明の闇の入り口に立つことになろう。即ち己の無明を己の力で律するトバ口に立つことができるのである。今作は。この認識のとば口にも立つことのできない無明を生きる者たちの迷妄を描いた、と見た。熱演ではあるものの、この文の途中で注意したことなどを意識して更に高みを目指して欲しい。

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    2018/04/20 12:31

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  • 追記アップしました。
         ハンダラ 

    2018/04/25 04:49

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