サソリ退治に使う棒 公演情報 フロム・ニューヨーク「サソリ退治に使う棒」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    異次元から繰り出される笑いの波状攻撃。
    演劇というよりは長いコントだった。

    さて、コントと演劇はどう違うのだろうか?

    ネタバレBOX

    シュンペーターは著書の中で「馬車をいくらつないでも鉄道にはならない」と言った。
    もちろんそれとはまったく関係ないが、「コントをいくらつないでも演劇にはならない」と感じた。

    サッカーをやったことのない男からサッカーを学ぶ30過ぎの男のような意表を突いた設定と、思いもよらない返しの台詞は、常に異次元から繰り出されるようで、結構笑った。ナンセンスな笑いのセンスの良さ(笑)がある。
    しかし約100分、そんな感じが続くと一本調子にさえ感じ始めてくる。意表だけを突いてきているようにも思えてくるので。
    笑いながら退屈するという感覚。

    コントと演劇の違いって何だろうと考えた。

    フロム・ニューヨークの今回の作品を観るているとなんとなくそれがわかってきたような気がする。
    コントもコメディ(演劇)も笑いが大切なポイントの1つである。
    しかしコントは「刹那の笑い」のような気がしてきた。その場その場だけで笑わせるというものだ。
    とにかく笑わせるということ。
    それに対して演劇の笑いは、演劇作品という全体を組み立てるための1つの部品となっているのではないだろうか。

    なので、全体の構成・バランス、あるいは伏線的な仕掛けが演劇には計画され、作品(物語やストーリー)が組み立てられ、笑いが配置されている。
    それは「物語やストーリー」というよりは「テーマ」と言ったほうがいいかもしれない。

    もちろんコントであったとしても、全体の構成やバランスはあるだろうし、伏線的なものを前提として笑いもある。
    しかしそれは演劇のそれとは異なるもののようだ。
    また、コントにもストーリーはあるのだが、それは「笑いのためのもの」である。

    コントは、笑いを重ねていっても物語・ストーリー・テーマは組み上がっていかない。たくさんの笑いが生産されていくだけだ。
    「後に何も残りません」と宣言する、笑いを柱とする演劇もあるが、「後に残らない」なりに物語・ストーリー・テーマが組み上がっているように思えるのだ。

    フロム・ニューヨークは、確かに面白い。面白いのだけど、短編をいくつか見せてもらったほうがよさそうだ。
    思いついた笑いにふさわしい設定をそれぞれつくり、その中で思いっきり笑わせてほしいと思う。

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    2018/03/09 06:24

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