で・あること 公演情報 で・あること」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★★★

    「演劇 is DEAD」の口調で「演劇love」を叫ぶ
    公演前にふと見た、アロッタファジャイナの松枝さん、とミームの心臓の酒井さんの、「期待している」的なツイート等を見たので、急遽観に行くことにした。

    ネタバレBOX

    Rock is DEAD。

    ジョニー・ロットン時代のジョン・ライドンが言った台詞として有名だが、これは新しいロックが出てくるたびに、前のロックに対して連綿と発せられた言葉でもある(The Whoも歌ってたと思う)。
    そう言いながら、ロックの中でロックを演奏してきたのが、ロッカーやパンクスたちだ。

    実験劇場の今回の公演では、ストーリーとは別に、「演劇」について語られていた。
    「語られていた」というほどではないが、「演劇 is DEAD」のような口調でだ。
    しかし、結局底辺に流れているのは「演劇love」な感覚。

    もちろん、この公演が新入生勧誘のための「演劇」の公演だから。

    タブー的なものや「アブナイ」的な要素を今様にうまく取り込み、ブラックなエンターテイメントに仕上げていたと思う。
    これを見たオトナの人たちが「危ないネタ満載だった」と言ってくれれば、「へへへ」とほくそ笑んでいるのではないだろうか。

    戦略的な匂いさえしてしまう。
    悪く言えば、アブナさを装ったというイメージだ。

    「新歓」という、主たるターゲットが決まっている公演だけに、学生が「危ないなー」とか言い、笑いながら、この企みに共感してくれればいいわけだ。

    ストーリー自体は、いくつかの「アブナイ」的なネタをつなぎ合わせたような感覚だった。
    しかし、この演劇(公演自体)をデザインしたセンスは見事である。
    「演劇」の枠にきれいに収まりつつ、「演劇 is DEAD」の口調で「演劇love」を叫び、共感してくれる者の胸に届けるセンス。

    「何をどうすれば観客は面白がってくれるか」を押さえているのではないかと思うからだ。

    次もこの演劇デザイン・センスを見せてくれるのならば、是非観たいと思う。
    単なる自己コピーで同じデザインだったら、それまでの力量ということなのだが。

    なんて思っていたら、次の公演見逃した。
  • 満足度★★★★★

    動悸が止まらない。
    冒頭の豚ちゃんレースから、その後の芝居が相当ヤバいものになる予感が漂っていましたが。蓋を開けたら、こちらがどんな表情をして観たらいいか戸惑うほどのタブーと社会批判。多岐に跨るそれらを詰め込みすぎとも感じないほど笑いや恐怖で放出する脚本、その緩急のバランスの絶妙さに金子鈴幸くんの才能と実力が3年前の「王国」以来加速していることを実感。役者さん達はさすがに学生サークルということで今一つの部分もあったのですが、演出の力で引き上げられていて持ち得る力を最大限に発揮していました。しかし主演の加弥乃ちゃんは流石に学生サークルでは観られない実力と華。彼女に歌って躍らせるシーンも上手く盛り込むあたり、鈴幸くんは芸能方面の才能にも長けているな、と。後半、鈴幸くんが狂気を露にして以降は、あまりの恐怖に動悸が止まらず。終演後に「これ新歓公演だよなぁ。こんなに壮絶だと人入らないんじゃない?」と余計な心配をしてしまったのでした 笑

    ネタバレBOX

    ボランティアに行った東北から感謝の気持ちで野菜が送られてきて、それを食べ続けてたら死んだのにゴジラとして復活とか・・・障害を持つ役者さんの腕を取って「トングかよ」とか・・・どんな顔して観たらいいんだ、と思った途端に「試されてる」自分に気づきます。

    マスコミ批判、小劇場批判、そして乱暴すぎると思うほどの地方出身者攻撃等々、よくここまで詰め込んだな、と。麻○○○、そ○○などの宗教ネタは、小心者の私にはこうして打つのさえはばかれるのに。秋元康の名前も、彼女の口から出していいのか、と 笑

    クライマックスでの鈴幸くん演じる犯人の異常性の発露以降、恐怖のあまり動悸が止まりませんでした。目への挿入での血糊、精液の飛ばし合い、死姦による糞塗れの手・・・ただその光景が突然目の前に現れただけではこんなに心臓はヤラれません。確実に鈴幸くんの精神は至って正常、だからこそ様々な異常性を観客に訴え、且つ問うことができるのだなと思います。

    その表現を実際に舞台で体現する役者さん達と、作・演出家の信頼関係たるや。加弥乃ちゃんの起用や、山田くんにあの役を演じさせる等、座組の並々ならぬ覚悟を感じました。

    多分鈴幸くんは将来芸能界を牽引する人になるのでしょう。演劇に映画に、期待MAX。あまり遠くない未来、「で・あること」を観たことを自慢しまくりたいと思います。
  • 満足度★★★★

    痛烈なブラックユーモア
    メディアが作りだし、流布させているステレオタイプな言説を、
    ブラックユーモアで徹底してひっくり返していく。
    そのケンカの売り方がとても良かった。

    ネタバレBOX

    特に、当て書きをしたのだろう、身体障害を持った役者さんに身体障害者を演じさせるというのは痛烈だった。
    マスメディア(テレビ、映画、演劇も)は、障害者を「可哀そうな人」として過剰に演出し、感動なるものを視聴者に与えようとする。その裏で、制作者は視聴率などのことしか考えていない。
    また、障害者問題に限らず、「震災」「被災地」「福島」などのテーマも、同様に数字をとれる・注目される<ネタ>として利用されている。
    そのような在り方を劇中で痛烈に揶揄している。

    それだけではなく、一般的に言われている言説への相対化も良かった。
    例えば、秋葉原事件をはじめとした近年よく言及される「理由なき殺人」の問題。この作品の中心をなす物語の女子大生監禁事件は、理由もなく始まった殺人計画なのだが、理由がないと「理由なき殺人」にカテゴライズされてしまうので、無理やりにでも理由を作りだそうと苦心したりする。

    また、権威などを嘲笑する感じも良かった。

    このフィクションの物語自体をメタな視点から相対化する視点も随所にあり、それも面白かった。特に、実は今までの回想シーンは嘘だったとする部分など。

    総じて、既存の価値などにケンカを売った姿勢が素晴らしかった。


    ただ、もの足りなさも残った。
    それは、そのブラックユーモアや風刺などが、単なる言説の相対化に留まっていた点だ。
    あらゆる言説や価値観を疑い、相対化するのは良いと思うが、
    相対化している主体の持つ(つまり脚本・演出の金子鈴幸さんの持つ)価値観が、何も提示されていないということ。

    勿論、そんなものは必要ないという考え方も解らなくはない。(私もポストモダン以後の世代なので)
    だが、すべての価値は相対化されてしまうという立場に立つと、
    この作品自体の意義もまた相対化され、その存在根拠も失われてしまう。
    その問題さえも取り込んで、自己相対化している作品だったら、アッパレだったのだが、そこまで突き詰めてはいなかった。
    それに、自己の演劇行為さえも相対化する作品を作っても、どれほど有意義なものになるかはきわどいので、その点においては、普通に、作者のアンチテーゼではない、テーゼを見せてほしかった。

    と、最後、厳しくも書いてしまいましたが、
    次回作も、楽しみにしています!


    <追記>
    加弥乃さんの演技がとても良かった。
    彼女の演技力で演劇としての強度を保っていたように思う。

    また、渡部栄太さんの演技は、あれは本当にヘタなのか、ヘタを演じているのかわからないが、いずれにせよ、とても印象に残った。
  • 満足度★★★★

    放◯禁止な話題が盛り沢山♪♪
    新入生の新歓公演でこの内容とは…(笑)。世間的には"タブー"な笑いが満載でした。作品の内容について触れると、伏せ字だらけになってしまいそうだから書かないけど…。

    ネタバレBOX

    女子大生監禁事件〜邪馬台国の遺跡発掘〜マスコミ批判〜原発による放射能汚染〜◯ジラ誕生etc.‥。到底繋がりそうもないテーマをよく一つの作品にまとめたなぁと感心。さすがにラストは力技過ぎたかなぁとは思うけど。あまりオススメは出来ないけど、個人的にはかなり楽しめました。
  • 満足度★★★

    ちぐはぐだったかなあと
    ごめんなさい、僕にはよくわかんなかったんです。

    ネタバレBOX

    あんなふうに知らない男が家に押し入ってきて手首を締めあげられて、それでどっきりカメラ?みたいなのとか。
    押し入った二人組(三人組?)の先輩のほうが、急に激しく驚く演技とか、無理矢理感がいたるところに。

    主人公の女性が殺されないことはわかっているから、最後、どんなふうに逆襲するのかなあと思っていたら。ゴジラが登場。それは面白かったかなあ。

    ぼくにはわからないギャグが満載だったので、そういうのがわからない自分自身に対してしょぼんとした気持ちになりました。
  • 満足度★★★★★

    着実な前進
    周囲にこれぞ見るべき演劇と見る前に喧伝したことが恥ずかしくない出来であった。終演後、隣の女子大生たちが、これは有りか無しか議論していたのが面白かった。理性の躊躇を越えて無しなほうに突っ走った作演と、内心の不安をもちながらも、ちゃんと作演の後について行った役者陣に拍手を送りたい。

    ネタバレBOX

    僕的には前半がかったるかった。後半を絞めるには必要なかったるさだとも思うが後半の絞めを知り得ない観客はどこに連れて行かれるのだろうと不安になる。もう少しだけ前半をタイトにするべきだと思った。個人的な感想。

    ファニーゲームの2人の表現については、最近、僕があれはなんなんだろうと考えていただけに、僕史的にタイミングが良かった。理由なき殺人犯の理由探し的なものの堂々巡りの果てに、地方出身者がむかつくからと、むかついてもいないのに選択し、むかつくふりをすることによってむかつき自らの中に衝動を作らざるを得ないという表現が、さすがだとうなる。ただ、それもまだファニーゲームに対する疑問には答えていない気がする。時計仕掛けのオレンジ、ファニーゲーム、ダークナイトのジョーカーを、カッコいいとかそういうスタイルを越えて存立させる、あるいは超えて行く方法をさぐることは、僕はしたいし、金子鈴幸氏にもしていただきたいと思うところである。
  • 満足度★★★★

    示唆的
     所謂“人間らしさ”なるものが失われ、システムが、幅を利かせる時代になってかなりの時が経った。このような社会の激変に対し、人々が皆上手く対応しているとは言い難い。結果、多くの人々は、その存在感の喪失に悩み、自らの立ち位置を失くし、ただ、漂うのみである。そう言って過言ではあるまい。作品に語られている女子大生監禁事件は、実際に起きた事件だということだが、その背景に在るのは、存在感喪失の不如意ではないだろうか? その辺りの事情を若く鋭い感性が掬いあげているのではないだろうか。(追記完了4.25)

    ネタバレBOX

     東電、F1の人災事故を今更挙げる迄も無かろうが、存在感の喪失と嘘でずぶずぶの不信の時代に、論理や倫理で如何に立ち向かうか。否、立ち向かい得るか? その試行錯誤の涯に辿りついたのは一種の存在論であった。それが、究極的にはゴジラという形を取るのは謂わば必然である。意味の成立し得ない時代、人々が、根拠づけることのできる唯一の位置こそ、我らに残された唯一の自然、身体そのものであるだろう。無論、既に、この身体は、核汚染によって痛く傷つけられている。そのような身体以外に我らは持ち得ていない。それは、第五福竜丸被ばく事件の時代、当時の農林省、厚生省が実施した公式記録だけでも992艘の鮪延縄漁船が被ばくしている実態を見、日本全土を覆った死の灰の拡散データを記録した、アメリカによる定点観測結果からも明らかである。(因みにアメリカは、自国の地上核実験によって生じた死の灰拡散についても日本全国、朝鮮半島など、自らの力の及ぶ範囲に定点観測所を設け計測していた。即ち、我々日本人は、総てモルモットにされていたのである。)
     今更ながらのことをもう一つ。我らヒトは地球上では食物連鎖の最上位に位置する。その我々が、作り出した核兵器に被ばくして生まれたのが、ゴジラである。(ゴジラ第一作を見よ)ゴジラ同様、ヒトの作り出した爆弾と“形の異なる”原子力。それが、原発だ。どちらもヒトが作り出した原子力であるが、それが制御を失って暴走し始めたのが、F1人災である。ところでそれを推進した自民党と推進諸勢力は、アメリカに恥を忘れて追随している。日本を潜在的核基地にしておくことがアメリカ並びに自民党の意思であるとき、我々、日本の庶民は、声を挙げて、核廃絶に向かうので無い限り、最後に再登場する豚の群れのように放射能まみれで生きる家畜同然である。

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