うれしい悲鳴 公演情報 うれしい悲鳴」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-20件 / 50件中
  • 満足度★★★★★

    圧倒される
    ひょっとこ乱舞は初めて、なのに最終公演で大爆破!

    ネタバレBOX

    劇団の特徴である、群舞に圧倒される。
    規律が整っているようで、雑多なようで、
    けれど「舞い」になっていて、
    物語のアクセントになっている。

    観劇慣れしていないからか、
    演劇の始まりのよくあるシークエンス、
    たとえば幕が開く、または劇場が暗転するでもなく、
    役者が次々にぞろぞろ出てきて
    準備するところから始めるのに
    単純にワクワクさせられた。

    ストーリーも、感覚を持たない「鈍感」な男と
    何に対しても感じすぎてしまう「敏感」な女の話で、
    女は2人の役者が、時にさらに多くの役者演じられ、
    一面からでなく多面的に物語を

    「アンカ」、「オヨグサカナ」など、別世界を描いて
    政治風刺的な内容もありつつ、
    究極の矛盾(天皇をアンカの対象として扱うか)に
    翻弄されるというアイディアは面白かった。

    印象としては、言葉がすら~っと流れるようで、
    男の独白などは、力強く感じた。

    また舞台が階段を介して
    ロフト部分から地下にまで繋がり
    縦方向の立体感も使って
    視覚的にも圧倒された。
  • 満足度★★★★★

    3日目ソワレ
    プラスチックモデルで喩えれば、初日ソワレはまだバリやランナーとの繋がり部分が残っていたのにこの日は水ペーパーで仕上げたように滑らかで、しかしランタイムは5分ほど増の130分。(ダブルコール含む)
    楽はやはりシアターガイド通り150分か?(笑)

    ネタバレBOX

    アフタートークでの「ミミちゃんを2-6名で演ずるのは人の多面性を表現するため?」という質問に対する広田主宰の「それに加えて役の数よりも出演者の数が多かったため」との回答に、倉多江美「一万十秒物語」中の「スーパー民主主義」を想起…ってマニアック過ぎ?
  • 満足度★★★★★

    ポップな舞台
    暴力団まがいの凶悪な行為を実行する集団「泳ぐ魚」に所属する無鉄砲野郎。その被害者であるイキ過ぎ女。そんな彼らが出会った瞬間、恋に落ちる。二人を主体として物語は動いていくが導入されるポップなダンスや照明の演出効果によってどす黒く悲しい物語を少しは軽くしていたと思う。何人ものミミが重なり合って感情を表現するさまは素晴らしいと感じた。

  • 満足度★★★★★

    3.11―劇団ほのおと共に観劇
    …ひょっとこ乱舞に大爆破はして欲しくなかった。
    ひょっとこ乱舞自体の公演もかなり良かったが、
    千秋楽同時公演の劇団ほのおが極めて良かった。
    この日に観に行けて良かった。
    本物の力を肌で感じれた。
    この表現力の真実味は多ジャンルにも通じて
    生かせられるものなのかという可能性を考えた日でもあった。

  • 満足度★★★★★

    大爆破の日に初めて。
    3月11日の大爆破の日に初めてのひょっとこ体験でした。
    群舞は、さながら魚群(泳ぐ魚)のごとく、舞台が一つの有機体としてとして感じられ、素晴らしいエネルギーと統率力(ネガではないです勿論)が感じられました。戯曲は綿密ながら、時間の往来が自由で、詩のようなリズミカルな大量の台詞。これらを実現する、動く身体としゃべる身体、強いからだ達が躍動していました。
    「泳ぐ魚」というのはなんとも示唆的ワードで、統率がとれているものの、意思決定主体の見えない感じ、中心の不在を示しているようで、いかにも日本なのではないかと思えてきました。
    主人公にあたる二人のエピソードから、「個」の存立、世界との関係性、いろんなことを考えながら、豊かな余韻を味わいました。
    大爆破の日に初めて行って、これでお別れだなんて少し悲しいくらいです。新生「アマヤドリ」は別のコンセプトになるのでしょうかね。

    プチフェニックス企画の「ほのお」公演、私としては、観ること出来て、貴重な言葉に触れたと、思います。機会を作って下さったことに感謝します。

    豊かな観劇体験でした。素敵な時間を有難うございました

  • 満足度★★★★★

    新たに旅立つ決意を見た。
    ひょっとこ乱舞のいいところは独自のスタイルを持っているところ。群衆での動きからダンスに移るところなどは、オリジナリティが高い上にとても素敵だ。

    今回はストーリー性に少し重点が行き、その分詩的な部分が抑えめであった気がする。舞台美術・音響・照明・演技、それらのひとつひとつが水準高く、そのトータルバランスがこれまた見事なのである。

    それにしてもひょっとこ乱舞には素敵な役者が揃っている。劇団員だけでも豪華さを感じさせるくらいなのに、今回客演陣がまた凄い。次回、アマヤドリと改名して、劇団がどう変貌するのか、楽しみでならない。

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい
    美しい、乱舞。言葉も身体も舞う。

  • 満足度★★★★★

    日本がひっくり返る!
    大爆破っていうだけあってホントに日本がひっくり返っちゃうんじゃないかっていうほどの衝撃を受けた! 

    いや、話はとてもシンプルなのにこの厚みはなんだろう。最前列で観せていただきエライ満足◎

  • 満足度★★★★★

    果て 
    福島の劇団『ほのお』の朗読劇を 観ても 思ったのです 事は、
    言葉 に 私は、心とかを とても揺さぶられて、しまうという 事でした。

    うれしい悲鳴の 舞台も、場面場面の 空気感のような もの が、
    すてきでしたし、
    たたかう ミミちゃんに 圧倒されました。


    爆破の煙が おさまって いろんな道が 見えるのだろうなと、思います

  • 満足度★★★★★

    最終回
    突き刺さる言葉がたくさんあって、せつなくなる言葉がたくさんでした。
    言葉がどんどん悲鳴になって聞こえてくる。

    緊張感のある内容だし、芝居もそうでした。
    笑う場所がいろいろあって、突然出てきて、笑わせて、また心地いい緊張感に浸る、そんな繰り返しに感じました。

    うれしい悲鳴の前に、「ほのお」の朗読劇があって、
    千秋楽のチケットを取っておいてよかったと思いました。

    アマヤドリが楽しみです。

  • 満足度★★★★★

    爆破
    痛覚が無い=鈍感=空気が読めない男と、過敏症=敏感=必要以上に他人の気持ちを読み込んでしまう女。

  • 満足度★★★★★

    5日目マチネ+総括
    法制度、仕事論、天皇制などを皮肉ったり疑問を投げかけたりして観客に考えさせる内容にしても、随時入る乱舞(?)にしても、ひょっとこ乱舞そのもので、カーテンコールでは贅沢な食事を終えた時のような満足感に包まれる。

    ネタバレBOX

    それにしてもすべてを繋ぐ(すべての出発点である?)小学校の卒業式の日の場面はイイなぁ。
    そこで描かれる他者との接触がいかに大変かが、それよりずっと前に演じられた(劇中では後日)シーンの意味を改めて裏打ちするようでもあり。
    また、「政変」でリセットして幕を閉じる巧さ(ズルさ)もさすが。
  • 満足度★★★★★

    カッコイイ
    洗練された芝居という印象。
    凄く良く出来た物語で自分は好み。
    色々考えさせられた。
    アマヤドリになっても頑張って欲しい。

  • 満足度★★★★★

    宇宙。
    昨年、自然のパワーはすごい、実感した。
    でも、最近、人間のもつパワーだってすごい、それが大勢なら、尚すごい。
    演劇が生み出すパワーだってすごい。
    そう思うようになりました。


    人間賛歌のおはなしだと思います。

    なんか、電力が作れそうなほど、すごい大爆破だったと思います。
    おもしろかった。

  • 満足度★★★★★

    戯曲こそ素晴らしい
    みなさんあまり指摘していないので書きますが、戯曲が非常によくできています。岸田賞を取ると思います。

    もちろん、改善できることは、演出面も含めていろいろあるのでしょう(厳しい評価をする方が指摘する点のいくつかには同意できました)。しかし、「大爆破」ですから、はなから上演されるものの完成度は目指していなかったと思われます。それにしても、戯曲の完成度は非常に高い。

    物語の構成に破綻がなく、伏線がきちんと機能しています。古典的な結構を備えていると言いたいほどです。語りの使い分けも見事で、平田オリザ以降の口語ダイアローグと野田秀樹的モノローグが、自由自在に使い分けられていました。具体的なことはネタバレBOXに。

    ともかく、これだけ多形的・多義的な意味作用を含みながら、物語としてきちんと構築された戯曲を、評価しないわけにはいきません。ぜひ公刊していただきたいと思います。

    ネタバレBOX

    痛みを感じない男が、かつての事故について、死者の肉のうちに閉塞することで逆に全宇宙と一体になる経験を語るところは、カタリの力が全開でした(役者ではなく戯曲が)。ライプニッツや西田幾多郎に通じる形而上学的ビジョンを、言葉の力で舞台上に出現させることができていたと思います。

    また、対話の中で、天皇制をめぐるやばい結論に、登場人物と観客が同時に思い至る瞬間は見事でした。そのあと、ちょっとそれに言及しすぎたのは残念でしたが。

    日本的権力構造(空虚な中心、責任者なき暴力)を批判するというモチーフは、観客に勝手に気付かせてぎくりとさせておいて、暗示的に展開した方がよかったかもしれません。近年の野田秀樹もそうですが、作品自体は多義的なのに、観客を政治的メッセージの側面にだけ注目させてしまうきらいがあります。

    それにしても、と再び言いますが、この時期に東北大震災のモチーフに単純に引き摺られない戯曲を作り上げた広田氏の知性は賞賛されるべきです。柴幸男の「テトラポット」がその点で残念なことになっていたのと好対照でした。

    私はときおり、放射能に過敏なひとたちのことを思い浮かべましたが、観客がそうやって個々に何かを思い浮かべる程度にモチーフを抽象化して、普遍的な物語を構築できていたと思います。天皇制ももうちょっと抽象化してほしかったけれども。
  • 満足度★★★★★

    すばらしい
    これで最後とは、もったいないくらいすばらしい。それ以外に言葉が出ない。

  • 満足度★★★★★

    舞台が物語と肉体でうねるようだ
    なんとなくひょっとこには「理系(的文学系)」を感じていたが、今回は「マネジメント系(的文学系)」とか「社会学系(的文学系)」の印象。

    深いところを描いたと思うと、遠いところから、気がつくとすぐ間近まで来ている。

    やっぱり、「日本」なんだよな。
    「日本人」だよなと感じてしまう。

    ネタバレBOX

    まずドラマが面白い。
    そして、今回も、というか特に今回の構成力はもの凄いと思った。
    物語も登場人物と役者についても。
    例えば、娘が母親と約束したということを、簡単に台詞のやり取りで見せるのではなく、娘と母親と、娘の唯一の友人との関係を含めて、じっくりと見せる。
    こうしたシーンは、ともすると、脇に逸れすぎて、本筋を薄めてしまうことが多いのだが、そうとはならず、きちんとそのシーンの分だけ本筋に厚みを増している。
    さらに、娘を基本2人で同時に演じるというのは、ひょっとこではよくある手法なのだが、それを違和感なく見せきってしまう凄さもある。
    役者の使い方がとても贅沢。

    役名を忘れてしまったけど、松下仁さんと、笠井里美さんが、それぞれ演じる長台詞が中心のシーン、どちらも凄くてシビれた。


    「お上」には逆らわず、「空気」を読んでそれに従うだけ。
    その「空気」というのは、「民意の、なんとなくの総意」だったり、そうではなかったりする。「なんとなくの総意」だったりしても、それが微妙にズレていくところが「政治」だったりするわけで、「政治」は「組織」の「力学」がポイントなのだ。
    そうした力学の働きで、「民意」や「総意」は微妙に屈折していく。

    政治家は、そういう力学を使って、矛先や焦点をズラしてくる。
    郵政選挙なんてまさにそれの最たるモノだったではないか。
    もっとも政治家だけでなく、組織を束ねる者の多くは、そうやって矛先をかわしていくのだ。

    ドラッカーがかつて「日本は外国から見られるような一枚岩ではない」「日本人が感じているのは一体感ではなく、対立、緊張、圧力だ」というようなことを言っていたような気がするのだが、まさに、日本人のそれであり、それが舞台の上にあった。

    「国」としてより早い決断を下すための国策で、思いつきによる政策と、それを遂行するために、何に対してでも優先的に発動できる権限を持つ「泳ぐ魚」という組織というものは、そういう「日本的」なモノの産物である。

    為政者が、あるいは国民のだれかが「お国のため」「国の利益のため」という耳障りのいい言葉で飾った国の施策だから、反対できなくなっている。
    本来の目的を見失ってしまっても、それを修正する能力も意欲も欠けている国民だし。

    また、「場の空気」を読むことで生きているわれわれは、「和」を乱す者を許さないし、乱さないように自らも細心の注意を払う。
    一度できてしまったシステムがたとえ変であっても、そこを乱すことはできない。

    「和」というのは、数学的な「和」ではなくなってくる。本来はそうであったはずなのだが、自らが読んだ「空気」がズレてくることがあるのだ。
    「和」は「輪」でもあり、「輪」には中心がない。つまり、中心となる者がいない中で、互いに微妙な距離感と力関係で「輪」になって、「和」を形成していく。
    中心のない和の「責任」の所在は不明。なのに、上からの命令は絶対。かつて「上官の命令は…」とやってきたこととまったく同じ。
    誰かが誰かの理由で勝手に権限を行使する。本来は責任と一体のはずなのに。

    そして、「絶対的な命令」に従うことは、自分で考えることを放棄しているし、同時に責任もないから居心地がいい。

    つまり、組織の統率はどこに帰属するかというガバナンス問題は、先の大戦での日本軍の失敗を例に挙げるまでもなく、連綿と続いているのだ。
    会社にいなくても、組織に属したことがある日本人ならば、誰もがなんとなく感じていること。

    それは、「国の象徴」という、センシティブな問題とも絡んでくる(そのあたりをかすめてくる、戯曲のうまさがある)。
    「泳ぐ魚」のガバナンスは国民にありそうなものなのだが、実質そこにはない。見えない「上」というところから発せられる政策があるだけで、「上」だって空であり、単なる組織や個人の力学のなせるモノでしかないのだ。

    そんなこんなで、誰かが「王様は裸だ」と言えば、瓦解するシステムなので、ラストはそういう形になっていくのだが、日本では外圧以外でそうしたことに陥ったことはなかったのではないだろうか。
    戦国時代とか幕末だって、単なる力関係だったわけで、国民が政府を倒したわけではない。だから、このラストは未来の日本であってもあり得ない展開ではないかと思ったのだ。
    学生運動があんな形で終わってしまったことを体験した国民だから。


    今回の「ひょっとこフォーメーション」と個人的に勝手に名付けている、例の集団ダンスは、この舞台では、そうした「国民」たちが、リズムに乗って、踊って(踊らされて)、同じ振り付け、同じ方向を向く、という姿に見えてくる。
    本来個人の持っているリズムは違うのに。


    これでひょっとこ乱舞はお終い。
    次は単なるラベルの貼り替えなのか、あるいは内容も変えての再出発なのか、これは期待せざるを得ない。

    と、深夜の脳みそでだらだら書いていたら、朝になっていた。
  • 満足度★★★★★

    最終公演と銘打つ覚悟と気迫を感じた
    脚本が秀逸。
    改めてじっくり読んでみたい。
    男と女、最小単位の人間の関わりを描きながら、表現しているものはスケールが大きく、我々が日ごろ気づいていながら見ないフリをしている現実。痛く、切ない。
    乱舞の迫力は合唱におけるユニゾンのようなエネルギーと説得力をもって訴えてくる。身体表現のうつくしさ。演者の呼吸、感覚を合わせ、ひとつの乱舞にするには相当訓練を積んでいるのでは。
    舞台美術も空間を上手く使っていてよかった。

  • 満足度★★★★

    感度
    照明がとてもキレイでした。そして舞台の広さ高さ空間をふんだんに使ったスケールの大きさ(美術だけではなく、肉体も。物語とダンスがピシッと合った)に圧倒されました。あの大人数のダンス(乱舞)はため息が出るほど美しかった。決して一糸乱れぬというわけではないのですが、なんか痺れる。音、音楽もよかった。ちょっぴり詰め込みすぎ感と終り方に何か足りなさ(かな?)はあったけれど、凄いパワーで全部見せてくれた感じ。
    あらすじにあるように『感度』を巡る舞台でした。『痛み』がわからない悲しみ。

    ネタバレBOX

    『感じない』ってほんとうに怖いと思う。例えば誰かを殴っても(命を奪っても)『痛みを想像できない』『麻痺してしまう(←ペットの場面)』って恐ろしい。
  • 満足度★★★★

    乱舞堪能
    ひょっとこ乱舞を観たのはまだ2回目ですが、澄んだ空気感と乱舞のリズムに魅了されます。誰かを抱きしめたくなる話だったなー。

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